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2013年3月18日 (月)

著者より:『都市経済学』「書斎の窓」に掲載

184060_2高橋孝明 (東京大学教授)/著

『都市経済学』
有斐閣ブックス

2012年10月刊
書籍情報はこちら

pen著者の高橋孝明 先生が,本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2012年12月号)にお寄せくださいましたエッセイを,以下に転載いたします。

◆城壁都市で都市を思う◆

高橋孝明

 アッシジにて
 
ヨーロッパに行ったときの愉しみの一つは、 中世以来のたたずまいを残す小さな城壁都市を訪れることだ。 先日もイタリアのアッシジを訪問する機会があったが、 行くたびに新たな発見があり、 何度訪ねても飽きることがない。
 アッシジは、 ローマからローカル列車で二時間ほど北上したところにある。 山の中腹、 標高五〇〇mのところで、 ひっそりと下界を見下ろしている。 街は周囲を城壁に囲まれており、 一辺が一㎞ほど、 もう一辺が四〇〇mから五〇〇mほどの長方形に近い形をしている。 およそ四〇〇〇人の人々が暮らしているらしい。 街の端にある聖フランチェスコ聖堂は、 その名のもとになった聖人が眠る場所で、 世界中から信徒や観光客を集めている。 聖人の人生を描いた、 ジョットの一連のフラスコ画は美術史上に残る傑作である。

 城門をくぐって街に入ると、 ぎっしりと詰まった石造りの建物の間に、 石畳の道が伸びている。 ゆっくりと上っていくと突然視界が開け、 軒先を飾るゼラニウムの花やカフェのパラソルで彩られたこぢんまりとした広場が現れる。 紀元前一世紀の神殿や古い宮殿の並ぶ広場の屋外のカフェに腰を下ろし、 つらつらと都市というものに思いを馳せた。

 城壁都市の境界
「都市」 の定義にはさまざまなものがあるが、 もっとも基本的なものは、 人口が多く、 かつ人口密度が周辺地域と比べて顕著に高い地域、 というものであろう。 アッシジのような街に立つと、 この定義を実感することができる。 何しろ、 街の外には何もないのだ。 城壁の縁に立って外を眺めても、 見えるのは、 あたり一面に広がるオリーブ畑と、 青空の下どこまでも伸びる水平線だけである。
 都市経済学では、 通常、 次のような空間構造をもった都市を考える。 都市の中心から少しずつ離れていくと、 徐々に建物の高さが低くなって住宅の敷地面積が大きくなり、 その結果、 次第に人口密度が低下していく。 そして、 気がつくといつの間にか都市が終わって農村地帯になっている。 どこで都市が終わるか。 それは、 都市住民が支払おうとする地代が、 農家が支払おうとする地代にちょうど等しくなるところである。 都市の中心から離れたところに住むと、 都市の中心に行くのに高い交通費を負担しなければならなくなるので、 その分、 都市住民が支払おうとする単位面積あたりの地代は低くなる。 一方で、 農業地代は、 中心から離れたところでも中心に近いところでも、 それほど変わらない。 したがって、 中心から離れていくと、 どこかで都市住民が支払おうとする地代と農業地代が等しくなることになる。
 城壁都市においてもこの原理は変わらない。 ただ、 城壁がある場合、 城壁の内側と外側で、 都市住民が支払おうとする地代の額が劇的に異なってくる。 アッシジの場合、 城壁が作られたのはローマ帝国の時代だが、 それ以後、 とくに一四世紀から一五世紀にかけて、 ペルージャに代表される近隣の国々に常に脅かされた。 城壁の内側に住むことは、 安全保障上、 決定的な重要性をもっていた。 また、 都市内に住むことでのみ、 都市住民としてさまざまな便益を受けることができた。 自治に参加したり、 ギルドに加わって商売を営んだり、 いろいろな公共サービスを享受したりするためには、 城壁の内側に住まなくてはならなかった。 このため、 都市住民が支払ってもよいと考える地代は、 城壁の内側から外側に行くと、 非連続的に大きく下落することになる。 城壁の内側ではそれが農業地代を上回っているが、 外側では下回っている。 だから、 都市は、 「いつの間にか」 終わるのでなく、 唐突に終わる。 その結果、 視界の前方には三階建て以上の建物がぎっしりとひしめいているのに、 後ろを振り返れば何もない、 というきわめて特異な経験をすることになる。
 対照的に、 筆者は、 日本で新幹線に乗っているとき、 うつらうつらしているうちに少しずつ都市的要素がフェードアウトして、 気づいたら農村になっていたという経験を何度もしている。 日本の都市は、 平城京や平安京といった城郭都市の時代以降、 境界を可視化する装置をもたなくなったのだ(1)。 たとえば、 江戸時代には、 町奉行の治める範囲が江戸御府内とみなされた。 一八一八年には幕府が絵図面に朱線 (「朱引線」) を引いてその内側を 「朱引内」 とよび、 江戸の範囲であると公式に定めたが、 それでも江戸の境界が物理的に人々の目に留まることはなかったのである(2)。

