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2013年11月12日 (火)

著者より:『日本経済論・入門』「書斎の窓」に掲載

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八代尚宏/著
『日本経済論・入門――戦後復興からアベノミクスまで』

2013年7月刊
→書誌情報はこちら

著者の八代先生が本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2013年11月号)にお寄せくださったエッセイを以下でもお読みいただけます


◇現在の日本経済をどう評価するか◇

日本経済の再発見
 1980年代までの日本経済は、高い経済成長と完全雇用、安定した物価水準等、先進国の内でも模範的な成果を上げていた。しかし、1990年初めの資産バブル崩壊の後は、一転して、20年以上もの長期経済停滞に陥っている。最近、新たに社会人になる世代は、過去の日本の旺盛な経済活力の時代を全く知らないことになる。

 このため、世界から忘れ去られていたような日本経済が、久々に大きな注目を浴びている。これは、まず2007年のリーマンショックを契機としたバブルの破綻で、欧米諸国にも不良債権危機が発生し、1990年代の日本と類似した経済状況となったことがある。日本の金融危機は、政策面での迅速な対応を欠いたためにより拡大したと見なされていたが、実際には欧米諸国でも政策対応では大差はなく、欧州諸国では政府の債務危機にも結び付いている。このために、欧米諸国の「日本化現象(ジャパナイゼーション)」が注目されるとともに、小泉政権の下で、不良債権問題を克服した日本の経験が、改めて見直されるようになった。
 次に、2012年末に登場した安倍晋三政権が金融緩和・財政再建・構造改革等の成長戦略(アベノミクス)を打ち出し、大幅な円安と株高が実現したことである。この結果、長らく停滞していた日本経済の先行きについての期待感が高まったことがある。しかし、反対論の少ない金融緩和政策では成功したものの、より政治的に困難な財政再建と構造改革は、まだ始まったばかりである。こうした日本経済の現在の問題を考えるためには、戦後の経済の発展過程を振り返ってみることが有用である。

日本経済盛衰の共通要因
 1980年代末までには、日本経済論の本を書くことは、比較的、容易であった。そこでは戦後の貧しい時代から米国に次ぐ経済大国にまで発展した日本経済の成功体験を並べれば良かったからである。日本人の勤勉性に基づく高い家計貯蓄率や、企業の旺盛な投資意欲、安定した雇用慣行に基づく円満な労使関係、メインバンクと企業との長期的な取引関係、大企業と中小企業との信頼関係による系列取引等の「日本的システム」がその中心となっていた。
 しかし、1990年代以降には、家計の貯蓄率は持続的に低下し、代わりに企業の投資不足から貯蓄率が上昇した。長期雇用慣行は、不況期の失業率の上昇を抑制する効果はあったものの、過剰雇用を生むとともに、正社員雇用を抑制し、非正社員の比率を高める要因ともなっている。これまで日本経済の強みと考えられていたものが、逆に弱みになってしまった面もある。
 こうした日本経済の長期成長と長期停滞という正反対の事象を、同時に説明するためには、両者の間に、何か共通の要因を探すことが必要となる。さもなければ、単に人々の意識や価値観の変化で説明するしかなく、「(何が意識変化の要因かの説明を欠く)同義反復」に陥ってしまう。これが、戦後日本経済論の大きな課題となる。
 これについては第一に、90年代以降の経済停滞を、財政・金融等のマクロ経済政策の失敗で説明することがある。バブル崩壊後の金融緩和政策の遅れや、景気回復が十分でなかった1997年時点での消費税率の5%への引き上げが、景気を失速させ、巨額の不良債権を顕在化させたという説明は、今回の消費税率の10%への引き上げの是非についての、ひとつの争点となっている。
 第二に、企業経営者の行動変化に帰する見方もある。すなわち、80年代までの経営者は、労働者を大事にし、不況時にも雇用を保障したが、90年代以降は、もっぱら企業利益を追求するために、低賃金の非正社員への代替を進めた。この結果、雇用の不安定化や格差の拡大から消費が減退し、景気の悪化を招いたという説明である。
 しかし、マクロ政策の失敗だけで長期にわたるデフレを説明することは困難である。また、過去の高い経済成長の下で、労働力不足が大きな問題であった時期と比べた今日の企業経営者の行動は、その意識の違いよりも、低成長期への対応の結果であると考えられる。いずれも過去のサクセス・ストーリーを覆すほどの影響力があったとは言い難い。 

