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2013年11月11日 (月)

著者より:『現代中国経済』「書斎の窓」に掲載

220072

丸川知雄/著
『現代中国経済』

有斐閣アルマSpecialized
2013年7月発行
→書誌情報はこちら

著者の丸川先生が本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2013年11月号)にお寄せくださったエッセイを以下でもお読みいただけます


◇なぜ中国経済?◇

Why China?
 「なぜ中国経済の研究をしようと思ったのですか?」という質問をよくされるが、この質問は苦手だ。なぜ苦手なのかを考えてみると、この質問 の裏に「中国の経済を勉強するなんてあなたも物好きな人ですね」という質問主の底意を感じてしまうからかもしれない。そう感じるとまじめに答える気も失せてしまう。この質問に対する不まじめバージョンの答え方は「大学を出て運良くアジア経済研究所に採用してもらい、そこでたまたま中国の担当に割り当てられたからです」というものだ。実は同研究所では入所する時に希望を言うことができ、私が自ら中国担当を志願したことは面倒くさいから言わない。

 内容は同じだが、私が深く受けとめたのは20年以上も前に受けた次のような質問だ。「日本は経済がとても発展しています。中国は遅れています。なのになぜあなたは中国の経済を勉強するのですか?」バブル崩壊の前だったか後だったか記憶は定かではないが、まだ日本の産業競争力の強さに疑念の余地はなく、日本企業の社員たちも中国では教えることこそあれ学ぶことなど何もないと思っていた時代だ。この質問の主は研究者でさえない若い中国人女性だった。そもそも研究の目的は実践に対して有益な指針を得るというような功利的なものではないんですと答えたと記憶するが、痛いところを突かれたと感じた。それまで自分が書いてきたものを振り返ってみると、結局中国の問題点や失敗をあげつらっているだけのように思えた。中国経済が全体として遅れているとしてもそこに何らかの積極的な要素、学ぶに値する要素を見いだせないとしたら研究してもつまらないではないか、というのは至極まっとうな疑念だ。それ以来、私は中国の問題点ばかりでなく積極的な要素にも目を向けるように努めてきた。

Why not?
 もし今度同じ質問をされたら、Whynot?と答えたい。中国は世界でもっともダイナミックに成長している経済である。2010年に日本を抜いて世界第2位の経済規模となった。2012年には日本より4割も大きくなった。このたび有斐閣から上梓した拙著 『現代中国経済』 では2020年代半ばにはアメリカを抜いて世界最大の経済になると予測している。製造業の付加価値額だけをとればすでに世界最大である。同時に、環境問題や所得格差、安定性が疑わしい政治体制など不安要素も多い。日本の隣にそのような巨大でかつ問題をはらんだ経済が出現しつつあるとき、警戒するか賞賛するか、チャンスと考えるかチャレンジと考えるかは別として、それに対して正確な知識を獲得するよう努める必要がある、という考え方はおかしいだろうか。
 それでも不思議なことに冒頭のような質問を私に発する人が最近でもときどきいる。中国の重要性は現在の時点では疑いないとしても、「まだ発展するかどうかもわからなかった時代に中国のことを学び始めた若い頃のあなたはやっぱり単なる物好きに違いない」とでも言いたいのだろうか。それに対して、あまりに不遜な答え方なので実際には口にしたことはないが本音を言えばこう答えたいところだ。「中国が発展を続けて今日のようになることを私は見越していたのです」。私がアジア経済研究所の門を叩いたのは経済の実態においても研究領域としても未開拓で発展の余地のある分野に身を投じたいと考えたからなので、こう答えても当たらずとも遠からずといったところだろう。

