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2012年6月 8日 (金)

著者より:『核燃料サイクル施設の社会学』「書斎の窓」に掲載

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舩橋 晴俊 (法政大学教授)
長谷川 公一 (東北大学教授)
飯島 伸子 (元東京都立大学教授)/著

『核燃料サイクル施設の社会学――青森県六ヶ所村』
有斐閣選書

2012年3月刊
書籍情報はこちら

pen著者の舩橋先生が,本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2012年6月号)にお寄せくださいましたエッセイを,以下に転載いたします。

福島原発震災の教訓

 本年三月、長年の共同研究を結実させる形で、『核燃料サイクル施設の社会学――青森県六ヶ所村』を、有斐閣選書の一つとして、長谷川公一氏、飯島伸子氏の共著として公刊することができた(舩橋他、二〇一二)。本書は、何年も前から準備されていたものだが、東日本大震災の衝撃が、本書の公刊準備を加速させた。この機会に、核燃料サイクルを柱として推進されてきた日本の原子力政策のあり方の問題点と、福島原発震災の教訓について検討してみたい。

(1) 人災としての原子力震災
 東日本大震災、なかでも、福島原発震災は、日本のみならず、全世界に衝撃を与えた。一九九〇年以降、継続的に青森県の核燃料サイクル施設の建設過程を調査してきた社会学者として、まず感じたことは、いつか青森県でも起こるかもしれないと恐れていた大規模な原子力災害が、青森県ではなく他ならぬ福島県で起こってしまったということであった。かねてより、私は核燃サイクル施設に根本的な疑問と批判を抱いていたにもかかわらず、原子力推進の担い手に対して、十分に問題点を指摘してこなかったのではないかという反省の思いもよぎった。
 すでに、多くの人が指摘しているように、福島原発震災は、地震発生以前の不適切な意志決定の積み重ねと、地震発生後の不適切な対処が累積する中で発生し、被害が拡大したものであり、その意味で、「人災」という性格を有する。端的に言えば、技術的多重防護の破綻の背景には、社会的多重防護の破綻があるのである。それゆえ、福島震災の被害の実情と原因解明に掘り下げた取り組みをする中から、エネルギー政策全般、とりわけ、原子力政策についての根本的見直しが必要である。

(2) 「逆連動型」技術としての原子力の根本的難点
 そのためには、原子力技術にどういう根本的難点があるのかを検討しておかなければならない。原子力技術の問題点を社会学の視点から批判的に解明するためには、組織や社会システムが有する「経営システムと支配システムの両義性」という性格への注目が不可欠である。組織や社会システムを、経営システムとして把握するということは、それらの制御システムが、自己の存続のために達成し続けることが必要な経営課題群を、有限の資源を使って充足するにあたり、どのような構成原理や作動原理にもとづいているのかという視点から、それらにかかわる諸現象を捉えることである。他方、それらを支配システムとして把握するということは、それらが、意志決定権の分配と正負の財の分配について、どのような不平等な構造を有しているのか、これらの点に関してどのような構成原理や作動原理を持っているのかという視点から、それらにかかわる諸現象を捉えることである。
 経営システムと支配システムとは、どのような社会や組織を取り上げてみても、見いだすことのできる二つの契機なのであり、特定のある対象が経営システムであり、他の対象が支配システムであるというような実体的な区分ではない(舩橋、二〇一〇:第二章)。
 このような視点から見れば、原子力技術は「逆連動型技術」である。逆連動型技術とは、受益を高めようとすればするほど、それに連動して受苦や格差が増大するような技術のことである。反対に、正連動型技術とは、受益を高めようとする努力が、同時に、受苦の減少や格差の縮小をもたらすような技術である。より理論的に厳密に表現するならば、逆連動型技術とは、経営システムにおける経営問題をより高度な達成水準において、解決しようと努力するほど、支配システムにおける被格差・被排除・被支配問題を悪化させ、先鋭化させるような技術である。これに対して、正連動型技術とは、経営システムにおける経営問題をより高度な達成水準において解決するほど、被格差・被排除・被支配問題の改善あるいは解決を促進するような技術である。
 原発は、被曝労働を含む定常的汚染、放射性廃棄物、事故による汚染の危険性という三つの側面において、逆連動型技術であり、しかも、これらの負の効果が、いくら費用を投入しても原理的に解消不能であるという点で、絶対的な逆連動型技術であり、「持続可能性」(sustainability)とは、正面から対立するものである。付言すれば、原発の生み出す核分裂エネルギーの三分の二は、温排水となって地球を暖めているのであり、原発はそれ自体、温暖化を促進する効果を有する。

