著者より:『はじめて学ぶ考古学』 「書斎の窓」に掲載
佐々木憲一・小杉康・菱田哲郎・朽木量・若狭徹/著
『はじめて学ぶ考古学』
2011年4月刊行
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著者の佐々木憲一先生が,本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2011年9月号)にお寄せくださいましたエッセイを,以下に転載いたします。
◆斬新な日本考古学入門書の誕生
=佐々木憲一(ささき・けんいち,明治大学文学部教授)
世界考古学の大きな枠組みの中で
このたび,有斐閣アルマシリーズの一環として,『はじめて学ぶ考古学』を出版していただいたこと,大変嬉しく思います。またその上に,「自画自賛」の機会まで与えていただき,感謝にたえません。
私は京都で育ち,アメリカ合衆国で高校,大学,大学院を修了し,現在明治大学の教壇に立っています。大学院では,古墳時代開始期における地域間交流をテーマに学位請求論文を英語で執筆しました。アメリカ合衆国での経験を十分活かして,考古学の概説講座を担当しています。毎回,講義のアウトラインと専門用語をリストしたプリントを配布していますが,幸い,私の講義プリントを見てくれた若手考古学研究者,特に地元の教育委員会で考古学を実践している方より,私の授業のような考古学入門書があれば刺激的だという激励をかねてよりいただいていました。そこへ有斐閣より依頼があったので,即,お引き受けすることにしたのです。
実は,本書は有斐閣がこれまで刊行してきた『日本考古学を学ぶ』(全3巻 [1978-79,新版1988]),『はじめて出会う世界考古学』(1997)・『はじめて出会う日本考古学』(1999)の伝統を継承するものです。2000年11月に発覚した前中期旧石器時代遺跡捏造問題の影響で,『はじめて出会う日本考古学』が刊行後1年余で絶版になってしまったことは,分担執筆者のひとりとして私は非常に残念でなりませんでした。旧石器時代を扱った章以外は,大学教育の場で現在でも十分活用できる内容であったからです。
『はじめて出会う日本考古学』の改訂版でも出ないかと心待ちにしていた2007年,1冊で完結する,まったく新しい考古学入門書を依頼されました。『はじめて出会う日本考古学』の執筆陣から私がその編集に選ばれたことを非常に光栄に思います。なぜ私が選ばれたのか推測すると,『はじめて出会う日本考古学』では世界・日本の2冊セットであったのに対し今回は1冊で完結させるため,外国で勉強した私が編集すれば世界と日本の両方の入門書が1冊でできると期待されたのではないでしょうか。世界考古学の大きな枠組みの中で日本考古学の本を作るため,外国や隣接諸分野の研究成果を日本考古学へ導入することを厭わない研究者に分担執筆をお願いすることにしました。日本考古学の入門書でありながら,欧文文献も積極的に引用するよう心がけたのです。結果として,斬新な日本考古学入門書に仕上がっていると自負しています。以下,類書にない本書の特色を紹介していきます。
地元の研究者にもご執筆のお願い
まず,依頼されたときに頭に浮かんだのは,大学以外の場,つまり地元の教育委員会で地元に密着して考古学を日ごろ実践している方を執筆陣に必ず入れることでした。というのは,日本で実施される発掘調査の95%以上は地元の教育委員会文化財保護課やその外郭団体の埋蔵文化財センターによるものです。つまり,高度経済成長期以来日本考古学の進歩は,そういった地元の研究者による昼は発掘調査,夜は前年発掘した遺跡の報告書原稿執筆といった激務に支えられてきている現実があります。にもかかわらず,考古学の本を執筆する大多数は逆に少数派である大学教員である,という一種の「逆転現象」が起きています。ですから,大学に属さない研究者に分担執筆者になっていただくのは今回の企画の大きな柱です。幸い,企画依頼を受けた当日の夜に群馬県高崎市教育委員会の若狭徹氏に電話したところ,分担執筆をご快諾いただきました。若狭氏は明治大学文学部で考古学を学ばれましたが,卒業後直ぐ,地元の群馬県群馬町(現高崎市の一部)教育委員会に奉職され,弥生・古墳時代に関する多くの論文を執筆されたほか,史跡保渡田八幡塚古墳(5世紀末築造,96mの前方後円墳)の発掘調査・復原整備事業,保渡田八幡塚古墳に併設されたかみつけの里博物館の企画・運営に尽力されました。また私の2009年度在外研究で本書の編集が遅れた間に,氏が40代の中堅考古学研究者に贈られる最高の栄誉である「濱田青陵賞」を,大学に属さない研究者としてはじめて受賞され,図らずも本書のセールスポイントになってしまったことは,喜ばしい限りです。
