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2011年10月13日 (木)

著者より:『保険学』 「書斎の窓」に掲載

183957近見正彦・堀田一吉・江澤雅彦/編
『保険学』
2011年05月発行
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pen編者の近見正彦先生が,本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2011年9月号)にお寄せくださいましたエッセイを,以下に転載いたします。

◆海賊と保険
=近見正彦(ちかみ・まさひこ,埼玉学園大学教授・一橋大学名誉教授)

ピーター・パンからワンピーまで

海賊というと,とかくお伽噺のことと思われがちである。確かに,スコットランドの作家ジェームズ・マシュー・バリー(1860~1937年)が1902年出版の小説『小さな白い鳥』の第8章「ケンジントン公園のピーター・パン」を下敷きにして書いた5幕2場から成る戯曲(1904年初演。小説化されて1906年に出版)及びそれを基礎とした『ピーター・パンとウェンディー』(1911年出版)には,海賊のフック船長が登場する。一般に「ピーター・パン物語」として,子供たちに広く読まれているこの物語は,少年ピーターが,乳母が眼を離しているすきに乳母車から落ちてネバーランドに送られた子供たちや海賊のフック船長,妖精のティンク(ティンカーベル),ウェンディらとともに,冒険の日々を送る物語である。世界的なエンターテイナーであったマイケル・ジャクソン(2009年6月25日死亡)が千代田区にほぼ匹敵する自宅敷地にピーター・パンの世界「ネバーランド」を作っていたことは周知のところであろう。

また,我々が小学校時代に胸をドキドキさせながら読んだ『宝島』(ロバート・ルイス・スチーブンソン(1850~1894年)が子供用雑誌に連載し,1887年に単行本として出版した物語。時の首相グラッドストーンも愛読者であったと伝えられている。そもそもは,スチーブンソンが妻の連れ子であったロイド少年のために書いた長編小説)は,ジム・ホーキング少年たちが,宿屋の宿泊者の死亡によって残された宝島の地図を頼りに帆船ヒスパニオラ号で宝を探しに行く物語であるが,これにも一本足の海賊ジョン・シルバーが登場する。 

このようなピーター・パン物語や宝島は,さまざまな娯楽施設あるいはイベントでも取り上げられ,今でも子どもたちに人気があるし,ミュージカルや映画,テレビ等でも上演されている。

ところで,最近若い人たちに人気があるものに,One Piece がある。これは,若い人たちの間では「ワンピー」と呼ばれて人気を博している,尾田栄一郎氏が「週刊少年ジャンプ」に連載した少年漫画であり,海賊になった少年モンキー・D. ルフィが主人公の海洋冒険物語である。筆者は読んだことがないので,詳細は分かりかねるが,友情をメインテーマとし,戦争,権力,領土問題,宗教問題,差別問題等をも取り上げた壮大なストーリーらしい。単行本として,60巻を超え,すでに1億冊以上が売れ,さらに,30カ国以上の国で翻訳され,テレビのアニメや映画,そしてゲームにも取り上げられているとのことである。

なお,映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」も興業成績がいいらしい。

海にはロマンがある

上記のように,海賊は,しばしばお伽噺等に取り上げられるが,海賊と対照的な山賊は,そうでないようである。果たしてそれはなぜであろうか? 勝手な理屈付けで恐縮であるが,海にはロマンがあるからではないだろうか?

確かに,海賊には恐怖のイメージがある。海賊船に掲げられる海賊旗(どくろと大腿骨の2本の骨が組み合わされている図の旗)を見れば,誰でもが恐怖におののくであろう。実際この海賊旗は,海賊たちが襲撃する場合の意思を示したもので,降伏を求めるが,もし降伏しない場合には,殺して骨にしてしまうということを意味していた。

海賊旗の図は,危険物や毒薬等の標識としても,使用されている。最近では違うようであるが,一時期は,放射線物質が保管されているところには,この海賊旗の図が描かれていたし,1829年には,アメリカのニューヨーク州で有害物質容器にこの海賊旗の図を取りつけなければならなかった。

海賊に恐怖のイメージが付着しているのは,上記のように,海賊旗の図から明らかである。しかしながら,海賊が活躍する海には,リスクの恐怖もあるが,ロマンもあった。

欧米でしばしばいろいろな場所で使用されているマークに,心臓(ハート)と十字架と錨のマークがある。最初の心臓(ハート)のマークは,愛を示し,2番目の十字架は,誠実を表している。そして,最後の錨のマークは,希望を示しているのである。

海は,広大で障害がない。そこには,いろいろなリスクがあり,恐怖感に襲われるが,同時に,海には無限の広がりがあり,地平線の向こうには,何かがありそうで,希望があった。だからこそ,錨のマークが希望を示しているのである。

現代の海賊

海賊は,決してお伽噺のみに登場するわけではなく,技術が高度に発達した21世紀の現代でも現実に出現している。国際海事局のレポートによれば,2010年に報告のあった海賊事件は,445件(前年の8.5%増),地域別では,アフリカ地域(全体の58%)と東南アジア地域・極東地域(全体の26%)が多かった。日本関係船舶については,同年,海賊の被害を受けた事案は15件に上り,それらの内,銃火器により発砲を受け,船体に被弾,追跡を受けたのが5件,乗組員が拘束されて金品等が奪われたのが2件で,それら以外は比較的軽微な事案であった。