経済環境変化に対する政策の不作為
 1990年代以降の長期経済停滞の真の要因を理解するためには、個々の政策の失敗よりも、経済社会の大きな変化にもかかわらず、国の政策や企業経営が「不作為」であるとの視点が重要である。戦後に発展した日本の経済社会システムは、米国並みの生活水準を目指して急速な経済成長を達成した大きな原動力となったことは疑えない。しかし、その成果が余りにも目覚ましかったという「成功体験」が、経済社会環境の変化への適切な対応を妨げた主因となったのではないか。
 1990年代以降の日本は、世界的な直接投資の規模拡大ととともに、それを活用して、近隣の人口大国の中国が急速な市場経済化を進めるという、経済活動のグローバリゼーションに直面した。また、情報化革命は、企業内部で長期的に形成される熟練を陳腐化させる面もあった。さらに、若年労働力の豊富な供給を暗黙の前提とした長期雇用・年功賃金の雇用慣行や社会保障制度の下で、人口の少子高齢化のインパクトは累積的な効果をもった面があった。こうした世界的な市場経済化への流れがあったにもかかわらず、単に過去のやり方を、企業も家計も政府も固守していることが、長期停滞をもたらした真の要因ではないか、という問題意識である。
 現在の日本の多くの社会問題の主因は、「経済社会環境変化の下での政策の不作為」として捉えるとすれば、ちょうど台風一過で青空が広がるように、ひたすら災害に耐えれば、自然に問題は解決するという考え方は誤っている。旧き良き時代の再来を夢見て、ひたすら改革の先延ばしを図る政治や企業経営に終止符を打たなければ、日本経済の閉塞状況はいつまでも続くものといえる。

戦後経済体制改革の必要性
 戦時中や戦後に設立された諸制度や慣行の大胆な改革を行わなければ、日本経済の再生が困難なことは、大きな争点となっている「環太平洋経済連携協定(TPP)」への参加や、「社会保障と税の一体改革」等の重要な政策課題について妥当する。現状を維持したままでは、何の問題の解決にもならないにも関わらず、改革自体への反対論が根強い。
 TPPへの参加に関しては、「第三の開国」という表現が用いられたことがある。ここでの「第一の開国」とは明治維新を、「第二の開国」とは連合国による占領期を各々指すものであるが、いずれも外国から強制された「開国」という共通点をもっている。TPPへの参加自体は日本の意志に基づくものであるが、加入後には、他の加盟国から国内市場開放への圧力がかけられ、それが国内市場の改革に結びつくからである。
 これに対して「構造改革が必要であれば自ら行えば良い」という正論があるが、これは戦後の歴史を振り返っても、現実的なものとはいえない。例えば、占領当局の力なしには、地主の既得権を奪う戦後の農地改革は実現できず、また、先進国の一員としてOECDに加盟するために、自動車産業等の強い懸念を押し切って、対内直接投資の自由化がはじめて受け入れられた。世界経済のグローバル化が進む中で、TPPへの参加が、長年の課題である国内の制度・慣行を改革するための好機となる。
 本書の主題は、戦後日本の経済発展の歴史であるが、その視点は過去ではなく現在に置いている。現在の日本の抱える経済の長期停滞や所得格差の拡大等については、とくに経済の長期停滞が始まった1990年代以降の時期に重点を置いている。それらの問題は過去にも生じていた筈であるが、戦後の経済発展の過程ではどのように克服されてきたかに注目する必要がある。

2つの経済成長の屈折期
 1990年初めの経済成長の屈折と比べて、1970年代央に生じた高度経済成長の終わりの時期は、これまであまり関心を呼ばなかった。しかし、その主要な要因とみられていた第一次石油危機の影響は、実は一過性であり、他の先進国では日本ほどの大幅な経済成長の減速は生じなかった。これには、海外要因よりも国内要因が重要である。今日の保守政治の源流ともいえる田中角栄政権が始めた「国土の均衡ある発展」政策が、地方から都市部への人口移動を通じた経済の効率化による日本経済の成長を抑制した大きな要因となっている。
 これら2つの大幅な経済成長の屈折期の共通点を、市場経済への抑制という視点で考えることで、現在の日本経済の直面する問題をより理解することができる。過去の経済問題との共通点・相違点を振り返ることで、現在、最も必要とされている経済成長戦略に結びつけることが、本書の大きな狙いである。
 もっとも、日本経済の長期停滞に対する関心は低く、「経済成長よりも所得分配の方が重要」という声も少なくない。この象徴的な出来事が、2010年に、日本の国内総生産(GDP、ドルベース)が中国に抜かれて世界第3位となったことであった。これは中国の高い経済成長によるだけでなく、過去20年間で、日本の経済規模がほとんど拡大していないことによる面が大きい。
 日本はすでに十分に豊かという論者もいるが、経済が成長しなければ新規の雇用機会は増えず、すでに安定した職を持つ者との所得格差が広がることは避けられない。むしろ過去の高い経済成長の時期の方が、労働需給のひっ迫する職種の賃金が早く上がることで、全体の賃金格差の縮小に結びついたといえる。日本経済の成長戦略が唱えられている今日、過去の経済政策の失敗の歴史に学ぶ面は大きいと言える。
(やしろ・なおひろ = 国際基督教大学客員教授、昭和女子大学特命教授)

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