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2013年2月27日 (水)

書評:『政策志向の社会学』「書斎の窓に掲載」

173866武川正吾/著

『政策志向の社会学――福祉国家と市民社会』


2012年06月発行
→書籍情報はこちら

book『書斎の窓』(2012年11月号)に掲載された書評を,以下でもお読みいただけます。(評者は,秋元美世〔あきもと・みよ〕=東洋大学社会学部教授)

 は じ め に
 本書は、 社会学と公共政策との関連について、 著者が二〇〇〇年代の半ば以降に執筆した一三の論文を一書にまとめたものである。 現在までに著者が刊行した著書の中には、 専門的研究に特化したいわゆる専門書とは多少系統を異にするタイプのものが存在する (『福祉国家と市民社会』 一九九二年、 『福祉社会の社会政策』 一九九九年、 『地域福祉の主流化』 二〇〇六年)。 本書もそうしたタイプに属する一書である。
 著者は、 こうしたタイプの本について次のような位置づけを与えている。 「日本の小説の分類で 『中間小説』 という言い方がある。 純文学と大衆文学の中間に位置する小説といった意味である。 私は、 本書にいたる一連のシリーズで、 専門書と一般書の中間をねらった。 社会政策は学際的な領域であるから、 本書を、 社会学者以外の研究者にも読んでもらいたいと思い、 また、 研究者以外の読者にも読んでもらいたいと思ったからである」 (はしがき)。
 社会福祉や社会保障に関する制度や政策の法学研究を守備範囲としている評者が、 そのタイトルに 「社会学」 の文字が入っている本書の書評を引き受けたのも、 「社会学者以外の研究者にも読んでもらいたい」 という著者の言葉があったからである。

 本書の構成
 本書の章立てを紹介すれば以下の通りである。

第1章 公共政策における社会学  公共社会学のために、 第2章 二一世紀型の社会政策  二〇世紀的前提を問う、 第3章 福祉社会のガバナンス  多元主義とレジーム、 第4章 セーフティネットかナショナルミニマムか  社会政策の理念、 第5章 生活保障システムの危機  雇用の流動化と家族、 第6章 社会政策における福祉と就労  ワークフェアの内実、 第7章 高齢者ケアの政策  介護保険と地域福祉、 第8章 年金社会学の構想  社会政策における信頼、 第9章 縮小社会における地域  地域社会学と地域福祉学、 第10章 ローカル・ガバナンスと地域福祉  地方自治の学校、 第11章 ベーシック・インカム  ピースミールとユートピアの弁証法、 第12章 高福祉高負担の社会意識  福祉国家の可能性、 第13章 社会政策学会の再々出発  公共政策の刷新

 論文集という性格上、 本書は体系性を考慮しながら執筆されているわけではないが、 全体を通して見てみると、 総論的な部分と社会政策をめぐって論点となっている事柄を各論的に取り扱っている部分とに大まかに分けることができそうである。 つまり、 「政策志向の社会学」 を論じていくためのフレームワークや観点について主として扱っている1章、 2章、 3章、 5章の総論的な部分と、 章のタイトルに示されているような個別的課題 (セーフティネット論、 ワークフェア、 介護保険、 年金、 地域社会、 地域福祉、 ベーシックインカム、 負担と給付をめぐる問題など) を論じている4章及び6章から12章までの各論的な部分である。 13章は、 社会政策学会の歩み (歴史) という文脈から、 社会政策研究のありようについて論じたものであり、 他の章とは傾向をやや異にする内容  あえて言えば終章的な位置づけ  となっている。 なお総論と各論という区分に関してつけ加えておくと、 各論における議論も、 基本的に総論のフレームワークを前提にして議論が展開されていると言えるだろう。
 以上のような内容を、 限られた紙幅で全体にわたって紹介することは困難である。 そこで以下では、 総論にかかわる部分と、 セーフティネット (第4章)、 年金 (第8章)、 ベーシック・インカム (第11章) に関する部分をとりあげることにしたい。

