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2011年9月27日 (火)

書評:『産業発展・衰退の経済史』 「書斎の窓」に掲載

163638渡辺純子/著
『産業発展・衰退の経済史
 ――「10大紡」の形成と産業調整』

2010年12月刊
→書籍情報はこちら

book 『書斎の窓』(2011年6月号)に掲載された書評を,以下でもお読みいただけます。(評者は,武田晴人〔たけだ・はるひと〕東京大学大学院経済学研究科教授)

渡辺純子『産業発展・衰退の経済史』は,副題に「「10大紡」の形成と産業調整」と付されている通り,「産業調整」という視点から衰退過程の産業を分析し,その方法的な含意を問いかける,意欲的な書物である。

いうまでもなく本書の特徴の一つは、戦時体制期の企業整備や戦後の企業再編成、国際的な繊維協定に関する合意形成など、著者が新たに渉猟した資料に基づく詳細な実証にある。しかし、そうした点については、多言を要しないであろうし、また、最終章の「結論と展望」に著者自身の要約があるので、内容紹介は省略し、小論では「産業調整」という本書のキーワードにこだわってみたい。著者が追求しているのは、実証的な検討に基づく知見を通して経済学の理論的な枠組に対して積極的に発言し、対話することではないかと考えるからである。

キーワード「産業調整」

「産業調整」とは,OECDの積極的調整政策(以下,PAPと書くことがある)に由来し,「産業調整援助政策」ともいわれる。この「政策」は「資本,労働などの生産要素を傾向的停滞産業(衰退産業)から成長産業に移動させることを政策的に援助するもの」である(206頁,注3)。このような考え方を受けて,著者は「産業調整とは,経済発展の過程で長期的な停滞に陥った(あるいは衰退に向かった)産業部門から成長する産業部門へと,経済的諸資源(資本・労働などの生産要素,言い換えれば資金や物的資本,労働力,技術などの経営資源)が移動すること」と定義する(1頁)。

つまり実態過程の「産業調整」と政策としての「調整政策」とがセットで取り上げられることになるが,具体的な分析対象は,衰退産業からの資源移動であり,それが実態的にどのような経過をたどるのか,政策的な関与は有効なのか,という問題領域である。

なぜ戦時経済から始めるのか

このような問題関心に即して実証的な成果をとりまとめる際に,著者は戦時期における綿紡績業の企業整備に関する自らの研究を再構成し,長期にわたる日本繊維産業の調整過程の起点として論じている。これに関しては,当然のことながら,なぜ戦時期の企業整備から論じるのか,という疑問が生じる。衰退の実態であれば,もっと後の時期に関心を集中すべきではないか,ということである。

明示的ではないが,おそらく著者の意図は次の二点にある。一つは,戦時経済期を需要構造が人為的にであれ,大きく軍需へと変動したことに対応する調整過程と捉えることが許されれば,企業整備は,産業調整の実験と見なすこともできるということであろう。本書はそうした視点に立つことによって,政策的介入・誘導の効果とともに,調整過程における企業の反応,つまり企業の戦略的で自発的な選択に基づく事業転換・多角化が,産業調整に重要な役割を果たすことを浮き彫りにした。この発見が実態と政策の両面から「産業調整」を捉えようとする著者の視点を支えているように思われる。

もう一つは,企業行動に注目する場合にも,組織内の資源再配分によってマクロ的構造調整に影響を与えうる企業は,それなりに十分な大きさを持たなければならないことであろう。そして戦後日本の繊維産業の調整過程が「10大紡」を中核に進むとすれば,その形成過程にさかのぼる意味があると考えられている。だからこそ,そうして生まれた大企業によって事業転換と多角化を実現し得たことが,他国に比べて調整過程が相対的にスムースで,保護主義的な政策の関与が弱いという特徴をもたらしたと評価されている。そして,戦時期の企業整備と戦後の企業再編成において,自らの経営資源をどの分野に投下するのか,不足する経営資源をどのように調達するのかなどの決断に迫られた経験を有する企業が調整主体であったことが強調されているのだろう。

