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2012年6月 1日 (金)

著者より:『現代政治学 第4版』「書斎の窓」に掲載

1245541加茂 利男 (立命館大学公共政策大学院公務研究科教授)
大西 仁 (東北大学大学院法学研究科教授)
石田 徹 (龍谷大学政策学部教授)
伊藤 恭彦 (名古屋市立大学大学院人間文化研究科教授)/著

『現代政治学 第4版』
有斐閣アルマBasic

2012年03月下旬刊行

→書籍情報はこちら

pen著者の加茂先生が,本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2012年6月号)にお寄せくださいましたエッセイを,以下に転載いたします。

政治学教育とテキストブック――『現代政治学』(有斐閣アルマ)余話

保守的大学教育観
 筆者は元来大学での教育や講義のあり方については、旧式で保守的な考え方を持っていた。自分が学生時代(昭和三○~四○年代)に受けた政治学の授業の感覚が染みついていたのかもしれないが、要するに教員が自らの研究の成果を学生に口述で伝え、学生が耳で聞いた話を頭で咀嚼・整理して記録する作業を通して学問的な知識・思考力を培うのが、大学における教育の基本的なかたちだと考えていたのである。したがって五○歳をすぎてもなお、いわゆる「フリー・ノート」方式の講義を続け、教科書のような教育情報媒体を用いようとはしなかったのである。

 もちろん、こうした方法で講義を何年か積み重ねると、ただ話し伝えるだけではなく、伝える情報を客観化された媒体に載せておくほうが、情報の確かさや安定性が生じることがわかってくるから、そうした教育媒体としてテキストブックをつくろうかという考えがおのずと生まれる。とくに多数の学生に対して講義するばあい、伝えた情報をできるだけ確実に共有してもらうため、テキストを作ろうとするのは、当然な成り行きだと思った。しかし、筆者のばあいは小規模大学で、受講生もそれほど多くなかったこともあり、かつ毎年講義ノートを少しずつアレンジし更新しながら話してゆくほうが、講義に柔軟性を持たせることができるように思えて、あえて教科書を書く気がおこらなかったのである。
 もっと言えば、教科書のような出来上がった情報媒体を手っ取り早く提供することは、基本的な学問的思考力の形成にとってマイナスだとさえ思っていた面もある。
 しかし、やがて情報化や大学の大衆化が進むにつれて、こうした教授法は次第に通用しなくなった。「近頃の学生はノートがとれない」という声を、教員仲間からよく聞くようになったのは、一九七〇年代の終わりごろからだったろうか。講義を耳で聞いただけでは、内容を的確に理解して、頭のなかで整理し、再構成することができない学生の比率が目に見えて増えた。そういう事態に対応して、わかりやすくつくられた情報媒体としてのテキストとかビデオやパワーポイントなどの補助教材が開発されるようになる。講義内容をよりわかりやすくする工夫であり、教育における情報媒体の多様化だと考えれば、これは大学の大衆化や教育の情報化の結果であり、否定されることではないとも考えたが、半面教壇からみる学生のノートの記述量が目に見えて減り、論述式試験における答案がどんどん短かくなってゆくのをみるにつけて、大学教育に質的な劣化がおこっているのではないか、という危惧を禁じ得なかったのである。難しい専門書が売れなくなり、マンガ、コミック、ビデオ、CD、DVDが売れる。大学内の書籍売り場で売れるのは、もっぱらテキストブック……。抗うことのできない大学カルチャーの変化が起こりつつあるように感じられたものだ。

テキストブックの時代
 一九八〇年代あたりから、学術書をつくっていた出版社の多くが、教科書の出版に力を入れるようになった。有斐閣は、もともと法律学分野の教科書の出版で大きな実績を残していたが、政治学、経済学、社会学などの分野でもいくつかの教科書シリーズを出し、一九九〇年代あたりからは政治学テキストを含む、「アルマシリーズ」を企画した。そのうちの一冊として、私に従来のいわゆる「政治学概論」にあたる政治学基礎科目の教科書を考えてくれないかという依頼が寄せられたのは、九〇年代半ばのころだった。少なくとも自分が中心になって政治学のテキストをつくるということに対しては、心理的抵抗感がまだ残っていたが、もはや「フリー・ノート方式がいちばん力がつくんだ」という考え方は通用しそうもなくなっていた。毎年最初の講義時間に、「なぜテキストをつかわないか」という話をするのだが、学年末に授業への感想を書いてもらうと、「テキストを使って講義するほうが、理解の共有度が高くなるのではないか」とか「先生の流儀は、伝統的な教授法についていけない学生を切り捨てているのではないか」といった意見が増えてきた。このころになると、文部省も、学生の理解を進める多様な教授方法の開発を奨励する政策を打ち出し始めていた。もはや私の保守的大学教育観を単純に継続することは難しくなっていたのである。
 というわけで、これまでの考え方を完全に切り替えたわけではないが、私なりにテキストブックづくりにも取り組んでみようという気になり、親しい研究者たちと相談した。その結果生まれたのが、アルマシリーズ、Basic グループの一冊、『現代政治学』(一九九八年初版一刷発行)であった。
 爾来一四年、三度版を改め、二〇回近く増刷を重ね、アルマシリーズの中では、比較的よく売れたテキストになった。