 福祉国家研究のための分析枠組み(総論:理論的フレームワーク)
本書の総論部分では、 著者が提示している福祉国家研究のための分析枠組み  その骨子は、 第5章の図表 (「比較福祉国家研究のための分析枠組み」 「福祉国家の上部構造と下部構造」 「日本の福祉レジーム」) に要領よく示されている  が、 内容的な柱となっている。
 著者は、 福祉国家の現状について次のような認識を示している。 すなわち、 二〇世紀型の福祉国家は、 家族 (近代家父長制) ・労働 (男性稼ぎ手の完全雇用) ・環境 (地球環境に対する負荷の無視) ・国家 (国民国家) といった点に独特の前提を置いていたが、 (二一世紀の) 今問われているのは、 まさにそうした前提である。 つまり、 二一世紀型福祉国家においては、 それらの前提が成り立たなくなっており、 それらにかえて、 脱ジェンダー化、 雇用 (賃労働) の相対化、 環境政策の必要性、 グローバル化とローカル・ジャスティスといったことに応答していく必要があるというのである (第2章)。 そして二一世紀型の福祉国家のありようを考えていくために、 著者が提示しているのが、 国家目標 (ここで焦点となるのは福祉政治の問題)、 給付国家 (再分配構造)、 規制国家 (規制構造) という福祉国家の三つの側面と、 「資本制」 (生産レジームの問題) と 「家父長制」 (再生産レジームの問題) という福祉国家を位置づける二つのコンテクストを踏まえて構成される福祉国家研究のフレームワークである (第5章)。
 本書の総論部分にあたるいくつかの章では、 こうした理論的枠組みに基づいて、 日本の福祉レジームがどのような変容をこうむり、 どのような問題が生じているのか、 また、 かかる問題をどのような方向で解決すべきか (換言すれば、 生産レジーム・再生産レジームの変化にどのように適応していくべきか)、 といったことに関する議論が展開されている。 結論部分のみを示せば、 生産レジーム・再生産レジームの変化の中で求められていることは、 社会的包摂と個人化であり、 二一世紀の社会政策はそれらをいかに現実のものとして構築していくかが問われているというものである。 ただし言うまでもなく、 問われるべき主要な論点は結論そのものよりも、 その結論にいたる過程の方にある。 残念ながらここでそれを紹介する余裕はない。 実際に本書に目を通して、 ぜひその過程を確かめてみて欲しい。

 セーフティネットかナショナルミニマムか
 かつては、 福祉国家の理念と言えばナショナルミニマムであった。 だが今日ではそれに代わってセーフティネットが言及されることが多くなっている。 著者によれば、 これはグローバル化などの社会・経済的な環境の変化を受けた福祉国家レジームの転換の帰結だという。 ポスト国民国家的な位置にある新しいレジームでは、 国民や国家を前提にしないセーフティネットの方が据わりがよい。 実際、 ナショナルミニマムでは国家責任や国家の義務という考え方が前面に出てくるが、 セーフティネットでは必ずしもそうではないし、 民間部門もまたセーフティネットの担い手となりうるのである。 そもそもセーフティネットの意味は、 「無制限な (あるいは可能な限り制約のない) 競争を前提に、 そこから脱落した者に限って完全を保証する」 という点にあることを忘れるべきではない。
 ただし、 著者は他方で、 両者の違いを強調するだけにとどまるべきではない、 とも指摘している。 現実問題として今日焦点となっているのは、 セーフティネットの議論であり、 その意味内容をめぐって争いが起きており、 しかもセーフティネットをナショナルミニマム的に読み替えていくことも可能だからである。 つまり、 双方の違いを認識した上で、 ナショナルミニマムのなかに含まれていた要素をセーフティネットの考え方に生かすことが、 「政治的に正しい途なのだろう」 というのが著者の立場なのである。
 確かに、 家族や企業や地域社会が、 社会的安全網の構築にあたって一定の役割を果たしうるだろうことは間違いないし、 そうした文脈を取り込むことについてセーフティネット論には適している面がある。 しかしそれらの編み目が粗く安全網としての役割を担えないこともある。 それを不幸な出来事 (運・不運の問題) として済ましてしまうならば、 それは権利ではなく恩恵の問題となってしまだろう。 最終的な責任を国家が引き受けるというナショナルミニマムを前提にすることで、 「セーフティネットのなかにも生存権や社会権の考え方が取り入れられるべき」 という著者の指摘は、 法律学の観点からしてもあらためて確認しておきたい点である。

