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2013年5月23日 (木)

書評:『数学的・科学的リテラシーの心理学』 「書斎の窓」に掲載

173880藤村宣之/著

『数学的・科学的リテラシーの心理学 

  ――子どもの学力はどう高まるか』

201212月刊

→書籍情報はこちら

 

『書斎の窓』(20135月号)に掲載された書評を,以下でもお読みいただけます。(評者は,森敏昭〔もり・としあき〕広島大学大学院教育学研究科教授)

 

 

はじめに

 

評者は以前、本誌の誌上で『二一世紀の教育心理学が目指すもの』と題する連載エッセイの執筆機会を得た(20044月~9月)。その連載エッセイで評者は、教育心理学の研究を日本酒に喩え、「二一世紀の教育心理学は濃醇辛口を目指すべし」という持論を述べた。あれから九年が経過し、日本の教育心理学界においても、ようやく「濃醇辛口」の研究がなされ始めたようである。本書の刊行はそのよき証左であり、本書の著者の藤村宣之氏に対し、心からの敬意を表したい。では、濃醇辛口の教育心理学とは何を意味しているのか。そのことを説明するために、連載エッセイの日本酒の品質表示に関する記述を再掲しておこう。

 

日本酒の品質は、酸度×日本酒度の二次元座標で表される。縦軸の酸度は酒中に含まれる有機酸(乳酸やリンゴ酸など)の総量であり、酸度が低いと「淡麗」な酒に、酸度が高いと「濃醇」な酒になる。これに対し、横軸の日本酒度は水に対する比重のことを指し、糖分が少ない酒ほど日本酒度はプラスに傾き、「辛口」の酒になる。逆に日本酒度がマイナスに傾くと、「甘口」の酒になる。したがって日本酒の品質は、酸度および日本酒度の高低の組み合わせによって、「淡麗辛口」「淡麗甘口」「濃醇辛口」「濃醇甘口」の四タイプに分類することができる。

 

一方、日本酒の酸度に対応する教育心理学の縦軸は、「理論(淡麗)志向」対「実践(濃醇)志向」の軸である。すなわちこの軸は、教育実践の現実から離れて観念的に教育心理現象の本質に迫ろうとする「虚学派」と、教育実践への具体的な働きかけを通して教育実践の改善を目指す「実学派」の対比である。これに対し、日本酒度に対応する教育心理学の横軸は、「研究法の厳密さ」の軸である。例えば、厳密な条件統制を行う実験室研究は「辛口」であり、それほど厳密な条件統制を行わないフィールド研究は「甘口」に対応する。したがって教育心理学の研究の品質も、日本酒の品質表示の場合と同様に、「淡麗辛口」「淡麗甘口」「濃醇辛口」「濃醇甘口」の四タイプに分類することができる。

 

濃醇辛口な本書の構成

 

前置きはこれくらいにして、本題に入ることにする。なぜ本書は濃醇辛口といえるのか。その答えは本書の第1章「教育心理学の視点からリテラシーを考える」に明瞭に示されている。

 

著者は第1章の冒頭で、日本の子どもの学力問題は日本の教育界が取り組むべき重要な課題であることを指摘した上で、教育改革という実践的(濃醇)な問題の解決には、第一に「教育という営みやその対象である子ども(学習者)をとらえるのに、心理学の概念枠組みを用いること」、第二に「教育のプロセスや子どもの学習や発達のメカニズムについて、実験、調査、観察、面接といった心理学の方法論を用いて、実証的に解明すること」、第三に「教育の効果や学習の成果を客観的に明らかにするために、調査課題などの測度を開発し、結果についての統計的検定を行うこと」の重要性を論じている。要するに、教育改革という「濃醇」な課題への取り組みが成果を上げるためには、空理空論に陥ることなく、確かなエビデンスに基づく教育心理学の実証的アプローチ(辛口の研究法)こそが重要だと論じているのである。これは正に「濃醇辛口宣言」とみなすことができるだろう。そして本書は、この濃醇辛口宣言に沿った311章で構成されている。

 

第Ⅰ部(第2章~第4章)では、PISA調査など学力の国際比較調査のデータに対する心理学的分析によって、これまでの研究では十分に明らかにされてこなかった日本の子どもの学力の実態が明らかにされている(第2章、第3章)。さらに、心理学の視点からリテラシーを含む広義の学力を概念的理解を中心とする「わかる学力」と手続き的知識・スキルの適用を中心とする「できる学力」としてモデル化し、それらの学力を育成するための教授法を提案している(第4章)。

 

第Ⅱ部では、著者自身が調査課題の作成、実施、分析に中心的に関与して実施した二つの国際比較調査によって、日本の子どものリテラシーの現状をより具体的に明らかにしている。また、子どもの記述内容を詳細に分析することにより、欧米とは異なるアジアの国々の特質、そしてアジアの中での日本の特質とその背景を明らかにしている(第5章、第6章)。

 

第Ⅲ部では、第Ⅰ部、第Ⅱ部で見えてきた日本の子どもの特質として、「わかる学力」(概念的理解や思考のプロセスの表現)の一貫した弱さを指摘し、それを克服するための学習方法として、「協同的探究学習」を提案している(第7章)。そしてその学習方法が小中高の算数・数学・理科教育において有効であるかどうかを、小中高の教師との実践共同研究を通じて検証している(第8章、第9章、第10章)。