(3) 「環境負荷の外部転嫁」と「二重基準の連鎖構造」
 このような逆連動型技術は、それを社会の中で推進しようとすれば、構造的緊張を引き起こし、人々の抵抗を呼び起こす。にもかかわらず、原発が社会的に推進されてきたのは、「環境負荷の外部転嫁」の生み出す「二重基準の連鎖構造」というメカニズムが存在したからである。一般に、「環境負荷の外部転嫁」とは、一定の主体や社会が生み出す環境負荷が、当該の主体や社会以外の他の主体や社会に押しつけられ負担が転嫁されることを言う。環境負荷の外部転嫁には、空間的な外部転嫁と、時間的な外部転嫁とがあり、それぞれ受益圏と受苦圏の分立を生みだす。
 原子力利用に伴う環境負荷を、日本社会は「環境負荷の外部転嫁」という方法で処理してきたが、その帰結として「二重基準の連鎖構造」が生み出されてきた。ここで、「二重基準」の採用とは、原子力の利用に関する安全性/危険性についての社会的規範の適用において、自らに課す基準よりも不利な基準を他の主体に課すような態度を言う。そのような態度が、複数の主体の間で、多段階にわたって採用されていることが、「二重基準の連鎖構造」である。すなわち、東京などの大都市圏は受益圏として、膨大に電力を使用しつつ、原発操業に伴う危険性を自ら負担することはせず、福島県や新潟県にそれを押しつけるという形で、二重基準を採用してきた。福島県や新潟県は、原発立地に伴う経済的・財政的メリットを享受しつつ、放射性廃棄物は青森県に排出するという形で、青森県との関係においては、二重基準を採用してきた。さらに、青森県は、高レベル放射性廃棄物の暫定的貯蔵によって、経済的・財政的メリットを獲得しつつ、最終処分地になることは拒絶し、どこか他の地域に高レベル放射性廃棄物を排出することを要求しており、未定の最終処分地との関係では、二重基準を採用している。このような各地域の二重基準の採用を促進しているのが、電源三法交付金などの原子力マネーにより、原子力施設の立地に伴う経済的・財政的メリットを増幅する仕組みである。
 原発の建設と利用という利害関心を共有しているあるゆる分野の諸主体の総体を「原子力複合体」と呼ぶことにすれば、原子力複合体が日本社会の中に存在することが可能になっているのは、このような二重基準の連鎖構造の存在によるのである。個々の地域社会は、原子力複合体との間に、受益と受苦をめぐる取引をしている。問題なのは、そのような取引を通して、危険性に対する警戒が薄れてしまい、安全性の追求が妥協的なものに堕してしまうことである。もし、電源三法交付金などの形で、立地に伴う経済的・財政的メリットを拡大する制度的仕組みがないのであれば、各地域での立地の可否の判断に際して、安全性/危険性をめぐる議論はもっと真剣になったであろうし、安全性の追求については非妥協的に手厚い対策を実現することが必要になったであろう。

(4) 福島原発震災は、歴史的転換点になるのか
 福島原発震災は一九八六年のチェルノブイリ事故と並んで、世界史的意義を有するできごとである。それは、日本国内での事故という意味にとどまらず、全世界に対して、エネルギー政策や経済成長政策や現代技術のあり方の見直しを迫るものである。
 チェルノブイリ事故は、その時点で史上最悪の事故であった。しかし、福島震災の生起は、チェルノブイリ事故の教訓を、人類社会が(とりわけ日本社会が)十分に学ばず、失敗を繰り返したことを意味している。その一つの根拠は、チェルノブイリ事故の被害の実相を小さく見せようという努力が、さまざまな主体によってなされ、原発の「安全神話」の流布を促進したことである。全世界はこの苦い経験の教訓を学ぶ必要がある。
 福島原発震災を生み出した日本社会は、その被害状況と教訓を全世界に発信しなければならないし、各国の政府と民衆は、福島原発震災の実情を深く知るべきである。ベトナムなどの開発途上国への原発の輸出は、高レベル廃棄物や大事故の危険性という解決できない難問を、途上国に輸出することになるのである。それは、福島震災の教訓から何も学ぼうとしない愚行である。
 アメリカのオークリッジ国立研究所は、原子力発電所の安全確保のためのあらゆる努力にもかかわらず、四〇〇〇炉年に一回の割合で大きな事故が起こりうることを、事故の実績データに基づいた帰納的研究によって、一九八三年に発表している(高木、二〇一一:七四―七六)。この研究の予測は、その後のチェルノブイリ事故と福島事故の経験に照らすと、的中していると言うべきである。安全確保のための最も堅実な道は脱原発である。さもないと、レベル7の事故が、更に世界のどこかで、三度繰り返されることになるであろう。

〈文 献〉
高木仁三郎、二〇一一、『チェルノブイリ原発事故(新装版)』七つ森書館
舩橋晴俊、二〇一〇、『組織の存立構造論と両義性論――社会学理論の重層的探究』東信堂
舩橋晴俊・長谷川公一・飯島伸子、二〇一二、『核燃料サイクル施設の社会学――青森県六ヶ所村』有斐閣

舩橋晴俊(ふなばし・はるとし,法政大学社会学部教授)

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