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2011年12月21日 (水)

著者より:『高度成長期の日本経済』

163683武田 晴人 (東京大学教授)/編
『高度成長期の日本経済――高成長実現の条件は何か』
東京大学ものづくり経営研究シリーズ

2011年08月刊

pen編者の武田晴人先生が,本書の刊行にあたって『書斎の窓』、(2011年12月号)にお寄せくださいましたエッセイを以下に転載いたします。

◆『高度成長期の日本経済』をまとめ終えて◆

武田晴人(たけだ・はるひと,東京大学大学院経済学研究科教授)

1 全体像を描く

 高度成長期の日本経済の分析に取り組むことは、その数年前から続けていた戦後史研究会の成果をまとめた後、次の課題としては自然な選択だった。しかし、こうした戦後日本経済史に関する共同研究が私自身の重要な研究課題になるとは、一〇年くらい前までは全く考えていなかったから、個人の研究史からみれば、予想外の展開だった。若い仲間たちの熱意に押し出された格好だが、戦後復興期の研究に比べれば、仲間たちに任せられる部分が増え、それぞれの研究報告の議論に参加し、全体の統一がとれた著作にすることに専念するというのが編者としての役割になった。

 『高度成長期の日本経済』 (以下、本書) で、私たちは、高度成長期の日本経済について、できるだけ包括的な全体像を描きたいと考えて企画を検討し、分担を決め、議論を重ねてきた。当初の構成案を作るときに参考にされたのは、大石嘉一郎編 『日本産業革命の研究』 (上下、東京大学出版会、一九七五年) などの古典的な研究業績の編別構成だったが、それに比べると、産業分析に手厚いという差異がある。

 経済構造を全体として描くときに、マクロ的な経済の鳥瞰図を描くことがまずは思い浮かぶが、それだけでは十分ではない。現代の経済社会のダイナミズムを作り出している企業活動と、それによって生じる産業発展の具体的なあり方を描く必要があるというのが、このような産業部門別分析を構成上の重要な要素とした理由である。経済史研究が積み上げてきた産業・企業に関する着実な実績に、尊重すべき視点が潜んでいると考えているからでもある。

 もっともそのような構成を限られた紙幅で追求したために生じた限界は自覚している。成長のメカニズムの解明に分析が傾斜し、それによって投資主導型の経済成長の具体像に迫ることが狙われた結果、大衆消費社会の形成過程おける日本社会の実体的変化の光と影とをバランス良く描くという点では課題を残した。

 そのために、高度成長期に生じた公害問題や、過密と過疎などの問題については十分な配慮が払われていないという批判は甘受せざるを得ない。また、従来の研究以上に消費側の要因に配慮したつもりだが、それでもなお分析が不足していることも確かだろう。この点については本書の 「あとがき」 で石井晋さんが問題を提起しているが、それは高度成長期以後を見通した分析枠組みの構築を示唆するものといってよい。

 しかし、成長のメカニズムを描くことにも、それなりの重要性はある。かつて、レギラシオン学派がフォーディズムに注目し、その耐久消費財を中心とする成長メカニズムをとりあげたこと、そうした捉え方に影響されながら、二〇世紀システムなどの議論が盛んとなったこと、そしてその影響下で書かれた日本経済研究がどれだけ日本の産業企業の具体像に迫り得たかなどを思い起こせば、未だ戦後経済史研究は、日本経済の実態に踏み込んだ分析が改めて必要な状況にあると考えている。

2 「高成長」 という捉え方

 このような視角から分析をするために、本書は、「高成長」 という言葉を用いて、論点を提示しようとしている。それは、編者である武田が岩波新書 『高度成長』 (二〇〇八年) を書いた頃から使い始めたものだが、そこには次のような意味が込められている。

