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2013年7月10日 (水)

著者より:『渋沢栄一と人づくり』「書斎の窓に掲載

164086橘川武郎・島田昌和・田中一弘/編
『渋沢栄一と人づくり』

一橋大学日本企業研究センター研究叢書5
2013年3月発行
→書籍情報はこちら

bell編者の橘川先生,島田先生,田中先生が本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2013年7・8月号)にお寄せくださったエッセイを,以下でもお読みいただけますsign01


◇渋沢栄一の 「合本」 と道徳経済合一説◇
  ――『渋沢栄一と人づくり』 の刊行にあたって

 刊行のねらいと背景
 今年3月25日に有斐閣から、 5冊目の一橋大学日本企業研究センター研究叢書として、 『渋沢栄一と人づくり』 が刊行された。 編者は、 橘川武郎・島田昌和・田中一弘の3名であり、 次のような内容となっている (カッコ内は執筆者名)。

序 章 渋沢栄一の人づくりに注目する理由
     ――後発国工業化への示唆と資本主義観の再構築 (橘川武郎)
第1章 「合本」 資本主義と高等教育への反映
     ――東大・早稲田・一橋への支援 (島田昌和)
第2章 道徳経済合一説の真意
     ――東京高等商業学校での講話から (田中一弘)
第3章 教育支援活動の持続性
     ――東京高等商業学校への影響力の基盤とその変化 (飯塚陽介)
第4章 商業教育制度の発展と私立商業学校への支援
     ――京華商業学校を中心として (島田昌和)
第5章 中等商業教育の普及と公立商業学校
     ――横浜商業学校・名古屋商業学校とのかかわり (山藤竜太郎)
第6章 女子高等教育による新しい社会と家庭の実現
     ――日本女子大学に対する支持と尽力 (山内雄気)
終 章 資本主義・人本主義・合本主義
     ――日本的経営の再生も視野に入れて (橘川武郎)

 本書の課題は、 近代日本の形成にはたした渋沢栄一の人づくり面での貢献に光を当てることにある。 きわめて多数の会社の設立や経営に参画し、 「日本資本主義の父」 と呼ばれる渋沢栄一は、 1840 (天保11) 年に生まれ、 1931(昭和6) 年に死去した。 彼が生きた90余年のあいだに日本は、 幕末開港、 明治維新、 産業革命、 都市化と電化、 重化学工業化を経験し、 工業化の道をひた走った。 「日本資本主義の父」 という呼称の影響もあって、 わが国の工業化過程における渋沢の貢献については、 これまで、 株式会社制度や銀行制度と関連づけて、 つまり 「カネ」 の側面に焦点を合わせる形で論じられることが多かった。 しかし現実に彼が貢献したのは、 「カネ」 の側面からだけではなかった。 「ヒト」 の側面からの貢献度も高かったのであり、 本書が明らかにするように渋沢は、 工業化の担い手たちの育成、 輩出にも大きな足跡を残したのである。
 本書で検討する渋沢栄一の人材育成面での貢献は、 後発国工業化のあり方に大きな示唆を与えるものである。 それは、 端的に言えば、 「オープンな形で近代化に必要な人材を分厚く育成」 することが決定的に重要だ、 という示唆である。
 渋沢の人材育成面での貢献は、 後発国に対して示唆を与えているだけではない。 世界規模の経済危機に苦しむ今日の先進国に対しても、 資本主義のあり方を問い直す重要なインプリケーション (含意) を提示している。 それは、 「カネ」 だけを重視する資本主義から 「ヒト」 も大切にする資本主義への転換を求める、 というインプリケーションである。
 本書は、一橋大学大学院商学研究科が中心となって取り組んだグローバルCOEプログラム 「日本企業のイノベーション」 の一環である 「渋沢栄一プロジェクト」 の研究成果をまとめたものである。 2011年3月11日、 本書の刊行準備のため執筆者会議を行っていたわれわれは、 長く大きな揺れを感じて、会場であった一橋大学の建物から外へ飛び出した。 東日本大震災である。 よく知られているように、 90年前渋沢栄一は、 関東大震災からの復興の先頭に立った。 今思えば、 何がしかの縁を感じさせる出来事であった。

