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2012年4月23日 (月)

書評:『冷戦』 「書斎の窓」に掲載

178069佐々木卓也/著
『冷戦――アメリカの民主主義的生活様式を守る戦い』
2011年11月発行
→書籍情報はこちら

book『書斎の窓』(2012年4月号)に掲載された書評を,以下でもお読みいただけます。(評者は,村田晃嗣〔むらた・こうじ〕=同志社大学法学部教授)

昨年末に,アメリカ政治外交論という学部の授業で,湾岸戦争やソ連の崩壊に論及した。その後,受講生に感想文を提出させたところ,ある学生のコメントに「今日話のあった1991年は私の生まれた年でもあり」という記述があった。

当たり前のことではあるが,今の大学生にとって,ソ連は歴史上の存在でしかない。アメリカがそのソ連と熾烈に競い合った冷戦も,同様である。冷戦史を講じることは,自分たちがその空気を体感した事象について,それを知らない世代に伝えるという,実にむずかしくデリケートな作業である。教える側と学ぶ側との想像力の差を,そこでは絶えず意識しなければならないからである。

わが国における冷戦史研究の嚆矢といえば,やはり永井陽之助教授による『冷戦の起源――戦後アジアの国際環境』(中央公論社,1978年)であろう。「戦後日本が『冷戦の起源』という表題の,一冊の本格的な冷戦史研究書を持たなかったということほど,われわれ日本人にとって戦後とは何であったかということを象徴するものはないのである」と,永井教授は同書の「はじめに」で喝破している。

やがて,ソ連が崩壊し冷戦が終焉すると,冷戦時代の史料公開が進んだ。日本からも海外への留学や史料調査が格段に容易になり,多くの若い世代の研究者が個別の冷戦史研究で成果を挙げるようになった。私事にわたって恐縮ではあるが,評者も処女作『大統領の挫折――カーター政権の在韓米軍撤退政策』(有斐閣,1998年)の「はじめに」で,先の永井教授の言葉を引用して,「戦後日本が在韓米軍に関する本格的な研究書を有しなかったことも,われわれ日本人にとっての戦後を,なにほどか物語るものであろう」とうそぶいたものである。

さらに,冷戦の終焉から20年を経て,ついにわれわれは日本人研究者の手による本格的な冷戦史の概説書を獲得するに至った。佐々木卓也『冷戦――アメリカの民主主義的生活様式を守る戦い』(有斐閣,2011年)である。本書は,著者自身によるケナンやアイゼンハワーの実証研究を含めて,これまでの内外の冷戦研究の蓄積を見事に結晶させた著書である。「本書の執筆にあたって,最新の公開史料をとくに渉猟することはしなかった」,「本書ではむしろ,優れた二次文献の活用に努めた」と誠実な著者は「あとがき」で述べているが,それにしてすでに相当の知的作業であり,冷戦史についての深い洞察と広い視野なしにはできるものではない。

かつて,冷戦の最中に,ルイス・ハレーは古典的名著『歴史としての冷戦』を著した。冷戦史の世界的権威ジョン・ギャディスもこの書物に多くを学び,冷戦の終焉後に自ら『歴史としての冷戦』を刊行した。佐々木教授はギャディスの薫陶を受けており,いわば本書はハレーとギャディスの名著への日本からの応答と言えよう。

本書の冒頭でまず,著者は冷戦の特異性を三点に要約している。第一に,冷戦は米ソの権力政治と生活様式をめぐる二重の闘争であった。前者については,先のハレーをはじめとして,リアリスト(現実主義者)の視点からしばしば指摘されるところである。しかし,本書の副題にあるように,著者は後者に関しても十分な注意を払っている。第二に,冷戦は主要当事国間での軍事紛争に発展することなく終焉した。そして第三に,それはヨーロッパのみならず世界的な争いであった。

このように,本書では冒頭から,冷戦の争点とプロセス,規模について,簡潔な視座が提供されている。これなら,初学者も冷戦という歴史の森で迷子になることはない。また,すでに冷戦史や外交史に通じた読者も,この歴史の森を眺望することができる。さすがは,優れた概説書である。

