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2012年12月 4日 (火)

著者より:『はじめて学ぶ 損害保険』 「書斎の窓」に掲載

184053_3大谷 孝一 (早稲田大学名誉教授)
中出 哲 (早稲田大学准教授)
平澤 敦 (中央大学准教授)/編

『はじめて学ぶ 損害保険』
有斐閣ブックス
2012年6月発行
→書籍情報はこちら

著者の中出哲先生が,本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2012年10月号)にお寄せくださいましたエッセイを,以下に転載いたします。

◆損害保険は深くて広い世界◆
 -- 『はじめて学ぶ 損害保険』 を執筆して

中 出   哲 

 この度、 有斐閣から大谷孝一先生と平澤敦先生と私の共編で 『はじめて学ぶ 損害保険』を出版いただいた。 編集・執筆にあたった一人として雑感を記させていただきたい。

 損害保険に関する関心は高まっている。 テレビでは自動車保険の広告が頻繁に流れているし、 東日本大震災を契機に地震保険に対する関心も高まった。 しかしながら、 損害保険を詳しく理解している人は必ずしも多くはないように思われる。 この本は、 損害保険をはじめて本格的に学ぶ方、 具体的には、 大学で保険を学ぶ学生を主要な読者層として執筆したものである。

 しかしながら、 筆をすすめていくと、 私の頭の中では、 すでに損害保険の実務に携わっている方々、 特に若い世代の実務家にも読んでいただきたいという気持ちが高まった。 損害保険を職業としている人に対して大変僭越ではあるが、 損害保険の深くて広い世界を改めて認識いただくことができないかとの思いである。

 損害保険業界の若者の意識 筆者が、 このような考えをもつ背景を少しお話したい。 筆者は、 損害保険会社に勤務する若手や中堅社員に接することが多く、 研修などにも携わっている。 その中でときどき感じることは、 損害保険を固まった経済制度として認識している人が多いように思われることである。 そして、 その前提に立って、 わが国の損害保険産業のこれ以上の量的拡大は難しいと考えている場合が多いように思われるのである。

 実際に、 わが国の損害保険は厳しい状況が続いている。 この一五年、 保険料収入は下降を続け、 競争は激化し、 収益は激減している。 損害保険事業は、 戦後、 護送船団方式とも呼ばれる金融行政のもとで安定的に成長してきた。 その後、 一九九六年の保険業法の改正によって本格的自由化の段階に移行した。 バブル経済の終焉や日本経済の停滞などの環境も加わり、 その後、 保険料収入は毎年減少している。 加えて、 自動車販売台数の伸び悩み、 住宅着工数の減少、 更には、 少子高齢化の進展などがある。 こうした背景から、 わが国で損害保険がこれ以上に発展していく余地は少ないとみている方が多いように思われる。 そして、 残された活路は成長の著しいアジア諸国など、 海外展開しかないという見方につながる。 国際化の方向性は、 急激な円高のなかで多くの日本企業が生き残りをかけて事業を世界に展開しているのと歩調を同じくする。

 若者が世界に目を向けることは良いことである。 しかし、 同時に不安に感じる点もある。 実際に海外に出て頑張っている人の発言であれば別として、 日本で仕事をしている若者が、 日本でのビジネスに将来性を感じることができずに他に可能性があるように考えている点である。 そして、 どこの国でどのようなビジネスモデルで事業を展開していくかといった具体的ビジョンが伝わってこない場合も多い。

 海外の厳しい競争のなかで利用者から選ばれている会社は、 国内における厳しい競争のなかで、 世界に通用する技術を高めてきた結果といえる。 商品に圧倒的な付加価値がある。 翻って、 日本の損害保険はどうであろうか。 保険は無形のサービスであるので単純比較はできないが、 わが国において、 ニーズに沿った保険を考えだし、 リスクに応じた保険料を算定し、 事故の場合の適切なサービスを提供する合理的な仕組みがどこまで進化しているだろうか。 強い円の力を利用して現地会社を買収しても、 事業を成長させていくためには、 現地の経営に付加価値を与えることができなければならない。

 筆者は、 保険会社の国際展開に異を表するものではまったくなく、 また、 日本の若者が海外を視野に夢を語ることには好感をもつが、 国内は難しいから海外へという安易な発想には危機感をもたざるを得ない。 時代のニーズに沿った商品をいかに合理的な価格で提供できるかが重要であり、 日本の市場においても、 ビジネスチャンスはまだまだあるであろう。 また、 そのような企業家的発想がなければ、 厳しい海外での競争に打ち勝てないであろう。
日本の損害保険市場の特徴 ここで、 日本の損害保険市場を国際的な視点から概観しておこう (数字は二〇一一年の概数)。

 日本は、 損害保険料の規模でみると、 米国、 ドイツに続く世界第三位である。 保険会社数は国内会社で合計二〇数社。 そのほかに外国会社、 共済、 その他の事業形態も存在するが、 米国では二七〇〇社、 イギリスは七〇〇社をそれぞれ超え、 先進国と比べると会社数が著しく少ない。 また、 日本では、 個人から企業まで保険商品を幅広く扱うデパート型の巨大損害保険会社が中心となっているが、 先進国では、 例えば、 個人向け自動車保険のみを扱うなど、 特定の保険に特化した保険会社が多く存在する。

