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2013年3月19日 (火)

著者より:『北・東北アジア地域交流史』「書斎の窓」に掲載

124509姫田光義/編
『北・東北アジア地域交流史』

2012年7月刊
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pen編者の姫田光義先生が,本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2012年12月号)にお寄せくださいましたエッセイを,以下に転載いたします。

◆夏さりぬ オリンピックに甲子園◆
 
――歴史研究は 「時空を超え」 られるか

姫田光義

 
 筆者の編になる 『北・東北アジア地域交流史』 が刊行されてホットしながら毎晩 (夜明け) オリンピックを観戦していた。 甲子園がこれに重なったので、 昼も夜もスポーツ観戦づくめだった。 それから原稿が書けないまま、 騒ぎのさなかの中国東北部を訪れ、 不安ながらも無事に帰国してきた。 そこであらためて日記に記した拙い俳句 (川柳?) を思い出した。
 「夏去りぬ オリンピックに甲子園」

 実はこの句は、 小学校の児童とそのお母様方の戦争体験を学ぼうとする集会で、 講師としてお話させていただいた折に頭に浮かんだもので、 オリンピックも甲子園も世界が平和で仲良くしているからこそ実現できるのですよと言いたかったわけである。 その際、 こうも付け加えた。 甲子園の八月一五日正午、 みなさん起立して黙を捧げますが、 誰に黙しているのでしょうか。 もちろん三百数十万の日本人の死者でありますが、 実は日本の戦争でアジアの三〇〇〇万もの人々が犠牲になっているのですから、 その方たちにもお祈りしましょうね。 世界が平和で仲良くしているからこそオリンピックもできるのですよと。
 この言葉がどれほど理解されたかは分からない。 多分、 歴史の彼方に消え去ろうとするあの過酷で残酷な戦争の記憶を、 学校教育の場などで意識的に抹殺しようとする者たちもいるわけだから、 それはますます薄れていくだろう。 ここに日中両国間の歴史教育、 歴史認識に見られる大きくて深刻な乖離を見ることができる。 それと同時にその渦中にある歴史研究者・教育者としての無力感をも感じざるをえない。

 
 そんな風に考えていると、 上記の本の編者として得々として書いたことが、 いかに浅はかで軽いものであったかと反省させられるのである。 すなわちこの本の序章で、 歴史とは 「時空を超えて」 見も知らぬ地域の、 過去の人々の生活をイメージすることだと書き、 また 「歴史は抽象力なしには理解できないだろう」 とも書いた。 古代以来の歴史年表に無数に書き込まれている戦争の歴史は正にその最たるものであろう。 戦争の下でどれほど多くの人々の生活が無残に押しつぶされ消し去られていくかに思いを致すことは難しい。
  「時空を超えて」 のうちの 「空」 の方は、 例えばオリンピックで言えば、 開催場所といい、 出場するアスリートたちの出自 (その国や地域) といい、 杯を傾けながら居ながらにしてリアルタイムで、 イメージを必要とせずに観ることができる。 彼らの背後にどのような生活空間があり、 彼らがそれをどのように受けとめ考えているのかなどと一々想像しながら観ている人は少ないだろう。 これを戦争というものに引き付けて想起すると、 リアルタイムで歴史的事件を観て驚愕させられた最初のものは、 私の強烈な印象では米軍によるイラク空爆だった。 それは 「空」 を超え 「時」 を超えないで直接ストレートに茶の間に飛び込んできた最新兵器による無差別破壊 (殺人場面は映し出されなかったように思う) だった。
 リアルタイムで世界中の出来事を見せられていると、 想像力を必要としない分だけ人間の脳の働きが鈍っていくように思われる。 今時こんなことをいうと時代錯誤も甚だしいと嘲笑されるだろうが、 文献資料とか遺物遺跡とかから 「時空を超えて」 昔の人々の暮らしを模索せざるをえない歴史研究者としては、 このイメージやインスピレーションを必要としない即時的即物的観察 (見物) に終始することによってもたらされる人間の頭脳の低下は大敵である。 今時の日中、 日韓関係の悪化の一つの原因が歴史認識の欠如、 換言すれば抽象力によって描き出される過去の人と人との、 国と国との関係のありように対するイメージの貧困から来ているように思えるからである。

 
 このようなことを殊更言うのは、 まさに日本を取り巻く国際情勢が平和を脅かす危機的状況にあると認識せざるをえないからである。 ロンドンと甲子園に共通する具体像はアスリートたちの躍動であり友情の交流だが、 それに感動しているその瞬間、 場面は転換して日中両国の憎悪や憤怒に満ちた狂乱の姿、 顔が映し出される。 そしてそれはリアルタイムで双方に見られ狂乱を増幅していく。 どちらが本当の本質的な常態なのか、 なぜそんなことが起こるのかを考える暇もなく相乗効果で負の連鎖が続いていく。 マスメディアはそんな場面だけを大書し大写して人々を煽る。
 上記の東北旅行というのは、 日中友好の旅と銘打って九月中旬からノモンハン・ハルビン・瀋陽そして撫順を巡るものであった。 ノモンハンは旅行団の本来の目的は言うまでもなく 「ノモンハン事件 (ソ連・モンゴル側ではハルハ河戦役)」 の戦跡を訪ねることだが、 私の個人的な望みとしては、 自分が書いた 「北アジア」 の一部を覗き見るということでもあった。 地平線が三六〇度眺望できるような大平原に立っていると、 一九三九年夏秋、 一人ずつ蛸壺を掘ってソ連軍戦車のキャタピラが頭上に迫ってくるのを待ちうける兵士たちの恐怖と絶望がひしひしと胸に迫ってくるのだった。 他方、 撫順では戦犯管理所で日本人戦犯が起訴猶予・釈放され、 六年間 (戦争と五年間のシベリア抑留とをカウントすると十数年) を経て帰国できる喜びに沸き返る表情を見た。 どちらも戦争の悲惨さ残酷さを歴史の教訓として 「時空を超えて」 私たちに訴えかけてくる。 恐怖か喜びか、 どちらが人間として大切にしなくてはいけないのかと。 私はこのことを、 わが国の人々だけでなく中国人にも考えてもらいたいと思い訴えかけている。 被害者である中国人が、 加害者である日本人を 「罪を憎んで人を憎まず、 鬼であっても必ず人に戻ることができる」 という信念に基づいて戦犯を許した、 その歴史をである。
 戦争前夜のような狂気狂乱が世情を覆いつつあるさなかに、 日中友好を唱えるのは時代錯誤であろうか。 今に非国民とか売国奴といった罵声が飛び交うような時代に逆戻りするのではなかろうかという恐怖感をもってしまう。 同時に一介の歴史研究者としては、 歴史の教訓を通してしか日中友好の大切さを唱えることのできない無力感をもたざるをえない。
 訪中旅行から帰ってきてマイナーな気分で本稿を書いてしまったが、 この拙文が、 それこそ時代錯誤の認識に基づく拙劣な一文であったと、 いつの日にか嘲笑されることを願うと同時に、 そんな日が来ることを信じるのみである。

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