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2012年5月31日 (木)

著者より:『現代イラクのイスラーム主義運動』 「書斎の窓」に掲載

049956山尾 大 (九州大学専任講師)/著

『現代イラクのイスラーム主義運動
 ――革命運動から政権党への軌跡』

2011年12月発行

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著者の山尾先生が,本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2012年5月号)にお寄せくださいましたエッセイを,以下に転載いたします。

◇大きな政治変動に刺激されて
 --『現代イラクのイスラーム主義運動』刊行によせて◇

政治変動について
 大きな変化は、人々の興味を引く。政治の世界ではとりわけそうである。

 二〇一一年には、チュニジアやエジプトにおける政治変動をきっかけに、中東諸国でいわゆる「アラブの春」が発生し、我々は大きな政治変動を目の当たりにした。リビアにおいても、NATO軍の介入によって長期間続いたカッザーフィー体制が崩壊し、シリアでもアサド政権に対する反体制運動とそれへの弾圧が続いている。大きな政治変動は、その後にもたらされるであろう改革への期待を引き起こす。変化が大きければ大きいほど、期待も大きくなる。

 私もまた、大きな政治変動に刺激された一人であった。イラク政治に強い興味を抱くようになったのも、二〇〇三年に発生した米軍のイラク侵攻(以下、イラク戦争)によって、三〇年以上も続いたサッダーム・フセイン率いる権威主義体制が崩壊し、新たに民主主義体制が形成されるという大きな政治変動が生じたからである。

 大きな政治変動が生じると、その前後で何がどのように変化したかが問題になる。そこで私は、「変化が生じる前」の状況をまず明らかにしてみようと考えた。

 イラク戦争以前のサッダーム・フセイン政権については、情報が厳しく統制されていたにもかかわらず、質・量ともに豊富な研究蓄積がある。これらの研究によって、イラク戦争以前のフセイン体制の支配メカニズムについては、それなりに明らかになっていた。

 ところが、これまで全く分かっていないことがあった。それは、イラク戦争後に凱旋帰国し、政権に就いたイスラーム主義勢力についてであった。戦後イラクで突如として政権党となったイスラーム主義勢力が、どのような歴史をたどってきたのかという問題は、戦後イラクの政治社会を理解するうえで、決定的に重要になる。にもかかわらず、そのイスラーム主義勢力については、我が国のみならず世界的に見ても、ほとんど研究蓄積がなく、よく分かっていない。これらの勢力は、二〇〇三年以前にどこでどのような活動を展開し、何を考えてきたのだろうか。

 私が上梓した 『現代イラクのイスラーム主義運動――革命運動から政権党への軌跡』は、こうした素朴ともいえる問題意識に基づいて進められた研究の成果である。

イラクのイスラーム主義運動
 イスラーム主義運動は、イラク社会の近代化と世俗化に抗する改革運動として一九五〇年代の後半に誕生し、やがて弾圧を受けて革命運動へと変化していった。そして、バアス党権威主義体制の苛烈な弾圧によって国外への亡命を余儀なくされた。ちょうどフセイン政権が成立した翌年の、一九八〇年のことであった。

 亡命活動を開始したイラクのイスラーム主義運動は、今度はホスト国との関係で大きな問題に直面した。亡命初期のホスト国は、一九七九年にイスラーム革命を成就させた隣国イランであった。亡命直後の一九八一年には、イラン・イラク戦争が始まった。イランに亡命したイラクのイスラーム主義勢力は、フセイン政権に対抗し、ホスト国イラン側に立って祖国に参戦した。この過程で、それまで一つにまとまっていたイスラーム主義運動が分裂した。分裂した勢力を再統合したのは、イランであった。アンブレラ組織を結成することでイラクのイスラーム主義運動を再統合したイランは、その後、この組織を通してイスラーム主義運動に介入を強めた。こうしたホスト国の介入に反発して、一部の勢力がイラン国外へと再亡命した。この勢力は、イランへの反感から祖国イラクの組織であることを強調するようになった。こうして一九八〇年代には、ホスト国イランとの関係をめぐって、イラクのイスラーム主義運動が大きく分裂したのである。

 ホスト国との関係が問題になったのが一九八〇年代だったとすれば、彼らの活動が国際化したのが一九九〇年代であった。米国や英国を中心とする国際社会が、イスラーム主義運動の活動に介入するようになったことがその背景にあった。一九九一年の湾岸戦争後、フセイン体制後の受け皿を作るために、米国はイラク反体制派にテコ入れを行い、彼らの活動領域が欧米まで広がったからである。こうした状況の中で、一九八〇年代にイランから再亡命した勢力が、イラク・ナショナリズムを掲げ、愛国心を強化していったのである。

 このように、イスラーム主義運動は、亡命と分裂の歴史を歩んできた。戦後イラクにおける内部対立や政治的混乱の背景には、以上のようなイスラーム主義運動が経験した対立の歴史、苦闘が反映されている。

 イスラーム主義運動が苦闘の歴史を歩んだのと同様に、私の研究活動も苦難の連続であった。なかでも、まとまった資料がないことが最大の問題だった。というのも、彼らの亡命下の活動は近隣諸国に加えて欧州にもわたっており、各地で機関誌などを地下出版していたために、資料が世界中のあちこちに拡散しているからである。むろん、数十年前に地下出版され、文書館にも集積されていない一次資料を集積するのはかなりの困難がともなう。