さらに,本書は三つの特徴を有している。第一に,冷戦をアメリカ外交史の文脈に位置づけている点である。アメリカが冷戦の一方の主要当事国であり,「冷戦の勝者」と目される以上,これは最も正統なアプローチである。より多角的な国際関係史として冷戦を捉える作業も,まずはこうした基本線を押さえた上でのことであろう。しかも,著者は細谷千博教授や有賀貞教授の系譜に連なる,わが国におけるアメリカ外交史研究の第一人者である。

第二に,本書ではアメリカ国内の外交論が分析されている。外交論争は実際の政策にも多大な影響を及ぼしたし,これを分析することはアメリカの自己イメージや対外認識を探る手がかりともなる。第三に,本書は冷戦とアメリカの内政の相互作用にも焦点を当てている。国際関係論の理論的視点が,そこには黙示的に取り込まれている。こうして,本書は優れた概説書であるにとどまらず,本格的な冷戦史研究への先導役をも果たしている。

さて,本書の構成も明確である。

まず,前述のように,序章で「冷戦とは何か」が論じられ,第1章「アメリカの外交的伝統」では孤立主義と国際主義の交錯から説き起こされ,第二次世界大戦下での米ソ関係が描かれている。

続く第2章「冷戦の始まり」と第3章「冷戦の変容とデタント外交」の前半は,研究の層が厚く,著者自身も専門とするところであり,本書の中でも最も重量感がある。実際に,この時期は冷戦の最盛期であった。「二つの生活様式の争いは,ソ連が共産圏諸国の国民の海外移住を露骨に阻止する措置に出た1961年夏の段階で,事実上決着がついていた」(199ページ)と,著者は判断している。とすれば,ベルリンの壁はヨーロッパにおける冷戦の象徴であったがのみならず,ソ連側生活様式の敗北の象徴でもあったことになる。

さらに,第3章後半から第4章「冷戦の終結」でも,最新の研究成果を縦横に取り込んだ叙述が続く。再び私事にわたって恐縮だが,本書の出版直後に,評者も『レーガン――いかにして「アメリカの偶像」となったか』(中公新書,2011年)という小著を世に問うた。校正段階で本書,とりわけ,その第4章を一読する機会があれば,拙著も少しはましなものになっていたにちがいないと,惜しまれてならない。

そして,終章「冷戦とアメリカ外交」では,冷戦がなぜ起き,なぜ長期化し,なぜ終わったのかという,三つの重要な論点が,簡潔に整理されている。著者はアメリカを「冷戦の勝者」と位置づけながら,アメリカ的生活様式の真価は冷戦後の今こそ問われていると,本書を結んでいる。

「歴史とは過去と現在との活き活きとした対話である」という E. H. カーの名言のとおり,優れた歴史書の背景には,必ず今日的な関心がある。自由や民主主義,アメリカ的資本主義の可能性,あるいは中国の急速な台頭による米中二極化(米中版の冷戦再来の可能性)など,様々な問題意識が本書の行間からも読みとれる。ただし,そうした問題意識を前面に押し出すことには,著者は禁欲的である。冷戦の歴史に照らして現在の国際情勢をどう読むのかについて,著者の洞察をもう少し提示してほしかった。評者にはそういう思いが残るが,やはりそれは欲張りすぎというものであろう。

これほどコンパクトで濃厚,立体的な冷戦史の概説書を,われわれは手にすることができた。冷戦史や外交史に多大な貢献をされた,永井陽之助教授や細谷千博教授はすでに世を去られた。こうした碩学が生前に本書に触れられたら,目を細めて愛でられたであろうことは,想像に難くない。海の向こうには,ギャディス教授をはじめ,欧米,さらにアジアの冷戦史の泰斗が控えている。本書の著者には是非,日本の優秀な若手研究者を率いて,冷戦史研究の国際比較に乗り出していただきたい。夢は広がる。それは永井教授らの名著を産んだ大型共同研究と比肩しうるものになるかもしれない。

有斐閣の教科書シリーズの多くがそうであるように,本書もきめ細かな参考文献と文献解題,そして索引を備えて,読者の便宜を図っている。それはまた,すべての良書に不可欠な,著者と編集者との豊かな信頼関係の反映でもある。

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