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2012年4月16日 (月)

著者より:『平和構築・入門』 「書斎の窓」に掲載

049949藤原帰一・大芝亮・山田哲也/編
『平和構築・入門』
2011年12月発行
→書籍情報はこちら

pen編者の藤原帰一先生が,本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2012年4月号)にお寄せくださいましたエッセイを,以下に転載いたします。

◇新しい戦争と平和構築

現代世界における戦争の変化

大芝亮・山田哲也氏とともに,『平和構築・入門』と題する書を編集した。平和構築に関する入門書を提供することが目的だ。では,なぜ平和構築について学ぶ必要があるのだろうか。その背景には,現代世界における戦争の変化がある。

平和の条件を探ることが国際政治学の大きな課題だったことはいうまでもない。そして,冷戦時代の半世紀あまり,国際政治の研究のなかで憂慮される戦争とは,何よりも軍事大国の間で発生する大規模な戦争のことを指していた。第一次世界大戦や第二次世界大戦のような世界戦争がふたたび起こることを避けることは可能なのか,これが平和の条件を考える上で最大の課題として考えられていたのである。米ソ両国が膨大な核兵器を蓄積して向かい合う状況が続いていたのだから,そのなかで第三次世界大戦の予防が優先して考察されてきたのも当然だったといえるだろう。

すでに米ソ冷戦が終わって20年以上が経過した。では,現在の国際関係で憂慮される戦争とは何だろうか。確かに,軍事大国が今なお存在することは否めない。だが,その軍事大国の間で戦争が起こりそうだという懸念はあまり持たれていないといっていいだろう。プーチン政権が誕生してからロシアとアメリカの間にいくつもの緊張が生まれ,経済ばかりでなく軍事的にも世界大国として台頭した中国とアメリカについて見ても対立は存在するが,そのような緊張や対立が戦争へとエスカレートするのではないかという予測は少ない。世界戦争の可能性は遠のいたといっていい。

だが,世界戦争への憂慮が遠のいたからといって,戦争が終わったわけではない。冷戦終結から20年,湾岸戦争,ユーゴ戦争,コンゴ戦争,アフガニスタン戦争,イラク戦争と,数多くの戦争が発生した。そのどれをとっても世界戦争のような規模は持たないが,戦争の起こった地域で数多くの人々が殺され,さらに多くの人々の生活基盤が奪われる事態であったことは否定できない。さらに,これらの戦争には,世界戦争と異なるいくつかの特徴があったことが注目される。

まず,戦争の主体が違う。第一次大戦,第二次大戦,さらに冷戦がいずれも軍事大国を主体にした紛争であったとすれば,これらの戦争の担い手はいずれも軍事大国とはほど遠い。.イラクのフセイン政権のように,かつてイランを侵略し,国内ではクルド人を虐殺するなど,武力を用いる意志だけを見ればいかにも好戦的な国家は確かに存在する。だが,そのフセイン政権の場合でも両大戦のドイツや冷戦期のソ連のような兵器や兵力を持っていたわけではない。湾岸戦争やアフガニスタン戦争のように戦争当事者が軍事大国を含む場合であっても,その大国が戦う相手は兵力のはるかに劣る小国に限られている。

国家の間の戦争であるとも限らない。冷戦後に発生した武力紛争の多くは国家間の戦争よりも内戦であった。それが国際紛争という形をとる場合であっても,ユーゴ戦争やコンゴ戦争のように,新たに独立を宣言した主体が紛争当事者となるような,内戦から国際紛争に展開した事例を多く見ることができる。さらに,国家が主体であるとさえ限らない。同時多発テロ事件のような暴力行為に戦争という言葉を用いるのが適切であるかどうかには疑問があるが,「対テロ戦争」という用語法一つを見ても,私人や私的団体の駆使することのできる暴力が戦争と選ぶところのない規模にまで拡大しているのである。

新しい戦争の特質

このような新世代の戦争が伝統的戦争とどう異なるのか,二点だけ指摘しておきたい。第一に,戦争の原因と形態が,伝統的な国際紛争と異なっている。三十年戦争以後の近代国際政治における戦争とは,領土や資源などのような世俗的利益の拡大を目的として展開されていた。だが,ユーゴ戦争に典型的に見られるように,冷戦後の国際紛争の原因には民族や宗教のような争点が大きな役割を占めている。このようなアイデンティティに関わる争点を基軸として展開する戦争のことを,メアリー・カルドーは「新しい戦争」と呼んだ。

争点の違いだけではない。争うものが世俗的利益とアイデンティティとでは,戦争の戦い方,形態も異なるからだ。利益の争奪では相手の存在そのものを否定する戦争に至る必然性はないが,アイデンティティが争点となるときには相手がいる限り自分たちの生存があり得ないというように戦闘がエスカレートする危険がより高い。さらに,負けそうだから戦争をしないとか,反撃が怖いから戦争をしないなどといった戦争への抑止が働きにくい。自爆を覚悟したテロリストに向かって報復を予告しても意味はないのである。

