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2012年4月13日 (金)

著者より:『タイトヨタの経営史』 「書斎の窓」に掲載

163812川邉信雄/著
『タイトヨタの経営史
 ――海外子会社の自立と途上国産業の自立』

2011年11月発行
→書籍情報はこちら

pen著者の川邉信雄先生が,本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2012年3月号)にお寄せくださいましたエッセイを,以下に転載いたします。

◇チェンジという視点からの現代経営史
  ――『タイトヨタの経営史』刊行によせて

新たな職場へ

昨年(2011年)3月に21年間勤務した早稲田大学商学学術院を退職し,翌4月から文京学院大学・文京学院短期大学に学長として奉職することになった。

大学の教員には,研究に熱心で学会で活躍し,学術書や論文を沢山書くタイプ,あまり研究業績はないが,自分ではよく本などを読んで勉強し教育に情熱を傾けるタイプ,学内の行政に強い関心を持つタイプ,そしてマスコミなど対外的に活躍するタイプの4類型があるとよくいわれている。私の場合は,このどの類型においても力の発揮できない,いわば「ただの教員」であった。そのため,他大学から誘いがあるとは夢にも思っていなかった。早稲田大学の退職までにはまだ少し期間があったが,乞われるうちが華と思い,学長就任の提案を受け入れることにした。

一昨年(2010年)2月から6月にかけて,早稲田大学から交流のあるベニス国際大学で「アジアのビジネスシステム」と「日米比較経営史」の2コースを教えに行っていた。帰国してから移籍の話が急速に進み,20年ぶりに履歴書を書くことになった。1990年4月に,広島大学総合科学部から母校の早稲田大学商学部に移っているため,その時にも履歴書を書いている。当時は,まだ若手の教員であり,そこそこの研究成果を上げていた。

ところが,早稲田大学での21年間はあっという間に過ぎ去っていた。今回,履歴書を書く段になって,研究成果を出版という形でまとめることをあまりに怠ってきたことに気づき,驚いてしまった。そのため,退職までの限られた時間ではあるが,ぜひとも懸案のいくつかの出版を実現してしまおうと決心した。いくつかの課題を立てたが,とりわけ,何か記念になるような業績をまとめておこうと思いたったのが,『タイトヨタの経営史  海外子会社の自立と途上国産業の自立』(有斐閣,2011年)であった。

グローバル経営における新たな課題

1986年から87年にかけて,私の大学院時代の指導教員であった鳥羽欽一郎先生の後任として,当時日本の経験を学ぼうとしていたマレーシアのマラヤ大学で国際交流基金のプログラムで,1年間教えた。ちょうど1985年のプラザ合意による円高で,東南アジアに日系企業が大挙して進出するようになった時期であった。そのため,それ以後,東南アジアへ進出した日系企業の調査研究を行うことが増え,マレーシアのみならず,タイにも何回か調査にでかけていた。

とりわけ,1990年代後半から2000年代前半にかけて,チュラロンコン大学商学会計学部・大学院のBBAやMBAのコースで,夏休みを利用して5年間,毎年2ヵ月~4ヵ月間の集中講義の形で教鞭をとる機会を得た。タイに滞在中,暇を見つけては日系の現地法人の工場を見学させてもらったり,企業の方々からお話を伺ったりすることができた。

それら日本企業のなかでも,タイトヨタ(TMT)は今年(2012年)創立50周年を迎えるほどの歴史をもっている。その上,2004年からは,同社はトヨタ自動車の日本国内に親工場をもたない国際戦略車(IMV)の生産の世界的なセンターとなった。

かつて,多国籍企業論や国際経営論の分野では,企業はなぜ,どのようにして海外に進出をするのかが,重要なテーマであった。そのため,参入形態や親会社の優位性をどのように現地法人に移転するのかが中心的な研究テーマであった。ところが,現地法人子会社も50年の歴史を有するようになると,親会社を凌ぐものがあらわれたり,独自の革新を行い,それが親会社や他の現地法人に移転されたりするようになった。そのため,近年,現地子会社がどのようにして自らの資源を蓄積して自立し,独自の革新や持続的成長をとげるのかが,研究上重要なテーマとして指摘され始めた。しかしながら,このような指摘がなされているにも関わらず,長期にわたってひとつの現地法人を対象にして,こうした問題に取り組んだ研究は意外と少ない。現地子会社の自立という観点からみると,タイトヨタは研究対象としては最適と思われた。

企業の海外活動への関心

また,自らの研究者人生を振り返ると,タイトヨタの研究も偶然のことではないような気がした。1976年から80年にかけてフルブライト奨学生として米国オハイオ州立大学に留学した。その時,真珠湾攻撃の直後アメリカ政府が当時米国に進出していた日系企業の史料を接収し,それが手つかずのままワシントンDC郊外のNational Record Centerに保管されているのが分かった。

1977年にオハイオ州立大学で開催されたアメリカの経営史学会の折に,著名な経営史家であるアルフレッド・D. チャンドラー,Jr. 教授とミラ・ウイルキンス教授に,この資料を使って博士論文を書くように説得された。その結果,この接収史料のなかから,ほぼ完全な状態で残っていた三菱商事のサンフランシスコ・シアトル両支店のものを使って「第二次大戦前の米国における日系企業の経営活動」というテーマで博士論文を作成したのである。