 年金社会学
 「年金社会学の構想」 という章では、 二〇〇四年の年金改革について検討が加えられ、 年金改革が必要になってきた背景と改革内容について詳しく論じられている。 ただしこの章では、 そのことを論じる前提として (あるいは論じていくための視点を得るために) 年金問題に対する社会学的アプローチに関する検討がなされている。 著者は、 それを 「年金社会学」 と呼んでいるのだが、 評者にとってとりわけ興味深かったのは、 この年金社会学の枠組みについての議論である。
 その内容について詳しく紹介する余裕はないが、 年金社会学では、 次の三つの事柄、 すなわち①福祉国家のなかの公的年金、 ②公的年金の下部構造、 ③公的年金のパフォーマンス、 という問題を主題化することに固有の視点をおいている。 そして、 それらの主題をさきに紹介した著者の福祉国家の理論的枠組みに依拠しながら検討が加えられることになる。 たとえば、 ③のパフォーマンスの問題については、 「 (全体社会に対して) 社会統合/システム統合」、 「 (資本制に対して) 商品化/脱商品化」 「 (家父長制に対して) ジェンダー化/脱ジェンダー化」 に分節化して考察することになるとしている。
 以上のことは、 著者自身が述べているように未だ 「暫定的な素描」 の段階であり、 今後に待たなければならない部分もかなりあるようである。 だが、 社会保障法学の観点から年金問題を考えていく際、 こうした年金社会学という視点から得られるものは多々あるように思われる。 たとえば、 年金制度をめぐって、 社会保障法学の規範的な視点と経済的合理性の視点とが対立するようなとき、 年金社会学はその状況を読み解くための有益な視点を提供してくれるだろう。 あるいは、 そうした対立を評価しようとするとき、 年金社会学が提供することになるであろう実証的な知見の有する意味は大きいように思う。

 ベーシック・インカム
 
ベーシック・インカム (BI) を論じた章では、 BIをめぐって議論されていることが、 包括的に、 そして適切かつ平易に紹介されている。 BIでどのようなことが問題にされているのかを、 とりあえず知りたいというのであれば、 まず本書のこの章を読むことをおすすめする。 ただし、 評者の個人的な関心を引いたのはその点ではなく、 本章の副題 (ピースミールとユートピアの弁証法) として示されているような、 著者によるBIに関する議論の意味づけである。
 BIは、 まだどこにも存在しないという意味ではユートピアである。 他方で現実の社会保障に関する改革はピースミールとなりがちである (あるいは、 そうならざるを得ない)。 だが、 現実の動きがピースミールだからといって、 政策に関する思考もピースミールであるべきだということにはならない。 ピースミールの改革を進めるためにこそ、 それらを方向づけるためのユートピアの思考が必要なのである。 つまり、 BIの構想に関する議論が、 「社会保障制度の抱える諸問題を照射し、 現在のピースミールの改革に対する評価の基準を提供するもの」 となるというのが著者の捉え方なのである。 BI構想について検討を行う際、 踏まえておきたい観点だと思う。

 おわりに 
 冒頭で触れておいたように、 著者には専門的な研究書とは多少系統を異にする一連の著書があり、 本書もその一冊を構成している。 実はこのシリーズに属する本には、 共通して 「福祉国家と市民社会」 という副題が付されている。 副題としてそうした表現を使い続けている理由について、 著者は、 「(それが) 一九八〇年代半ば以降、 現在にいたるまでの私の研究関心をいちばんよく表していると思われるからである」 (はしがき) と述べている。
 こうした 「福祉国家と市民社会」 というタイトル設定に見られるような視野の広さは、 「ピースミールとユートピア」 の議論に見られる奥行きの深さと相俟って、 本書を社会学以外の領域の者にも近づきやすく、 また得るところの多い一書にしている。 社会学ばかりではなく、 福祉国家と福祉社会にかかわる諸問題に関心を有する様々な領域の人におすすめしたい。

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