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2013年7月10日 (水)

著者より:『「人工物」複雑化の時代』「書斎の窓」に掲載

163997_2藤本隆宏/編
『「人工物」複雑化の時代――設計立国日本の産業競争力』

東京大学ものづくり経営研究シリーズ
2013年3月刊
→書籍情報はこちら

編者の藤本先生が本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2013年7・8月号)にお寄せくださったエッセイを,以下でもお読みいただけます


◇複雑なものを単純に考える◇

 人工物・設計・社会科学
 今春、 有斐閣の 「東京大学ものづくり経営研究シリーズ」 で 『「人工物」 複雑化の時代』 を出させていただいた。 私の本は英語でも日本語でも編著でも単著でも400~700ページが相場で、 われながら長話が多い。 今回も400ページ超で、 知り合いの学者には 「相変わらずマニアックな本を書いとるねえ」 と言われた。

 しかし今回は、 多くの仲間に恵まれた。 総勢13人。 私と傾向の似た現場現物ディテール派の若手多数、 学者顔負けの先端IT企業幹部上野泰生氏、 そして現代経済学の泰斗奥野正寛先生にも御参加いただいたのは学者冥利に尽きる。 確かに厚くて重くて面倒くさい本だが、 重量相応の中身はあると、 ちょっと自負する。
 で、 皆で何を書いたかといえば、 表題の通り 「21世紀の人工物複雑化という現象を社会科学としてどう考えるか」 である。 一般に人工物 (artifact、 たとえば自動車やスマホやコンサート) とは、 「誰かが設計したものごと」 を指し、 それには有形の製造物も無形のサービスも含む。 設計とは、 ものの機能 (働き) と構造 (かたち) をつなげる行為や情報を指す。 アリストテレスの 『形而上学』 で言うなら、 人工物とは設計情報 (形相) と媒体 (質料) の結合体である。
 ところで 「設計」 は工学系の中心概念であるから、 社会科学が人工物を研究すれば、 理系・工学系との接点を持つということになる。 実際、 そうした研究を行う東京大学の 「ものづくり経営研究センター (MMRC)」 に出入りする産業人の大半は技術系の皆様である。 また有斐閣から次に出る本では、 工学系の建築学の専門家と一緒に、 「大地に根を張った大型人工物」 である建物について文理融合で分析する (蛇足ながら予告宣伝)。
 我々MMRCは、 ものづくりを 「良い設計の良い流れ」 を作る活動と広義に捉える。 ものを削るばかりがものづくりではない。 企業や現場の製品開発・生産準備・生産・購買・販売・サービス・消費はすべて、 広義のものづくりの 「流れ」 の中で把握される。 そして 「現場」 とは、 そうした設計情報の流れが存在する場所のことを言う。
 経済学や経営学が財・サービス・商品・製品などと呼ぶものも、 要するに取引される人工物 (設計物) に他ならない。 そして経済的な付加価値は、 たいてい設計情報に宿る。 よって人工物の設計分析なしには、 現場、 産業ひいては経済の実証研究は覚束ないと私は考える。 特に設計のちょっとした違いで売上げや貿易の流れが変わる、 現代においては、 である。
 主流派の新古典派経済学は、 精緻な一般均衡論に昇華していく過程で、 設計や産業といった面倒くさい概念を概して捨象してきた。 理論の要請としては分かるが、 地を這う研究をやる実証経営学者としては、 道具が無いとちょっと困る。 そこでわれわれ現場派は、 A・マーシャル以前の、 産業が産業として扱われていた古典経済学、 たとえば比較優位の原理を確立した200年前のD・リカードの貿易論 (素朴だがリアル) にいったん戻り、 それに現場現物の設計概念を結びつけようと考えてきた。 そうした 「設計の比較優位説」 についても、 この本には少し書いてある。