第二に,統治の不在が戦争を引き起こす可能性がある。ヨーロッパ世界における国家形成を背景になり立ったこともあって,伝統的国際政治において,国家がその領土と国民を支配する力を持つことはごく自明の前提であった。だが,現在の戦争においては,たとえばコンゴ,ソマリア,スーダン,イエメンなどに見られるように,国家権力が実効的支配を失い,その権力の真空のなかに急進武装勢力が活動領域を広げるというパターンを見ることができる。これが現在,破綻国家などと呼ばれる現象にほかならない。

破綻国家が生まれた場合,政府だけを相手にして外交交渉を進めたところで,現実の武力紛争を防止することは期待できない。それどころか,政府に強い圧力をかけたためにその政府の実効的支配がさらに弱まり,国内の武装勢力の活動が激化する可能性さえ存在する。同時多発テロ事件以後,アメリカはパキスタン政府との連携を試みたが,アメリカとの連携を重視すれば重視するほど,パキスタンのムシャラフ政権は国内における統治能力を失ってゆき,国内における急進イスラム勢力の活動が拡大していった。破綻国家を前にするとき,伝統的外交による問題解決の余地は少ない。

このようなアイデンティティを巡る対立や破綻国家といった現象は,先進工業国において発生することは少ない。もちろんイギリスにおける北アイルランド・スコットランド問題,あるいはカナダにおけるケベック問題に見られるように,民族・地域・宗教と結びついた社会的な対立は先進工業国において発生することもあるが,国家の持つ制度と武力が相対的に大きいために,局地的な暴力やテロの懸念は残るとしても,国家的規模に及ぶ紛争にまで拡大することは難しいというべきだろう。だが,紛争が発展途上国や小国に限定されるからといって,その脅威を過小評価することはできない。北朝鮮・パキスタン・イラン・シリアに及ぶミサイル技術と核技術の移転のネットワーク,あるいはスーダン,アフガニスタンからインドネシアやフィリピンにまでおよぶアルカイダ系テロ組織の国際ネットワークは,世界の周辺における好戦的国家や武装組織が国際的な連携を強めている現状を示している。そのような変化が同時多発テロ事件やイラン核開発を招いていると考えるならば,小国の出来事だからといってこれらの紛争を放置してよいわけではないことがわかるだろう。

平和構築とは

では,どうするか。新世代の戦争と新世代の脅威を前にするとき,世界戦争の時代に準備された国際政治の理解だけではどうしても限界がある。実利を求める相手と異なり,軍事力による報復を訴えることで相手の行動を抑止することが難しい。国家の統治が衰えているため,国家以外のさまざまな主体を相手にして行動をとらざるを得ない。いったいそんなことができるだろうか。

平和構築とは,紛争に引き裂かれた社会において,和平を作り,支え,戦争の再発を恐れる必要のない状況を作り出すことが目的である。冷戦時代に行われた伝統的な平和維持活動では,多くの場合は紛争の末期において,紛争当事者の合意の下に,基本的には中立的な活動として,兵力引きはなしを始めとした平和維持活動が行われた。だが,いま求められているのはそのような狭義における平和維持ではない。国際・国内紛争がいったん終結しても,再発する危険が極めて大きな社会において平和を作り出すためには,兵力引き離し等よりもはるかに大規模な活動が必要となるからだ。

平和維持とか平和構築などといえば,武力による紛争解決ではないか,軍事介入の別名ではないかといった懸念も起こるだろう。確かに好戦的な国家や急進武装勢力を相手にすることが多いだけに,軍事力の配置や使用を避けることはできない。だが,だからといって平和構築を軍事力だけで実現することは不可能である。武力の供与や武力行使の機会を押さえ込むことは必要であるが,さらに必要なのはそこに住む人々が信頼することのできる政府の構築であり,紛争の背後にある貧困の低減だからだ。そこでは軍事的安全保障と,人道的支援と,開発協力のすべてが連携したうえで,長期間にわたって,粘り強い活動を続けることが必要となる。平和構築を軍事介入と同義にとることは,その課題を過小評価するものに過ぎない。

軍隊で脅したからといって屈服はしない。信頼できる,しかも安定した政府が現地にできるまでは問題解決が見込めない。外部から政府をつくることなど可能なのかという根本問題もあるだろう。こんなに難しい課題に取り組みたくないというのが人情だが,紛争地域における平和構築を実現しなければ,結果としては先進工業国に生きる人々の安全も奪われることを覚悟しなければならない。

だが,平和構築の専門家の養成は立ち後れている。大国間の戦争について訓練を受けた兵士や,通常の借款供与を専門とする開発協力の専門家が,そのような訓練とはかけ離れた課題に取り組まざるを得ないのが平和構築の現場の実情である。その状況を少しでも変える一助として『平和構築・入門』が役立つことを願っている。

藤原帰一(ふじわら・きいち,東京大学大学院法学政治学研究科教授)

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