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2013年11月13日 (水)

書評:『伝統産地の経営学』「書斎の窓」に掲載

L16412山田幸三/著
『伝統産地の経営学――陶磁器産地の協働の仕組みと企業家活動』


2013年7月刊
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book『書斎の窓』(2013年11月号)に掲載された書評を以下でもお読みいただけます。評者は上山隆大(うえやま・たかひろ)慶應大学総合政策学部教授です。


1 はじめに

 評者は、本書の著者とほぼ同年代の日本を生きてきた。いま思い返してみれば、幼い頃の身の回りには、テレビやその他の家電が、物珍しさの光を放って次々と入り込んできたが、社会全体に豊かさの気分は満ちてはいなかった。その後に、あれよあれよとばかりにと高度経済成長がはじまり、いつしかバブル経済の真っただ中で、大学・大学院時代を過ごすことになった。誰もが右肩上がりの成長を信じていたし、技術立国としての日本の可能性を疑う者はいなかった。日本の技術は世界一だと思い込まされて、作り出す製品はどこの国のそれよりも市場競争力があると考えるのが当たり前になり、技術のみならず日本の経営システムの独自性が世界を席巻しつつある、と信じるようになったのである。
 そして、バブルがはじけた後の長い経済的低迷の間、日本経済再興の方策として、ずっと我々を覆い続けている二つの思考法がある。一つは、グローバル化の時代にふさわしく、日本は先端技術産業での競争力をさらに強化しなければならない、そのためにはもっと革新的なビジネスモデルを導入すべきだという主張であろう。一方で、日本が伝統的に強みとしてきた「ものづくり」のノウハウと精神を簡単に捨て去るべきではない、その再生こそが日本の経営の要であると論じる学者も多い。この両者はまったく対立する思考なのだろうか?

2 伝統産業と先端技術産業の交差するところ
 80年代に日本との競争に敗北したアメリカは、本格的な知識基盤社会に突入した90年代に、先端科学技術に基づく「サイエンス型産業」の育成に起死回生の道を探った。公的資金で行なわれた大学研究の特許化とその所有権を大学に認めた「バイ・ドール法」、TLO(Technology Licensing Office)を通して先端科学技術を周辺企業に移転することを狙った「連邦技術移転法」などのプロパテント政策によって、大学の先端技術を知的財産権で囲いこみ、大学発ベンチャーを育てようとした。その政策が、シリコンバレーに代表される産業クラスターの隆盛を導いたことは良く知られている。
 翻って日本では、技術開発の手法や組織のあり方が、アメリカのようにドラスティックな形で変化することは少ない。バイオテクノロジーやインターネット・コミュニケーション技術のような、革新的技術を基盤とする産業はなかなか花開かない。それらのイノベーションは大学研究が主導するべきなのに、アカデミアはそれに応えてはくれない。まして、ベンチャー精神にあふれる起業家が、大学発の先端技術をビジネスへと華々しく展開する事例も生まれにくい。むしろ、独創的な製品の製造で競争するプロダクト・イノベーションよりも、製造工程の漸進的な変革のプロセス・イノベーションを得意とする日本においては、技術の継承的な創造力や連綿と続く人材育成の繋がりに活路を見出すべきではないか。伝統的な「ものづくり」のスローガンなら、多くの人や組織のモチベーションをかき立てることが出来るのではないか。そのような主張である。
 本書の中でも触れられているが、前者をジョセフ・シュンペーター流のラディカルなイノベーションへの期待とし、後者をイスラエル・カーズナーに代表されるようなインクリメンタルな変革と捉えることもできるかもしれない。評者はこの分野の専門家ではないので軽々に断じることはできないが、多くの経営学者は、こうした二つの対立する思考のベクトルの間で揺れ動いているように思える。そして、大胆に要約するならば、本書を貫いているのは、この二つの思考法を相反する二項対立と捉えるのではなく、日本社会が慣れ親しんできたシステムに寄り添いながらも、両者を融合させて理解する方法はないものかという問題意識であり、著者はそれを、伝統産業(産地)の経営分析という舞台を通して問い直そうとしている。そこに本書の面白さがあり貢献があると言っていいだろう。