 城壁都市パリ
 さて、 アッシジのように四方を城壁に囲まれている都市は、 ヨーロッパに数え切れないほど存在する。 世界遺産に指定されている有名なものだけでも、 サン・ジミニャーノ (イタリア)、 カルカッソンヌ、 プロヴァン (以上、 フランス)、 クエンカ (スペイン) などがある。 城壁都市は決して特殊なものではない。 とくにラテン諸語を話すヨーロッパ (フランス・イタリア・スペイン等) の都市について言えば、 そのほとんどが、 過去に城壁に囲まれていたか、 あるいは現在も依然として城壁に囲まれている。 ローマやマドリード、 バルセロナのような大都市も例外ではない。
 そのような大都市の中でとりわけ注目すべきはパリだ。 次頁の表が示すように、 パリでは、 過去六度にわたって新しい城壁が建設されてきた。 都市の拡大と相俟って、 より中心部から離れたところに城壁が建設されてきたのだ。
 興味深い事実は、 城壁が、 防衛だけではなく、 関税の効率的な徴収という目的ももっていたことだ。 五番目の城壁の 「徴税請負人の壁」 はその典型である。 城門を通って都市内に運び入れられる商品には、 入市税 (octroi = オクトロワ) とよばれる関税がかけられた。 入市税はフランス革命のときに一度廃止されたが、 一八世紀終わりから一九世紀にかけて徐々に復活している。 「徴税請負人の壁」 は、 徴税請負人の要請によって建設されたものである。
 入市税があると、 城門の外側で、 関税を支払わずに都市住民に商品を売ろうとする商人が出てくる。 これらの商人が集まると市ができる。 現在パリには、 三大蚤の市として広く知られているものがある (クリニャンクールの市、 ヴァンヴの市、 モントルイユの市)。 これらはいずれも 「ティエールの壁」 の城門のすぐ外側に位置しており、 その発生の過程は、 いま説明した通りである(4)。
 パリの地理的拡大にはさまざまな理由があり、 ここで詳しく述べる余裕はない。 かいつまんで述べると、 まず、 出生率が上がって死亡率が下がり、 パリおよびフランスの人口が増加したということがあるだろう。 また、 産業革命をきっかけに第一次産業から第二次産業へと産業構造が変化し、 企業の生産活動が大規模に行われることの利益が大きくなったことも、 パリへの集中を促す結果になっただろう。 また、 多様な財やサービスが生産されるようになり、 結果としてフランス全土あるいは西ヨーロッパ全域からより多くの人や企業を引きつけるようになったことも理由の一つだろう。 加えて、 政府の力が強大になって首都の行政機能が拡大したり、 芸術や科学の中心となったりしたことも影響しているだろう。 さらに、 都市内の移動手段が変化して、 より広い範囲から中心部に通勤することが可能になったことも大きい。 パリの都市内交通は、 中世まで徒歩中心だったが、 その後、 馬車および馬車鉄道、 路面電車、 メトロ (地下鉄)、 RER (急行郊外地下鉄) へと比重を移していく。 その過程で同一時間に移動できる距離が長くなり、 都市の拡大が可能になったのである。

 ふたたびアッシジにて
 このたび筆者は、 有斐閣より、 『都市経済学』 を上梓する機会に恵まれた。 それは、 都市の空間構造や都市の抱える問題とそれに対処する政策をどのようにとらえることができるか、 経済学の観点から平易に解説したものである。 執筆を進めながら、 都市というものがいかに興味深い存在か、 そしてそれを経済学の分析道具を用いて論理的に読み解いていく作業がいかに知的興奮にあふれたものであるか、 あらためて実感した。 城壁都市一つとっても興味深い事実がいくつも転がっている。 これらを見る目の一つとして、 都市経済学はきわめて強い力を発揮する。
 アッシジのカフェで、 照りつける太陽に輝く石造りの建物を見ながら、 生ぬるいビールを前に、 そんなことを考えていた。

(1) ただし、 土塁や堀で周囲を囲まれた都市がいくつか出現した。 堺や博多といった商業都市のほか、 富田林 (大阪府) や今井 (奈良県橿原市) といった寺内町が広く知られている。
(2) 朱引内は、 ほぼ現在の山手線の内側と隅田川東岸を合わせた地域に相当する。
(3) 面積と人口はパリ市のホームページから転載した。
(4) 他の大都市でも似たような事例が見られる。 たとえば、 有名なローマのポルタ・ポルテーゼの蚤の市もまた、 門を意味する地名の 「ポルタ」 から明らかなように、 昔の城門のすぐ外側に立地する。

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