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2013年4月 2日 (火)

著者より:『財政赤字の淵源』 「書斎の窓」に掲載

164024井手英策/著
『財政赤字の淵源―寛容な社会の条件を考える』

2012年10月刊行
→書籍詳細はこちら

pen著者の井手英策先生によるエッセイが『書斎の窓』3月号に掲載されました。

◆『財政赤字の淵源』 の淵源◆
                             井 手 英 策 

汗と涙、 そして無反省の結晶

 今日は一月二日。 生まれて初めての 「書初め」 をしている。

 正確に言えば、 一月二日に物を書かなければならない、 そういう切羽詰まった経験を語るのであれば、 それはむしろ恒例行事だといってよい。 しかし、 過ぎし一年を振り返り、 新たな一年への想いを噛みしめながら文章を書くというのは、 初めての経験だ。 不惑を迎えてようやく、 余裕なき人生のお粗末さに気づく。 いささか情けない話である。

 おそらくはそんな生き方をしてきたからだろう。 過労で倒れて頭を打ち、 怪我をして生死の境をさ迷うという、 苦く、 滑稽な経験をした。 一昨年の四月のことだ。

 有斐閣から 『財政赤字の淵源  寛容な社会の条件を考える』 を公刊させて頂いたのは、 昨年一〇月、 書籍編集第二部の柴田守さん、 長谷川絵里さんにお話を頂いたのは、 それから三年ばかり前になる。 今ではすっかり元気になったが、 リハビリをしながら執筆することになるなど、 当時は予想だにしていなかった。

 だが、 そもそもの話、 である。 出版社から見れば忠実な書き手だろうが、 退院とともに約束を果たそうとする 「律義さ」 は、 働き過ぎへの反省のなさを意味してもいる。 とりわけ、 退院してのち、 多くの方々から親身になって励ましの言葉を頂いた。 本書を無事に公刊したことじたい、 恩知らずのなせる技と、 身のすくむ思いがする。

 そんな塩梅だったから、 本書の執筆過程は、 家族や友人に、 なかば感心されながら、 なかば呆れられながらの作業となった。 言いようのない後味の悪さが残された。 だが、 本書を公刊できたことは、 わたしにささやかな自信と、 安堵の思いを与えてくれた。 そういう意味で、 記念となる、 忘れられない一冊が 『淵源』 である。

納税者の常識から出発する

 だが、 肝心の出来栄えを問われると、 正直、 複雑な心境というほかない。

 本書の前半部分では、 わたしのこれまでの高橋財政期、 戦時期、 占領期の歴史分析をもとに、 日本財政の骨格を論じた。 マクロ・バジェッティング、 減税、 公共事業を三つの軸とする利益分配メカニズムを明らかにし、 大蔵省幹部の回顧からなる内部資料で肉付けを行うことで、 土建国家の枠組み、 その政治的な合理性を明らかにした。

 後半部分では、 土建国家の凋落を念頭に、 財政再建を可能とする条件について具体的な政策提言を行った。 日本社会の大変動が一九九〇年代の後半に起きたこと、 それと大蔵省の予算統制の硬直性、 粘着性を対比させ、 財政ニーズに鈍感足らざるを得ない予算編成のありかたこそが租税抵抗の源、 つまり 「財政赤字の淵源」 であると結論づけた。

 夜郎自大と言われればそれまでだが、 こういう著作はわたしにしか書けないと思った。 それはわたしの研究者としての遍歴  一次史料にこだわって歴史分析をやりつつ、 審議会などに参加する機会を得たこと  が理由だ。 知先行後なのか、 知行合一なのか自分でもわからないが、 歴史的視点から政治過程を観察する書はなかなかお目にかかれない。 そういう本が一冊くらいあってもいいと思った。  

 特に、 近年の財政論議には、 強い違和感を持っていた。 受益と負担の関係に配意した議論があまりに少ないことに、 落胆に近い感情を覚えていたのである。

 例えば、 財務省流の発想に立てば、 歳出面が主計局の財政制度等審議会で、 歳入面が政府税制調査会でそれぞれ総括される。 だから、 政策のパッケージとしては、 行革や歳出削減と増税が同時に浮上することとなる。 事業仕分けが先行し、 一体改革と言いながら、 社会保障の拡充が一%に過ぎなかった民主党の消費税増税も、 実態はこれに近い。

 だがこれは、 納税者の立場から見れば、 いかにも奇妙な話だ。 増税への合意には相応の受益が必要である。 反対に、 受益なき増税には、 納税者の強い租税抵抗が予想される。 財政破たんを叫び、 増税を押しつけるのは、 統治手法としてはうまくない。 受益と負担の日本的なアンバランスが租税抵抗を生み出している、 そういう現実に光を当て、 日本の財政運営の歴史的特質を抉り出しながら、 改革の方向性を示したかった。

 旧大蔵省史料を駆使して、 政策担当者の意図や思惑の一端を示した点に本書の真骨頂がある。 また、 一九九〇年代末期の社会構造の変化と財政運営の齟齬を読み解き、 ユニバーサリズムの概念を起点として、 政策の方向性を示せたことにも満足している。

ふたつの命が交錯するなかで

 だが、 正直に告白すれば、 歴史的事実と政策提言のバランス、 両者の座りの悪さを敏感に感じとる読者もいるのでは、 と、 密かに思っている。 力量不足が原因であることは承知している。 だが、 言い訳を許してもらえるなら、 三〇代後半という若さと、 怪我との闘いが重なるなか、 啓発を促す書を執筆することの難しさが、 わたしの前に立ちはだかった。

