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2012年7月18日 (水)

著者より:『現代韓国を学ぶ』「書斎の窓」に掲載

281288小倉 紀蔵/編

『現代韓国を学ぶ』
有斐閣選書

2012年3月発行
→書籍情報はこちら

編者の小倉先生が,本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2012年7・8月号)にお寄せくださいましたエッセイを,以下に転載いたします。


人類史の一大実験場

 朝七時すぎの駅前の道。 学校に急ぐ子どもたちが背負うカバンには、 ミッキーマウスやセーラームーンの絵がプリントされてある。 子どもたちの制服はこざっぱりして清潔だ。 向こうを歩く女子中学生は高さ七、 八センチはあろうかというハイヒールを履いている。 歩きながら教科書を読んで勉強をしている子どもたちも多い。 勤務先に急ぐOLの服装も、 派手ではないがおしゃれだ。 スラックス姿が多い。 かつて女性はスカートしか穿けなかったのだが、 五、 六年前からスラックスも穿いてよいことになったそうだ。 ほとんどの人はヒールの高い靴を履いている。 みんなすらっとしており、 美しい人もちらほらといる。

 ここはソウルではない。 ソウルと尖鋭に敵対している都市、 平壌である。 「李明博ネズミ野郎!」 とか 「ネズミ明博!」 とか叫びながら少年たちが南朝鮮 (韓国) の大統領の人形に鉄杭を突き刺している国である。
 四月二八日から五月五日まで、 北朝鮮を訪ねた。 「文化・学術・市民交流を促進する日朝友好京都ネット」 の訪朝団に参加したのである。 参加者は関西の大学教員が多いが、 東京や九州などからも集まったし、 日朝友好の市民たちも参加した。 総勢は五八名であった。 研究者は考古学、 歴史学、 経済学、 国際関係学、 新聞・放送学、 思想・文化・社会というようにそれぞれの専門グループを結成し、 現地ではグループごとに別行動をした。 私は思想・文化・社会というグループを結成して参加した。
 グループごとにあらかじめ北朝鮮で見たいところ、 会いたい人などの希望を朝鮮総連を通して北朝鮮に提出し、 それをできるだけ実現させてくれるというのが、 今回こんなに参加者が多かった理由である。 残念ながらこちらからの要望の少なからぬ部分が実現されなかったが、 それでも大きな収穫があった。
 今回の旅でもっとも驚いたことは、 平壌市民と自由に対話ができたことだ。 これまでの旅行では考えられないことだという。 私が一五年前に訪朝したときも、 随行員がつねにつきまとっており、 自由行動は許されなかった。 しかし今回は、 ホテルからの散歩も自由であり、 道行く人びとに語りかけることもまったく制限されなかった。
 メーデーには平壌市民がお花見気分で公園や山に繰り出す。 われわれはとある大きな公園に行き、 そこで運動会や野遊会をたのしむ不特定多数の人びとと語り合った。 公園内にはおそらく一万を超える数の人がおり、 その中を単独で自由に歩き回ってこちらが話したい人に声をかけられるのだから、 決してアレンジされた対話ではない。 私は主に日本に関して問うた。 人びとの声はこうだった。 「朝鮮と日本の間には強占 (植民地支配を指す) の歴史があるので、 日本人によい感情は決して持てない。 しかしわれわれは日本政府を批判しているのであって、 日本人民には悪い感情はない」。 中国にもかつてあったこのような 「政府 (あるいは軍部) と民衆の分離」 論を唱える人が多かった。 「朝鮮と日本は隣国どうしだ。 どうしてよい関係をつくれないことがありましょうか。 よい関係をつくっていきましょう」。 会話が進んでいくと、 みんながみんな顔に笑みを浮かべてこういう。 最初は非常に強ばった表情で、 こちらを警戒し、 ものすごく怖い顔をしている。 しかし話をしていると、 だんだん表情がゆるんできて、 最後には満面の笑みとなる。 「一緒に写真とりましょう」 というと、 まわりの人びとも呼んできてきゃあきゃあ笑いながら 「一、 二、 三!」 となる。 人なつこいし、 話が通ずる。
 社会科学院の文学・哲学・経済学の教授とも、 真摯に話し合った。 あらかじめ対話の要望を出しておいたのだが、 研究所所長や学会会長レベルのトップが出てきて、 じっくりと話す時間をとってくれた。 そのうち社会科学院・主体文学研究所所長の高チョルフン教授とは、 一昨年中国の延辺大学での研究会で同席して以来の再会である。 私としては、 次のような点を集中的に質問した。 ①主体 (チュチェ) 思想は人民大衆のすみずみにまで浸透しているのか。 そうだとしたら、 それはどのように浸透しているのか。 ②社会的・政治的生命体論と首領福の関係はいかなるものか (首領福とは、 金日成の首領福、 金正日の将軍福、 金正恩の大将福を北朝鮮の人民は享受しているという思想)。 ③主体思想のスローガンに 「人民大衆の要求の通りに」 とあるが、 人民大衆の多様な要求とこの社会の画一性とはどのような関係にあるのか。 また 「自由」 という概念をどう捉えているのか。 ④金正恩同志が国のトップを継承したが、 これが今後も三代、 四代、 五代……と続いていくなら、 日本の天皇制とどこが違うのか。
 かなり答えにくい質問も含まれていたが、 実に丁寧かつ誠実に答えてくれた。 高飛車に主体思想の優秀性を主張するという感じは微塵もなく、 対等でアカデミックな語り口であった。 高教授は対話が終わった後に、 「これは歴史的瞬間です」 と語った。 北朝鮮の学者としても、 「チュチェ思想について教えを乞いに来ました」 という相手ではなく、 真摯に対等に対話ができる相手との出会いを待ち望んでいるのだと思う。
 議会などの高いレベルの人物と会ったときには、 次の三つの提議をした。 ①北朝鮮シンパの人士とばかり交流するのではなく、 北朝鮮に批判的な立場の日本人をどんどん招き入れて、 対話をすべきだ。 ②過去の清算に関しては新しい戦略を構築すべきだ。 日本の保守派が動かなければこの問題は絶対に動かない。 ③北朝鮮の文化をもっとどんどん日本に知らせるべきだ。
 これに対しては、 次のような答えが返ってきた。 ①これまでも日本の保守的な立場の人を迎え入れてきた。 しかし問題は日本側にある。 われわれは誰にでも門戸を開いており、 いつでも来てほしいと思っているのに、 日本側の事情で来ることができないのだ。 ②過去の清算がなければ国交正常化はありえないというのが朝鮮の原則であり、 これは絶対に変えられない。 ③われわれはヨーロッパなどと盛んに文化交流をしており、 世界からたくさんの人がわが国にやってきている。 しかしわれわれを知ってほしいとわざわざ低姿勢で相手に接近するということはない。 朝鮮を知ろうとする人にはいつでも開放している。
 言葉は強い調子なのだが、 私の感触では、 物事を実によくわかっている。 潮目が変わってきているというしるしなのかもしれない。 誇り高い言辞の端々に、 日本への強いメッセージが隠れている。 これは朝鮮語のニュアンスが正確にわからないと、 もしかしたら伝わってこないものなのかもしれない。 北朝鮮人士やメディアが発する、 表面上は強度の高い矜持の言葉を、 決して誤って解釈してはならない。 重要なのは、 隠された意味やニュアンスなのであり、 それをコンテクストの中で読み取る能力なのだ。

