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2011年12月28日 (水)

著者より:『批判的思考力を育む』 「書斎の窓」に掲載

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楠見 孝 (京都大学教授)
子安 増生 (京都大学教育学部教授)
道田 泰司 (琉球大学教育学部教授)/編

『批判的思考力を育む――学士力と社会人基礎力の基盤形成』
2011年09月刊

編者の楠見孝先生が,本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2012年1・2月号)にお寄せくださいましたエッセイを以下に転載いたします。

日本的な批判的思考とは--『批判的思考力を育む』の発刊によせて

楠見 孝(くすみ・たかし,京都大学大学院教育学研究科教授)

日本的な批判的思考

 このたび子安増生先生、 道田泰司先生とともに、 『批判的思考力を育む  学士力と社会人基礎力の基盤形成』 を編集し出版しました。 本書は、 心理学者を中心とする科学研究費の研究グループの成果をまとめたものです。

 「批判的思考」 ということばは、 相手を批判する攻撃的なイメージがあり、 印象はあまり良くありません。 とくに日本では、 先生や親、 上司などの目上の人、 同僚や友人を批判することは、 避けたいと思うのも自然です。
また、 自分が人から批判されたいかというと、 批判よりもほめられたいというのが正直なところです。

 したがって、 「批判的思考」 ではなく 「クリティカルシンキング」 という外来語や論理的・合理的な側面に焦点を当てた 「ロジカルシンキング」 を使うことも多いのが実情です。 それにもかかわらず本書で、 あまり評判のよくない 「批判的思考」 を用いたのは大きく二つあります。

 一つ目は、 本書を通してのテーマの一つである批判的思考と文化の問題です。 西欧流のクリティカルシンキングを日本にそのまま持ち込んでも、 論理的には正しくても人を説得できず、 かえって反発を買って、 問題解決ができないことは、 おおいにあり得ると思います。 また、 教室でクリティカルシンキングのトレーニングを受けた学習者が、 教室ではうまくクリティカルシンキングができたとしても、 現実世界では社会・文化的要因によってその実行が抑制されることも起こりうると思います。 そこで、 本書が主張したことは、 日本の文化に根ざした批判的思考です。 それは他者への配慮や協調的な理解や問題解決を志向した批判的思考です。 すなわち、 第一に、 相手の立場に立って、 相手の発言に耳を傾けること、 第二に、 相手を攻撃するためではなく、 自分の理解を深め、 自分の考えが正しいのかを吟味するために問いを出すこと、 第三に、 対立がある場合には、 相手も自分も満足できるような解決策を見いだそうと努力することです。 そして最終的には、 自分の価値観や信念に基づいて行動することです。 このように日本語の 「批判的思考」 に新たな豊かな意味を持たせたいというのが私たちの主張です。

 二つ目は、 批判的思考における内省的思考の重視です。 認知心理学の研究では、 人の認知のバイアス (偏り) が数多く指摘されています。 すなわち、 相手を攻撃するのではなく、 自分の認識にバイアスが生じうることに自覚的になり、 バイアスが生じていないかを内省することが批判的思考の大事な側面だからです。

 私たちの目的は、 家庭や学校や職場を批判的思考が出来る場にすることです。 東日本大震災による原子力災害は放射能による健康被害への過度の恐れを引き起こしています。 福島産の工業製品に対してまで不安を抱くのは、 放射能という未知のリスクに対する私達のバイアスのかかった怖れといえます。 私たちにとって、 正しく恐れるということは、 知識と批判的思考力を持って、 リスクに立ち向かい、 リスクを減らす適切な行動をし、 科学的根拠のない偏見や差別をなくすことにあると思います。

本書がめざすもの

 本書 『批判的思考力を育む』 では、 こうした批判的思考力をどのように育成するかという問題について、 大学教育に焦点を当て、 心理学的な観点から考察しています。 その理由は、 大学四年間を通した批判的思考教育によって、 将来、 社会人として実践において専門知識を活かして問題を解決し、 親や教員として子どもを教育し、 研究者を目指す人には新たな知の発見に取り組み、 成果を社会に向けて発信する人を育てたいと考えたためです。 特に、 近年、 大学において育成すべき能力やスキルとして提唱されている学士力、 ジェネリック (汎用) スキル、 社会人基礎力においては、 批判的思考力が基盤になっています。

 これらの能力やスキルを育成するためには、 批判的思考がどのような能力やスキルからなり、 どのように評価し、 社会文化的状況の中でどのように使われるかという問いに答える必要があります。 そのためには、 心理学的アプローチは重要な手がかりを与えてくれるものと考えます。

批判的思考の理論

 本書は第Ⅰ部の理論編と第Ⅱ部の実践編に分かれています。

 第Ⅰ部は 「批判的思考のしくみ  理論編」 として、 批判的思考に関する心理学研究の理論的基盤と実証データにもとづいて解説しています。 とくに、 批判的思考をめぐる国内外の動向や社会の動きとともに、 批判的思考の仕組み・理論について、 その根拠となる認知心理学、 教育心理学の最新の成果やオリジナルな研究やモデルを紹介しているのが特徴です。

