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2013年12月 6日 (金)

著者より:『都市のリアル』

01吉原直樹 (大妻女子大学教授)
近森高明 (慶應義塾大学准教授)/編
『都市のリアル』

2013年08月刊行
→書籍情報はこちら

pen編者の吉原先生が本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2013年12月号)にお寄せくださったエッセイを以下でもお読みいただけますsign01

◇リアル探しへ/から―― 『都市のリアル』 の刊行に寄せて◇

 リアル探しのなかで
 今日、 都市に限定されるわけではないが、 とりわけ都市においてネット環境の整備が進んでいる。 そうしたなかで、 ヴァーチャルとリアルの 「あいだ」 があいまいになっている。 両者を識別することが困難なほどに、 ヴァーチャルとリアルが相互浸透している。 そしてこうした状況の進展とともに、 都市はますますわれわれの理解を越えるものになっている。 だから、 いかにも気恥ずかしいのだが、 そうした都市を向うに置いて、 あえて 「本当の私って何?」、 「生きているってどういうこと?」 と問うてみたくなる。 ネットの申し子たちからすれば、 こうした問いは陳腐きわまりないものなのかもしれないが、 現実にせせら笑っているだけでは何も聞こえてこない。 そこで筆者たちは、 何よりも、 迫りくるヴァーチャルの闇に呑み込まれないために、 ヴァーチャルとの 「あいだ」 で沈みかかっているリアルを取り戻さなければならないという悲壮な決意の下に立ち上がった。

 筆者が知っているだけでも、 リアルという言葉をタイトルに取り入れている書物は、 (本書以外に) いくつもある。 それらの多くは、 照準したものに素朴に 「リアル」 が感じ取れないというところから出発している。 そしてリアルを〈問い直すこと〉、〈すくい出すこと〉が基調音となっている。 リアル探しの旅とでもいおうか、 そうしたものへのこだわりが 「リアル」 書には横溢している。 だが、 筆者たちからみれば、 そうしたこだわりが強ければ強いほど、 「リアル」 が空転しているように感じられる。 だから、 多くの 「リアル」 書と共振するとともに、 いかにそれらのものから距離をとるかが本書の基本課題となっている。 そのために取られた戦略は、 ひとことで言うと、 一方でリアルと折り合いながら、 他方でリアルを向うに置くということである。 そのことによってリアルへの認識の足がかりを得るとともに、 そうした認識の共有に向けて橋頭堡を構築することが、 本書のめざすところである。

 「都市の」 と 「都市において」 の間
 都市には、 さまざまな問題現象が溢れている。 家族、 コミュニティ、 学校、 職場などから 「きしむ音」 が聞こえてくる。 個々の生きざまに視線を移すと、 生まれたときから死ぬまでの間、 ひっきりなしに 「壊れた形」 が立ちあらわれる。 同時に、 そうした問題現象と隣り合わせて、 ソーシャル・キャピタルとかネットワークなどの新しい関係性や集合性が芽吹いている。 本書では直接言及することはなかったが、 昨今、 よく取り上げられるコンパクト・シティやサステイナブル・シティは、 そうした関係性や集合性にしばしば根ざしている。 しかし、 上述のように両義的にあらわれる状況をひとことで表現しようとすれば、 たちまち壁にぶつかってしまう。 何よりも、 そこにはいくつもの要因がからんでいる。 そうしたなかにあって筆者が特に注目するのは、 ネオリベラリズム的な都市経営のありようが深い影を落としていることである。
 だが、 それはそれとして、 まず指摘しなければならないのは、 本書では、 上述の問題現象、 そして指摘されるような関係性や集合性を 「都市の……」 という形では取り上げないということである。 それらは基本的に、 「都市において」 現象するものとして取り扱われる。 都市のリアルは、 都市を 「容コン器」 テナーとしてではなく、 「媒体メディア」 として解明される。 人と人との 「出会い」 や 「交わり」 は、 かりにそれが都市に特有のものであるようにみえても、 都市そのものを示すことはない。 この何の変哲もない事実がこれまではあまりにも安易に取り扱われてきたのではないだろうか。 都市のリアル探しは、 「都市において」 現象するものが 「都市の……」 という形では語り得ないこと、 言い換えると、 都市において翻訳可能なものは数え切れないほどあるが、 それらは都市そのものをテキストとするのではないことを確認することからはじまる。

