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2014年4月21日 (月)

書評:『行動経済学』「書斎の窓」(5月号)に掲載予定

L16426

大垣昌夫 ・田中沙織/著

『行動経済学 -- 伝統的経済学との統合による新しい経済学を目指して』

2014年3月刊
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book『書斎の窓』(2014年5月号)に掲載予定の書評を先行公開いたします。評者は、池田新介(いけだ・しんすけ)大阪大学社会経済研究所教授(附属行動経済学研究センター長)です。


行動経済学はおもしろいか?
 学部や大学院で行動経済学を教えていると、「行動経済学はおもしろい」と期待している学生が多い。残念ながら、経済学の方は面白くない。微分して期待効用最大化や利潤最大化を解かなければならないし、「厚生経済学の第一定理」などと小難しい定理も多い。ところが行動経済学では、現実はそんなもんじゃない、と正面から言ってくれる。ヒトはそんなに合理的ではなく、効用最大化なんかしないし、いちいち確率なんか計算しない。経済学で苦労してきた学生たちは、行動経済学の本の帯に「人間は非合理!」なんて書いてあるのを見ると途端にうれしくなる。江戸の敵を長崎で討っているわけだ。しかし、それでは、ちゃんと勉強しようとしている子供に向かって「世のなか理屈じゃねえ」とくだを巻いているどこかの親父と変わらない。実際の行動や経済現象を説明できるような代わりの理屈を難しくてもまじめに考えていくのが実は行動経済学である。そんなまっとうな知的営みの成果を教えてくれそうな行動経済学のテキストが出た。

特 色
 本書は、マクロ経済学と計量経済学の分野で業績を積み重ねてきた国際的な経済学者と、神経経済学の第一線で活躍する気鋭の脳科学者の二人による野心的な行動経済学のテキストである。従来の経済学を批判的に検討しながら行動経済学の各トピックを取り上げ、人々の選択と行動を記述できる新しい理論仮説の可能性と問題点が科学的な方法に基づいて議論される。さらには今後の経済学の方向が模索されている。

 ネットで検索してみると、優に数百もの類書が出てくる。本書はいくつかの点で一線を画している。第一。当然ながら脳科学の専門的な知見に基づいている点で、余人には書けないユニークなテキストである。本書を読めば、損失回避、確率ウエイト関数、リスクと不確実性の処理、長・短期の時間割引、不公平感や妬みなどの社会的感情といった行動経済学の構成要素がどのような脳基盤を持つかがわかる。第二に、これまでの経済学のどこが問題で行動経済学ではどう考えるかというbridging(橋渡し)に腐心されている。著者の一人(大垣氏)は新古典派経済学の牙城であるシカゴ大大学院で教育を受けられ、米国での長い研究経歴をお持ちである。本書には、新古典派パラダイムについて深く考えてきた著者ならではの思索のあとが伺える。第三に、論争的、試論的な内容まで踏み込んでいるので、研究者にとっても考えさせられるところが多い。行動経済学の進展に伴って分析が可能になった規範や世界観におよぶ新しい経済学にコミットしていこうとする試みが随所に見られる。「野心的」と先に述べたのはその意味だ。

概 要
 本書はⅣ部から構成される。まず第Ⅰ部で、行動経済学とは何か(第1章)、神経経済学とは何か(第2章)が定義される。従来の経済学では、人びとが生来的な選好(好み)のもとで利己的な利益を最大化するという「経済人的合理性」を前提としていたのに対し、行動経済学はこの前提をはずして経済現象を記述する。選好は社会的要因や政策、選択時の状況など様々な要因に影響を受けると考える。神経経済学は、経済行動のベースにある脳の仕組みを解明していく、いわば「究極の人間本意」の経済理論を目指すものとして規定される。

 第Ⅱ部では、リスク選択の標準理論である期待効用仮説と危険回避の基本概念を整理したあと、期待効用仮説への反例として有名な「アレの逆説」が議論される(第3章)。これを問題提起として、プロスペクト理論(第4章)と限定合理性(第5章)が取り上げられる。行動経済学では、人々が評価や意思決定を行うときに考慮するのは消費水準や富の大きさそのものではなく、もともとの水準―これを参照点という―からどれだけ増えたり減ったりるするかという変分の部分だと考える。そして参照点からの変分を評価する価値関数を定式化し、客観確率に代えて確率ウエイト関数を構成する。第4章では、人々のリスク選択や損失回避行動を説明するために、これらの関数がどのように構成され、「アレの逆説」がどの程度解決されるかが注意深く議論される。さらに評価が参照点に依存する性質を使って、心理会計や初期保有効果など、意思決定が選択枠組みに左右される「フレーミング効果」が説明される。