 第1章 「批判的思考とは  市民リテラシーとジェネリックスキルの獲得」 (楠見) として、 批判的思考の構成要素とプロセス、 それらが支えるリテラシーとジェネリックスキルの構造について述べています。 第2章 「批判的思考力の知的側面  学士力をどう獲得するか」 (子安増生) では、 高等教育改革と学士力を軸に、 大学版のPISAや大学教育評価の動向を紹介しながら、 批判的思考力を支える知識とスキルの形成について述べています。 第3章 「批判的思考の社会的側面  批判的思考と他者の存在」 (元吉忠寛) では、 批判的思考ができる人に対する 「すごいひとだけれど友だちにはなりたくない」 という否定的なイメージについて述べた後で、 日本の文化に適合した、 他者へ配慮した社会的クリティカルシンキングについて述べています。 第4章 「批判的思考と適応  批判的思考がとくに必要な状況」 (山 祐嗣) では、 批判的思考が進化的に新しいシステムの中での内省的プロセスであることを示し、 状況や文化に依存した機能であること、 暗黙に情報を共有しにくい低コンテクストの文化で必要とされるとしています。 第5章 「批判的思考の抑制  なぜ発揮されないか」 (田中優子他) では、 批判的思考プロセスのメタ認知の観点から批判的思考の抑制要因についてオリジナルな実験データにもとづいて検討しています。 第6章 「批判的思考の測定  どのように測定し評価できるか」 (平山るみ他) では、 批判的思考の認知面と情意面のテストの特徴とその相違点について述べています。

批判的思考の教育実践

 第Ⅱ部 「批判的思考力を育てる  育成編」 は、 道田先生の編集によって、 具体的な授業例や思考法の実践例を紹介し、 大学の授業や大学教育の改善・改革を目指す大学教員、 高等教育関係者に役に立つように工夫しました。 たとえば、 大学教育の九つの実践事例についての紹介では、 授業を担当する読者が、 実践に役立てることができるように、 冒頭の囲みに 「授業科目名、 対象学生、 授業回数、 形式、 目標、 評価」 を明示しました。 さらに、 教材例を図表で示し、 最後に、 育成の五つのポイントを箇条書きで示しています。

 第7章 「批判的思考の教育  何のための、 どのような?」 (道田泰司) では、 第Ⅱ部の導入として、 批判的思考力の育成が求められた背景には、 社会の変化と大学の大衆化があり、 批判的思考教育をどのような科目で、 どのように教えるのかについて、 教育観のレベルから考える重要性を指摘しています。 そこでは批判的思考教育において陥りやすい誤りとして、 固定的に教育者   学習者関係を考えたり、 正解を一つと考えるといった問題点が指摘されています。

 さらに、 第8章 「良き市民を目指す批判的思考教育  より良き個人として、 より良き社会構成員として」 (道田泰司)と第9章 「良き学習者を目指す批判的思考教育  研究者のように考えるために」 (道田泰司) という二つの章では、 こうした教育が必要な理由や位置づけ、 これらの実践に共通する育成のポイントについて検討しています。 第8章は、 個人としてより良い市民生活を送るための批判的思考教育として、 詐欺商法などに関わる育成事例① 「疑似科学をめぐる懐疑的・批判的思考法」 (菊池聡) と育成事例② 「消費者教育のための批判的思考力の開発」 (花城梨枝子)、 批判的思考の協力的態度や科学や倫理問題に関わる育成事例③ 「科学技術と社会をつなぐ哲学的思考法」 (伊勢田哲治)、 多様な文化的背景をもつ学生の相互理解を促す育成事例④ 「インターナショナルプログラムにおける批判的思考教育の実践」 (望月太郎)を取り上げています。

 第9章 「良き学習者を目指す批判的思考教育  研究者のように考えるために」 は、 一般教育科目に関わる育成事例⑤ 「結論を考えさせてからおこなう授業」 (道田泰司)、 専門基礎教育に関わる育成事例⑥ 「心理学実験を経験してレポートを産出する」 (沖林洋平)、 専門教育に必要な基本的思考力を念頭においた育成事例⑦ 「質問力向上を目指した授業」 (道田泰司) と育成事例⑧ 「内省力の育成  リフレクティブ・プラクティス」 (武田明典)、 専門科目に関わる育成事例⑨ 「多様なツールを複合的に利用する論文講読」 (沖林洋平) からなっています。

 終章 「生涯にわたる批判的思考力の育成」 では、 批判的思考を支える認知発達、 小学校からの学校教育、 コミュニティと社会、 そして幸せな人生とより良い社会を築くための批判的思考について述べています。

お わ り に

 このように本書は、 読者そして学習者の批判的思考を育て、 それが個人や社会の問題を解決し、 より良い人生や社会の形成に結びつくことを目指しています。 本書が具体例や実践事例として取りあげたのは、 限られた領域と科目でした。 しかし、 本書が、 読者自身が自らの専門や実践の領域に根ざした批判的思考とその教育の方法を考えるきっかけになれば、 編者としてこれほどうれしいことはありません。 さらに、 日本文化に適合した、 他者への配慮ある協力的な批判的思考が学校や社会に広がることを願っています。

楠見 孝(くすみ・たかし= 京都大学大学院教育学研究科教授)

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