書評:『地方分権改革の政治学』「書斎の窓」に掲載
木寺 元/著
『地方分権改革の政治学
――制度・アイディア・官僚制』
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『書斎の窓』(2013年5月号)に掲載された書評を,以下でもお読みいただけます。(評者は,待鳥聡史〔まちどり・さとし〕京都大学大学院法学研究科教授。)
本書の位置づけ
政治における意思決定の説明要因として「3つのI」があるという考え方は、既に定着した感がある。3つのIとは、利益 (interest)、制度 (institu-tion)、そしてアイディア(idea)を指す。
生産者米価引き上げという政策決定を例にとれば、農家や彼らを支持基盤とする政治家の利益、米価審議会をはじめとする農林水産省や農林族議員の意向を受けやすい決定方式(制度)、そして主食の完全自給による食糧安全保障という理念(アイディア) のいずれか、あるいは複数の要因の組み合わせで説明可能だというのである。
制度の変革も、これら3つのIから説明されうる。今日の民主主義国家では、政治的意思決定の多くは何らかの制度の維持や変革を伴うからである。現代政治分析では、制度は意思決定を説明する要因(独立変数)であるとともに、意思決定の帰結として維持や改廃がなされる存在(従属変数)としても扱われる。制度を独立変数とする研究と従属変数とする研究を総称して、政治学では「制度論(institutionali-sm)」と呼ぶ。
本書『地方分権改革の政治学』が対象とするのは、現代日本において中央政府と地方政府の行財政面での関係を規定する諸制度の変革であり、市町村合併、機関委任事務制度、地方財政制度などが取り上げられる。制度変革を扱うという点で本書は制度論に含めうる研究であると同時に、対象である制度はいずれも1990年代以降の主たる焦点であり、地方分権改革に関する包括的な研究としての意味を持つ。
アイディア・アプローチ
地方分権改革を規定する要因として本書が注目するのは、アイディアの役割である。制度改革を対象とする場合に限らず、アイディアに焦点を合わせた政治的意思決定の分析は「アイディアの政治」あるいは「アイディア・アプローチ」と呼ばれる。近年では分析概念の精緻化が進展し、日本でも優れた研究成果が登場している。
しかし、従来のアイディア・アプローチには大きな弱点があったと著者は指摘する。アイディアは、政治的意思決定を行う個人や集団(アクター)に、既存の制度の持つ問題点や外在的な危機を認識させ、新しい解決策を与える。しかし、アクターがそのアイディアを受容してくれるかどうかは別問題であり、仮に受容したとしても、他のアクターを説得してアイディアに沿った適切な制度が作られるかどうかも一義的に定まるわけではない。これらの局面は区分して検討されねばならないのに、日本におけるアイディアの政治分析では、しばしば特定の局面のみが論じられる傾向があったのだという。
このような認識を踏まえて、著者は制度改革を分析するための仮説を示す。仮説提示に至るまでの第1章の議論は、参照する先行研究の領域が多岐にわたり、かつ現代政治分析において広く用いられているとはいえない概念も多い。重要な内容でありながら、 アイディア・アプローチに慣れていない読者にとってはやや難解な印象が残らざるを得ないが、評者なりに要約すると以下のようになる。
あるアイディアがアクターによって受容され、そのアイディアに即した改革目標が形成される段階を「構成的局面」と呼ぶ。構成的局面は、主として学界が蓄積してきた科学的知識に基づいて政策の方向と手段が定まる「認知的次元」と、対象となる制度や現象の善悪や是非が定まる「規範的次元」に分けられる。あるアイディアを構成的局面で受け容れ、それに従った改革を追求しようとするアクターは「主導アクター」とされ、主導アクターが他のアクターを説得し、改革に同意させる段階を「因果的局面」と呼ぶ。日本は、伝統的な各省割拠体制などのために意思決定には省庁間の協議と合意が不可欠な「複雑な政体」であるため、因果的局面では主導アクターが「専門的執務知識」を駆使して他のアクターの説得に成功したときに、初めて制度改革は実現することになる。
実 証 分 析――機関委任事務制度廃止を例に
第2章から第5章では、この仮説の検証という形で実証分析が行われる。分析の特徴が最もよく表れており、かつ本書全体の白眉ともいうべき第3章を例として取り上げよう。
対象として分析されているのは、機関委任事務制度の廃止という改革である。機関委任事務は、本来は中央政府が担うべき事務を地方政府の首長や行政委員会に委任して行わせるものである。中央政府の事務を委任するという性質上、首長や行政委員会は主務大臣の指揮監督下に置かれ、少なくとも制度的には地方議会の関与が限定される。そのために、地方自治を阻害する中央集権的な制度として長らく批判されてきたが、実際に廃止されたのは1990年代の第1次地方分権改革に際してであった。ここから、早くから不評であったにもかかわらず90年代までなぜ存続したのか、また90年代に入ってなぜ廃止に向かったのか、という2つの問いが立ち現れることになる。
