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2011年10月14日 (金)

著者より:『日本政治史』 「書斎の窓」誌上対談④(了)

山崎正和&北岡伸一 対談:『日本政治史』(→書籍情報はこちらを語る

(③〔→こちら〕からの続きです。)

4 現在

山崎 最後のおたずねですが,そういう観点からすると,今はどう見たらいいですか。これは社会全体のことを言い出すときりがありませんから,あくまでも権力と外交のところに絞ってですが,今の政治家をどう見ればいいですか。

北岡 今は,落ちるところまで落ちたということです。3月11日の東日本大震災は戦後最大の災害で,原子力発電所の被害はどこまで広がるかわからない大災害です。大きなダメージの後には大きな変革が必要なのではないでしょうか。なんらかの形でよりよい資質を持ったリーダーを選び出し,これが一定期間安定して政権を維持するしくみを作らないとどうにもならない,という感じです。

山崎 どうすればいいですか。

北岡 政権が一定期間安定しているのは,たとえば大統領制あるいは首相公選制です。

山崎 しかし,それは非常に難しいですよね。憲法改正問題から天皇制の位置づけまで入ってくるから,今はそこまで考えないことにして,憲法の少々の改正ぐらいで済むような手立てはないですか。

北岡 憲法改正ということ自体が大問題ですから,憲法改正を行うのであれば,小さい改正でも大きな改正でも難度は同じだと思います。

山崎 それは同じことです。

北岡 行うのなら大改正をした方がいいと思います。象徴天皇制はもちろん残しますが,直接選挙による実権を持ったリーダーの選出が大事でしょう。首相公選制でも大統領制でもいいのですが,天皇制との関係はなんとかなるように思います。ともかく憲法改正を実現すること自体が,日本においては極端に難しいのです。

山崎 難しいです。

北岡 その前に何か手立てはあるかと言いますと,ルールの本質は禁止であって,命令ではありません。○年以上やってはいけないというルールはあっても,1年以上続けよといったルールは作れない。ですから,これは本書の隠れたテーマの一つですが,政治とは結局,職業政治家が行うものであり,権力者とは権力闘争に勝ち残る人たちである,そうした権力闘争に勝ち残る人が合理的な政策を実施できるかどうかの成功や失敗の歴史を追っているつもりなのです。

今の時代には,職業政治家と官僚という,24時間フルタイムで従事するプロが政治を行うことは必然的なのです。アマチュア(一般国民)に政治はできません。ですから,政治家が権力闘争で権力を手にすることも止められないのです。一つには,衆議院の議決だけで法律が成立するということになれば,それはもっと簡単になります。

山崎 一院制ですね。

北岡 ええ。あるいは再議決要件を簡単にするという手もありますが,これも憲法改正が必要です。

山崎 あれも憲法条項ですか。

北岡 そうです。ですからなかなかできないのです。憲法改正以前にできることといえば,結局のところ連立政権をつくりやすくすることでしょう。

山崎 選挙制度の再改革というのはありえますよね。

北岡 かつて私は,少数意見が過大に代表されることになる,自民党派閥の根源である,金権的選挙になりやすいといったことから,中選挙区制度を厳しく批判していました。しかし最近では,衆議院は定員3人の中選挙区制度に(定員4人以上は弊害が大きいので賛成できません),参議院は比例制度にしてはどうかと提唱しています。その方が政党間対立が緩和され,連立を組みやすくなるという利点があるのです。一部にはこれを大政翼賛会だと言う人もいますが,それは全く違います。大政翼賛会というのは一つの政党にしたのであり,連立は,定義上は複数の政党があるということです。

もう一つ,これを「みんなで渡れば怖くない」という議論で批判する人がいます。しかし今の状況は,「みんな怖いから渡らない」のです。

山崎 そうそう,全くおっしゃるとおりだ。

北岡 それよりは,今はみんなで渡る方がいいのです。「そういうことを言うのなら,あなた渡ってみてください」と,私は政治家に言いたいのです。

山崎 ただ,一つだけおもしろいことを指摘しますと,これは私自身の歴史にかかわることなのですが,佐藤栄作首相が,たまたま楠田實(くすだみのる)という異色の首席秘書官を持っていました。楠田さんは,大学の教授ないしは物書きを,政治家,特に内閣と接触し協力・助言させようとしたのです。その伝統はうまく引き継がれていて,現在まで来ています。