 設計の比較優位と諸産業の盛衰
 さて前置き能書きが長くなったが、 本題について少し述べよう。 この本で我々は、 21世紀は人工物の複雑化 (設計の複雑化) が続く時代だと考えた。 とりわけ、 設計者が物理的・社会的制約に直面するようなもの、 たとえば質量や運動量があるため、 物理法則に支配され、 安全・環境保護・エネルギー節約・資源節約などの諸規制がどんどん厳しくなるタイプの人工物はそうである。 設計の複雑化とは、 その人工物の機能要素群 (たとえば性能目標) と構造要素群 (たとえば部品設計パラメータ) の数が増え、 またそれら要素間の関係が 「多対多対応」 のややこしい、 調整集約的なものになることを意味する。 設計論ではこれを 「インテグラル型 (擦り合わせ型) アーキテクチャ」 という。
 一般に、 製品 ( = 取引される人工物) の設計者が直面する機能要件や制約条件が厳しくなれば、 それは複雑なインテグラル製品になりやすい。 21世紀は地球規模で環境・エネルギー制約が強まり、 新興国を含め消費者・利用者の鑑識眼が高まり、 世界が許容する安心安全のハードルも高くなる。 つまり、 長期的にみれば製品など人工物に対する機能要件も制約条件も厳しくなる。 だから人工物は、 そうした制約が特にかかる製品や部品や工程を中心に複雑化する傾向が続く――21世紀の人工物に関する我々の発想は、 ある意味ではこのように単純素朴である。
 むろん逆に言えば、 そうした制約条件が厳しくない設計、 例えば新興国のエントリーユーザーが 「とにかくあればうれしい」 と言って買う安価な製品や、 質量がほぼ無い電子や論理で動くデジタル製品の場合は、 技術者の設計簡素化努力の結果、 機能要素群と構造要素群の間の関係が 「1対1対応」 のすっきりしたものに近づく。 人工物はそれだけ単純化し調整節約的になる。 これを 「モジュラー型 (組み合わせ型) アーキテクチャ」 という。
 1990年代に起こった2大事件、 すなわち①冷戦終結に伴う新興国産業・市場の台頭と、 ②デジタル情報技術革命は、 いずれも製品設計のシンプル化・モジュラー化を促す大きな潮流を引き起こした。 戦後の歴史的制約、 特に高度成長期の労働力不足の中で、 長期雇用を背景に調整能力の高い統合型の現場を族生させてきた日本産業は、 調整集約的なインテグラル型製品では 「設計の比較優位」 を持ちやすいが、 そうしたチームワークが活きない調整節約的なモジュラー型製品が支配する市場では、 過剰設計によるコスト高で比較劣位に陥りやすい。 90年代以降、 パソコン、 メモリー半導体、 CDレコーダー、 そして液晶テレビと、 日本は次々と国内産業のシェアを失ったが、 その背景には、 日本の企業や政府の戦略ミスや不運のみならず、 こうした設計の比較優位・劣位の原理があると我々は考える。 高性能なアナログ家電は設計も生産も調整の塊だったが、 デジタル家電は、 おおむね日本の現場のチーム力が活きない製品になってしまったわけである。
 しかし、 デジタル製品が総じて苦境にある中で、 機能要求や制約条件が厳しい貿易財、 たとえば低燃費小型自動車、 精密工作機械、 半導体製造装置、 半導体材料などの機能性化学品では、 依然として日本産業の国際競争優位は続き、 それらの輸出によって、 円高や中国等の低賃金競争力にも拘らず、 日本の貿易黒字は、 燃料輸入代金が激増した最近まで、 30年以上黒字だったのである。 これは、 ①為替レートや賃金差を跳ね返す国内貿易財現場の能力構築と、 ②前述の 「設計の比較優位」 に拠るところが大きい。 経済にあって現場は 「物言わぬ臓器」 だが、 その粘りは凄いものだ。 筆者は頻繁に国内外の現場に出かけるが、 物的労働生産性が2年で3倍、 5年で5倍といった数字はあちこちにあり、 驚かない。 こうした現場の動態を組み込まない産業論や貿易論は、 21世紀においてリアリティを持たない。
 ところが、 そうした比較優位の原則を忘れ、 現場の能力構築の実態もちゃんと見ていない一部のマスコミや論客は、 あたかも日本国内の全製造業 (正確には全貿易財) が空洞化するかのような根拠の怪しい悲観論を近年流し続けた。 それは貿易理論の原則も、 現場の実態も、 貿易の動向も踏み外した暴論である。 私などは頭にきて、 それらを罵倒し続けた。 もしもそれを真に受けた多国籍企業の経営者が、 残れたはずの国内現場を次々閉鎖すれば、 我々の子供たちの平均生活水準に悪影響が出るではないか。 しかもそれは不可抗力ではなく、 不用意な言説による自滅であり人災である。 中期的には企業自体のグローバル経営にも悪影響が出る。
 筆者は国粋主義者でも能天気楽観主義者でもないが、 論拠の無い悲観論は嫌いである。 そういう論客はまとめてバスに乗っけて地方の優良工場や中小企業に連れて行って、 「彼らを見よ。 現実の産業や貿易は良くも悪しくも現場の努力の結果だ。 あんたがたの怪しげな予言に従うものではないぞ」 と言いたい。