       ◆        ◆

 北朝鮮の話が長くなってしまったが、 私の関心は、 北朝鮮自体に対するものであると同時に、 韓国との比較という観点のものでもある。 なにしろ朝鮮半島は解放後、 人類史に残る一大実験をしているからだ。 朝鮮は数百年の中央集権の歴史を持ち、 またこれといった異民族が存在しない (とされる) 社会であったので、 伝統的にきわめて同質性の高い地域であった。 それが、 一九四八年に南北の分断国家が成立した後、 六十数年の間に、 ここまで両極端に分離してしまったのである。
 『現代韓国を学ぶ』 (小倉紀蔵編、 有斐閣、 三月刊) に書いた表現をもういちど使うなら、 次のようになる。 「一つの民族X (朝鮮民族) が二つの国家XA (韓国) とXB (北朝鮮) とに分かれ、 その一つの国家XAがまた二つの陣営XAa (保守) とXAb (左派) とに分かれている。 そしてXAbの中の一派は 「敵性国家」 XBとくっついている」。 このように複雑な分裂の様相を呈しているのが朝鮮半島なのである。
 XA (韓国) とXB (北朝鮮) は、 歴史観、 国家の正統性の解釈、 政治・経済・社会の構成がまるで正反対である。 同じなのは言語と民族だけだといってもよいほどだ。 体制や歴史観が違うから、 人びとの心性も大いに異なってしまっている。
 朝鮮半島は、 地図の上でもイデオロギーや心性の上でも、 ひき裂かれている。 一つの民族でありながら、 ソクラテスのいう、 「実は一つではなく、 少なくとも二つに分かれ、 一方は富める者の国、 他方は貧しい者の国としてお互いに敵対している」 (R・S・ブラック、 内山勝利訳 『プラトン入門』 岩波文庫、 一九九二) という状況なのだ。
 それだけではない。 実は、 韓国の国内もまた、 同じように分裂し、 敵対しているのである。 「富益富、 貧益貧」 という言葉がそれを象徴している。 富める者はますます富み、 貧しい者は這い上がれずに貧困に閉じこめられる。 グローバル経済の優等生として韓国輸出産業の華々しい活躍が世界中で驚異をもって語られている中、 国内では閉塞感が浸透している。 自殺率はすでに日本を超えた。 北朝鮮との緊張関係にも国民には疲労の色が見られる。
 今年一二月の大統領選挙で韓国人がどのような方向性を示すかが、 決定的に重要だといえよう。 李明博路線を継続してあくまで大企業中心の経済成長路線を突き進み、 北朝鮮とは対峙路線を堅持するのか、 あるいは盧武鉉政権の時代に戻って北朝鮮との宥和路線を前面に打ち出すのか。
 あらゆることは未知数だ。 いずれ朝鮮半島は統一するだろうが、 その道筋や行程も混沌としている。 今、 私たちがすべきなのは、 とにかく現在の時点で手に入れられるあらゆる情報を正確に解釈し、 右にも左にも、 北にも南にも、 富にも貧にも一方的に偏らない、 バランス感覚に富んだ認識の軸を構築することではないだろうか。 それなのに、 日本の朝鮮半島認識はいまだに 「偏ったもの」 が 「善なるもの」 だとされている。 もし大学の講義などでそのような 「偏った」 認識を植え込まれたら、 悲惨な結果になる。
 そのような考えを持って、 今回、 「韓国認識のど真ん中の直球」 というコンセプトで編集したのが、 『現代韓国を学ぶ』 という本なのである。 書き手のみなさんは、 既存の右や左の立場に安易に同化せずに、 独自のバランス感覚で韓国を認識してきた人たちである。 つくづく思うのは、 韓国あるいは朝鮮半島認識において最も大切なのは 「バランス」 であるのに、 実際それがいかに難しいかという事実である。
小倉紀蔵(おぐら・きぞう,京都大学総合人間学部教授)

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