 すなわち、戦後日本の経済発展を、かつては 「高度経済成長」 あるいは単に 「高度成長」 と表現して分析対象としてきた。それが人口に膾炙していること、それゆえに、「高度成長」 が示す特定のイメージに自らの分析を重ねることは、より豊富な議論のベースを提供する可能性はある。そのメリットを認めた上で、なお新しい概念として 「高成長」 を用いる。なぜなら、一九八〇年代以降のNIEs諸国をはじめ、現在ではBRICsという言葉が生まれたことに象徴されるように、日本の 「奇跡」 を例外的事象とはいえない現実に歴史家たちは直面している。従って、それらの事象の共通性、つまり第二次世界大戦後の資本主義経済体制が、特定の国民経済を巻込んで実現した 「高い経済成長率の時代」 の特質を表す言葉として 「高成長」 を使おう、というのである。少なくとも日本人にとって、「高度経済成長」 は特定の時期を指すものと受け止められ易いから、抽象度を少し上げてみよう、そうすれば、何かもう少し見えてくることがあるのではないか、と考えている。

 もちろん 「高度経済成長」 を日本固有の現象とは考えていない人たちにとっては、このような区別は必要がない。その意味では言葉の選択ではなく、その対象となっている経済構造の共通性と差異性とを比較経済史的に検討しうる立場に立つこと、そのためには 「高成長」 というとらえ方の方が、先入観から自由になれると考えているに過ぎない。

3 「遷移」 という方法的な概念

 本書のもう一つの試みは、経済発展の段階的な展開を捉えるために、「遷移」 という言葉を用いてみたい、ということである。これは本書の序章を書く最終段階で生まれた編者の思いつきであるから、研究会のメンバーが共有している概念ではない。私たちは、研究会で 「高成長」 という言葉が表す経済状態や経済構造の特質については盛んに議論してきたが、「遷移」 については他のメンバーが執筆に当たって念頭に置いていたものではない。

 「遷移」 という言葉を使うことは簡単には受け入れられないかもしれない。しかし、これには既成の方法的な枠組みから少しでも前に踏み出したいという意図が込められている。そして、それは 「高成長」 という言葉で、資本主義経済体制の特定の時期の構造的な特徴を表そうとする考え方とセットになって分析枠組みを提供しようとしている。

 これまで経済発展を論じてきた基本的な枠組みは、国民経済を観察単位とする 「経済発展段階論」 と総称されるもので、その基本的な論理形式は、特定の段階にある国民経済が一定の移行期間を経て、異なる段階へと階段を上るように 「発展」 していくものであった。そして、その典型的な形態となる 「単線型」 の発展段階論、つまりほとんどの国民経済が同じような経路と段階を経由して行くというとらえ方に対しては、有力なバリエーションとして発展経路には類型差があるという 「複線型」 の発展段階論もある。また、近年では歴史制度分析によって、経路依存性と制度の補完性とを基本概念として資本主義経済制度の類型差を捉える議論も有力な見方の一つと主張されている。

 理論的な基盤から言えば静学的な構造論である歴史制度分析は、経済発展の経路を論ずるという視点からみれば、複線型発展段階論を補強する枠組みである。
 つまり、特定の条件を与件としたときに、ある国民経済がどのような構造的な特徴を持つかという論理的な可能性が複数存在し、そのいずれが選ばれるかはその国民経済のもつ経路に依存して決定されるところが大きく、従って与えられた条件下で資本主義経済制度には類型差が生じるし、その条件が大きく変化し制度的な補完性を実現する均衡条件が崩れれば、どの類型でも構造変動が生じると想定している。この経路依存性が発展段階論との近接性を示唆するが、それ自体はダイナミックで動学的な過程を説明する論理ではない。

 従って、類型差が特定の段階に存在しうることが経済学的な論理からも支持されることを示したことにポイントがある。もしそうだとすると、われわれが対象とする国民経済の変容過程は、段階を踏んで発展していく過程で、同一の構造的な条件の下でも変質しうる、つまり別の均衡条件に移りうることになる。「遷移」 という方法的な概念は、そのような変質過程を捉えることを意図し、国民経済は 「遷移」 を繰り返しながら変質し、その結果として段階的に異なる経済構造へと 「発展」 していくと捉えることができる。