 柴田さん、 長谷川さんがわざわざ私の職場まで来てくださった時のことである。 「今回は学術書ではなく、 分かりやすい本でお願いします」 と、 明快なご提案を頂いた。 機先を制されたわけだが、 わたしは 「分かりました、 やりましょう」 と簡単にこれを受けてしまった。 今思えばここが運命の分かれ道だった。

 いざ執筆に取りかかると作業は難航した。 分かりやすい本を書くには割り切りが必要だ。 一方、 論理的な一貫性を追求しようとすれば、 因果関係を丁寧に論じなければならない。 新書であれば割り切りもできようが、 三〇〇ページにもおよぶ単行本、 しかも脚注を付すことも禁じられていない。 書き始めれば、 どうしても、 あれこれ渉猟したくなり、 反対にこだわりも頭をもたげてきて、 まるで知的迷宮に迷い込んだようであった。

 これに加えてもうひとつ、 若手研究者が思いつきで発言すれば、 後世まで笑われるだろうな、 という悩みがあった。 若さゆえの純情話かもしれないが、 この話には前段がある。

 私が現在の職場に異動したのは二〇〇九年四月のことであった。 その二か月後、 前の職場である横浜国立大学で、 形式的には同僚として、 実質的には財政学の大先輩としてかわいがっていだいた金澤史男先生が急逝されるという痛恨事に見舞われた。

 運命とは分からないものだ。 悲報を受けたその時、 ともに杯を交わしていた伊集守直君は、 素晴らしいことに、 のちに横浜国立大学で金澤先生のあとを襲うこととなった。 一方、 わたしはといえば、 生命の危機に直面したわけである。

 結局、 わたしは紙一重のところでこの世にとどまることとなった。 しかし、 死生を別ったことをきっかけとして、 それからの一年間、 金澤先生との対話の日々が始まった。

 分かりやすい本を書かねばならない。 しかし、 安易な政策提言の書では先生に笑われるだろう。 批判的な精神を欠こうものなら顔向けすらできない。 そんな自問自答の毎日だった。 ふたつの命が交錯するなかで葛藤が生まれた。 政策的価値と学問的価値、 ふたつの価値が火花を散らし、 本書の第四章と第五章の間に、 海溝のような深い断絶を生んだ。

 だが、 著作の出来という点では申し開きできないが、 一社会科学者としては、 この断絶を嬉しく思っている。 一〇年、 二〇年後なら、 学術的な価値を保ちつつ、 政策的に意味のある本を分かりやすく書けた、 そうは思わない。 学問的価値と政策的価値を調和させる努力は生涯にわたって追求されねばならない。 また、 社会科学の性質上、 政策の決定過程を経験的に知ることで、 学問の総合性も高まると信じている。 臨命終時が修学の果てという気分だ。

 ウェーバーが 『「客観性」 論文』 で語った、 「事実の真理を直視する科学の義務と、 自分自身の理想を擁護する実践的義務とを果たすこと」 の意味が問われている。 また、 大蔵官僚としての実践知を、 「一般理論」 という学問知に昇華させたケインズの偉大さが痛感される。 そして改めて金澤先生の学恩をありがたく思う。

「提唱する」 から 「分析する」 へ

 シュンペーターが第一次世界大戦の敗北の直後、 「神の胎内に宿る」 学問としたうえで、 「提唱」 を試みたものが財政社会学である。 本書のねらいを、 最後にもうひとつだけあげるなら、 この財政社会学に生命の息吹を与えること、 歴史と現状を媒介する 「分析」 の学として財政学を鋳直すことが課題であった。

 だが、 厄介な問題がある。 財政社会学という名を与えたのはゴルドシャイトであり、 ドイツ財政学の凋落とともにシュンペーターがこれを継承した。 こうした因縁もあって、 わたしも同じ呼び名を使っている。 だが、 財政社会学といった途端、 「専門は社会学ですか?」 と当たり前の質問をぶつけられてしまう。

 財政学は国家の経済活動に焦点を合わせる。 その意味で、 わたしは、 国家社会学の影響力が薄れ、 国家を理論的な範疇に収めようとしなくなった社会学への緊張感を持ちつつ、 財政社会学という表現を用いている。 また、 国家の経済活動をつかまえようとすれば、 それ自身を観察するだけでなく、 社会の変容が国家の経済活動に与える影響、 国家の経済活動が社会の変容に与える影響、 双方の史的循環のなかで財政現象を位置づける必要がある。
 ターミノロジーで語った方が分かりよいかもしれない。 財政社会学は国際的にはFiscal Sociologyとして定着した。 しかし、 セリグマンと同様、 わたしは財政社会学にSocial Theory of Fiscal Scienceという地位を与えたいと思っている。

 ミクロ的な基礎づけばかりが重視される社会科学の現状にあって、 社会変動を映し返す鏡として財政現象をとらえ、 社会理論として財政社会学を発展させることで、 財政学を豊富化したい。 方法的あいまいさへの批判を覚悟のうえでいおう。 「漠たるものを漠と捉えること」 こそが、 財政学の豊かな伝統であり、 現在の社会科学に対する異議申し立てでもある。

 何だか販促に貢献しそうもない、 率直に過ぎる文章になった。 わたしの試みにどのような評価が下されるのか  キルケゴールよろしく不安を 「怖いもの見たさ」 と定義させてもらおう。 そんな 「不安」 に包まれながら、 読者からの批判を俟つこととしたい。

 井手英策(いで・えいさく = 慶應義塾大学経済学部准教授)

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