「合本」 の意味と人材育成
 渋沢栄一が頻繁に使用したキーワードに 「合本(がっぽん)」 がある。 これまで株式会社制度に対してあてられた言葉という理解が一般的であったように思う。 しかしながら 「会社」 または 「株式会社」 という言葉が広く世間に普及したのちも、 渋沢は 「合本法」 や 「合本組織」 という言葉を講演等で使い続けた。 単純に 「株式会社」 の代替用語ではなく、 「イズム、 思想、 理念」 にあたるような、 渋沢の理解した近代資本主義社会を象徴する言葉のようである。 渋沢の「合本」の用法は多岐にわたるのでその言葉を明確に定義することはなかなか難しいのだが 、 まずビジネスが江戸時代以来の商人(あきんど)の家のような個人に帰属するものではなく、 多くの人材や資金、 さらにいろいろなエネルギーが一つにまとまって、 私的存在でありながらも、 集合的・公共的に運営される組織とすることを意味した。 そしてビジネスだけでなく社会全体が 「民」 を主体として、 この原理によって自立的に動くべきであると考えたように感じられる。
 渋沢栄一の 「合本」 は単に資金調達面だけのものではないし、 資金調達にしろ、 組織運営にしろ、 多数者の集合体を運営しなければならないのでそれをなし得る人材の育成がきわめて重要であった。 それを多数の教育機関に求めていった。 まず、 渋沢のもう一つのスローガンである 「官尊民卑の打破」 のために栄達すべき立身出世の目標として民間ビジネス界での成功が入るようにしなければならなかった。 官吏養成の頂点たる東京帝国大学と同格のビジネス人材育成の高等教育機関を実現しなければならなかった。 当然、 その運営、 教育内容も 「官」 から独立した 「合本」  に叶ったものでなければならなかった。 それが今の一橋大学につながる系譜の育成であり、 「私学の雄」として商業教育の先駆けの一つである早稲田大学が大隈重信没後も自律し永続する組織になってもらわなければならなかった。
 さらに 「合本」 である故、 一部のエリート養成だけでなく、 広範な中等教育レベルの商業教育機関の充実が必要であった。 それが東京の私立商業高校や横浜をはじめとする各地の商業学校の設立支援であった。 渋沢の後半生になると 「合本」 の構成員として新しいビジネスエリートの家族の一員たる女性の養成にも心を砕くようになった。 それが日本女子大学の支援であった。
 これらの人材育成の有り様はプロジェクトメンバー全員で大きな枠組みをおぼろげながら描きつつ、 それぞれの問題関心のもと多方面にテーマを定め、 持ち寄られた新たな知見によって、 その人材育成の実像をよりリアルに浮かび上がらせていった。 これらのすべてが渋沢栄一の手の中で彼の直接の指示通りに実現していったものではない。 しかしながら渋沢が何らか関わり、 その影響を受けて教育機関が成立し、 人材育成がなされていった。 経営史領域で学卒者を中心としてホワイトカラー養成の研究は分厚く存在するが、 ビジネス人材を育成する教育機関という視点から多様なビジネス人材の育成を論じることができたことは新たな試みではないかと考えている。

《道徳経済合一説》の真意と商業教育支援
 渋沢栄一の商業教育支援にとっての理念的基礎は、 彼の企業者活動にとってのそれと同様、《道徳経済合一説》であった。 「論語と算盤」 「義利合一」 とも呼ばれるこの考え方は渋沢の旗印としてよく知られているが、 その真意は時に言われるような 「互いに矛盾する道徳と経済をうまくバランスさせることが必要だ」 といったものではない。 「道徳と経済は本質的に (矛盾はせず) 一致するものだ」 というのが真意である。 このことを渋沢は二つの面から説いている。
 一つは経済の面からで、 「経済は道徳に一致する」 という主張である。 いわば 「経済の道徳性」 をいうもので、 本書では〈経済 = 道徳説〉と呼んでいる。 ここで経済とは、 事業活動とその結果としての利益・富の二つを意味する。 ①利益・富それ自体は (不正に得るのでない限り) 決して道徳的悪ではなく、 それゆえそれを生み出す事業活動もまた道徳的悪ではない。 それどころか、 ②事業活動を通じて国家・社会を富ませることは究極の道徳的善であり、 ③利益・富は、 そうした究極的善に当事者が真剣に取り組むためにむしろ不可欠なものである。 これが〈経済 = 道徳説〉の内容である。
 もう一つは道徳の面から、 「道徳は経済に一致する」 と主張する。 こちらは 「道徳の経済性」 をいうもので、 本書では〈道徳 = 経済説〉と呼んでいる。 この側面で渋沢が説く道徳のエッセンスは 「嘘をつくな」 「私利を第一にするな」 の二つである。 ①嘘をつかず信用を重んじてこそ商売は成り立ちかつ永続する。 ② 「他者の利益」 「公益」 を図ることを第一とし、 「自己の利益」 「私利」 を得ることは第二に置くことによってこそ、 自他共に本当に栄えることができる。 これが〈道徳 = 経済説〉の内容である。
〈経済 = 道徳説〉と〈道徳 = 経済説〉が表裏一体となって 「道徳と経済は一致する」、 だから《道徳経済合一説》なのである。
 渋沢栄一の商業教育支援の中心的な舞台が東京高等商業学校であった。 そこで渋沢は〈経済 = 道徳説〉を根拠に、 商業は従来卑しいものとみなされてきたが、 卑しいどころか国家の盛衰を左右する価値ある仕事であること、 またそれを担う商業者は責任感と矜持とを以て専心、 商業を通じて国家社会の発展に力を尽くすべきことを力説した。 その一方で〈道徳 = 経済説〉を根拠に、 我欲の追求に専らな世の風潮を難じて商業道徳向上の必要性を訴え、 徳義に基づく経済こそが真に持続的な繁栄をもたらすことを繰り返し説いた。 1920年に東京商科大学となったこの学校 (すなわち現在の一橋大学) に渋沢が切望したのは、 最高教育機関として商業道徳の充実・向上を率先して図り、 「実業界に生ずる濁流を清めること」 に外ならなかった。

橘川武郎(きっかわ たけお)=一橋大学大学院商学研究科教授
島田昌和(しまだ まさかず)=文京学院大学経営学部教授
田中一弘(たなか かずひろ)=一橋大学大学院商学研究科教授

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