 

そして最終章(第11章)では、以上の章の総括として、これからの日本の教育の方向性について、学習方法の側面だけでなく、学習内容の組織やその評価法、さらに発達支援の枠組みをも含めて提案している。

 

濃醇辛口な本書の内容

 

本書が宣言だけで終わらず「濃醇辛口な内容」を伴っていることは、本書を一読すれば自ずから明らかになることであるが、ここではその一端を紹介しておくことにする。

 

本書のテーマである学力問題は、いわゆる学力低下論争と関わっている。論争の発端は、小学校で学習しているはずの基礎的な計算スキルを習得していない大学生が多いという大学生の学力低下問題であったが、2003年のPISA調査(OECDによる学力の国際比較調査)が、この論争に拍車をかけた。なぜなら、日本の子どもの読解リテラシー(学校で獲得した知識や技能を日常場面で活用する力)の得点がOECDの平均レベルまで低下したからである。しかしながら、PISA調査をめぐる議論は、総得点や順位といった「学力の量」の問題に歪曲化され、「学力の質」という本質的問題が看過されている感がある。著者はそのことを鋭く批判し、PISA調査の問題と採点基準の詳細な質的分析に基づいて、日本の子どもの学力問題は「量の低下」ではなく「質の悪化」であることを明らかにしている。

 

その具体例として、2003年のPISA調査(数学リテラシー)のうちの「盗難事件」問題の分析を取り上げてみよう。この問題では、1998年から1999年にかけての盗難事件数の変化(508件から516件へ増加)を図示した棒グラフが示される。そして、TVレポーターの「1999年は1998年に比べて、盗難事件が激増しています」という発言が、棒グラフの説明として適切であるかどうかを判断し、その理由を記述することが求められる。この問題には、完全正答(2点)と部分正答(1点)の2つの採点基準が設けられている。完全正答とは、適切でない理由として、「グラフ全体からみると増加はわずかにすぎない」ことを、言葉や増加率の計算結果から示しているような回答であり、全体の盗難件数に対して変化量が相対的に小さい(増加率が小さい)ことを説明できているものである。これに対して、部分正答とは、適切ではない理由として、「増加はおよそ10件にすぎない」のように変化量の大きさのみに着目するような回答である。そして、「激増しています」というレポーターの発言が適切であると判断した場合は誤答(0点)となる。さて、この問題に対する日本の正答率(11%)はフィンランドの正答率(27%)やカナダの正答率(23%)には遠く及ばず、OECDの平均値(15%)を下回った。

 

この「盗難問題」に完全正答するために必要となるのは、全体に占める部分(増加量)という割合(比率)に基づく自分なりの説明であり、比率(増加率)という概念に関する本質的な理解である。つまり日本の算数・数学教育は、物事の本質を認識するのに不可欠な「わかる学力」の育成が不十分なのである。

 

著者はまた、同様の問題点が科学リテラシーの場合にも見られることを明らかにしている。その具体例として、PISA調査の「酸性雨」問題の分析を取り上げてみよう。この問題では、「酸性雨が大理石に与える影響を調べるために、大理石のかけらを一晩中、酢につけるだけでなく、蒸留水にもつける実験を行ったのはなぜか」という理由が求められる。この問題に対する日本の生徒の正答率は、「大理石への影響が液体のうちの酸性の液体によるかどうかを確かめるためであるという対照実験の考えを記述できている回答(完全正答)」と「酸と蒸留水の比較のみを述べている回答(部分正答)」を合わせても51.6%で、OECD平均(57.0%)を下回っていた(ちなみにニュージーランドは74.2%、カナダは69.6%)。この結果は、日本の子どもは要因統制という科学的方法についての本質的理解が不十分であることを示している。

 

以上のように本書の著者は、PISA調査データの詳細な質的分析によって、日本の子どもの「わかる学力」不足という弱点を明らかにしただけでなく、その弱点を克服するために「協同的探究学習」を開発・実践し、今後の日本の教育の進むべき方向について、確かなエビデンスに基づく重要で本質的な示唆を提示している。本書が「濃醇辛口」に分類される所以は、まさにこの点にある。

 

おわりに

 

冒頭で引用した連載エッセイにおいて評者は、教育心理学研究の構成要素である「データ」「理論」「研究法」を「米」「麹」「水」に喩え、濃醇辛口の教育心理学研究は「豊かなデータ」「力強い理論」「洗練された研究法」で構成されるのだと述べた。この喩えは授業研究の場合にも同様に当てはまる。つまり、学力低下に歯止めをかけ、質の高い学力を育成するためには、「豊かな教材」「力強い教育理論」「洗練された教育方法」で構成される濃醇辛口の授業研究がなされる必要がある。しかしながら評者は、従来の授業研究は理論(麹)の力が弱いのではないかという印象を受けている。そのため淡麗甘口の授業が蔓延し、そのことが学力の質の悪化をもたらしたのではないだろうか。したがって今後は、本書を参考書の一書に加えて、濃醇辛口の授業研究が日本全国で幅広く展開することを期待したい。

 

*森敏昭(もり・としあき)=広島大学大学院教育学研究科教授 

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