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2013年5月23日 (木)

書評:『沖縄返還と日米安保体制』「書斎の窓」に掲載

049994
中島琢磨/著
『沖縄返還と日米安保体制』


2012年12月刊
→書籍情報はこちら

clip『書斎の窓』(2013年5月号)に掲載された書評を,以下でもお読みいただけます。(評者は,渡邉昭夫〔わたなべ・あきお〕東京大学名誉教授。)

1 一次史料の持つ重み

未だ関係史料がほとんど公開されていなかった今から40年ほど前に、博士論文のテーマとして「沖縄問題をめぐる政治過程」を選んだ経験を持つ私としては、本書を読んで、その密度の濃い叙述に圧倒される思いを禁じ得なかった。当時の私の指導教官は、毎週、書いたものを見せに行くと、良い時には、solidと褒めてくれたが、中島氏のこの著はsolidなどと言う言葉では、言い表せない高い密度と、併せて、論証の手堅さを持っている。それがどこから来るのかと言えば、膨大かつ詳細な一次史料を駆使して書かれていることにある。その資料の博捜ぶりは、息詰まるほどの緊迫感を読者に覚えさせる。動かぬ証拠を突きつけて被疑者を追いつめて行く法廷の場面を連想してもおかしくはない。無論、歴史家の仕事は、法理に基づいて犯人を確定する検事や裁判官のそれとは、目的が異なるが、一つ一つ史料(証拠)を丹念に積み重ねて、事実を再構成して行く作業は、書く方は無論、読む方にも、持続的な緊張感が求められる。一次史料の持つ重みを改めて感じさせられた。

一次史料が使えるようになった効果はいろいろな面にあらわれている。その一つは、日本側の主体性を浮かび上がらせるという効果である。「日本側関係者の行動の主体性に着目」(18ページ)、「日本側関係者の主体性の要素をより重視したうえでの、日米両国の取り組みの相互作用」(349ページ)という著者の言葉遣いからも分かるように、本書に登場する数多くの日米両側の人物が、それぞれに重要な役割を果たしているのだが、印象的なのは、日本側の関係者(佐藤栄作首相、Sオペの名で知られる佐藤の政策グループ、外務省や総理府の官僚他)の思想と行動が、生き生きと描き出されていることである。なかでも、外務省の中堅(具体的には、千葉一夫、佐藤行雄、枝村純郎、中島敏次郎その他の諸氏)の活躍振りが目立っている。黒子とでも言うべき、こうした人々の名は、普通余り目立たないのだが、彼らの果たした役割が実際に重要であったという理由だけでなく、近年進んだ外交文書の公開のおかげで、彼らの行動が具体的に明らかにされた。それにとどまらず、日本外交そのものの「主体性」が新進の研究者達(本書の著者を無論含めて)によって明らかにされる近年の傾向は、公文書の公開がもたらした、良い効果である。従来、例えば、アメリカ側の史料にしか頼れなかった頃にしばしば指摘された欠陥がこうして克服されつつあるのは、大いに喜ぶべきことである。日米関係だけでなく、例えば、日韓関係に関与した経験を持つある元外務省員が、韓国側の史料だけで書かれた日本人の著者の本を読んで、実情と大きくかけ離れた叙述にいら立ちを禁じ得ないと述懐するのを聞いたことがあるが、史料の公開は、こうした種類の歴史叙述の歪みを是正する上でも、きわめて大事である。

2 外交の実態に迫る追体験

本書の個々の叙述を、膨大かつ詳細な注と一々つき合わせながら読むのは、相当に骨の折れる仕事である。それは、専門の研究者・歴史家にとっては是非とも必要な読み方だが、一般の読者も、そこまでしなくても、著者の生き生きした筆の力に押されて読み進めるうちに、ワクワクしながら、佐藤栄作、若泉敬、その他の多くの登場者の立場に自らを置いてみて、歴史の追体験が出来る。そうすることで、沖縄返還だけでなく、外交の実態とは何かについて、一般の人々の理解が深くなるならば、ひいては、日本の外交そのものの質を向上させることに大いに役立つであろう。

3 「沖縄の返還なくして戦後は

終わらない」同時代人として沖縄返還を経験した世代の読者にとっては、忘れられないこのフレーズを始め、「両三年以内の返還」、「核抜き・本土並み」など、印象に残る多くの言葉がある。それらの言葉が、誰によって考え出され、どのような意図で使われたのか、それだけでも、なかなか興味深い話が本書には沢山ある。

4 「密約」問題との関わり

多くの読者には、近年話題となった「密約」についての記憶は未だ新しいであろう。本書は、二重の意味で、この密約問題と関わりがある。

まず、これ迄にも指摘してきたように、外交文書の公開が、この密約調査の過程で大いに促され、本書でもその成果は十二分に活用されている。私自身の沖縄問題に関する著書(1970年)が出たとき、故神谷不二先生が書評で取り上げて下さったが、欲を言えば、物語の半分まで聞かされた思いで、仕舞いまで聞きたいという趣旨のことを述べられた。しかし、その後河野康子氏の研究(1994年)、そしてこの中島磨著(2012年)と、日米両側で進んだ公開資料を駆使した作品が現れ、沖縄返還交渉に関する物語は、こうしてほぼ「語り尽くされた」という思いがある。

