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2013年7月10日 (水)

著者より:『選挙管理の政治学』「書斎の窓」に掲載

149014_3_2大西裕/編
『選挙管理の政治学――日本の選挙管理と「韓国モデル」の比較研究』

2013年3月刊
→書籍情報はこちら

pencil編者の大西先生が本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2013年7・8月号)にお寄せくださったエッセイを,以下でもお読みいただけますsign01


◇ネット選挙と区割り問題と選挙管理ミスと◇

 ルールと 「黒子」
 選挙とスポーツは似ている。 いずれもプレーヤーがいて、 ファンがいて、 勝ち負けを競うゲームである。 例えば、 野球であれば、 二つのチームが交互に攻守交代しつつどちらがより多くの点を取るかを競い、 多く点を取った方が勝ちになる。 選挙でも、 何人かの政治家達が立候補し、 より多くの票を得た方が勝ちになる。

 類似点はそれだけではない。 両者とも、 「黒子」 が必要である。 スポーツでは審判、 選挙では選挙管理委員会なしには成立しない。 その理由は、 両者ともゲームであるが故にルールが必要であることと、 ルールは守らない方が勝てる可能性が広がることにある。 ルールが勝敗に影響を与えることは、 オリンピックを見ているとよく分かる。 スキーや水泳など、 日本人選手が少し勝てるようになると、 日本人に不利になるような細かなルール改正が行われているように勘ぐるのは少し被害妄想的かもしれないが、 ルールのあり方がプレーヤーに重要な影響を与えることは間違いない。 選挙でもそうで、 例えば小選挙区制は弱小政党に不利である。 選挙の場合、 キャンペーンに対する規制が結果に重要な影響を与えることも少なくない。 近年はテレビコマーシャルを政党が行うのが当たり前になっているが、 その作成にはお金がかかる。 資金的に余裕があれば良質のコマーシャルを頻繁に流して有権者の好感度を上げ、 得票につながるが、 その程度は規制のあり方次第である。 ただし、 規制を破ることができれば、 スポーツでも選挙でも破ったプレーヤーが勝ちにつなげられる。 ドーピング規制が行われている中でその規制をかいくぐることができた場合を想像すればこのことは容易に想像できるであろう。 そしてそれ故に、 プレーヤーに規制を守らせる 「黒子」 が必要となるのである。

「黒子」 への注目
 ゲームを成立させるためには必ず黒子が必要になる。 しかし、 黒子は普段日が当たらないからこそ 「黒子」 である。 主役に比べて大変地味な存在というほかない。 私がこのたび出した編著 『選挙管理の政治学』 は、 簡単に言えば選挙というもっとも重要な政治的営為を支えている、 いわば黒子に関する研究書である。 有権者と政治家が選挙を行うためには、 選挙管理委員会という黒子の存在が欠かせない。 彼らが公正、 公平に選挙管理を行ってこそ、 選挙の勝ち負けが決められ、 その結果に敗者も従うのである。
 編著は地味な存在に対する地味な研究なのでなかなか日が当たらないかと思っていたが、 近年、 黒子そのものや関連する事柄が人々の話題になることが多くなっている。 とりわけ次の3つの事柄が人々の注目を集めた。 一つはいわゆるネット選挙、 インターネットを利用した選挙キャンペーンの許容である。 これまで日本ではキャンペーンにまつわる様々な懸念から選挙におけるインターネット利用を禁じてきたが、 それがようやく認められることになった。 それから衆議院議員選挙における選挙区区割りの修正問題。 2012年12月に行なわれた衆議院総選挙に対し各地の高等裁判所が次々と違憲判決を出す一方で、 国会で区割りの修正はなかなか進んでいない。 最後に、 衆議院選挙に関する選挙管理上のミスの続出である。 投票所で投票用紙を二重交付したり、 選管職員が寝過ごして投票開始時間が遅れたり、 投票用紙の送付ミスで、 不在者投票ができないケースもあった。
 選挙は極めて重要な政治的行為であり、 その結果は常に重要であるが、 選挙をどのように行うかは、 民主主義が不十分な開発途上国ならともかく、 先進民主主義国家である日本ではそう重要ではないと考える向きも多いが、 この半年間は、 選挙管理の重要性にもフォーカスがあたっている。 選挙が公平、 公正に行われることは、 民主政治の基本である。 それが担保されているのかどうかが話題になるのだから、 考えようによっては深刻かもしれない。
 ただし、 この懸念は、 日本に民主主義が不足しているから生じているということではない。 選挙をどのように管理するかは、 世界的には選挙ガバナンスと呼ばれているが、 実は途上国に限らず、 先進国でも近年その重要性が認識されてきており、 決して日本特有のことではない。

