« 編集室の窓:『書斎の窓』2011年10月号 | トップページ | 著者より:『現代経営入門』 「書斎の窓」に掲載 »

2011年10月17日 (月)

著者より:『観光学キーワード』 「書斎の窓」に掲載

058910山下晋司/編
『観光学キーワード』

2011年06月刊
→書籍情報はこちら

編者の山下晋司先生が,本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2011年10月号)にお寄せくださいましたエッセイを,以下に転載いたします。

◆観光とリスク社会――東日本大震災の経験から
=山下晋司(やました・しんじ,東京大学大学院総合文化研究科教授)

1 はじめに

小泉純一郎首相(当時)の「観光立国宣言」(2003年)以来,観光は日本の未来を語るキーワードの1つになっている。宣言後まもなくビジットジャパン・キャンペーンが開始され,2007年には観光立国推進基本法が制定され,2008年には観光庁が発足した。こうした流れの中で,大学に観光関連学科がさかんに設立されるようになった。2009年までに観光関連学科・大学院を持つ大学は,全国で39を数え,その半数以上が2006年から2009年の間に設置されている。そうした中で,本年6月に『観光学キーワード』(山下晋司編,有斐閣)を出版した。今日の観光現象を理解するためのキーワードを100ほど選定し,解説を試みたものだ。観光の歴史は長いが観光学,観光教育はこれからである。本書がその発展に貢献できれば,と思っている。

ところで,本書の刊行を控えていた2011年3月11日, 東日本をマグニチュード9.0の巨大地震,ところによっては最大波高40メートルを超える大津波が襲った。被災地は青森,岩手,宮城,福島から茨城,千葉,東京まで南北600キロの広範囲に及び,さらに福島第一原子力発電所が被災し,地震,津波,原発事故の三重の大惨事となった。本稿執筆中の2011年7月現在,まだ8万人が避難所で生活し,瓦礫は35パーセントしか片付いておらず,フクシマはいまなお収束していない。以下では,観光の視点からこの震災について考えてみたい。

2 観光と安全

ビジットジャパン・キャンペーンの成果か,観光立国に向けて訪日観光客は増加し,2007年には835万人に達し,2010年までに1000万人の目標に向かって順調に進んでいた。しかし,2008年はリーマン・ショックの影響で,訪日観光客は679万人に落ち込む。2010年には過去最高の861万人まで回復したが,そこに今回の大震災が起こったのである。その結果,3月の訪日外国人は半減し,その後も低迷状態が続いている。日本政府観光局(JNTO)によると,とくに原発事故により日本の安全・安心イメージが崩れ,渡航自粛を打ち出す国が相次いだことが響いた,という。

『観光学キーワード』の中で,野浩昭は「観光の条件」について,次のように述べている。「観光はレジャーである。業務上の渡航とは違って,その欲求は脆く,紛争やテロ,病気の流行はもちろん,経済の不景気でも簡単に後退してしまう。『海外観光旅行は世界の人々の交流を促進し,平和構築に寄与する』と唱える向きもあるが,話はむしろ逆で,観光は広義の平和や経済の安定を前提とし,それに依存している」。つまり,観光は,リスクにきわめて弱く,脆い現象なのである。

近年のアジア地域の観光の動向をみても,紛争やテロ,SARSや鳥インフルエンザなどの病気の流行,自然災害が観光客の動きを大きく条件付けている。例えば,私が関心をもってきたインドネシア・バリでは,1960年代後半より観光開発が導入され,右肩上がりの成長を続けてきたが,1995年のインドネシアの治安悪化(イスラム教徒とキリスト教徒の抗争),1997年のアジア通貨危機,1998年のスハルト政権崩壊,2002年と2005年の2度にわたる爆弾テロ事件などが起こるたびにバリへの観光客は落ち込むという不安定な状態となっている(Yamashita, 2010)。

もう1つの例はタイ・プーケットである。タイは東南アジアで最も成功した観光立国だが,2004年12月,スマトラ沖地震に続くインド洋津波がタイ南部を襲った。津波被害の直後,2005年1月のプーケット国際空港の利用者は前年同月比で88%も減少し,3万5000室あるホテルの部屋の稼働率は10%まで落ち込んだ。その後,前年までの平均観光客数の水準に回復するのに約1年を要した。この災害で強く認識されたのは,「風評被害」であった。つまり,観光地が被災のスティグマから解放されず,客がなかなか戻ってこなかったのである。とくに日本人観光客は,被災地に遊びにいくのははばかられるという自粛の意識が働き,戻りがおそかった。この点は欧米の観光客が「被災地に旅行し,そこで滞在することは被災地の復興の一助となる」と考える人が多かったのと対照的だったという(柄谷,2010,市野沢,2010)。

3 震災後の対応と「新しい観光スタイル」の創造

では,今回の東日本大震災後の観光への対応はいかなるものだったか。観光庁は,震災から1か月たった4月12日に「当面の観光に関する取組」を発表し,観光により「日本の元気」を積極的に発信していくことは,被災地への応援に資するとした(観光庁)。

4月21日には直接の被害があった地域だけでなく,それ以外の観光地においても旅行者が著しく減少し,老舗の旅館が倒産するなど深刻な状況が続いている事態をふまえて,「がんばろう!日本」の旗印の下で官民合同による国内旅行振興キャンペーンを行うこととし,その対象として観光・旅行を通じて,被災地に対する直接の支援につながる取組み(例えば,義援金付ツアーの実施等),風評被害を受けている主に東日本向け旅行を促進させる取組み,その他,全国における国内旅行需要を喚起させる取組みを挙げた。

