著者より:『地域マーケティング論』 「書斎の窓」に掲載
矢吹雄平/著
『地域マーケティング論――地域経営の新地平』
2010年12月刊
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著者の矢吹先生が,本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2011年6月号)にお寄せくださいましたエッセイを,以下に転載いたします。
◆『地域マーケティング論』その軌跡と展望
=矢吹雄平(やぶき・ゆうへい,岡山大学大学院社会文化科学研究科准教授)
地域マーケティング論との出会い
私が「地域マーケティング論」なるものと出会ったのは,2000(平成12)年の暮も押しせまった頃だったように思われる。
当時,地域に関するマーケティング論的なアプローチを模索していた私は,前任校(岡山商科大学)の法経学部の助教授であった多田憲一郎さん(現・同大学大学院教授・経済学部長・地域再生支援センター長)が発した,今度京都の中山間地へインタビューに行くのだという言葉に,飛び付いた。
多田さんは地方財政の研究者だが,京都府庁在籍時代から継続して中山間地の地域づくりに関心を寄せ,旧中郡大宮町(現・京丹後市)という人口が約1万人の中山間地の町には,何度も通っていた。
私には「京都府中郡大宮町」という名称を耳にしても,地図上の位置すらイメージできなかったが,そんなことはどうでもよかった。多田さんは地域に対する経営学的なアプローチに若干否定的であったが,「尊敬する多田先生が足繁く通っている」,その事実で充分だった。
現地では,多田さんからの事前レクチャーでイメージを膨らませていた「常吉村営百貨店」にまず足を向けた。なるほど,農協支所の一方的撤退後に村民33人の出資で(故に「村営」)設立運営されている百貨店が醸し出す表情は,ほぼ同規模のコンビニエンスストアとは似て非なるものであった(詳細は第4章参照)。
そして,地場農産物の陳列や談話を楽しむ高齢者の姿,平均滞在時間1時間半という数字などに,中山間地域ならではの“一店複数役”の店舗機能を垣間見た。
この「百貨店」を脳裏に焼き付けた後に行ったO社長のインタビューは,目から鱗が落ちる内容だった。中でも,「まだ現役のわれわれが現在活動していることは,最終的に自分が年をとったとき,必ず自分に返ってくる」,「自分が老後に世話になるその仕組みを,いま自分達の手でつくっておくんだ」という言葉は,単に研究者としてのみならず,一人の人間として心が震えた。「こういう方が地域にいらっしゃり,『生きる場』である地域を支えているのだ」……と。
そして,その言をマーケティング論的視角からみれば,まさに「『将来の自分』を顧客とした『顧客満足を理念とした顧客創造・維持の仕組みづくり』を,いま自分達の手でつくっておく」ということに他ならないことに気が付いた時,「この世界」を研究してゆこう,と決意した。
自身の「使命」の扉が開いたように思われた瞬間だった。
「地域」研究の原点と迂回
誰しも「ビビッとくる」言葉がある。最近は,ゼミ生から就職相談を受けた際に彼/彼女達に尋ねるキーワードの一つになった感もあるが,私の場合は結局「地域」という言葉だった。
思い起こせば,大学卒業時に事実上内定をいただいた旧郵政省と旧通産省の両省について進路を迷った際,前者を選んだのは,郵便局という存在が鍵を握っていたように感じる。
将来性豊かと言われた情報通信産業でも,貯金事業・保険事業でもなく,ただただ「郵便局」という存在に魅力を感じていたことを薄らと思い出す。
今の私がゼミの指導教員であれば,「なぜ郵便局に興味を持つのか,その理由をもう一段深く考えてみたら」とアドバイスするところだ。しかし幸いにも,当時のゼミの教官であった故・荒憲治郎一橋大学経済学部教授はその種のことに立ち入る先生ではなかった(誤解のないように記せば,はしがきでは紙幅のため割愛したが,荒先生はその存在および学問への姿勢それ自体がオーラを発され,受けた有形無形の薫陶は私の身体を駆け巡っている)。
幸いにもと記したのは,その時点で「地域」に関心を持って研究を始めるには,今にして振り返れば時期尚早と言わざるを得ない状況だったからだ。
更に,一回りも二回りも“迂回”が必要だった。
郵政省から初派遣された,各省庁や民間企業等からの人材が万華鏡の様相を呈する旧経済企画庁調査局内国調査第一課(『経済白書』などを担当)は,外に目を向ける契機となった。そして縁あって外資系コンサルティング会社に入り,そこで経営学を学ぶ動機づけを得て院に進学した際,敬愛する先輩コンサルタントの内田和成さん(現・早稲田大学ビジネススクール教授)の出身ゼミという縁と人柄から嶋口充輝先生に師事したのは幸運だった。