 「みえないもの」 への照準
 さて都市のリアルを考える場合に、 最初に問われるのは、 都市において 「みえるもの」 と 「みえないもの」 をどう区別するかという点である。 通常、 「みえるもの」 に照準されがちであるが、 考えてみれば、 「みえるもの」 と 「みえないもの」 の区別はそれほど単純なことではない。 もともと両者の設定基準があいまいである。 しかも、 「みえるが、 みえない」、 「みえないが、 みえる」 といった状況がしばしば起る。 こうなると 「みえるもの」 と 「みえないもの」 があれかこれかではなく、 まるでコインの両面のように存在する。 だから、 瞬時、 アクロバティックに対応するしかないと考えてしまうが、 これはいかにもわかりにくい。 ここでは確信をもって言えないが、 まなざす者の視座が問われているような気がする。 どうまなざすかによって、 「みえるもの」 が 「みえないもの」 になるし、 「みえないもの」 が 「みえるもの」 になる。
 本書では、 どちらかといえば 「みえないもの」 に照準した。 もちろん、 この 「みえないもの」 については執筆者間に幅がある。 ある人にとって 「みえないもの」 が別の人にとっては 「みえるもの」 であるかもしれない。 逆もあり得る。 先に指摘したように、 「みえないもの」 に基準のようなものがないのだから、 あるいは、 そういったものを設定していないのだから、 これはある意味仕方ないことである。 重要なことは、 それぞれが 「みえないもの」 と見なすものにたいして鋭敏なまなざしを向けることによって、 「みえないもの」 の後に 「みえるもの」 を浮かびあがらせようとしていること、 あるいは 「みえるもの」 をよりいっそう明晰にしようとしていることである。 つまり、 どの執筆者も都市に潜む可能性と隘路と化しているものをすくい出そうとしているのである。 もちろん、 その場合に重要なのは、 そうした可能性と隘路を表裏一体のものとして提示することである。

 都市への往還と自分探し
 都市のリアルに向き合う場合に、 次に問われるのは、 都市への往還の質をどう定めるかという点である。 都市におけるリアル探しには、 都市にあるフィールドに行き、 そこから還ることを何遍も繰り返すことが避けられない。 しかしこの往還はときとしてパタン化し、 自己目的化してしまう。 たしかに、 その最中で三段跳び、 また場合によってはでんぐり返しのようなものがあるかもしれない。 でも、 そうしたパフォーマンスでさえ、 往還の繰り返しを妨げるものではない。 都市に行ったり来たりすることに意味があるのは、 そのことによって自己の立ち位置が鮮明になることである。 平たくいうと、 往還の途次で自分のことを振り返って少し整理するきっかけが得られることである。 考えてみれば、 この自己定位、 よりくだけていうと自分探しは、 ルーティン化した往還に馴れきっている者には、 かなりむずかしい作業になっている。 かれ/かの女らにとって、 都市はある意味空気のようなものであるのだから。
 都市に向き合いながら、 リアル探しが自分探しにつながるためには、 さまざまな理論的しかけを援用することが有益かもしれない。 しかしここでは、 そうしたものに依拠しなかった。 都市への往還の途次で、 既述した 「みえないもの」 のポテンシャルに惹き寄せられて、 都市に想像的、 創造的に掛り合う主体のもつ能動性といったものを浮き彫りにすることが、 何よりも重要であると考えた。 とはいっても、 それが自己を感知し、 感知し直す主体を析出する方向に向かうことを保障するわけではない。 ただ、 たしかなことは、 こうしたことについて先行する知と何か共有するものがあるかと問われれば、 それはやはりむずかしいということである。 本書を、 社会学を生業とする者を糾合しながらも、 都市社会学もしくはそれに近いタイトルにしなかった所以である。 同時に、 本書のタイトルには、 「みえないもの」 に固執しながらも、 実在とのつながりを断ちたくないという執筆者個々の思いが込められている。

 現代社会論を超えて
 ともあれ、 本書は、 新しいスタンスとアプローチの下に編まれ、 世に問うことになった。 編集者が表紙の帯に付けた腰巻コピー、 「都市“から”語れば、 現代社会論は異なるかたちへと開かれる」 とは、 実に刺戟的である。 たしかに、 都市そのものにのめり込まないで、 「問いのなかの都市」 からはじまって、 「ゆらぐ都市」 を経て 「つなぐ都市」 へと展開していく本書は、 「社会のいまを語るコトバ」 で都市を語り、 都市に生きる人びとの再帰的道筋を示唆している点で、 現代社会論と紙一重である。 しかし 「みえないもの」 の向こう側に思いを寄せ、 さらに認識主体の存立基盤に立ちかえってリアルの内質を問おうとしている点では、 まぎれもなく現代社会論を超えているように思われる。
 もちろん、 この地平を執筆者すべてが確認もしくは共有しているとはいいがたい。 現に、 都市社会学的なものに向かっていくベクトルと都市論に向かっていくベクトルがせめぎ合っている。 だが編者は、 こうした異なるベクトルの交差はむしろ本書の魅力になっていると考えている。 都市のリアルは、 単焦点では描き切れない。 いずれにせよ、 本書が都市に潜む多様なリアルを析出することのきっかけになれば、 幸いである。

吉原 直樹(よしはら なおき=大妻女子大学社会情報学部教授)

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