 この場合、重要なことは 「遷移」 による変質過程は、これまで発展段階論が内包しているような 「進歩」 や 「発展」 についての肯定的な価値判断に対しては中立的であると同時に、強い決定論的な論理構成を取らない、ということである。

 日本の経済発展を例にして平明に表現すれば、一九三〇年代に起きた 「内部循環的な拡大過程」、そのあとの 「戦時・戦後の統制経済」、そして 「高成長」 が、それぞれその時代の固有の条件に規定されながら作り出された固有の経済構造として捉えうるとしても、その発生の順序は、「進歩」 や 「発展」 を意味しないし、「必然的な過程」 でもない。たとえば戦時統制経済は、戦争遂行という政治的決断とそれに対する国民的な支持によってはじめて選び取られた固有の経済システムではあるが、それ以外の選択肢がなかったと断言できるものではない、ということである。

4 歴史的選択の可能性

 歴史家たちは、起こった出来事をその史実に即して解釈し、その因果的な関係をできるだけ論理的な整合性をもって説明しようとする。その解釈の説得力が高ければ高いほど、私たちは、誤った歴史観に陥る危険を負うことになる。経済発展段階論の論理は、それがどのようなものであれ、論理的な構造としては段階的な変化の必然性を理念型として示しているが、そうであるが故に、その論理には宿命論的な病巣が埋め込まれていたというべきなのだろう。たとえば、史的唯物論の機械的適用にしても、経路依存性による説明にしても、いずれも、現在の状況を歴史によって規定された 「唯一の選択肢」 と捉える愚に陥る可能性を開いてしまう。明敏な研究者の何人かは、そうであるが故に、過去の発展の経路の中に、望ましい未来像への道筋が埋め込まれていることを想定した論理を示すことで、その弊から逃れようとしてきた。

 しかし、私たちが直面している課題は、そうした形で発展段階論を組み直すことではないかもしれない。社会主義や福祉国家などの望ましいと考えられてきた未来像の実現可能性に疑義が生じているとき、歴史家たちに課せられているのは、ある社会の現状が何らかの理由で選び取られたものであるとしても、それが選択されたものである以上、これを変えることもできるという、開かれた論理を提示することではないか。草原の植生が、外来植物や一本の道路の建設によって変わる、つまり 「遷移」 することが観察されている。しかし、この 「遷移」 を回避したいと考える人びとの営みは排除されないし、あるいは、木を植え森に変える取組みによって別の 「遷移」 を引き起こす可能性もある。定常的に見える状態は、その構造的な記述によっていかに堅固に描かれようとも、「壊れやすいもの」 であることが少なくない。

 このような方向で考える時には、「遷移」 がなぜ生じるかという変化のプロセスに関心を払わなければならない。すでに述べたことからも明らかなように、そこでは政治的な決定やそれに対する国民的な支持、あるいはその基盤となるような国民統合の特質が問題になる。経済史研究が本来的な意味で経済発展過程全体を分析する意図を持つのであれば、狭義の経済現象に関心を集中するのではなく、もっと広い視野をもつ必要がある。

 しかし、それだけでは十分ではない。変化は経済システムの内側からも生じる。そのことは、「定常状態」 がもつ 「壊れやすさ」 の要素が何かを経済構造の実態に即して明確に認識することを求めている。その焦点は企業行動の分析にある。資本主義経済制度によるめざましい経済発展の源泉は、この経済制度が見出した分業と協業の仕組みとこれを支える技術的な諸要素にあることに異論はないはずである。だとすれば、それらの要素を組み合わせた現場である企業の行動に焦点をあわせ、経済構造の内部でなぜ、どのような形で内生的変化の契機が生じるかを検討する作業が求められている。

武田晴人(たけだ・はるひと =東京大学大学院経済学研究科教授)

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