ところで、密約問題と沖縄問題とは、より奥深いところで密接に絡んでいる。
それは、著者の言う「日米安保体制」の根幹をなすのが他ならぬ「沖縄問題」であったからである。アメリカ否日米の安全保障上の必要性に関する戦略的要請(例えば、核兵器、より広くは在日米軍の果たすべき一定の役割)と日本の世論(「自主性」への願望)から来る政治的要請とのしばしば衝突する2つの要請を両立させるために、当事者たち、特に日本の当局者たちが、苦心して演じた「政治的綱渡り」とも評すべきものの産物が、所謂「密約」であった。

その代表が、返還後の核兵器の問題に関するものであった。沖縄返還交渉の物語を芝居に喩えれば、その一番の見せ場は、2人の主役ニクソン大統領と佐藤首相が、大統領執務室(ovaloffice)での公式の合意成立の後で若泉とキッシンジャーが用意した筋書きに従って、通訳抜きで2人だけ何気ないふりをして傍らの小部屋(ニクソンの個人執務室)に移動し、返還後の核兵器再持ち込みを認める趣旨の「秘密合意書」に両首脳がイニシアルを入れるという、場面である。これは、ニクソンが強硬に基地機能の保持を主張する軍部を納得させるためのものであった(266ページ以下)。言うならば、勧進帳を読み上げて、安宅の関を通り抜けた弁慶と義経よろしく、この「一片の紙切れ」で、アメリカ軍部の反対をかわして、沖縄返還協定の通過を可能にしたのである。

実は、ここ迄は既にかなり広く知られている話だが、中島氏のすごいところは、この一片の紙切れのその後の末を語ってくれるところである。佐藤は、問題の紙片をその机上に残したまま、その場を立ち去った。さて、その後この紙はどうなったのか、話の続きは読者が、本書を手にして、自ら謎解きをしていただきたい。ところで、核抜き本土並みの沖縄返還とは何であったのか、沖縄返還交渉は、日本外交の成功物語であったのか? かつて、私が或る大学で、講義したあと、試験問題として「本土並み返還」とは何かを問うたところ、一学生から、「アメリカ本土」と同様に、制約なしにアメリカが基地を使えるような形で、沖縄を日本に返還したのだという答案が返ってきた。多分苦し紛れの答案だったと思うが、一本取られたという感想を抱いたことを今、想起する。

5  「二元外交」の功罪

中島氏は、正規の外交チャネルを通して行う交渉とバックチャネル、すなわち、非公式接触者(若泉敬)を使って行うそれとの併用を二元外交と呼んでいる。日本外交史の上では、この言葉は、余り良い意味では使われない。戦前の歴史で、外務省以外の勢力、中でも軍部が独自の影響力を発揮するのを指す言葉であった。それを嫌う外務省は、天皇の「外交大権」の侵害という論理で、自己の立場を守ろうとした。議会による統制に従う戦後の日本外交でも、外務省にとっては「二元外交」が忌むべき現象であることに変わりはないはずである。

中島氏は、「二元外交」を正負の符号抜きで、事象を客観的に表現する言葉として使おうとしている。従って、以下の文章は、評者の価値判断が入ったものと考えていただきたい。沖縄返還後の「日米安保体制」は、所謂「事前協議」の運用の在り方、具体的には返還後の沖縄基地の在り方が軸になる。当時マスコミが使った言葉で言えば、韓国条項、台湾条項、ベトナム条項など、日本有事以外の事態に際して沖縄を作戦行動の基地として利用する米軍の行動にどの程度の自由度が認められるのかという問題と、核兵器の撤去や再配備の可能性如何という問題の2つが、日米交渉の焦点となった。沖縄を除く日本領土(いわゆる「本土」)とどの程度の差をつけるのか、沖縄を別扱いにする特別の協定は一切認めないという「核抜き・本土並み」の線を日本側は貫いたのだが、そこに至るまでには、60年の安保改定時の「朝鮮議事録」(密約)を事実上死文化する効果をねらった佐藤首相のナショナルプレスクラブでの演説という解決策を追求する外務省、それを押し止めようとするアメリカ側とのつばぜり合い、それと並行するバックチャネルでの核抜きをめぐる駆け引きとが、微妙に絡む形で、交渉は進行した。著者によれば、佐藤はこの2つを意識的且つ巧妙に使い分けて、目標を達成したと、評価している。沖縄基地の使用に関する特別の協定を結ぶことを避け、同時に核兵器についても、ニクソンとの非公開の合意書という問題を含む異例の措置をとったが、一応の結果は出せたという意味で、「核抜き、本土並み返還」に成功したとは言えるだろう。

バックチャネルを使わずに、「勧進帳外交」はなし得なかった。立ちはだかる米軍部いわば富樫左衛門を押して、「安宅の関」を通り抜けることは外務省ではできなかった。若泉氏は沖縄住民を裏切ったという後悔の念に駆られたまま亡くなったようだが、彼の著書のタイトルにあるように、沖縄返還の国民的念願を達成し、戦争で失った領土を平和裏に取り戻す日本外交の成功のためには、「他に策はなかった」のであり、「密使」以って瞑すべしと、私は考える。二元外交が、危うさを伴うのは、確かであり、この一例だけをとって一般化するのは、考えものだが、中島氏の労作を読んだ私の実感は、成功の物語であったという結論に導く。

 *渡邉昭夫(わたなべ・あきお)=東京大学名誉教授

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