著者より:『マーケティング・リフレーミング』「書斎の窓」に掲載
栗木 契 (神戸大学准教授)
水越 康介 (首都大学東京准教授)
吉田 満梨 (立命館大学准教授)/編
『マーケティング・リフレーミング
――視点が変わると価値が生まれる』
2012年3月発行
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著者の栗木先生が,本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2012年6月号)にお寄せくださいましたエッセイを,以下に転載いたします。
◇マーケティング・リフレーミング◇
なぜ儲かるかが、わからない
経験豊富なビジネスのプロが、「なぜ、あの事業が儲かるか、わからない」と言うのを聞くことがある。たしかに、中には粉飾まがいのあやしい事業もあるのだが、それが全てではない。目をこらせば、世の中には、プロのロジックを超え出てしまう、新しい着眼点による事業が次々と生まれている。
驚くことはない。プロの分析力や洞察力といっても、所詮は人間が考えることであり、限界のあるロジックなのだ。そして、人間には創造性があり、こうした限界に、プロセスの中で気づき、新たなロジックへと乗り越えていくことができる。そして、新たなロジックに出会う創造に関わることは、プロセスへの参加意欲を高め、さらなる創造を引き出す。ここに創造の面白さがあると思う。
この思いは、自分自身の経験を振り返ると、さらに深まる。今回、『マーケティング・リフレーミング』の編集と執筆に参加し、楽しかったのも、調査を進める中で、そして原稿を整理する中で、「目から鱗が落ちる」体験を度々したこと――つまり自分の考えを新たにする経験を何度も味わえたことである。
実は、私にとってのこのリフレクションのプロセスは、まだ続いている。書籍を世の中に出せば、小さいながらも反響がある。そして、いただいたコメントやメッセージを踏まえて再考してみることで、さらに新たな発見を得ることができる。以下では、その中で気づいたこと――つまり本書には書き尽くせなかったこと――を皆さんと共有させていただきたいと考えている。
立地を乗り越える
冒頭で述べたように、世の中には、「なぜ、儲かるかがわからない」と言いたくなる事業が次々と出現している。考えてみると、本書には、このタイプの事業の事例を収録していたことになる。もちろんこれら事業も、今となってみれば、誰もが知る成功ストーリーである。しかし重要だと思うのは、従前にも、それらの事業性が確実視されていたわけではなかったということである
ではなぜ、成功は予測しがたかったのだろうか。第一に、「立地」の問題がある。一般的な傾向でいえば、事業というのは、どこに立地するかによってその収益性を左右される。
立地の問題には、大きくは二つのサブカテゴリーがある。まずは、「どの場所」に立地するかという問題である。これが小売店舗の基本問題であることは、たとえば、人通りがまばらな地方の商店街で大量集客を実現することの難しさ、を考えていただくとわかりやすいだろう。
本書の事例でいえば、グリーンファームがこのタイプの逆風に挑んでいる。同社の会長の小林氏へのインタビューの中に、次のようなエピソードが出てくる。大手量販店の支店長クラスの研究会で、興味深い成功事例としてグリーンファームの分析が行われたそうだ。しかし、「なぜ事業が成り立つのか分からない」との結論になってしまった。
もちろん 小林氏も、経験に富んだプロの目からは「事業性に乏しい」とされる場所での開業であることは、百も承知だった。しかし小林氏は、常識的な店舗運営のマニュアルを鵜呑みにせず、「そもそも店舗とは、顧客にどのような価値を提供する場なのか」という理念や哲学から経営を見直すことで、グリーンファームの事業を軌道に乗せていった。
次に、立地の問題としては、どの「産業」に立地するかという問題がある。世の中には、自動車産業、家電産業、食品産業、ホテル産業、コンサルティング産業といったさまざまな産業がある。どの産業に属しているかによって、事業の収益性が大きく異なるというのは、広く見られる現象であり、産業組織論の古典的な命題である。たとえば現在だと、売上高営業利益率という指標で国内の高収益企業のランキングを作成すると、ネット系通信サービス業に属する企業が上位にズラッと並ぶ。
本書の事例でいえば、京都の花街、はとバス、そしてロックフィールドがこのタイプの逆風に挑んでいる。斜陽傾向にあったり、事業性が低いと見られていたりする産業においても、事業の収益性を保ちながら成長を果たしていくことは不可能ではない。これらの企業や地域は、問題と思われがちな制度やプログラムを性急に切り捨てるのではなく、逆にその組み合わせや組み立てを見直すことで、新たな価値を引き出していた。
生活シーンにおける着地点