 組織能力とアーキテクチャのバランス化が競争力を生む
 ちょっと興奮したので話を戻す。 確かに、 冷戦終結後の低賃金国 (特に人口10億人の隣国中国) の台頭や、 苦手なデジタル製品の興隆により、 調整力勝負の日本の現場や産業は過去20年苦境にあった。 マクロ経済は失われた20年を経験し、 モジュラー化・シンプル化した多くの日本製品が衰退した。 これを見て、 「世界の市場はシンプルでモジュラー的な調整節約財を求めている。 よって、 複雑な設計の調整集約財を得意とする日本の産業は、 過剰設計による高コストで総崩れになり、 日本製造業全体が空洞化する」 といった言説が飛び交ったわけである。
 これに対し、 この本で我々が主張したのは以下のようなことである。 ……確かに新興国台頭とデジタル革命で、 「質量のない (小さい) 論理や電子で動くデジタル製品」 の世界では、 多くの製品や工程がシンプル化し、 調整力勝負の日本産業は、 そこでは優位性を失った。 しかし一方、 「質量や運動量があり物理法則に支配される製品」 の場合は、 長期的に見れば 「人工物複雑化」 の趨勢は続く。 また、 新興国の興隆によりシンプルな製品の需要は確かに増えたが、 長期的には彼らも高機能なものを要求するようになる。 それらは、 「複雑化」 の流れを形成する。
 いずれにせよ、 「設計の比較優位論」 からみて大事なのは、 各製品がアーキテクチャ・スペクトルの上で占めるモジュラー度/インテグラル度の相対的な位置取りであり、 絶対的な位置ではない。 スペクトル上には必ず 「相対的に複雑でインテグラルな製品」 が一群存在する。 そんな製品ではチームワークの強い現場は概して勝てる。 よって日本産業の総崩れは理論的にも現実的にも無い。 調整力勝負の日本の貿易財産業は、 当面は、 そうした 「ややこしい設計」 をあきらめずに引き受け、 設計の比較優位を活かすべきである。 むろん長期的には、 日本企業はモジュラー製品でもインテグラル製品でも対応できる多面的な組織能力を構築すべきだが、 今ある強みをわざわざ放棄するという戦略は、 どこをひっくり返しても出てこない。
 最後に、 われわれが人工物複雑化問題を考えるときによく使う単純な図を以下に示す。 本の中では 「図1-1」 である。 これは現場と現物の相性、 つまり、 ものづくりの組織能力 (①) と、 製品・工程のアーキテクチャ (②) のマッチングが良いときに、 その現場 (産業) はその製品で競争力を発揮しやすい (③)、 という単純なロジックである。
 細かい説明は省くが、 たとえば、 デパート型の総合力 (図中の①) を持ち大型コンピュータで無敵だったIBMが、 オープン・アーキテクチャのパソコンの出現 (同②) で組織能力との不適合を起こし、 シリコンバレー企業群 (専門店街) との競争に敗れて (同③) 沈没しかけたこと、 窮地のIBMが最初にやった会社の分社化 (同①) つまり組織のモジュラー化が不調であったこと、 次の経営者は逆に、 IBMのデパート型能力 (同①) に合わせて、 それが活きるソリューション・ビジネスへと主力製品を転換し (同②) 、 同社の競争力を復活させたこと (同③)、 以上のいきさつを大まかに説明できる。