筆者はこれらの問いに対して、認知的次元、規範的次元、専門的執務知識というアイディアの3つの側面から説明を与える。
機関委任事務制度は、地方政府にとっては自治の制約である一方、首長を中心とした合理的で総合的な行政を実現する手段としても機能しており、自治制度官庁(自治省)にとっては愛憎半ばするものであった。1980年代までは、中央と地方が融合的に業務を担うという日本の中央地方関係の特徴から機関委任事務制度を肯定的に捉える見解も、行政法学者や地方政府関係者の間に少なくなかった。そのために、制度をどう評価すべきか、またどのような変化の方向性がありうるか、という認知的次元と規範的次元の双方で、改革機運が強まることはなかった。
事態は1990年代に入って変化した。地方六団体を中心とした地方政府(とくに都道府県)側が機関委任事務制度の廃止を主張しはじめ、地方分権推進委員会などに参画した行政学者や元自治官僚は中央政府の地方への関与をなくすのではなく限定すべきであるという発想を新たに提示した。こうして、構成的局面で認知的次元と規範的次元に新たに形成されたアイディアを、地方行政における統合性と中央地方関係における分権を両立させるものとして自治省は受け容れ、因果的局面では主導アクターとして他省庁との交渉を実質的に引き受けることになる。制度廃止の最終的な提案は地方分権推進委員会が行ったのだが、 提案を実現可能な内容にする過程では、専門的執務知識に依拠した自治省の下支えが不可欠であった。アイディアの政治に必要な3つの要素を揃えたとき、機関委任事務制度の廃止という大きな改革が実現したのである。
このように、アイディア・アプローチに依拠して筆者が提示する地方分権改革の説明は巧みである。
「複雑な政体」 ?
ただ、評者にとって気になったことを一点だけ指摘しておきたい。それは、日本を「複雑な政体」と特徴づけているところである。複雑な政体であるために、制度改革には多くの場合に官僚によって担われる主導アクターが専門的執務知識によって他のアクターを説得する段階が必要になるとされており、本書にとって重要なポイントである。しかし、どのような条件や指標が満たされれば複雑な政体として扱うべきなのだろうか。この点について、概念の操作化は行われておらず、単純な政体だとされる他国との比較も断片的かつ限定的にとどまる。
現代国家において多くの制度改革に官僚の専門的執務知識が必要となるのは特別なことではなく、政体が単純か複雑かのメルクマールは、専門的執務知識を持つ官僚に対する委任を誰がどのように行い、いかなる形で説明責任を負わせるかによるのではないか。そのような観点から考えたときに、日本は複雑な政体と呼べるのだろうか。
仮に日本が複雑な政体でなかったとしても、改革において省庁間調整など専門的執務知識が必要となることは十分にありうるだろうし、地方制度改革はそのような性質を強く持っていたという説明は可能である。しかし、その場合に注目すべきはむしろ、地方制度改革の持つ技術性の高さや、それに伴う細部への政治的関心の弱さといった要因ではないのだろうか。
第4章の前半で扱っている地方交付税の総額削減に関して、経済財政担当大臣であった竹中平蔵と彼の周囲に形成された「竹中チーム」の行動に注目した分析がなされており、著者は竹中チームに元官僚などがいて専門的執務知識を持ち得たことを指摘する。
だが、他の多くの箇所では専門的執務知識の担い手は自治・総務官僚なのに、ここだけは竹中の周辺に集まった「脱藩官僚」とされるなど、やや曖昧になっている。竹中チームが総額削減に成功したのは、総額という政治家やメディアにとって分かりやすい課題であったために、専門的執務知識の多寡による制約を受けにくかったからなのかもしれない。この理解の方が、同じ章の後半で示される地方交付税制度そのものの改革の挫折との対比も、より説得的になると思われる。
お わ り に
ここまで、本書の概要を紹介するとともに、いくつかの重要な概念や分析を取り上げて検討を加えてきた。あらゆる研究がそうであるように、本書にも若干の疑問点は残る。しかし、それを補って余りある魅力が、本書にはある。長期的な改革の方向性といった大きなテーマの分析に用いられることが多かったアイディア・アプローチを精緻化し、政治的注目度が高いとは限らない個別的な課題における意思決定も十分に分析可能であることを示したことの意義は大きい。
アイディア・アプローチを志す今後の研究者にとってはもちろん有益だが、現代日本政治には理念や筋論の居場所はないと考えるシニカルな政治観に対しても、本書は多くの反論的な示唆を与える。 いささか余談めくが、「あとがき」は一人の研究者の誕生を描いた掌編の観があり、最後のページまで読ませる。広く手に取られてほしい一冊である。
*待鳥 聡史(まちどり・さとし) = 京都大学大学院法学研究科教授
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