 そこで私は、一九八〇年に亡命活動の中心地であったイランのテヘランや宗教界があるコム、一九九〇年代に活動を展開したシリア、レバノン、ヨルダン、そして英国で、亡命反体制活動のメンバーと接触し、彼らから集められる限りの資料を収集した。活動家や現在のイラク国会議員へのインタヴューも行った。そして、各地で収集した一次資料に基づいて、歴史的変容過程を再構築した。本書の強みの一つは、こうした膨大な一次資料や聴き取り調査に基づいている点であろう。

 拙著では、以上のようなイスラーム主義運動の歴史を、ナショナリズムとの関係から読み解いた。イスラーム国家の建設を目指すはずのイスラーム主義運動が、次第にイデオロギーとしてのナショナリズムを色濃くしていった理由を解明したかったからである。

 ナショナリズムを作り上げるという問題は、フセイン政権でも重要な課題であった。イラクのみならず、ポストコロニアルな状況の中で国家建設を進める途上国において、ナショナリズムをどのように作り上げるかは共通した政治課題だろう。私が着目したのは、こうした国家とナショナリズムの形成に、フセイン政権のみならず、反体制活動を展開してきたイスラーム主義運動も関与しており、そのことが戦後イラクの国家建設にも大きな影響を与えているという点であった。

 また、イスラーム主義運動の活動が、既存の国家領域を超え、国際的に展開したことから、トランスナショナルな社会運動の物語としても読むことができるかもしれない。事実、イラクのイスラーム主義運動は、形成当初から、国境を越えた地下活動を展開していた共産党に、組織形態や動員、戦略などの点で大きな影響を受けてきたのだから。

体制転換とその後の国家建設という問題
 ともあれ、半世紀にも及ぶ反体制運動の後に、選挙を経て政権党に躍進したのは、世界でもイラクのイスラーム主義運動が初めての例である。ところが、周知のとおり、戦後イラクでは治安の悪化と政治的不安定が続いている。政権内部の対立も激しい。

 むろん、中央と地方を合わせて五回の選挙が行われ、制度的には民主主義体制が成立した。民主主義こそが「街で唯一のゲーム」であるという認識も共有され始めている。だが、二〇〇六年から二〇〇七年には内戦が発生し、その後一定の秩序は回復されたものの、依然として治安は悪いままである。

 戦後イラクで政権運営を行うイスラーム主義政党の連合は、大きな政治変動と内戦を経験した後に、新たな国家建設をいかに進めようとしているのだろうか。拙著で扱った反体制活動期の様々な対立や分裂は、彼らの国家建設にいかなる影響を与えているのだろうか。私は現在、以上のような問題意識に基づいて、「変化が生じた後」の状況、つまり戦後イラクの国家建設について研究を進めている。

 政治学や国際関係論などの学問においては、近年、紛争と国家建設支援をめぐる研究が大きな注目を集めている。国家建設支援の議論では、これまで民主化支援や国家の制度構築の支援をめぐる問題に力点が置かれてきた。紛争を解決し、平和で民主的な国家をいかに再建するのかという問題については、多数の議論が展開されてきたと言えるだろう。「人道的介入」や「保護する責任」、「移行期正義」などの概念は、その典型である。これらは、紛争下にある国家や人権侵害が蔓延している権威主義体制下の国家を再建するために、国際社会はどのような政策や支援を行い得るか、という議論が重ねられる過程で導き出された概念に他ならない。

 だが、戦後イラクの実情を眺めてみると、こうした既存研究の分析視角は必ずしも政治のダイナミクスを的確に把握できる枠組みではないように思われる。というのも、戦後イラクでは、米国を中心とする国際社会が民主化支援のために行った制度構築を、イラクの国内アクターが、自らの利害に合わせてしたたかに利用するという現象が散見されるからである。

 国際社会による支援を、イラクの国内アクターがしたたかに利用するという事例は、憲法制定、議会制度や選挙制度の構築、国軍や警察機構の再建、国民形成とそれにかかわる教育制度の再建、経済政策など、ほとんどすべての場面で見ることができる。これこそが、イラク政治を理解するために最も重要な切り口である。

 そして、こうした国内アクターのしたたかな活動が最も顕著にみられるのは、拙著で扱ったイスラーム主義政党に他ならない。外部アクターの支援を自派の利益のために利用するという彼らの政策は、疑いなく反体制活動中に獲得した戦略である。ここにこそ、歴史的な対立や分裂の影響が見られ、これを明らかにすることによって、戦後イラク政治のダイナミクスを浮き彫りにできると考えられる。

 こうした問題意識に基づいて、国家建設における内部アクターと外部の支援アクターの複雑な関係性を多面的に描くことが、目下の課題である。

 大きな政治変動は多くの人々の注目を集める。人々はそこに大きな変化の期待を込めるからである。だが、非常に残念なことに、イラクで政権を握ったイスラーム主義政党は、大きな変化にともなう期待には、今のところ応えることができていない。重要なのは変化そのものではない。政治変動の後に何が行われるかである。期待に応えられないとき、またひとつ新たな変化が求められるのかもしれない。

山尾 大=やまお・だい
九州大学大学院比較社会文化研究院専任講師)

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