 人々の認識能力には限界があるために行動の合理性にも限界が生じる。その「限定合理的」な行動を理解するために、思考費用を明示的に考慮することが考えられるが、思考費用を織り込んだ最適問題を解くのにまた思考費用がかかる。この無限回帰の問題を回避するために結局アドホックな仮定が必要になる。行動経済学が提案する心理学的アプローチでは、知覚と推論の橋渡しをするヒューリスティックス(直感)の役割を考える。従来、代表性のヒューリスティックス、利用可能性のヒューリスティックス、アンカリングという三種類のヒューリスティックスが区別されてきたが、第5章では前二者が、判断や決定の対象となる属性をより簡単な属性に置き換えてしまう「属性代替」というヒューリスティックスにまとめられている。

 第Ⅲ部は、時間と社会関係に対する選好を扱う。第6章で、時間を通じた消費選択モデルを用いて、指数割引、双曲割引、準双曲割引といった時間割引モデルの基本概念を説明し、選好逆転や先送り行動などの時間非整合的な行動が双曲割引(および準双曲割引)の下でどのように発生するかが説明される。そのうえで、自分の手を縛るコミットメント手段の重要性が強調される。つづく第7章は、動学的な意思決定に関わる脳の数理モデルとして「強化学習」の考え方を説明し、長・短期の時間割引タスクにおける意思決定の脳機能的な二重構造を解説する。内容は、著者の一人(田中氏)による先駆的な仕事がベースになっている。

 第8章は、他者への関心を規定する社会的選好を取り上げている。最後通牒ゲーム、独裁者ゲーム、公共財ゲーム、信頼ゲームなど、他者との相互性を検出するための様々なラボ実験の結果が手際よくまとめられている。どのゲームでも被験者たちは利他性などの社会的選好を示すが、ひとたび競争性を導入して市場環境のゲームに変えてやると、社会的選好は検出されなくなる。こうした矛盾を解消するモデルとして、不平等回避のモデルが紹介される。最後に社会的選好の脳基盤が整理される。

 第Ⅳ部では、文化、アイデンティティ、幸福、規範といった主観的問題と、人びとの行動との相互関係が議論される。これらは、行動経済学の進展に伴って分析の必要性がにわかに高まってきたトピックである。第9章ではまず、倹約や個人主義への態度など、文化的な要因がその地域の経済現象に与える影響が議論される。さらに、各地域で行われた実験結果を統合し比較するメタ分析や、規範の影響を見るための独裁者ゲーム、あるいはプライミング(先行刺激)という心理学の手法を用いて人種的なアイデンティティを操作する実験など、豊富な実証分析の結果が展望される。これらの実証手法を学べることも本章のメリットの一つである。

 幸福の経済学を扱う第10章ではまず、「感情としての幸福感」、「生活満足度」、「エウダイモニア」という三つの厚生尺度を区別する重要性が指摘される。「幸福感」とは実際に今日(昨日、先週)感情として経験した幸福感であり、生活全体の満足度を表す「生活満足度」とは異なる。「エウダイモニア」はいわば倫理的充実感を表す。全体として、パネル分析などを用いた、個人間比較によらない主観厚生分析の必要性が強調されている。回顧パネルによる東日本大震災の幸福度調査が例としてとりあげられる。震災によって生活満足度が悪化しながら幸福度を高めた回答者が多数含まれていたという事実が指摘され、人々の利他性が震災によって高まったことがその原因として強調されている。

 第11章では、行動経済学の進展に対応した新しい規範経済学のあり方を提案している。まず、参照点に影響を与えて選択の枠組みを変えることで行動を望ましい方向に誘導するリバタリアン・パターナリズムの考え方が紹介される。さらに、政策を評価する際に選好への影響を織り込むことで、パレート原理などの従来の厚生主義的な政策評価を行動経済学のフレームワークに拡張できることが指摘される。もっともそうして策定された政策は、倫理上望ましくない選好をもたらすかも知れない。単純に厚生主義を適用するのではなく、倫理的に望ましい選好を誘導するような政策が優先されるべきだというのが本書の主張である。

行動経済学はおもしろい
 本書は学部3、4年生から大学院の初級学生を対象として著された教科書である。学生たちはこのテキストを読むことで、(神経経済学を含めた)経済学がどのようにして人々の選択や行動を、そしてその結果としての経済現象を科学的に理解しようとしているのかが分かるはずである。研究者も本書から得るところが多いはずだ。通読して、行動経済学の仮説と脳機能の一覧表を作ってみるとよい(学生への課題にしてもよい)。脳科学との対応がよく整理されているのは先述の通りだが、たとえばヒューリスティックスによる意思決定のように、その脳基盤がはっきりしていない部分があることも読み取れる。

 その一方で、論争的な内容も本書は含んでいる。たとえば、政策当局者が倫理上望ましい選好形成にコミットすべきだという主張については、議論が分かれるところだろう。ただ、行動経済学の進展によって、選好がもはやディープパラメーターではないと分かってきたいま、経済学者や政策当局者はこうした主観的な問題にどう向き合うのかが試されている。読者は否応なくそのことに気づかされるだろう。

 行動経済学はやっぱりおもしろいとていねいに教えてくれるのが本書である。

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