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2011年10月21日 (金)

著者より:『はじめて学ぶ宗教』 「書斎の窓」に掲載

173774岡田典夫・小澤浩・櫻井義秀・島薗進・中村圭志/著
『はじめて学ぶ宗教――自分で考えたい人のために』

2011年05月発行
→書籍情報はこちら

著者の島薗進先生が,本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2011年10月号)にお寄せくださいましたエッセイを,以下に転載いたします。

◆表情ある宗教入門――『はじめて学ぶ宗教』で宗教の喜怒哀楽を考える
=島薗 進(しまぞの・すすむ,東京大学大学院人文社会系研究科教授)

教科書というと「素っ気ない本」というイメージがある。とくに宗教についての教科書というと無味乾燥な本だろうなとすぐ思ってしまう。もちろん宗教そのものは無味乾燥ではなく,ときに味が濃すぎるほどだ。しつこいぐらいの表情を押しつけてくるのが宗教本の1つの特徴かもしれない。だが,「宗教についての教科書」は特定宗教に引き込むようなことがあってはならないと考えられている。「事実としての宗教,現象としての宗教をクールに説明する」――これが宗教教科書の定番だ。

私も執筆者の1人である『はじめて学ぶ宗教』はだいぶ異なる。宗教「入門書」ではあるが,「教科書」風ではない。それは「宗教の表情」を描こうとしているからだ。宗教は人間の営みだ。だとすれば,宗教について語るとき豊かな表情があって当然ではないだろうか。「表情ある宗教入門」を目指す『はじめて学ぶ宗教』では次々と執筆者が出てきて,それぞれの表情をもって宗教のある側面について語っている。豊かな表情をもった登場人物を通して描き出されるのが1つのやり方だ。

知里幸恵を例に

たとえば,第2章「神話と聖典の言葉」に登場する知里幸恵(1903~22)。この女性はアイヌとして生まれたが幼児洗礼を受けキリスト教徒として19歳の生涯を終えた。アイヌの神謡に歌われる神話や伝承世界を尊び愛したこの人物にとって,アイヌの神謡の世界とキリスト教の聖書の世界はどのようにつながっていたのだろうか。

アイヌの神謡では,たとえば梟が神(カムイ)にあたる存在だ。梟が空を飛んでいて貧乏な人間の子供を見つける。そこでその子の弓矢に当たってあげる。家に連れていかれた梟=カムイはその家を豊かな家にしてくれる。「シロカニベ,ランラン,ピシカン(銀の滴,降る降る,まわりに)」などと歌いながら。家のおじいさん,おばあさんはみんなをよんで宴会を開く。そして「これからは仲良くしよう」とよびかけると,それまで冷たかった村人がその罪を謝る。梟=カムイのおかげで,貧しさや人の冷たさが吹き払われる。シンプルなハッピーエンドの物語だ。

聖書では世界がもっと複雑になって,深い悩みに沈む人間の像が浮かんでくる。理不尽な苦しみでどうにも出口がなくなってしまった人間が,その苦しみ故にこそ理解できる偉大な救いの真理に目覚める。そして,神に従い,隣人愛に生きる覚悟を固める。これがキリスト教のような救済宗教の信仰の世界だ。知里幸恵の場合,それは神から自分に与えられた使命,すなわちアイヌの伝統を今に生かすという使命を果たすことだった。

死を間近にした知里幸恵の日記には,「私たちアイヌも今は試練の時代にあるのだ。神の定めたまふた,それは最も正しい道を私たちは通過しつゝあるのだ」と,また「そして,私にしか出来ないある大きな使命をあたえられている事を痛切に感じました」とも書かれていた。アイヌの神話の世界とキリスト教の聖典が示す救いの世界は次元を異にするものであるようにも見えるが,知里幸恵という個人の中では見事につながりあっていた。

この第2章で中村圭志氏は知里幸恵という人物を通して,「神話の世界と聖典の世界」「神話の言葉と聖典の言葉」という宗教理解の奥深い問題を表情豊かに描き出そうとしている。

矢部喜好を例に

第4章「宗教から信仰へ」では矢部喜好(1884~1935)という福島県に生まれ育ち,後に滋賀県でキリスト教牧師として生涯を終えた人物が描かれている。この人物は青年期にキリスト教に入信し,日露戦争の際,軍隊への召集に応じなかったため入獄することになった。宗教に基づく良心的兵役拒否を実践したのだ。この章では,この矢部喜好が2度の「回心」を経て,自らの生き方に目覚めていったプロセスが描き出されている。最初の回心は,父の営む工場が火災にあい父から「お前には気の毒だが高等教育を受ける希望は棄てて貰わねばならぬ」と告げられた後,1903年に生じている。失意のどん底にあった喜好に次のような体験が訪れる。「私は恍惚として絵のようなこの冬景色に悩殺された。「天は神の栄光を物語り,大空は御手の業を示す」(旧約聖書詩篇19編2節)自然の壮観に接して,私はこの時,創造主を見た」。立身出世の道から宗教の道への回心だった。

第2の回心は兵役拒否により獄中にあった1905年のこと,当時喜好は21歳だった。厳しい獄中生活で内省を重ねた喜好は,正義の側に立つと自認していたことの傲りに気づき,自らの罪深さを深く自覚するに至った。そして,「しかし宗教的堕落の旧跡は,すべて皆信念を土台として描き出した絵空事であった。今さら一片の悔いもない。ただ感謝あるのみ。全く胸底を自白することができて完き精神の安慰を得た」と記している。第4章の執筆者岡田典夫氏は,これを「宗教から信仰へ」の回心として描き出している。「宗教」「信仰」「回心」はそれぞれ宗教入門書のキーワードだが,ここではそれらの語の意味するところが矢部喜好という人物の表情豊かな生涯を通して描き出されている。