3 著者の問題意識とキーワード
 このような著者の問題意識は、第1章の「伝統産地を見る眼」に明確に表れている。本書の主な分析対象である「有田」や「信楽」といった「産地」の経営システムを考える際の比較の補助線として、著者は、およそ日本の陶磁器とは無縁と思える「第三のイタリア」と「シリコンバレー」を取り上げてみせるのである。専門性を持った中小の伝統工芸の企業が集まって、国際的な競争力を高めているイタリアの北東部・中部地域の「産地」はまだしも、シリコンバレーを比較の対象として持ち出すことに若干のいぶかしさを感じる読者がいるかもしれない。しかしここに、先に述べた二つのベクトルの架け橋を密かに意図している著者の視座を見ることができる。
 著者は、日本の産地にも、イタリアの伝統工芸の集積地にも、そしてシリコンバレーにも共通するビジネスシステムを、次のようなキーワードで切り取ってみせる。第一は、専門性の高い技術を背景に、ベンチャー企業も含めた中小の企業組織が、それぞれの「柔軟な専門性」をもって密接なネットワークを形成しているという特徴である。そして、その専門性があるがゆえに、小規模な事業者であっても、常に新たな環境の変化に対応するフレキシビリティを持ち、自律的かつ能動的にリスクを取りながら生き残ってきたのだと主張する。著者は、この日本の産地の伝統性は、シリコンバレーも含めた海外の産業集積地と相通じるものがあるのではないかと問いかけているのである。
 第二のキーワードは「アントレプレナーシップ」だろう。いわゆる企業家志向のつよい人材や組織が集まり、それが産業集積地に独特の環境を与えている。しかし、著者は、アメリカの企業システムの特徴として喧伝されることも多い「劇的で機敏な革新者」が、実は継承的な伝統産業においても重要なのだと主張する。第3章で、楽天の創業者三木谷氏と伝統産業の企業家である香蘭社の八代深川栄左衛門を対比するのも、その意識の表れである。現代のIT企業の急進的経営者と伝統産地の企業家の代表者が、実はともに、世の中の常識にとらわれず、誰も気づかなかった小さな変革を積み上げた末に大きな革新を生み出したという意味で、同じ地平に立つ企業家だったことを描いてみせる。
 第三の補助線は、「地域性」という概念と思われる。大企業の城下町的な企業の集積ではなく、多くの革新的な精神をもった企業人や組織が、ローカルに限定された地域に集まることで、そこに共通する独特の風土が生まれ、それが地域のビジネスシステムに特異性を与えることがある。著者が伝統陶磁器産業の産地に見いだすのは、そのような地域のもつ力である。そして、著者が主張するように、先端科学技術の産業集積地でも、同様の地域の風土性はたしかに存在する。例えば、チョン・ムーン・リーやヘンリー・ローウェンたちは、シリコンバレーの企業集積を生態系になぞらえ、参画している企業や組織が共有する Mysteries in the Air があると表現した。この表現には、著者が日本の伝統産地の中に見いだそうとしているビジネスシステムとの親和性を見いだすことが出来るかもしれない。
 著者が見いだしたもう一つのコンセプトは、厳しい競争を引き受けながらも、地域社会に埋め込まれたネットワークが作り出す「恊働」の役割と言っていい。著者が描くように、日本の伝統産業である陶磁器ビジネスは、江戸時代においても為政者によって守られていただけの事業ではない。窯元同士は互いに創意工夫を重ね、競争的環境の中で生き残ることを第一の目的としてきた。実はその競争の意識こそが、逆説的に、互いの生き残りを念頭に地域の組織に協力し合う「恊働」の風土を作り上げてきた。著者の言葉を用いれば、競争を怖れない「切磋琢磨」の精神と同時に「過剰な競争の自己抑制」が融合したシステムである。
 とりわけそのことは、地域内での次世代の人材育成の意識の高さに現れていると言う。陶磁器産地の一つ有田では、柿右衛門窯や今右衛門窯のような老舗の窯元は、伝統工芸の技術を一子相伝で受け継ぎ、その伝承を守るためにも職人を終身雇用のように囲い込んでヘゲモニーの中で人材を育成している。しかし一方で、有田焼の普及に尽力した量産型の香蘭社や深川製磁などの窯元は、時代の競争に適応するためにも、職人の独立を認め人材を地域全体で育成する方式をとっている。いわば、伝統を受け継ぎながらも競争の時代を生きるための「二重構造の棲み分け」を体現しているというのである。専門性の高い人材の流動性を確保しながら、地域内でフラットな技術情報の共有を推進して行く姿は、ある意味ではグローバルな先端技術の集積地と共通する特質を持っているのかもしれない。
 上記に述べた幾つかのキーワードを念頭に有田や信楽を論じる二つの章は、まるで上質の経営史の書き物を読んでいるようだ。有田は、江戸時代の佐賀藩支配下での由来まで遡り、その後に国内有数の陶磁器技術を蓄積しながらも、多くの企業家的活動を取り入れてきた。さらに、大陶器づくりの伝統を受け継ぎながらも、明治から昭和期にかけての変動期に、産地内の企業の恊働を進めた企業家活動によって乗り切った信楽の産地が描かれる。この記述には、経営学と応用経営史の融合を目指そうという著者の思いも伝わって来る。

結びにかえて
 もっとも、陶磁器という日本の最も古い伝統産地の実態を、現代の経営理論から読み解き、しかもそれを先端技術のクラスターとの比較も含めて論じようとする、著者の野心的な試みのすべてが成功しているとは思わない。生き馬の目を抜くような競争にさらされているグローバルビジネスやそれを支えるラディカルで劇的な革新性の追求は、伝統産地の経営者の眼には「行き過ぎた競争主義」と映るであろう。また、伝統産地が根強く生き残るには欠かせなかった「ファミリービジネス」の方向は、イタリアのデザイン地場産業との親和性はあるとしても、シリコンバレーに代表されるような革新技術の産業集積地とは相いれない。また、伝統産業で重視されがちな「正統性」への信頼は、時に全く新しいアイディアを排除する危険性も持っていよう。そのような疑問を感じさせるとしても、本書の刺激的な試みは、伝統産業の分析という狭い枠組みを越えた興味深い視座をわれわれに提示している。

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