その他の分担執筆者は,北海道大学小杉康(明治大学大学院修了,縄文時代論),京都府立大学菱田哲郎(京都大学大学院修了,飛鳥・奈良時代の考古学),千葉商科大学朽木量(慶應義塾大学大学院修了,近世考古学)です。『日本考古学を学ぶ』同様,末永く読者に支持されたいという願いから,原稿依頼時点で50歳未満の若手研究者で執筆陣を固めることとしました。幅広い柔軟な内容の入門書を実現させるために執筆陣が関東に固まらないよう配慮し,関西から菱田哲郎氏にご参加願いました。それ以上に,学閥・学派を超えた人選になっています。佐々木,小杉,若狭と明大関係者が3人にもなってしまいましたが,伝統的日本考古学の牙城である明治大学の考古学卒業生のあいだでは,外国の研究成果を縦横に駆使する小杉氏は異色の存在です。また若狭氏も博士号を明治大学大学院から授与されたとはいえ,大学院へは進学せず,地元の教育委員会で調査された期間の方が長いので,やはり明大卒の考古学研究者としては,毛色の違う研究者です。さらに小杉氏の紹介で,これまた外国の方法論をうまく日本の近世考古学に導入してきた朽木氏を迎えました。私が日本考古学のどの学派にも属さないからできた部分が大きいと自負しています。
本書のセールスポイント
本書の構成も斬新です。第Ⅰ部「考古学の考え方と方法」の「考古学とはどんな学問か」(佐々木),「モノをよむ」(菱田),「時間をよむ」(朽木),「空間をよむ」(小杉),「社会をよむ」(佐々木)は,類書にもありそうな章ばかりですが,中身は類書とは相当違うものになっています。例えば,「空間をよむ」は,最近の地理情報システムなどを導入し,「超越的地域論」という新しい枠組みを大胆に提言しており,『岩波講座日本考古学』第1巻(研究の方法)「分布論」(1985)より,大きく進歩した内容になっています。さらに若狭氏による「だれのための考古学か」は,本書の第Ⅰ部を特色付けるユニークな試みです。特に昨今は,旧石器時代遺跡捏造事件のおかげでしょうか,考古学に対する社会的関心と信頼が低下しているようで,現代社会のなかで考古学が占める位置,貢献できる側面を再確認することは,喫緊の課題なのです。
また手前味噌ですが,私が執筆した「社会をよむ」も,私がミシガン大学とハーヴァード大学で学んだ方法論とその実例を多数,日本語の活字では初めて紹介しています(授業ではこれまで紹介してきましたが)。外国の方法論は,旧石器・縄文時代の考古学に導入されることが多いのですが,私の専門が弥生・古墳時代なので,この章も日本考古学の分野では極めて異色です。
第Ⅱ部「考古学からみた日本列島の人類史」では,旧石器時代,縄文時代,弥生・古墳時代という伝統的な呼称を敢えて避け,「旧石器文化」(小杉),「縄文文化」(小杉),「弥生・古墳文化」(若狭)という章立てにしており,本書の大きな特色です。これは,北海道では弥生・古墳文化は存在せず,続縄文文化,オホーツク,擦文文化が栄え,南西諸島では旧石器文化に続いて,貝塚時代,グスク時代が栄えるからです。こういった日本列島の周縁は,類書ではさほど大々的に取り上げてこなかったのですが,本書は入門書であるからこそ,日本列島における文字のない時代の文化の多様性を強調するように努めたのです。特に,「列島北東部の考古学」の章は,北海道で活躍する小杉氏による執筆で,本書のセールスポイントのひとつです。ただ諸般の事情で,「南西諸島の考古学」はその分野の専門ではない私が執筆したため,力及ばず,本書の弱点となってしまいました。
第Ⅱ部ではさらに飛鳥時代から鎌倉時代までを扱う「古代から中世前半の考古学」(菱田),室町時代以降を対象とする「中世後半から近現代の考古学」(朽木)の章も設け,日本列島全域の人類史を旧石器から明治時代までカヴァーすることができました。菱田氏の章の「災害と考古学」というコラムや,朽木氏の章の「近現代考古学の射程」では,考古学が現代社会へ貢献できる余地に触れてあることも大きな特色です。
斬新な点も多いのですが,本書では考古学の歴史も大切にし,過去,画期を成したモデルや枠組みもできるだけ取り上げるようにしました。はしがきで記したように,「古今東西の考え方や手法」を紹介したつもりです。私自身は,それに成功していると自負していますが,その理由は専門や関心が大きく異なる5人の執筆者の個性を大事にしたことにあると信じています。「入門書であるから,こうしてほしい」という有斐閣からの希望もありましたが,出来る限り執筆者の書きたいことを優先するように心がけました。その結果,章によっては,入門書としては難しいところが若干残っているかもしれません。
幸い,本書を寄贈した研究者からは好評をもって迎えられております。あとは,ひとつでも多くの大学で,教科書,参考書として活用され,若者の考古学への理解,関心が高まることを祈るばかりです。
佐々木憲一(ささき・けんいち)
=明治大学文学部教授
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