海外に向けては,4月22日に溝畑宏観光庁長官が訪日観光の最大マーケットである韓国を訪問し,記者会見で,震災で打撃を受けた空港,新幹線など主要交通網がほぼ復旧したと述べ,原発事故については解決に向けて踏み出しており,「食品は厳重な検査をしており,基準値を超える放射能物質が含まれている心配はない」などと強調した(これは最近の牛肉のセシウム汚染問題で脆くも崩れ去った)。4月28日には海外の観光業界・消費者に向けて,日本語,簡体字(中国),韓国語,繁体字(台湾),繁体字(香港),英語で発信した。

さらに,6月25日,東日本大震災復興構想会議(五百旗頭真議長)は,『復興への提言』を答申し,観光について,「観光業は裾野の広い経済効果を生み,農林水産業と並び,復興を支える主要産業である」とし,「美しい海など自然の景観や豊かな『食』,祭・神社仏閣等の原文化,国立公園や世界遺産などのブランドなどの地域観光資源を広く活用して,東北ならではの新しい観光スタイルを作り上げ,『東北』を全国,そして全世界に発信することが期待される」としている。そして,「短期的には,風評被害防止のため正確な情報発信や観光キャンペーンの強化などにより,国内外の需要の回復,喚起に早急に取り組むべきである。また,震災を機に生まれた絆を大切にし,復興プロセスを被災地以外の人びとが分かち合うことも大切である」と述べている。

「東北ならではの新しい観光スタイル」とは何かについては具体的な言及はないが,復興の遅れが指摘される被災地では,観光客を受け入れる体制が復旧しているとは言い難い。そうした中で,誤解を恐れずに言えば,1995年の阪神淡路大震災に続き,今回の震災においても注目された,「ボランティア」を新しい形態の観光として捉えるのがよいのではないかと私は考えている。現に「ボランティアツアー」という言葉が使われ,例えば名鉄観光の「岩手県陸前高田で活動する災害ボランティアとさんさ踊り見学ツアー」,近畿日本ツーリストの「花火ボランティアツアー」,H.I.S.の「岩手三陸海岸復興支援&観光コース今こそ東北へ行こう5日間」などの企画が出ている(東日本大震災支援全国ネットワーク)。「被災地に旅行し,そこで滞在することは被災地の復興の一助となる」というのが先述のプーケットの教訓であった。であれば,被災地の理解を得たうえで,ボランティアツアーという被災地支援の旅行を「新しい観光」として展開できないか。観光を「娯楽」や「レジャー」の領域に限る必要は必ずしもないのである。そうした中で,『復興への提言』にいう「震災を機に生まれた絆を大切にし,復興プロセスを被災地以外の人びとが分かち合うこと」も育っていくかもしれない。

4 おわりに――リスク社会の中で

現代は「リスク社会」である。ウルリヒ・ベック(1998)によると,近代社会は自らを発展させるために「危険(リスク)」を産出する社会である。そこにおいては「富の生産」は「危険の生産」でもあるのだ。「危険」の最たる例は原発事故である。原発は近代社会が富を生み出すのに不可欠なエネルギーを作り出すわけだが,事故が起これば,放射能汚染という危険にさらされる。しかもその危険性は目に見えず,リスクを認識するには科学的知識が必要だ。だが,私たちがいま経験しているように,放射能の安全性の基準の策定,リスクの管理は容易ではない。

柄谷友香は,前掲論文の中で「観光地における危機管理は観光サービスの1つとして位置づけられるべきであり,ひいては来訪者への安心感や地域への信頼感につながるものと言えよう」と述べている。しかし,フクシマは収束しておらず,「安全・安心」はいまだ確立していない。放射能の危機管理体制が確立できなければ,被災観光地における危機管理も行えない。日本政府観光局も「原発事故が収束しないと厳しい」と見ている(『朝日新聞』2011年7月25日夕刊)。

2004年のスマトラ沖地震と津波で大きな被害を受けたインドネシアのバンダアチェーではいま「惨事を記憶するためのツナミ観光」が行われているという(『朝日新聞グローブ』2011年8月7日)。日本の東北でも同様な「新しい観光スタイル」が創り出されるだろう。そしてまた,ヒロシマやナガサキが平和観光のシンボルになったように,フクシマが観光のコンテクストにおいて未曾有の原発事故の記憶とそこからの復活のシンボルとなる日もくるだろう。

〈参照文献〉
ベック,ウルリヒ(東廉・伊藤美登里訳),1998,『危険社会』法政大学出版会。
市野沢潤平,2010,「危険からリスクへ――インド洋津波後のプーケットにおける在日日本人と風評被害」『国立民族学博物館研究報告』34:521~574頁。
柄谷友香,2010,「タイ南部における被災観光地での復興過程とその課題」林勲男編『自然災害と復興支援』明石書店。
山下晋司編,2011,『観光学キーワード』有斐閣。
Yamashita, Shinji, 2010, A 20-20 Vision of Tourism Research in Bali: Towards Reflexive Tourism Studies, Douglas G. Pearce and Richard W. Butler eds. Tourism Research A 20-20 Vision, pp. 161-173, Oxford: Goodfellow Publishing.

山下晋司(やました・しんじ)
=東京大学大学院総合文化研究科教授

« 編集室の窓:『書斎の窓』2011年10月号 | トップページ | 著者より:『現代経営入門』 「書斎の窓」に掲載 »

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 著者より:『観光学キーワード』 「書斎の窓」に掲載:

« 編集室の窓:『書斎の窓』2011年10月号 | トップページ | 著者より:『現代経営入門』 「書斎の窓」に掲載 »

twitter

サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

Google+1

  • Google+1