岡山商大に赴任するまで「地域」は私の奥底に眠っていたが,それは貴重な“醸造期間”だったように思われる。経済企画庁以来,10年の時が経過していた。
原動力となった縁が織りなす“綾”
その後,断片的な素材を論文化する中,有斐閣書籍編集第二部の伊藤真介さん(当時次長)と柴田守さんから,「一連の研究をまとめてみませんか」とお声掛けいただいたのは,2005(平成17)年の日本商業学会全国大会の懇親会場だったように記憶している。ただし,「(当時未だ扱っていなかった)地域ブランドの議論は不可欠ですよ」という注文も抜かりなかった(加えて,刊行に際して提案された現行の書籍名は,身を奮い立たせるものがあった)。漠然とした全体のイメージはあったが,それから真に苦難の日々が始まった。「地域」という広大な海原の中で自身が何をしようとしているか,幾度となく我を失った。
そもそも「地域」という概念自体が町・小学校区・市・県・国などに渡る重層構造的概念で,その設定から議論が不可欠だった(詳細は第1章参照)。伊藤さんが1章の草稿をご覧になって「こんなに前提の議論が必要ですか」と驚かれていたように,精緻な議論が必要とされる分野の性格に難渋した。
しかし,そこに付加価値を付ける隙間も垣間見た(実際,執筆を通し自身の性格の一部が強化されたように思う)。
そうした困難な状況の中でも研究を続けることができたのは,やはり人様との縁だった。先のO社長の他にも,“鎌倉の母”と慕っている鎌倉市市民活動家Tさんの言葉には,現場にしかない説得力があった。「地域経営」には様々な協調が必要不可欠だが,「担い手(の意識)が変われば受け手(の意識)も変わるのです」という実践を伴った言葉など,理屈を超えて「そうか」と思わせる力があった。また,旧総領町役場職員Mさんが少々はにかみながらポツリと語る言葉の背後に,「地域」に対する無尽蔵の愛を感じた。
O社長やTさんやMさんだけではない。地域における自身の役割を強烈に意識し活動している方々と出会って,「使命」という言葉の意味を改めて考え始めたのは丁度この時期だった。
振り返ってみると,私という人間の中で「地域」と「マーケティング」が邂逅したことに加え,数々の人様との出会いが,その順序まで含めて必然と感じられてくるから不思議である。
内容の良し悪しは別として,自分が記したようで自分が記していない感覚は,過去にない経験だった。
こだわりの一節と「軌跡」の先
その『地域マーケティング論』は,約10年かけて記した22本の論文をまとめて単著にする方法を採用した。誠実な仕事を期するため,一度全てを分解して組み立て直し不足する論考を立ち上げた。そのため,校正段階では自身が思いもよらぬ整合性も含めて,数々の有益で貴重なご指摘を頂戴した。
不消化の部分については勿論筆者に責があるが,その数々のご提案の中で一文だけ,読みにくい文章と承知した上で,原案にこだわった一節がある。
「逆説的には,地域経営主体によるマーケティングと相補的関係にある地域ブランドを成果変数とする限り,『マーケティング・ネットワーク』概念で地域経営論を体系化する他に方法はないと考えられる。」(第12章脚注13)がそれである。
この一節の背後にある問いは,10年以上にわたり自身に詰問してきた。同時に,今後も永遠に問い続ける性格のものだが,刊行後約半年経過した現時点でも自身の考えに変わりはない。
その間,筆者として望外の喜びだが,柴田さんの言葉を借りれば「学術書で2カ月も経たずに重版となる(が決定される)のは異例」な中,3月に2刷を刊行いただいた。
理論的には,上記問いに(自身からも含めて)別の回答が寄せられるまでは,地域経営論や地域マーケティング論の分野に一定の貢献ができるのではないかと密かに期待している。
実践的には,昨年暮れ話題となった“伊達直人現象”や大震災の相互扶助等は,本書(特に最終節)が提唱する精神・活動と通底し,今日のわが国に不可欠ではないかという少しばかりの自負がある。
その上で,軌跡を振り返りながら,地域経営を構成するマクロ=ミクロ=マイクロの三重構造(はしがき参照)にあって,「マイクロ・マネジメント」(自身の心の管理)が究極的に重要だという思いが,日増しに募っている。
「退職時にその類の書を出版する」を胸に,縁を頂いた“スーパー地域人”に倣い,「使命」を意識しながら今後も地域における自身の役割を模索してゆきたい。
矢吹雄平(やぶき・ゆうへい)
=岡山大学大学院社会文化科学研究科准教授
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