 また、 損害保険の販売は、 日本では、 そのほとんど (九割以上) が代理店によっていて、 その代理店数は二〇万 (一五年前は六二万社を超えていた)、 募集従事者は二一〇万人を超える。 この数は他の国を圧倒する世界一である。 日本では、 損害保険会社の規模、 事業に携わる人の数で、 世界断トツといえる。

 その一方、 保険会社の商品の多様性、 募集人の専門性の高さなどはどうであろうか。

 日本では、 主要な損害保険商品について、 戦後から長く全社共通、 同一料金の方式が基本となっていた。 一九九六年の自由化以降は商品の多様化が進められたが、 保険会社のシステム、 従業員や募集人の対応能力が十分には追いつかず、 付随的保険金の支払い漏れなどの問題が生じ、 多くの保険会社が行政処分を受ける事態となった。 そうした苦い経験から、 各社は、 その後は、 保険商品を単純化したり、 特約を整理統合する方向に進んでいる。

 販売の九割以上を占める損害保険代理店をみてみると、 実は、 保険以外が本業で、 副業として保険を販売している代理店が全体の八割を占めている。 欧米では、 インターネットによる直接販売のほかに、 保険ブローカーや代理店のいくつかの募集制度が競合しているが、 損害保険は、 保険販売を専門とする者が販売している場合がほとんどで、 異なる事業に携わる人による兼業は例外となっている。

 このように、 総じていえば、 欧米では、 市場におけるプレーヤーの数が多く、 専門の募集人が販売にあたり、 商品の種類も値段も多様な市場が形成されている。 もっとも、 こうした状況は、 わが国の損害保険市場の後進性を物語るものではない。 欧米では、 保険会社の倒産は日常茶飯事で、 保険会社が選別されるとともに、 保険契約者もリスクによって選別される状況である。 リスクが高ければ保険を付けられない事態も生じている。 わが国では、 契約者にとっての保険の選択肢はやや少ないとしても、 安定的な運営がなされていて、 安心を与えていると評価できる。

 保険制度の安定的な運営はとても重要であるものの、 長い目で見ていった場合には、 損害保険市場も停滞していく可能性がある。 安定的な日本の市場の良さを維持しつつ、 さまざまな動きが生まれてくるようにしなければならない。
損害保険の歴史と世界の損害保険 日本の損害保険市場において仕事をしていると、 その制度が当然のものであって、 それと異なる状況があり得ると思わなくなるかもしれない。 しかし、 損害保険はとても柔軟な制度である。 そのことを教えてくれるのは、 歴史や世界のさまざまな損害保険の商品である。

 損害保険の歴史をひもとけば、 今日の損害保険は、 一四世紀の後半にイタリアの商業都市で生まれた海上保険から始まる。 ルネッサンス後期の自由な雰囲気のなかで、 さまざまな取引の試行錯誤のなかから、 危険負担の合理的制度として海上保険が誕生した。 それを生み出したのは、 自由な商人の創意工夫である。 その後、 一七世紀になると、 ロンドンで住宅の火災保険が生まれた。 残念ながら、 このビジネスは、 保険市場のプレーヤーから生まれたものではなかった。 医者兼建築家が保険の必要を感じて、 自ら新しい保険ビジネスを考案して実行し、 その成功をみていろいろな火災保険会社が設立された。 興味深いのは、 その時代の火災保険会社は、 公営の消防組織がない時代に、 消防隊を保有し、 火事が起こると事故現場に駆けつけて消火作業や家財の搬出を行っていたことである。 保険会社は、 お金を支払うということ以上の付加価値を社会に提供していたのである。

 世界を見回せば、 いろいろな損害保険がその国の社会文化に沿った形で存在することがわかる。 保険制度を宗教上の理由から禁止しているイスラム圏の国でも、 タカフルと称する相互扶助の保険制度が大きく発展しつつあるし、 途上国では、 マイクロ・インシュランスという小規模の保険制度が広まりつつある。 ドイツでは、 権利侵害が生じた場合に、 その賠償を実現するための権利保護保険という損害保険が司法制度における重要な制度として利用されている。 わが国では社会保険として運営している労災保険や健康保険などを民間の保険会社が提供している先進国もある。

 損害保険の可能性 歴史を振り返り、 また、 世界を見回すと、 損害保険がいろいろな形で重要な機能を担っていることがわかる。 損害保険は、 契約という法形式を利用することから抽象的で難しく、 また堅苦しいイメージがある。 しかし、 抽象的な制度であるがゆえに、 柔軟で、 いろいろな事象に応用できる。

 損害保険は多くの可能性を秘めた経済制度であるが、 そのことを一番理解してほしいのは、 実は、 損害保険の事業に実際に携わり、 これからの時代を築いていく方々である。 市場のなかから、 新しい損害保険の世界が切り開かれていってほしいと願っている。 損害保険の可能性を理解するためには、 基礎的な勉強が必要である。 歴史や契約理論を勉強することによって、 思考が自由になり、 応用力も生まれてくる。

 本書を執筆しながら、 このような気持ちが強くなった。 その思いをうまく表現できているかと問われれば自信はないが、 読者の方が損害保険に対する興味を少しでも持ち、 損害保険がいろいろな可能性を秘めた制度であることを理解していただければ、 このうえない喜びである。

(中出 哲:なかいで・さとし =
早稲田大学商学学術院准教授)

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