 同様に、 なぜ日本の大手家電メーカーが得意だったはずのテレビ事業で敗退したのか、 そうした中でパソコン事業とテレビ事業を早々に統合したT社がなぜ比較的堅調なのか、 S社はなぜハイエンドのTVに特化しようとしているのか、 といった疑問に対しても、 上記の組織能力―アーキテクチャ分析で大まかな説明を提供できる。
 他方で、 複雑な高機能自動車を複雑な工程で生産する組織能力では世界屈指のT自動車が、 なぜ米国などで大規模なリコール問題を引き起こしたか、 なぜ一時期、 リーマンショック、 リコール、 震災・水害でのサプライチェーン寸断など散々であったT社が2012年には台数で世界最大に復帰できたのか、 等々も大まかにはこの図式で説明できる。
 さらに、 近年ドイツの自動車メーカーV社が発表したモジュール設計戦略 (アーキテクチャ革新) のどこが優れているのか、 それを実現したV社の組織能力の強み弱みは何か、 対するT社は組織能力でV社にどこで勝りどこで負けているのか、 組織能力とアーキテクチャの適合を考えたとき、 なぜT社など日本企業はV社のモジュール戦略に対し、 良く学びながらも盲従していてはいけないのか、 にもかかわらず、 パソコンと自動車の設計特性を混同した一部論説が、 またしても 「V社に遅れているから盲従せよ」 というがごとき誤ったシグナルを出すのはなぜか、 等々、 筆者はこの図1枚で (正誤は別としても) 紙芝居風に説明して歩いている。
 以上の小事例群はすべて、 「21世紀のグローバル企業はどのようにして人工物の複雑化 (あるいは逆にシンプル化) に対処すべきか」 という、 この本のテーマに深く関係している。 しかし、 筆者に関する限り (年のせいで難しいことについていけないせいもあるが)、 こうした 「複雑化対処」 という課題に対して、 出来るだけ単純で一定の図式でこれを説明しようと考えている。 長期の歴史観と、 単純でぶれない枠組なしには、 21世紀の人工物複雑化問題に対して、 我々は過剰反応と右往左往を繰り返してしまうと危惧するからである。
 前述のように、 本書には多くの若手も参加し、 複雑化する製品と格闘するあちこちの企業の事例を詳細に描いている。 これらを見るにつけ、 「複雑化に向き合う時の日本企業は強いなあ」 との感想を改めて持つ。 むろん、 図に示したように、 成功のポイントはバランスであり、 「複雑化に対処する組織能力の強化」 と 「市場・社会・技術が許す限りでのアーキテクチャのシンプル化」 の両方が現代の企業には必要である。
 しかし、 これが一方的なモジュラー化路線ではないことだけは確かだと筆者は考える。 設計者による事前の設計簡素化努力は、 過剰設計を避けるためにも必須だが、 それは当面、 負けないためのぎりぎりの努力である。 日本の多くの優良ものづくり企業にとって、 勝負どころはやはり 「複雑化に負けない現場の組織能力」 なのだ。 要するに、 「世の中はまだまだ複雑化するぞ。 企業よ産業よ現場よ、 複雑化から逃げず、 むしろそれを強みとしよう」 というのが、 このややこしい本の結末にある、 シンプルなメッセージである。

藤本隆宏(ふじもと たかひろ)=東京大学大学院経済学研究科教授

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