Why China alone?
 他方で、経済研究のテーマとして中国が重要だとしても、「中国経済論」のような一国アプローチは果たして有効なのだろうか、という疑問は、実際に言葉として発せられることは稀だとしても、経済学に従事する同僚たちから暗黙のうちに投げかけられている。一方では経済学の各分野が日々発展し、他方では中国でも国際基準に準拠して作られた統計データが数多く公表されている。となれば例えば中国の労働の問題は労働経済学に詳しい専門家が分析し、マクロ経済の問題はマクロ経済学の専門家が分析すべきで、それぞれのディシプリンについて中途半端な知識しか持たない人間が中国経済を全部語ろうというのはどだい無理な話ではないだろうか。実際、最近内外で出版される中国経済の教科書は開発、労働、国際経済、空間経済などそれぞれ得意分野を持つ専門家たちによる共著であることが多い。
 中国経済の諸問題を研究するにあたってディシプリンの方面からアプローチするというやり方は研究の方法論としては正しいと私も思う。市場経済一般に対する洞察を持つことで中国一国だけの観察から来る視野狭窄を避けられる。ディシプリンの知識がなければ中国の学者たちが議論していることを理解することさえ難しくなった。
 他方で、「中国経済論」のようなアプローチにもまだ有効な面があるとすれば、それは中国経済に社会主義計画経済の刻印がまだ残っている一方で、市場経済もダイナミックに発展しているという二面性があることに由来する。中国の経済体制は純然たる市場経済とはほど遠いが、純然たる計画経済でもない、過渡期のごちゃごちゃした体制だから、歴史的かつ俯瞰的に中国経済全体を見渡して何が重要かを考える視点が必要である。細分化された経済学の各分野からのアプローチだと、中国経済のコンテキストのなかでは重要であるが、どのディシプリンにもうまく当てはまらないような事柄を見落としてしまうことがある。
 例えば、『現代中国経済』 の第4章は「財政と金融――工業化の資金調達装置」と題している。中国は1950年代から今日に至るまでGDPの大きな割合を投資、とりわけ工業への投資に振り向けてきた。投資のための資金は、1980年代初頭より以前は価格と賃金の操作を通じて社会の余剰資金を国家財政に集中することで調達していたが、それ以降は国民の所得が増えて余剰資金を銀行に貯蓄するようになり、それが投資の主たる資金源となっている。つまり、かつては国家財政が果たしていた役割を1980年代以降は金融(銀行)が果たすようになったのだが、財政、金融という経済学のオーソドックスな分野区分によって中国を分析すると、工業への投資資金のルートが財政から金融に代わったという現代中国経済の理解にとってきわめて重要な事柄を見落としてしまう。実際、この点を指摘していない中国経済の教科書は少なくないのである。

What is special about China?
 また、第8章は「民間企業と産業集積」と題している。市場経済一般では企業が民間企業であることは当たり前のことだから、わざわざ「民間」と頭に銘打った企業の研究というのはあまりない。だが、中国ではかつては主要な企業はすべて国有で、民間企業の重要性が高まったのはごく最近のことなので、一つのカテゴリーとしての「民間企業」に焦点を当てた分析が可能である。実際、2005年以降、中国の鉱工業における民間企業の生産額は国有企業のそれを上回っている。その後も民間企業のシェアは年々高まり、2011年には鉱工業生産額の半分近くを占めるに至っている。実は、中国は世界でも民間企業の創業がもっとも活発な国の一つなのである。中国経済の歴史的コンテキストから見れば、民間企業の台頭という現象は是非とも取り上げるべき現象のように思えるが、これまでの内外の中国経済の教科書には民間企業を主題とする章はなかった。
 他方で、国有企業問題は内外の中国経済の教科書にはほぼ必ず取り上げられており、『現代中国経済』 でも第6章「市場経済のなかの国有企業――『負担』 か 『パワー』 か」として取り上げた。たしかに、1980年代半ば以来、国有企業改革は中国の経済改革の最大のテーマであり、多くの議論が積み重ねられてきた。だが、鉱工業生産額に占める国有企業の割合はもはや4分の1近くにまで落ちている。民間企業の存在感が高まり、国有企業が縮小する趨勢は今後も続くだろう。そうなると、国有企業を取り上げて民間企業を取り上げないのはますます奇妙に思えてくる。
 民間企業と産業集積を組み合わせて論じたところも本書の創意の一つだ。中国の民間企業創業者の多くは周りの人に影響されて起業する。近くに事業で成功した人がいたらその人の真似をする、というのがきわめて多い創業のパターンである。だから、民間企業の創業が活発な地域には必ずと言っていいほど産業集積ができる。産業集積の発展と民間企業の発展とは深く関連しているのである。空間経済学や産業集積論のアプローチで中国の産業を分析する研究は増えており、一部の中国経済の教科書にもそうした観点が取り入れられている。だが、民間企業に関して決してフレンドリーとは言えないイデオロギーと政策が支配する中国では、産業集積は民間企業の創業促進という重要な歴史的役割を果たしているのである。中国経済のコンテキストを踏まえない単なる空間経済学の応用だとこの重要なポイントを見落としてしまう。
 第5章「技術――キャッチアップとキャッチダウン」はもっとも楽しんで書いたところの一つだ。中国の技術進歩の大半は先進国に追いつこうとする「キャッチアップ」としてとらえられる。有人宇宙飛行、スーパーコンピュータ、移動通信などの分野ではすでに世界の先端に互するまでになっている。だが、他方で「キャッチアップ」という言葉ではとらえられないユニークな技術進歩も起きている。それは中国および世界の低所得者層を対象とした技術で、先進国の技術を素材にしてはいるが、先進国に存在しないものが生み出されている。そうした技術を拙著では「キャッチダウン」と呼び、その事例を紹介している。
 今後中国経済は世界一の規模へ量的に拡大するだけでなく、「キャッチダウン」のようなユニークな側面も見せるだろうし、成長の持続性や安定性に不安を感じさせるような問題にもつきまとわれ続けるだろう。今後、冒頭の質問をされたらこう答えたい。「だっていつまでも興味が尽きないじゃないですか」。
(まるかわ・ともお = 東京大学社会科学研究所教授)

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