 選挙ガバナンス問題3連発の説明
 日本のこの、 選挙ガバナンス問題3連発を、 編著で用いた議論で説明を試みてみよう。 このエッセーの冒頭で、 私は、 選挙とスポーツは似ていると言った。 しかしもちろん、 相違点も多々ある。 そのうちここで重要なのは、 プレーヤーと審判の関係である。 一般的に、 スポーツでは両者の間にはそのスポーツを愛するということ以外に関係はない。 野球を例にとれば、 審判を誰にするかはもちろん、 審判を何人配置するかも、 プレーヤーは関知できない。 しかし、 選挙は違う。 選挙は、 日本でいえば公職選挙法を中心とした幾つかの法律によってやり方が決められているが、 決めるのはプレーヤーである政治家達本人である。 政治家は、 自分たちの行動を規制するルールやその運用のあり方を自分たち自身で決めている。 それゆえ、 「審判」 である選挙管理委員会を、 規制される当人が雇い入れていることになる。 ということは、 政治家にとって都合のいい選挙のルールになる環境がいつも存在するということになる。
 3連発のうち、 ネット選挙と区割りの問題は、 ルールメーカーとしての国会の怠慢という、 倫理的な批判がなされがちである。 とりわけ区割り問題は、1票の格差という形で法の下の平等という憲法の原則を踏みにじるものであるから、 立法の専制との批判を浴びても不思議ではない。 しかし、 こうした批判だけでは、 なぜ政治家達が問題解決になかなか手をつけないのか理由を明らかにすることにはならないし、 対策も立てられない。 この二つは元来、 政治家の利益に直接関係しているために対応が遅れがちで、 しかも調整がつきにくい。 ネット選挙は、 インターネットを使用したキャンペーンを使いこなせるか、 そこでルールを守らずに抜け駆けする競争相手を規制できるかが政治家達にとって重要である。 既存の政治家はネットなど用いず当選してきたので、 新技術導入には慎重になる。 それが選挙にどう影響するかが読めない。 ネットという異次元空間では、 どう規制すればいいかも経験がないと分かりにくい。 自身の当落に不確実性をもたらすものはできることなら使えなくしておく方がいい。 他方、 区割りの変更が政治家達の利害に直接関係することは直感的にも分かる。 当該選挙区の政治家は、 後援会の再編成や支援者発掘にコストがかかるし、 以前は協調していた隣の選挙区の同志と公認争いをしなければならないかもしれない。 そういう恨みを買いそうなことを政党指導部も避けたいであろう。
 残る選挙管理ミスは、 プレーヤーと審判との関係とは異なるように思われるかもしれない。 単なる不注意やケアレスミスとしか思えないものが多いからである。 実際、 選挙でのミスの頻発に対し、 公務員の責任を明確にしてミスを犯すものを適切に処罰すればこの手のものは防げるという議論もあったようである。
 しかし、 この問題は公務員の責任に帰せば終わりというものではない。 野球の審判を何人でするかと類似した原因があるからである。 本来必要な審判数を仮に6名とし、 それを予算削減のために3名にした場合、 誤審が出る可能性は格段に高くなるが、 そこでの誤審を審判のせいのみに帰するには無理がある。 同様のことが発生している可能性が高い。 つまり、 制度設計の問題であり得るのである。
 日本では、 選挙管理は非常勤職の選挙管理委員で構成される選挙管理委員会が、 基本的には地方自治体単位に設置され、 当該自治体の公務員が事務局を構成して実務の執行にあたっている。 事務局の公務員は、 法的には選挙管理委員会についてはいるが、 実質的に自治体の首長部局の一部を構成しており、 自治体の環境がそのまま反映されやすい。 近年の自治体の財政難は、 事務局構成員の削減につながっている。 加えて、 在外投票制度の発足や、 選挙期間外投票の拡大、 投票時間の延長など、 選挙管理業務は増える一方である。 こういう状況は選挙管理上のミスを引き起こしやすくしているのである。

 選挙管理の制度設計へ
 ここまでの説明は、 「審判」 たる選挙管理委員会の業務が限定的で分権的な日本を前提にしている。 しかし、 「審判」 はもう少し主体的に行動してもいいはずだし、 海外の制度はそれを許容している。 ネット選挙と区割りのことを考え直してみよう。 ネット選挙先進国である韓国では、 以前より日本同様選挙活動を細かく規制しており、 現在でも規制の多い国である。 しかし日本と異なり、 選挙管理委員会が首長部局から完全に独立し、 国会に対し選挙法をはじめとする政治関連法に対する立法意見を述べ、 選挙制度の改善を求めることができる。 こういう仕組みであれば、 政治家達の都合ではなく、 有権者サイドに立った選挙の改善が、 そうでないよりも容易になる。 日本の選挙管理委員会の権限が限定的になりすぎていることが、 ネット選挙を遅らせたということができるであろう。 区割りについていえば、 オーストラリアでは日本の区割り審議会に相当する機関が区割りを決定しており、 国会は関与できない。 区割りは人口比で極めて機械的に決定され、 政治的な事情を斟酌できない仕組みになっているため、 区割り変更による有利不利を政治家が云々できない。 法のもとの平等という、 憲法上の原則を守るために、 政治家から権力を一部切り離すことは、 制度設計次第で可能なのである。
 選挙管理ミスについても、 単に財政上の問題に帰することなく考える必要がある。 G.Huberによれば、 規制行政は分権的であるよりも集権的である方が適切な管理が可能になりうる。 規制行政を分権化すると、 地方政治家が地方の事情によって規制の内容を解釈するようになる。 そうすれば、 地方政治家の利害が解釈に入らざるを得ず、 規制行政に必要な公平性や公正性が失われ、 規制機関そのものの独立性も浸食されてしまうことになる。 名古屋市議会解散を求めるリコール投票要請署名の相当部分を選挙管理委員会が無効としたことは、 おそらく分権化以前であれば発生しなかったろうし、 東日本大震災後の統一地方選挙で浦安市が千葉県議会選から離脱するということもありえなかったであろう。 選挙管理に必要な人材が不足する現状も、 規制行政の分権化による 「地方の政治」 の発生と無関係ではないのである。
 審判や選挙管理委員会などの黒子は、 本来注目しなくてもいい存在になるべきなのかもしれない。 しかしゲームを成立させているのは彼らである。 様々な場面でガバナンスへの信頼が揺らぐ今日、 黒子をより多様な角度から調査・分析をする必要があるだろう。

 大西裕(おおにし ゆたか)=神戸大学大学院法学研究科教授

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