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2013年3月19日 (火)

著者より:『リスクの社会心理学』「書斎の窓」に掲載

173873_2中谷内一也編


『リスクの社会心理学――人間の理解と信頼の構築に向けて』
2012年7月刊
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編者の中谷内先生が,本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2012年12月号)にお寄せくださいましたエッセイを,以下に転載いたします。

◆リスク社会への社会科学者・行動科学者の関わり方◆
  ―― 『リスクの社会心理学』 刊行によせて

中谷内一也 

 はじめに
 我々はリスク社会に生きている。 そんな我々に対し、 二〇一一年東日本大震災は解決策を要求する多くの問題を突き付けてきた。 具体的にいえば、 今後も発生するであろう地震・津波など自然災害への対応や、 福島第一原発事故による低線量被ばくの問題、 さらに、 これからのわが国のエネルギー供給の問題などである。 個々の問題が具体的であるが故に、 これらは工学、 医学、 環境科学などの専門知を技術的に応用することで解決すべき問題に見えるかもしれない。 しかし実際には、 具体的問題のなかにも社会科学者が積極的にかかわるべきものが多くある。

 一般的に社会科学者がリスクについて論じるという場合、 社会における科学技術のありようを議論することが多い。 もちろん、 それはそれで興味深いのだが、 その一方で、 リスクを抑えるための具体的な政策にも社会科学が貢献できることはある。 なぜなら、 リスクを抑えるにはリスクに向き合うときの人のこころと社会の性質を理解することが不可欠だからだ。 以上が筆者の考えであり、 初学者向けの本書を編んだ理由でもある。
 社会科学による政策への貢献というと、 支配者による管理を推進するための大衆操作が連想されるために、 研究者は及び腰になりやすい。 私自身もその一人ではある。 しかし、 このような都合の良い言い訳を用いて、 東日本大震災による甚大な被害を目の当たりにしながらなお社会との関わりを避けようとするのは、 震災後を生きる専門家として不誠実ではないだろうか。
 以下、 さまざまなリスク問題の中から社会科学・行動科学が積極的にかかわるべき具体的な課題の一例として、 津波からの避難、 および、 家具倒壊への対処をとり上げ、 現状の問題点を述べる。

 津波からの避難
 今回の大震災における人的被害の約九割は津波によってもたらされた。 このことは地震後に津波がやってくるまでの数十分から一時間程度の間、 犠牲者は生存していたことを示している。 つまり、 地震直後から高台を目指して大急ぎで避難していれば、 あるいは、 いったん避難した後に自宅に現金や貴重品を取りに戻らずにいれば助かったはずの命が多くあったということである。 これは行動科学、 社会心理学が解決に向けた処方を示すべき問題である。
 被災したのは太平洋沿岸地域であり、 地震の後には津波が襲ってくるかもしれないということは、 知識としては住民の頭にあったはずである。 それなのに迅速な避難行動はとられなかった。 このことは地震が津波を起こすという知識を持っているだけでは不十分であり、 迅速な避難行動を促すためには 「正常化バイアス」 を考慮すべきであることを物語っている。 正常化バイアスとは、 人が災害の前触れや避難を促す警告に実際に触れてなお、 次におそいかかる事態を楽観視しようとしてしまい、 結果として避難行動が遅れるという傾向を指す用語である。
 ここで筆者が強調したいのは、 正常化バイアスについての知見は今回の震災によって初めてもたらされたのではなく、 むしろ、 災害にかかわる心理学者にとっては震災以前より常識であったということである。 もし、 「大地震の後に津波から逃れようと集団パニックになる可能性と、 逆に、 人々がなかなか逃げようとしない可能性と、 どちらが高いですか?」 と問われていれば、 震災前であっても災害に関係する心理学者は 「最初期において、 正常化バイアスのため迅速な避難行動はなかなかとられない。 その後、 いよいよ脅威が現前のものとなってからは、 特定行動への固執や視野狭窄的な判断がみられる」 と予想しただろう。 これは後知恵ではない。 後知恵でないからこそ今の事態は深刻なのである。 つまり、 社会科学者は被害を軽減するための知見を持ちあわせていながら、 それを実装化できてないのである。
 正常化バイアスは一例に過ぎず、 ほかにも災害時の人々の行動について、 社会科学が提供できる知見はいろいろある。 たとえば、 東日本大震災の巨大津波の後、 木造住宅を破壊するのに十分な高さ二~三メートルの津波に対する西日本沿岸住民の警戒心が薄くなってしまったことが明らかにされている。 しかし、 人を救える可能性を持ったこのような知見をどんなに蓄積したとしても、 それを被害軽減への具体的な方策に活用できていない現状が続けば、 リスクの減少に役立てることはできない。 社会科学者・行動科学者は研究成果の社会貢献と実装化にもっと目を向ける必要がある。 研究を進め専門家しか読まないような論文を書いて一丁あがりというのではなく、 一般書やマスメディア、 講演などを通じて研究成果を社会に伝え、 避難を促す実践的なシステム構築にまで考えをめぐらせるべきであろう。

