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2013年5月23日 (木)

書評:『出光興産の自己革新』「書斎の窓」に掲載

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橘川武郎・島本実・鈴木健嗣・坪山雄樹・平野創/著

『出光興産の自己革新』
(一橋大学日本企業研究センター研究叢書4)

201212月刊

→書籍情報はこちら

 

『書斎の窓』(20135月号)に掲載された書評を,以下でもお読みいただけます。(評者は,森川英正〔もりかわ・ひでまさ〕経営史学会顧問)

 

 

 

伝統に挑んだ自己革新

 

日本経済が好調であった時期、出光興産の経営はそのユニークさにおいて群を抜いていた。株式を公開しないで銀行融資に頼る借金経営、組織的内部調整を軽んずる事業ごとのタテわり経営、皇室尊崇を旨とし、人的結束を重んじ、規則規程にコダわらない「人間尊重」経営、果ては会社のカネで酒を酌みかわし、ヨカヨカと大言壮語する気風等々。

 

私は、縁あって、出光の店主室とつき合ったことがあり、内部から「ユニークな」出光経営を観察する機会に恵まれた。出光佐三店主とも何度かお会いした。ユニークさに感心することもあったが、憂慮させられることの方が多かった。とくに、出光社員が会社の伝統と成功体験に固執して、自信過剰なことが気になった。

 

ある時、店主室長から、社員に経営理念について話してくれと頼まれた。私は、企業における経営理念というものの意義と役割、日本企業の経営理念の諸類型、出光の経営理念の特色などについて語ったのだが、店主室長から「先生、経営理念の話を頼んだじゃないですか」と抗議された。私はまさに経営理念の話をしたばかりである。驚いて店主室員に聞きただしてみると、室長は、経営理念とは出光だけのものであり、他社にはないものと信じ込んでいるらしかった。

 

これは極端な例だが、出光社員の自社の経営の伝統に対する思い入れには常識外れなところがあった。中でも、株式公開への拒否反応は非常に過激であった。皇室のない日本が日本でないのと同様、外部の資本の入った出光は出光でなくなるとまで言うのであった。

平成に入ってから、私は出光店主室と少しずつ疎遠になった。それでも、この元気な会社がどこかで玉砕しなければよいと気にしていたのである。しかし、事態はバブル崩壊後の悪い環境の下、私の不吉な予測に沿って動いていった。不良債権を抱えた銀行の圧力で借金経営は成り立たなくなり、事業(とくに石油化学)の損失とあいまって、出光の経営は危機的状況におちいりつつあると聞いた。

 

ところが、私の悲観的予測は外れたのである。出光は借金経営を脱却し、その過程で株式を公開した。組織改革によって出光全事業の全社的調整に適した体制に転換した。過去の出光でタブーとされていた方向に自己革新が行われた。もちろん、自己革新は一挙に達成されないで、途中で前途が危ぶまれることもあったらしいが、結局、成功した。

 

自己革新を成功させたもの

 

本書は、出光の自己革新の有様とそれが成功した理由を詳細に記述した好著である。執筆者は、橘川武郎一橋大教授をリーダーとする若い経営史・経営学研究者たちである(島本実、鈴木健嗣、坪山雄樹、平野創、大久保いづみの各氏)。出光の自己革新のプロセスもみごとであったが、本書の出来栄えもみごとである。

 

どうして、私を含む世人の予測に反して、出光の自己革新は成功したのか? 一口に言うなら、出光の古い経営とそれの基礎をなした伝統的理念・慣行にコダわる出光社員(OB含む)の抵抗を容赦なく排除したからである。では、それがどうして可能であったのか?一つは出光の経営危機のすさまじさである。出光の崩壊を目前にしては、頑強な守旧派も含めて、革新を拒み切れなかった。

 

しかし、これは結果論である。組織が存立の危機に瀕した時、メンバーが必ず自己革新を選択するとは限らない。惰性的に革新を拒む場合もある。伝統を否定されるくらいなら組織の自己破壊も辞さないという集団発狂状態におちいる場合もある(敗戦時の日本陸軍)。経営危機の深刻さだけで出光の自己革新を説明し尽くすわけにはいかない。

 

私自身が出光の内部で痛感した出光社員の伝統的理念・慣行に対する強いコダわりを想起する時、余計そう思う。彼等は、経営危機くらいで出光の伝統に背を向けるような人たちではなかった。しかし、事実は、驚くべきことに、何かが彼等を自己革新の方向に動かしたのである。その何かとは何か?それこそ自己革新成功のもう一つの、そして最も重要な理由である。

 

それは、出光のトップ経営者の強い意思とそれを実行に移すにさいしての着実な戦略構想であった。本書で最もすぐれていると私が思うのは、このへんの記述である。

 