『現代政治学』の考え方
 『現代政治学』の四人の執筆者(大西仁、石田徹、伊藤恭彦氏と私)でこの本のイメージを話し合ったことが何度かある。その都度の議論は覚えていないが、要するに全体として、①わかりやすいだけでなく、読者を面白がらせ引き込むような本を目指す ②グローバル時代の政治学テキストとして、一国政治と国際・世界政治の双方を含み、しかも両者を切り離すのではなく、つないで論じる構成をとる ③概論ではあるが、政治学の先端的な成果をできる限り取り入れる ④科学としての政治学と政治哲学の双方を盛り込んだテキストにする、などであったと思う。
 書店の発行記録によると、一四年にわたり毎年四〇〇〇~五〇〇〇部ずつ教科書採用されてきたことになる。これは望外の部数で、採用していただいた教員、読んでくれた学生諸君に感謝するほかないが、ではこのテキストを出したことで私の政治学の教授法がどう変わったか、変わらなかったか、教授法を改善したことになるのかどうか。時に考えてみるが、答えはだんだんわからなくなってくる。
 私がかつてとっていた「フリー・ノート」方式が、聞き手に「聞いて理解・整理する」という基本的な能力を訓練させる作用を持っていたことは間違いないと思う。講義するほうも、話し言葉で伝えるので、講義に変化や即興性を与えることができる。テキストを使って講義すると、聞き手の「聞き、理解する」集中力はどうしても低下するし、教員もテキストに依存し制約されるので、話し言葉で理解させる力は低下し、「聞いて面白い」講義にはなりにくい。政治というのは、さまざまなアクターや権力があやなす世界であるから、言葉の柔軟さやダイナミズム、レトリックの面白さが政治を語るのに向いている面があり、そういう性質がテキストを使うことである程度失われる。
 しかし、半面テキストを使った講義に利点があることも、だんだんと感じられるようになった。話し言葉による講義では、どうしても聞き手の主観に入り込んで、「理解」してもらうことが重要になるので、知識や論理の伝達手段という点では、あいまいさや不確実さが付きまとう。これに対して、テキストという媒体に載せて客観化してしまうと、それが事実として論理として妥当性を持つかどうかがテストされ、ごまかしがきかない。いいかえれば、話し言葉による講義は、知らず知らず、聞き手の主観に働きかけて説得力を発揮しようとする傾向を持つが、テキストにしてしまうと、そういうバイアスは透けて見えてしまい、主観的な「理解」への依存は抑制されるのである。政治学で、「理解」的方法を完全に排除することはできないが、「理解」について回る主観性を意識し、抑制しようとする思考もはたらきやすい。
 このようにテキストブックという媒体に載せて客観化することで、政治学の教育情報に明証性が増す面も間違いなくあると思われる。
 以上は『現代政治学』の著者たちの共通認識というより、あくまで私の考え方であるに過ぎない。だが、いずれにしても政治学教育には、話し言葉の柔軟性や説得力と、媒体によって客観化された情報の確かさとが結びついていなければならないと改めて思う。

「テキスト革命」と政治学の革新
 いまや政治学はテキストブック繚乱の時代である。学期はじめともなれば、多くの政治学テキストが、書店に平積みになっている。最近私は、このようなテキストブックの噴出が、政治学の学問的な発展を促している面もあるのではないか、という気がしている。
 専門書や学術論文は、もちろん研究者の力の見せ所だが、テキストブックの世界でも政治学の概念枠組みや個別の概念・理論を革新する工夫が行われ、新しい理論や概念の開発が、テキストづくりをとおして進んでいるように見えるのである。例えば、同じアルマシリーズの建林正彦・曽我謙悟・待鳥聡史『比較政治制度論』などを読んだとき、教科書として斬新であるだけでなく、政治学の方法や概念枠組みとしても、これまでの政治学を一歩突き抜けた本だと感じた。テキストブックの次元でも政治学の革新が進んでいるとすれば、そういうテキストで勉強する学生は、決して出来合いの知識を後追いで学んでいるのではない。「テキスト革命」が政治学の発展を引っ張り後押しする時代が来ているのかもしれない。われわれの『現代政治学』も、このたび第四版を上梓したが、これが「テキスト革命」の流れに合流できるものであればよいと思う。

加茂利男(かも・としお,立命館大学公共政策大学院公務研究科教授)

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