 家具倒壊の防止
 一方、 一九九五年の阪神・淡路大震災では死因の七割超が窒息・圧死であった。 東日本大震災での津波被災者とは違い、 この原因で亡くなった人々には、 避難のための時間はほとんどなかった。 また全体の約一割の死因は焼死だったが、 これも揺れの直後に逃げられなくなってしまった人々が命を落としたのである。 阪神・淡路大震災においては、 激しい揺れがおさまった時点でほぼ生死が決まってしまったと言っても過言ではない。
 このタイプの地震災害を抑制する最も効果的な対策は建造物の耐震性・耐火性を高めることである。 したがって、 土木工学的な対策が基本中の基本である。 しかし、 家屋倒壊防止という基本がおさえられたらそれで十分というわけではなく、 災害対策としては、 家具の下敷きになって圧死したり、 大けがして動けなくなったりするリスクも抑える必要がある。  揺れが始まってからではどうしようもないこのようなリスクへの対処、 具体的にいえば家具の比較的安全な配置や倒壊防止金具の設置などは、 平時に行っておく必要がある。 しかし、 「倒壊防止金具で家具に穴を空けたり傷をつけたりするのが憚られる」 「地震直後は金具をつけても、 模様替えなどでいったん外してしまうとその後は面倒に感じて、 付け直していない」  という家庭は多いだろう。 つまり、 倒壊防止金具の有効性そのものは工学的・技術的問題であるが、 それを設置するかどうかは心理学的な問題である。 自分や家族、 ひいては見知らぬ他人をも守るための事前準備行動への動機づけはどのような要因で高まり、 実際の行動へと結びつくのか。 それを説明する理論的な材料が社会心理学の分野には多く転がっている。 そういった社会心理学の知見は災害への事前対策を促すプログラム作りのヒントになるだろう。

 おわりに
 本稿では津波と地震のみを取り上げたが、 このほかにもわれわれの社会はさまざまなリスクを抱えている。 リスクが現実の災害へと具現化した際に、 命を落とす人を少しでも減らそうとするならば、 社会と、 その社会を構成する人のこころ――とりわけリスクに関する認知・意思決定や感情など――を理解することが必要である。 例えば、 感染症の拡大を抑えるには原因となるウィルスの特性を理解するだけでなく、 人間同士の接触やそれをもたらす行動パターン、 感染からの防護行動が何によって動機づけられるかについて理解する必要がある。 また、 交通事故を減少させるにはドライバーや歩行者への心理学的な理解が必要になる。 食のリスクから放射線リスクに至るまで、 人の心について理解することなしに対処可能なリスク問題はない。 人の命を救うための社会科学・行動科学がいっそう盛んになることを、 また本書がその一助となることを願う。

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