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2012年6月 1日 (金)

著者より:『開発生産性のディレンマ』「書斎の窓」に掲載

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生稲 史彦 (筑波大学准教授)/著

『開発生産性のディレンマ
 ――デジタル化時代のイノベーション・パターン』

2012年2月発行
→書籍情報はこちら

pen著者の生稲先生が,本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2012年6月号)にお寄せくださいましたエッセイを,以下に転載いたします。

デジタル化時代の本と知識――『開発生産性のディレンマ』刊行に寄せて

温故知新の小著
 経営学はしばしば、後追いの学問だと言われます。すでに成功した企業や製品、サービスを取り上げて、記述と分析を行う、実証の傾向が強いからでしょう。それでも、優れた実証研究は、同時代の企業の後を追いながら、それと真摯に向き合うことで本質に迫り、普遍的な知見を得てきました。いわゆる古典と言われる研究成果です。

 小著の元となった学位論文は、いろいろな試行錯誤を経て、イノベーション研究の古典である、故 William J. Abernathy 教授の一九七八年の著作に辿り着きました。同書は、自動車産業におけるイノベーションとその背後のメカニズムを解明し、多くの研究者に大きな影響を与えた研究成果です。小生も、学位論文を書き始めるときに読み返して、多くの示唆を感じ取り、自らの研究に一体感を持たせるための手掛かりを得ました。その意味で、小著は温故知新の研究書です。
 ただし、経営学の実証研究は後追いで、同時代の企業の姿と向き合うことを求められますから、他の分野と同じく、あるいはそれ以上に時代の制約を受けています。Abernathy 教授が研究をなさった時代には、自動車産業に代表される製造業が圧倒的に大きな存在でした。そのため、少なくとも表面的には、その時代限りの観察事実などが散見される部分もあります。
 それでも、もし Abernathy 教授がご存命であったならば、その眼差しが現代の企業へと向けられ、新たな装いをまとって研究成果が発表されただろう、と考えました。それは、製造業の比率が低くなり、それを支えてきた知識が前面に出てくる時代。さらに、知識に基づいて、さまざまな形や方法でデジタルな情報が発信され、広く行き渡る時代。小著で「デジタル化時代」と呼んだ現代の状況の中で、イノベーションとその背後のメカニズムはいかようになっていくのだろうか。こうした思考を巡らすことは、「Abernathy 教授なら見えたはずのこと」に、できる限り近づこうとする試みでした。むろん、それが成功したとはあまり思えません。それでも、Abernathy 教授の著作が示唆しているであろうことを、ゲームソフト産業という素材を使って描き出す機会を得たことは、研究者としての幸運だったと思います。

執筆する中で深まったこと
 小著を執筆する過程で考え、感じたことは、「知識は荷物になる」可能性があるということです。Abernathy 教授の時代には、「荷物」になるのは、製造工程などの物的な財でした。しかし、そうした物的な財がもたらす制約が緩和されたときに、われわれが直面する荷物は、自らの中に蓄えた知識であり、それがもたらす認識の偏りではないかと考えるようになったのです。その意味で、Abernathy 教授が見いだした本質とは、物的な財に託された知識だったと解釈しています。
 デジタル化時代には、様々な形態、方法、経路で情報が広く行き渡ります。そして、われわれの中に知識、もしくは知識らしきものを植え付けていきます。
 他方、誤解を恐れずに言えば、企業は強力に知識を蓄える、記憶するための仕組みであるともいえます。企業に人が所属する期間は限られていますが、その人々が生み出した情報もしくは知識を、企業は内部に抱え込んでいきます。逆に言えば、そうした「記憶力」がない企業は、企業としての存続が難しいでしょう。トヨタしかり、Sony しかり、Apple しかり。どの企業も、その企業らしさは、過去にそこで働いた人々が仕事を「上手くやる」ために編み出した、情報や知識の集積だともいえます。したがって、企業に所属することによって、人はその企業が蓄えてきた知識を活用することができます。しかしそれと共に、それに囚われるようになります。
 そうした企業の姿の後追いをする、われわれ経営学の研究者は、「いかに知識を生み出すか」「いかに情報を効率的に処理し、蓄積するか」という問題意識で、実証研究に取り組んできた傾向が強いように思います。これが、小著で「蓄積のパラダイム」と呼んだ経営学の現状です。でも、これは、既に強固な建物に、ことさら補強工事を施すことになるのではないか、と考えるようになりました。
 むろん、知識を生み出せない、蓄積できない企業は、その企業らしさを持てませんから、存続は難しいでしょう。しかし、企業らしさを重んじることが一定の水準を越えて、そこに所属する人々を縛るようになってしまえば、それもまた問題なのではないでしょうか。この意味において、これからの企業には、どの知識を蓄え、どの知識を棄却するかの、「知識に関する感覚の繊細さ」が必要なのだと思います。そうした繊細さを有する企業が、企業として魅力的であろうし、社会に貢献できるのではないか、という見通しを持っています。
 これは小著の執筆過程で得たアイディアに過ぎません。でも、そこをスタートにして、「知識が価値を生む時代に企業は社会に何をもたらすのか」を、今後の研究で深めていきたいと思います。ただし、こういう姿勢こそが、本当に新しい知識を学び、生み出すために妨げとなる可能性があることが、小著のメッセージでもあります。したがって、自己矛盾しているわけですが。