海賊が多く出現しているアフリカ地域,とりわけソマリア沖・アデン湾については,2009年3月13日,内閣総理大臣の承認を得て,防衛大臣から,海上における警備行動が発令され,同年3月30日から海上自衛隊による護衛活動がアデン湾において開始された。また,同年6月には,「海賊行為の処罰及び海賊行為への対処に関する法律」が成立し,保護対象を我が国のみならず,あらゆる国々に拡大し,今年の3月15日には,ソマリア沖・アデン湾における海賊対処のため,第8次派遣海賊対処行動水上部隊(護衛艦「いなづま」及び「さざなみ」で,乗組員約370名)が呉基地を出港している。

海賊による被害は,船舶の乗っ取り及び乗組員の人質が大半を占めている。とりわけ,乗組員の人質は,2010年,1181人に達し,乗組員被害全体の93%を占めている。

海賊の危険と海上保険

このように,現代でも海賊による被害は大きいが,海賊は,古くから存在していた。ローマ時代には,フェニキア等から海賊が出没していたらしい。

有名なのは,16世紀中葉に活躍したフランシス・ドレイク(通称,キャプテン・ドレイク。1543?~1596年)であり,歴史にもその名が残されている。エル・ドラゴ(悪魔の権化)として恐れられたドレイクは,海賊行為によって得た金銀財宝(30万ポンドにも達した)をエリザベスⅠ世に献上し,その功績で,イギリス海軍の中将に任じられるとともに,爵位をも受けている。

ところで,保険は,14世紀,海上保険としてイタリアの都市で誕生したが,当時の海上保険は,もっぱら地中海を航海する船舶やそのような船舶によって運送される貨物についてのものであった。

ご存じのように,ヨーロッパは,地中海を挟んで,アフリカ大陸に面している。ということは,地中海は,一方にヨーロッパ,他方にアフリカ大陸を控えさせており,文化的には,ヨーロッパ文化とアフリカ文化(イスラム文化)の境界域――勢力的にはヨーロッパ文化の方が若干強かったようであるが――でもあったのである。

このような地中海には,しばしば海賊が出現したが,その多くは,イスラム教徒のそれであった。実際,イスラム教徒の海賊を恐れている記録が残されている。

初期の海上保険における担保危険は,神の,海の,人の,すべての危険,事故及び不幸であった。「人の」危険が,どのような個別の危険を包括していたかは,定かでない。しかしながら,この「人の」危険に海賊の危険が含まれていたことは,明らかであろう。とすれば,海上保険誕生時から,海賊の危険は,担保されていたのであって,当時の少なくとも典型的な危険の1つであったのである。

海賊は,英語でpirateという。海賊の危険が,明示的に担保危険に表れた最初の海上保険証券は,1563年11月22日付けのジェームズ・イプスウィッチ号積載の果実,干しブドウ等の貨物に関するそれである。同証券には,海の危険,火災,水,軍艦,敵,私掠船,海賊,捕獲免許状等々の危険及び災難を保障し,保険することを承認する旨の記載がなされているが,ここには,明らかに海賊(pyrattes)が掲げられているのである。これ以前の海上保険証券には,海賊を示す明示的な語は示されていない。

身代金保険

ところで,上でも述べたが,海賊による乗組員の被害の内で,多いのは,人質である。乗組員を人質にとり,身代金を要求するのであろう。

人質にとって身代金を要求するといえば,1986年11月15日に発生した三井物産支店長誘拐事件を思い出す。犯人から送られてきた被害者の写真は,当時の日本人を震撼とさせた。というのも,あたかも被害者の指が切り取られたかのような写真であったからである。

この事件は,当時三井物産のマニラ支店長であった若王子氏がゴルフの帰途,武装した5人組の犯人から誘拐され,身代金300万ドル(当時で約4億5000万円)が要求された事件である。なかなか身代金を得ることができなかったために,犯人は,録音テープや写真を送りつけてきた。その写真には,若王子氏が写っていたが,同氏の右手中指がなく,あたかも同指が切断されたような写真であった。そのため,新聞等でこれを見た多くの日本人は恐怖感に襲われたのである。幸い,若王子氏は,無事保護され,右手中指も切断されたわけではなかった。このような,特に海外駐在あるいは居住している日本人を標的にした誘拐事件は,一時期多発した。多くは,身代金取得目的で,その支払いは,企業にとっても多大な負担であった。

保険もいろいろな種類があるが,そのような中に,身代金保険がある。犯人の身代金要求額が高騰する危険性及び被害者の生命の確保という点から,この保険の詳細は,ほとんど語られない。

人質になって身代金を要求される危険は,これも海上保険で古くから担保されていた。身代金保険の最も古いものは,1399年9月20日付けのものである。同保険では,フィレンツェの商人シモン・デ・アンドレアが,スペインのバルセロナからイタリアのポルト・ピサーノに航海するときに,捕獲され,身代金を要求された場合に,1000アラゴン金フィオリーニ(今日で約1億円)のうち,700アラゴン金フィオリーニを保険金として支払うという内容であった。

海賊の危険といい,身代金を要求される危険といい,今を遡ることおよそ600年のいわゆる保険の地中海時代にすでに存在し,海上保険において担保されていたのであって,そのような危険が,600年経った今日においても,依然として,現実に存在していることは,きわめて興味深い。

近見正彦(ちかみ・まさひこ)
=埼玉学園大学教授・一橋大学名誉教授

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