北岡 それは先生ご自身や高坂正堯さんのことではありませんか。

山崎 私は,もうとうの昔に離れてしまいましたが,北岡さんは文字通り大使(国連代表部次席大使)までお務めになったわけです。そこまででなくても,政治家が学者を見ていて引っ張る,あれは明らかに政治的任命(ポリティカル・アポイントメント)でしょう。

北岡 そうです。

山崎 たとえば,神戸大学教授であった五百旗頭真さんの防衛大学校長への起用もそうだし,そういう起用をするようになったのは,やはり佐藤内閣以後のことなのです。学者の方も,もちろん人によりますが,そのことを忌避しなくなりました。政治というのは汚ならしいもので,近寄れば病気になるといった風土はなくなっているのです。そのことはどうなのだろうか。

このたびここへ来て,やたらに政治的任命を濫発し始めたという印象があります。

北岡 あります。

山崎 濫発といえば,菅直人首相はやたらに諮問会議ばかり作ったでしょう。

北岡 そうですね。

山崎 その結果,政治家と接触する学者の総量が増えるのは悪いことではないけれども,本当にみなさん達成感が持てるのでしょうか。それを心配するのは,東日本大震災からの復興構想会議が6月25日に提言を出すそうですが,それをきちんと活かして政治家が動かなければ,会議にかかわった方々は,随分苦労していますから,非常な不快感を味わうと思うからです。みなさん真面目に取り組んだのですから,それをきちんと汲み上げるように政治家がしなければいけない。

佐藤以降,学者の意見を聴いてそれを政策に反映するということを相当長く行っていました。大平までは確実に行っていました。その後,小泉純一郎も行いました。これは内容には問題がありましたが,ともかく学界との実効性ある接触があった。これからどうなると思いますか。

北岡 政治家と学者の相互に忌避感があって接触がなかったのは一時代で,それ以前には吉田茂が学者の任命を行っていますし,戦前にも学者の起用がなかったわけではありません。

山崎 そうですか。

北岡 明治国家ができたころから,たとえば東京大学の行政法の教授であった一木喜徳郎が文部大臣・内務大臣になるといったことがありました。

山崎 そうかそうか,大臣になったね。

北岡 ただ,本当に意味のある仕事をするためには,もう少し首相の政治のコアの部分に接触して,相互にある種の信頼・尊敬関係がないとだめだと思います。

山崎 そうなのです。

北岡 ですから審議会を作ってつまみ食いというのでは,挫折の連続です。

山崎 そうですね。

北岡 私も,審議会に出席して提言を書いたにもかかわらず,実現されなかったことがたくさんあります。そうするとだんだんやる気がしなくなってきます。山崎先生がおっしゃるとおりで,楠田さんというのは稀有な人なのです。

山崎 まあね。

北岡 ですから,その後のいくつかには,楠田さんが関係しているか,あるいはそのグループとしての存在があったということがあります。最近だと小泉内閣の時も,官房長官は福田康夫さんでしたから,結局は楠田人脈です。楠田人脈が,高坂正堯,山崎正和世代から,少し私たちのところまで下りてきたくらいのことなのです。

私の大使任命の場合は公務員ですから,官僚に任命するというのが一つの形です。政治家に任命するというのが先ほどの一木喜徳郎の例です。それから審議会で行うというケースもありますが,もう少し違った佐藤内閣当時の,より時間をとってゆっくり政治社会万般を話し合うような場があれば,その方がいいのではないかと思います。それも,長期に力を持つ政治家が存在することが大前提ですが。

山崎 ありがとうございました。

(対談日・2011年6月10日)

*冒頭に戻られる方は①へ→こちら

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