カルトを例に

登場人物が表情豊かに描かれるとともに,筆者自身が自らの表情を時折見せようとしているのも,この宗教入門書の特徴だ。第3章「宗教と社会」には「カルトの勧誘をうまく断るには」というコラムが挿入されている。そこには,①「手強い人間になる」,②「予約金は絶対払わない」,③「恩知らずでもOK」という助言が記されている。③の説明もきちんと読んでおこう。「タダ茶,タダ飯をごちそうになろうという図太さでよい。それを恩と感じる優しさがあだとなる。しかし,相手を間違えないこと。ふつうこういう人は嫌われる」。

この章のしめくくりの文章もいい。「コラムにカルト経験者の声を掲載しましたが,カルト問題が他人事ではないことを実感していただけたらと思います。……願わくは,この本を大学の1年時に読んでもらい,カルトに入らない,仮に入ったとしても,私がカルト・サバイバーから教えてもらったカルト遊泳術をヒントにたくましくサバイバル(冗談ですが)してほしいと思っています。カルトに限らず,どのような組織であれ,つぶされずにしぶとく生き抜くことが大切です」。執筆者,櫻井義秀氏のユーモアあふれる表情が眼前に浮かぶようだ。

柳宗悦を例に

第5章「日本人と宗教」の執筆者小澤浩氏も自分の表情を隠そうとしない。そもそも書き出しがこうだ。「のっけからみなさんを惑わすようで申し訳ないのですが,私はこの「日本人と宗教」という表題には,少し違和感があるのです」。その理由はというと,多くの日本人論は「本当はきわめて多様なあり方をしているのに,一部の特徴だけから全体を論じてしまう」からだという。とはいえ,「神と人とを連続的にとらえる心性」は日本人の精神史を捉えるのに有効だとして,この章では主に近代の日本を対象に「ヒトガミ」の精神史が論じられていく。

この章のまとめの節は「よりよい「自己」の実現を求めて」と題され,小澤氏独自の「いかに生きるか」についての考えが示されている。氏の心に刻まれた言葉に,朝鮮の民芸に魅せられ,民芸新興の運動を起こした柳宗悦の「どことて御手の真中なる」というものがある。「私たちは,どこにいても,ほんとうは神仏の大きな手の平の上にいるのだ」という意味の言葉で,小澤氏は飛騨の高山でこの言葉を書いた柳の色紙に出会ったとき,ある鮮明なイメージが浮かび悟るものがあったという。

「そのイメージとは,とてつもなく大きい掌の上で,泣いたりわめいたりしながら,じたばた生きている自分の姿でした。当時の柳は,仏教への共感を深めていたので,その掌は阿弥陀様のものだったかもしれません。しかし,それはエホバの手でも,アラーの手でも,はたまた大自然であってもいい。ともかくも巨大な手だから,世界中の人たちがみんなそこにいて,同じようにじたばた生きている。それを見ているうちに,私はおかしさがこみあげてきて,それがいつの間にか,自分に対する,人間に対する,自然に対するいとおしさに変わっていったのです」。

ガンジーと賢治を例に

ここまでで2章から4章までを取り上げ,各章が目指す表情豊かな宗教の理解の諸相を見てきた。残るのは1章「宗教と暴力」であり,私自身が執筆者なのでちょっと扱いにくい。私自身が表情豊かな表現をしようとしているかどうか,どこに私の表情があるのか,我ながら心もとないのだ。ともあれ,私自身が述べようとしたことに触れるのを避けるわけにはいかない。

この章で私は,暴力を克服する鍵を知っていると主張する宗教がかえって暴力を増幅する作用をもたらしてしまうことを問題にしている。そして,ガンジーが「真理」とよび,宮沢賢治が「ほんたうの神さま」とよんだものについて自らに問いかけるような叙述をしている。「ガンジーは特定救済宗教の教えによって団結する人々がその教えにしばられずに自由に考えることを求め,諸宗教がともにめざしているはずのものを「真理」という言葉で指し示そうとしました」。また,「宮沢賢治はこれまでの救済宗教が,それぞれに「ほんたうの神さま」(『銀河鉄道の夜』)を主張し合って一致できないあり方をなんとか越えなくてはならないと考えていました」。

私自身も「真理」や「ほんたうの神さま」に近づけたらよいと考えている。「しかし,宮沢賢治はこうした願いを童話の中では確かに示すことができましたが,教義や理論のようなかたちで示そうとはしませんでした。ガンジーの場合も,「真理」という単純な言葉を語り,「サッティヤーグラハ」(真理把持)という独自の用語を示しましたが,これを理論的に説明するよりも,全生活をかけてそれを示していこうとしました」。

それらは成功した試みだったと言えるだろうか。私たちにある光源を示してくれ続けているという意味ではそう言える。だが,彼らの生涯は困難に満ちていた。そして,彼らの試みが現代世界の困難に立ち向かう大きな力となりえているかというと残念ながらそうとも言い切れない。

現代に生きる者が「宗教とは何か」を問うとき,ガンジーや賢治が目指したもの,彼らの試みの成功と挫折は確かに大きなヒントになる。だが,それをどのように継承し発展させていくかは,後世の私たちに委ねられている。何とか暴力を越えた「真理」の世界を見届けたいと願っている。私個人はこの「表情ある宗教入門」はこうした願いを映し出す試みの1つだと考えている。

島薗 進(しまぞの・すすむ)
=東京大学大学院人文社会系研究科教授

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