後日わかったことは,私の指導教員であったK. オースティン・カー教授が,「アメリカにまできて日系企業のことを研究するのは嫌だ」と言っていた私を説得するように,チャンドラーおよびウィルキンス両教授に頼んだということであった。

当時は,戦前の日系企業がアメリカだけではなく,海外でどのような経営活動をおこなっていたのかはほとんど研究されていなかった。その後,この接収史料を使った研究が次第に刊行されるようになり,経営史学会などでもたびたび特別なセッションやパネルが設定されている。その都度,私の研究がこの史料を使った最初の研究であることに言及していただいている。これこそ研究者冥利につきるというものであろうか。

この博士論文をベースにして,『総合商社の研究』(実教出版,1982年)が出版された。一昨年(2010年)の夏ごろ,東京外国語大学で戦前の日米関係を研究されている内海孝先生が,この本の復刻の話を持ってこられた。1980年代にすでにこんな研究があったとは知らなかったと言われ,学生たちに読ませようとしたら,古本屋でも入手困難だという。復刻版は,多くの場合著者が亡くなってから刊行される場合が多いが,お役にたてるならと引き受けることにした。予定より大分おくれたが,2012年の初めには刊行されているはずである。

変化としての歴史と議論の枠組み

しかし,『タイトヨタの経営史』の場合は,事情は大きく異なる。前著『セブンイレブンの経営史』(有斐閣,初版1994年,新版2003年)と同じく,いわゆる一次史料は使用していない。しかも,研究の大半は現在まさに展開されている経営戦略に関わるものである。そのため,使用した史料は公刊されたものと当事者への聞き取り調査である。歴史の分野では,一次史料によらない研究は研究としての価値を認めないという傾向がつよい。しかしながら,こうしたアプローチを踏襲する場合には,どうしても研究対象時期がかなり古くなってしまう。

1990年代の初めに,東京大学の故中川敬一郎教授が学士院を通してチャンドラー先生を日本に招へいされた。その時,私に京都旅行などを含めて一週間ほどお世話をするように言われた。せっかくの機会と思い,チャンドラー先生に「先生は歴史をどのように考えておられますか」と尋ねた。彼の答えはひとことchangeであった。

変化ということを考えると,現在はまさに大きな変化の時代であるといえる。18世紀後半にイギリスで生じた第一次産業革命,19世紀後半にアメリカで生じた第二次産業革命に匹敵する第三次産業革命が生じつつある。

問題は,こうした変化をどのような史料をつかって,どのような枠組みで議論するかであった。確かに,企業経営のグローバル化とIT化は,第二次産業革命から第三次の産業革命への変容の大きな要因である。しかし,この枠組みでは子会社の自立はなかなか説明がつかない。悩んでいるうちに,タイトヨタの自立とタイの自動車産業の集積が同時に進行していることに気付いた。そこで,産業集積論や産業クラスター論の枠組みを援用することにした。そこから,自動車産業のハブとしてのタイトヨタの企業自体の成長のみならず,政府,販売店や部品メーカー,さらには教育機関などとの間のダイナミックな関係の変化を見る必要性に気付いた。

幸い,私の学部時代のゼミの指導教員であった二神恭一先生の著書『産業クラスターの経営学  メゾ・レベルの経営学の挑戦』(中央経済社,2008年)が,産業クラスターの形成の分析におけるマクロとミクロを統合する形でのメゾ・レベルの経営学を提案されていたので,この枠組みを利用させてもらうことにした。

「現代経営史」の確立を目指して

一方,史料のほうは伝統的な歴史研究で使用されるような一次史料は使うことができない。そのため,社史,佐藤一朗氏や今井宏氏といったタイトヨタの経営者や,自動車産業研究の泰斗である下川浩一教授など研究者の学術書や論文,さらには『日本経済新聞』や『日経ビジネス』などの新聞や雑誌の記事,そして当事者への聞き取り調査を利用した。公刊されたものを丹念に集めていけば,かなりの事実を明らかにできる確信をもつことができた。

こうして,『タイトヨタの経営史』は,歴史的に現代の企業経営における変化を,経営学の新たな分析枠組みのなかで分析することができた。そのため,この研究成果は,多国籍企業論や国際経営論などの研究分野に対しても何らかの影響を与えることができる,いわば「現代経営史」としての研究方法を,打ち出すことができたのではないかと思っている。

考えてみると,チャンドラー教授の名著『経営戦略と組織』も,1920年代に始まり1950年代に一般的になった単一製品戦略と職能部門組織から,多角化戦略と事業部制組織への移行を研究テーマとし,アニュアルレポートなどの公刊史料を使って,1960年代の初めに刊行されたものである。そう考えると,経営史家ももう少し変化という視点から,現代的な経営の問題に取り組んでもいいのではないだろうか。

=川邉信雄(かわべ・のぶお,文京学院大学・文京学院短期大学学長;早稲田大学名誉教授)

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