本を書くということ
 たったこれだけのことを伝えるために、できる限り多くのデータを集め、それを踏まえて思考し、たくさんの言葉を使って説明しました。まさに、書くことを通じて、学んだのです。良い本を書くことが、もちろん、著者としての一番の役割ですが、本を書き上げる時間も小生にとって貴重でした。
 こうした本でしかできないことは、デジタル化時代だからこそ、大事だと思います。拙いながらも本を著して実感したことの一つは、本を書く過程でしか得られない、本でしか伝えられない知識や知恵があるという、とても当たり前のことです。
 デジタル化時代に、本が物理的にどのようになっていくのかは、やはり、後追いで事実と向き合っていくことしかできないと思います。それでも、デジタル化時代の知識について、自分なりの定見は得たわけですから、そういう目で、本のこれからを批判的に見ていきたいとは思っています。自らが書いていく本や論文が、本数を増やすために、内容が空虚になっていないか、ということに厳しくありたいと思います。そうした本が増えてしまえば、本以外から手に入る情報や、知識らしきものとの差別化ができなくなり、行き詰まってしまうのではないか、と危惧しているからです。それが、創り手や書き手にとっても、消費者にとっても、あまり望ましくないことを、意図せずしてゲームソフト産業は示してくれました。

本でしか伝えられないこと
 本、中でも学術書を取り巻く状況は、デジタル化の時代に大きく変わろうとしています。とくに、インターネットに代表される情報を伝える手段が多様化していることで、本に触れる機会や時間は減っているように見受けられます。他方で、blog やミニブログの twitter、mixi や facebook などに代表される SNS(Social Network Service)などを通じて、誰でも情報を発信できるようになり、それらを読む人々も増え続けています。小生も、趣味と実益(研究)を兼ねて、これらのツールを使っていますが、速報性などの点で、やはり便利です。
 その便利さと共に感じるのは、これも当たり前のことかもしれませんが、文字数と伝えられる意味内容の深さはおおよそ比例する、ということです。もちろん、箴言のように短い文字数の中に、深い知恵が凝縮されている場合もあります。しかし、インターネットなどでそのような情報に触れることは、本当にまれです。むしろ、小生も含めて少なくない人が、手軽に情報を手に入れ、知識を得たような心持ちになっているように思います。
 もちろん、将来において、インターネットなどの「情報の海」が、豊かな知識や知恵を生み出す源になる可能性は否定できないと思います。しかしながら、少なくとも現状では、細切れの情報と断片的な知識が溢れているように見受けられます。そして、自分もそれで満足していることに、気づくときがあります。だからこそ、これからは、本でしか伝えられないような、深みと広がりをもつ知識や知恵の大事さ、面白さを伝えていきたいと思っています。

デジタル化時代に向けて
 このような課題はあるものの、デジタル化時代は、やはり「恵まれた」時代でもあると思います。諸兄と同じく、小生が大学、大学院にいた頃には、本や論文を探し、手に入れることに時間と手間が掛かりました。現在は、多くの文献や資料がデジタル化されて、手軽に手に入るので、時間と手間が省けます。そのようにして、「余った」時間と手間を有意義に使えば、研究を含めた知的な営みはもっと活性化すると思います。その意味で、武石彰先生が引用されたように「楽しみはこれから(Wait a minute! Wait a minute! You aint heard nothinyet...)」なのだと思います。
 新しい技術が、新しい楽しみを増やしてくれることもまた、ゲームソフト産業は示してくれました。学問の世界も、新しい技術を「良いこと」に使えば、技術はきっと、新しい知的な楽しみを創り出すための道具になってくれると思います。過去の知見を大事にしながら、それに囚われすぎることなく、柔軟に思考し、真摯に現実と向き合う姿勢があれば、「美しく、楽しく、自由な」社会にしていくための知見や、提言を生み出すことが可能になると思います。
 いまの社会はいろいろな課題を抱えているように見受けられます。そういう困難な時だからこそ、経営学を含む社会科学は必要とされるし、課題を克服した企業や社会の姿を描くべきだと思うのです。微力ですが、その端に連なって、つぎの著作に値する研究を進めていきたいと思います。

〈参考文献〉
Abernathy, W. J.(1978). The Productivity Dilemma: Roadblock to innovation in the automobile industry. Baltimore, Maryland : Johns Hopkins University Press.
米倉誠一郎、武石彰、生稲史彦(2005).「特集にあたって」『一橋 ビジネスレビュー』一橋大学イノベーション研究センター、五三巻三号四~五頁

生稲史彦(いくいね・ふみひこ,筑波大学システム情報系准教授)

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