成功の予測を阻む第二の要因は、いわゆる「スイートスポット」(買い手の購買意欲を引き出す急所)が見えていないという問題である。成功をおさめた事業を事後的に見れば、スイートスポットの所在は明らかである。しかし、それが常に事前に明らかであるわけではない。この問題を企業や地域のマーケティングは乗り越えなければならない。
たとえば、多くの人たちが関心を寄せる社会問題であっても、個人の購買行動には結びつかないことが少なくない。地球温暖化や、飲酒によるトラブルなどといった問題は、その典型ともいえる問題だった。画期的な新技術の開発に成功したとしても、そのことを直接的に訴えるだけではスイートスポットにはならない、ということが繰り返されてきた。
本書の事例でいえば、キリンフリーとアタックNeo(花王)がこのタイプの逆風に挑んでいる。これらの企業は、新製品が社会問題に貢献することを直接的に訴えるだけではなく、新しいマーケティング・リサーチの手法なども取り入れながら、自らの顧客とていねいに対話を重ねることで、新製品の特性に対して顧客がどのようなシーンでどのような利点を見いだすかをとらえていた。
さらに世の中には、使い道を見いだしにくいために、眠っている技術や素材も多くある。このような問題を乗り越えるためにも、企業や地域は、生活シーンにおける着地点を見いだすことが必要である。
本書の事例でいえば、マルちゃん鍋用ラーメン(東洋水産)や生活の木がこのタイプの逆風に挑んでいる。マルちゃん鍋用ラーメンに使われている半なま乾燥麺、あるいは生活の木のハーブやアロマテラピーは、今でこそ広く人気を集めている。しかし、これらの企業もまた、どのような生活シーンで、どのように用いれば、あるいは社会の中でどのように流通させれば、顧客にこれらの製品の価値を実感してもらえるかについて、事前に把握していたわけではなかった。マーケティングの担当者や経営者が試行錯誤を通じて、生活シーンの中での新しい用途や、社会の中での産業の新しい生態系を見いだしていったことが、両社の予測されなかった成功につながっている。
創造性の逆説に向かい合う
以上のように、本書の八つの事例研究は、マーケティングの新しい現実がつくり出されるプロセスでは、当事者たちの視点の切り替えが生じていたことを示している。このような視点の切り替えの重要性は、これまでにもマーケティングの理論や実践において、「ポジショニング」や「リポジショニング」といった概念のもとで強調されていた。しかし、本書の執筆にあたってわれわれは、新たな概念を導入する必要を感じ、セラピーで用いられていた「リフレーミング」という概念に注目した。なぜなら、「ポジショニング」や「リポジショニング」は、「何」をなすべきかについては的確な提示を行っているのだが、「どのように」なすべきかに踏み込むものではなかったからである。
われわれが、この「どのように、視点の切り替えを導くか」という問いが、マーケティングの実践上の重要課題であることに思い至るまでには、それが一筋縄ではいかない問題だということに気づくことが必要だった。その要点は、「創造性の逆説」だということができる。創造性の逆説とは、高尾隆と中原淳の言葉を借りれば、「創造的になろうとすると、創造的になれない」というパラドクスである。これは裏返すと、「逆に創造的になろうと思わず楽しくやっていると、いつの間にか創造的になっているということが起こる」ということでもある(『インプロする組織』三省堂、一〇〇頁)。
つまり、マーケティングにおいて視点の切り替えを導く際には、「創造的になろう」「リポジショニングをしよう」と、力むのではなく、逆に力を抜くことが必要なのである。はぐらかされたような気がするかもしれないが、この逆説的な態度は、創造のプロセスにおいては合理的である。なぜなら、視点の切り替えにあたっては、プロセスにおいて生じる「意識していなかった出会い」を受け止めることができる、柔軟な心の姿勢が不可欠だからである。リフレーミングとは、このことを強調する概念である。
リフレーミングのプロセスにおいて、視点は、「変える」のではなく、「変わる」のである。したがって、リフレーミングにあたっては、問題を最短経路で効率的に解決しようとするのではなく、五感にはたらきかける、ゆったりとしたコミュニーションや、安心できる場づくりに取り組むことで、まずは力を抜いてアプローチする心の姿勢を整えていくことが重視される。あるいは、自らの問題や制約だと思われることを性急に切り捨てない度量が求められる。
物理現象には、「急がば回れ」ということはないのかもしれない。しかし、マーケティングは人の営みである。この心の逆説を見落としているから、人や組織は行き詰まったときに、「急がば(悪循環が)回る」事態を抜け出せなくなってしまうのではないだろうか。
=栗木契(くりき・けい,神戸大学大学院経営学研究科准教授)
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