出光の自己革新を指導したトップ経営者とは、本書の最重要登場人物である天坊昭彦現相談役である(91年経理部長、98年常務、00年専務、02年社長、09年~12年会長)。天坊一人で何でも出来たわけでなく、協力者も存在した。協力者たちと天坊とのコラボの記述はもの足りないが、それはともかく、天坊とそのチームの働きは瞠目すべきものであった。

 

また、天坊の協力者は出光の創業者家族の側にもいたようである。一般に家族企業の場合、大きな改革に当たっては家族の側の協力者を必要とする。出光家族の側で天坊チームに協力したのは、出光昭(創業者佐三の甥、98年~02年社長)だったのであろう。本書102ページの「天坊は昭社長とともに昭介会長(創業者の嗣子)に外部資本の導入を説得した」というデリケートな記述から、そのように推測するのだが。

 

この天坊を中軸とするトップチームが出光の自己革新の指導に成功した理由は、早目に革新の必要を認識して戦略化したこととその戦略を展開するに当たっての着実な手順である。私は、出光の場合、後者の着実さが決め手になったと考える。

 

本書は、史料として、出光経営者の講演、談話(聞き取り)を多く活用している。中でも天坊の発言が重要であり、それから天坊チームの戦略構想の着実さを認識することができる。たとえば、出光株の上場にかんする天坊の次の発言である。

 

「この問題は、一度やり損なったら後に続く人は出てこないし、やり直しはできない。時間をかけても、少しずつ関係者の理解を得る努力を積み重ねる。……環境変化が出光に与える影響を説明し、その対策を複数の選択肢として提示する。外部の金融機関の情報を正確に伝え、必要があれば直接話してもらう。」(94ページ)

 

天坊の真意は伝統的理念・慣行にこり固まった出光社員の姿を知る者にはよく理解できるのである。「一度やり損なったら……やり直しはできない」がゆえに、「時間をかけても、少しずつ」理解者を拡大するステディな方法でしか、出光社員が歳月をへて固め上げた岩盤をゆるがすことはできなかった。

 

時間をかけた説得は構想の骨組に止まらない。外部からの危機を利用しつつ、すなわち、社員による危機意識の共有の程度に合わせ、具体的改革案を提起し、受け容れさせていくプロセスがそれに続く。たとえば、9798年の国内金融危機やムーディズショック(ムーディズ社によって出光がB2という投機的等級に格づけされた)が社員に会社存亡の危機を実感させるのに応じて、九九年、出光再生(IS)プロジェクトを打ち出し、人員削減を含む財務体質改善、燃料油事業(精製・販売)の再構築、石油化学事業の徹底的な見直し、旧来の出光では想像もできなかった組織改革等を実行に移していった。

 

ISプロジェクトの進行のさ中、2000年、出光家族は初めて290億円の優先株の発行を承認した。次いで、有利子負債の削減(01年に1兆円以下に)、04年の出光興産と出光石化の合併、取締役会の実質的な政策決定機関への脱皮、業績評価システム、職務規程・内部監査体制の整備等の改革の手が次々に打たれ、ついに、06年の出光株上場という山場に到達するのである。

 

私たちは、とかく、革新というと、織田信長のような天才的ひらめきに頼って一気呵成に事を進めるヒーロー的指導者を想定する。そして、彼等が成功する例もないわけではないが、私の知る限り、天坊のように失敗とくに重要なのは組織内の反対による挫折=失敗を恐れつつ、着実に進む指導者の方に成功例が多いように思う。

 

いくつかの批判的指摘

 

自己革新という以上、革新のプロセスに止まらず、それを裏づけた思想出光の場合は反逆思想とその成り立ちについて語ってほしかった。本書は、この点で十分でない。私たちは、せいぜい、天坊の略歴から推測する他ない。たとえば、入社後24年にして出光ヨーロッパ社長に就任し、3年間のロンドン生活を過ごしたことの影響などである。また、天坊は、出光の伝統的理念の純粋培養器たる店主室教育を一度も受けたことはなかったと聞くが、そのこととの関係も推測するのみである。

 

もう一つ、本書は、自己革新の成功の一要因として、創業者出光佐三の思想の中にあった合理性を強調しているが、私はこの点に賛同しない。自己革新を推進する過程で、天坊たちは、伝統信奉者を説得するために、出光佐三の合理性を引き合いに出すことがあったかもしれない。しかし、1990年代当時、出光の伝統的理念・慣行は、創業期の合理性を失って形骸と化し、自己革新の阻害要因であった。

 

創業期の出光佐三の合理性がそのまま生きていて、天坊たちの主導する自己革新の原動力になったとは、とうてい思われない。

 

ただ、天坊チームが、革新に伴う人員整理にさいし、「会社都合の馘首」を回避したとか、出光美術館、「題名のない音楽会」に代表される文化事業について、それらの改革を求めつつも、尊重し、継続を図り、それらに「出光らしさ」を残そうとしたことなどは、出光の伝統のよき影響と言えるかもしれない。

 

*森川英正(もりかわ・ひでまさ)=経営史学会顧問 

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