国際的連関と「輸出振興」という政策意図

長期の調整過程として捉えるなかで提示された論点として重要な点は,調整の国際的な連関であろう。繊維産業の産業調整について国際的な視点から概観すると,1950年代にはすでに調整が必要な側面を内包していた日本の繊維産業が,アメリカとの貿易摩擦を介して欧米諸国にGATTの例外措置となる多国間繊維協定締結への動きを生み出し,そのなかからPAPにつながる政策構想が形成されたと捉えられている。また,PAPが定式化される以前に,すでに欧米諸国では調整に係わる政策援助が実施されていたことも明らかにされている。日本にのみ関心を集中し,それが本格的に衰退に向かった時期以降に焦点を合わせていたら明確にはできなかった論点である。

このように見ると,国際的には調整を促す脅威であった日本の繊維産業が国内的には自ら調整を必要とする存在であったという構図になる。それでは,この国際的地位と国内的地位のずれをどのように考えたらよいであろうか。

この点に関して本書から得られるヒントは,「輸出振興」という政策目的ではないかと思われる。そして,この点がPAPと日本の調整過程との間に異質なものがあるのではないかと疑問を生む要素にもなっている。つまり,一般的にはPAPでは,輸入制限措置を時限的には認めるが,それは国際的に見て比較劣位となり,国際競争力を失っているが故に,衰退産業化している産業分野に対する政策的措置だからである。ところが日本の繊維産業は,国内産業構造の重化学工業化の進展の中で,産業成長率が未だマイナスになる以前から,国内的には「比較劣位」産業となり,構造調整(過剰設備・過当競争の是正)の対象となっていた。その供給過剰のはけ口として「輸出振興」が推進されることによって,国際的には繊維産業の多国間調整を促す役割を果たしたということであろう。従って輸出できるのであれば,衰退期ではないという理解も成り立つことが異質性を際だたせているようにも見える。

この「輸出振興」に関して評者は,戦後復興期の繊維産業に対する外貨獲得への期待から与えられた「輸出振興」という政策目的と,その後の調整過程で課題となった「輸出振興」とは別のものと考えるべきだと思うが,この点の著者の捉え方は必ずしも明快ではない。少なくとも復興期のそれは,国内供給を制限してでも輸出を振興することがマクロ的な政策課題であったが故に,結果的には新紡,新々紡などの参入と過剰な設備・供給能力を生んだのに対して,その供給過剰解決のために後には同じ「輸出振興」が個別産業に係わる政策課題になったのではないか,そして,そうした手段を持ち得たが故に調整過程が長期にわたり,政策関与が微温的であったと考えているが,いかがであろうか。
 
調整政策の効果としての「時間稼ぎ」 

実態としての「10大紡」による事業の多角化や事業転換を詳細に追いながら,政策面で著者が強調するのは,政策的介入が「時間稼ぎの効果」をもったということである。政策的な関与が企業の自発的な対応を引き出す時間的余裕を与え,急激な変化による摩擦の発生を防いだことが指摘される。

それ自体に異論はないが,なお若干の問題が残されていると思われる。

「衰退産業からの資源移動にともなう社会的なコストの抑制」が政策的なねらいであるとすれば,そのような側面での政策をもう少し広く取り上げ,論じる必要がある。しかし,著者が繊維産業の調整政策の原型として指摘する政策メニューは,日本においても海外においても,既存企業の生産性上昇や合理化促進のための措置や輸入制限に限定されている。それ故,政策的関与は退出に伴う摩擦を直接的に緩和する措置というよりは,退出の判断を企業に委ねながら,調整までの「時間稼ぎ効果」をもたらすものという捉え方になる。

そのような捉え方が前面に出たのは,繊維貿易摩擦問題に関する政策形成過程の成果としてPAPを捉えていることに由来しているようである。しかし,OECDの提言が出てきた歴史的背景は,著者自身も認めているように,石油危機後の先進国を襲った需要構造の大規模な変動や労賃上昇などの生産要素価格の変動であった。それ故,資本や労働の移動にともなう厳しい社会的な摩擦が発生し,これを緩和する取り組みを例外的に時限的に認めることが合意された。従って,雇用調整に伴う補助金の付与など,退出を促す政策手段に今後の検討は拡張される必要があると思われる。

このような視点からみると,調整過程が政策課題になる背景としての政治的要素をどう評価するかも今後の課題となろう。アメリカの繊維産業対策がそうであるように,産業調整政策の立案には,それを求める政治的な勢力があり,実質的な経済的影響以上に重大な影響力をもった。本書では,繊維産業に関する史実が専ら紡績部門から得られているために,日本の繊維産業についても織布部門の問題については,中小企業安定法関連での言及がある程度に止まっている。そのために,「産業調整」に関わる政治的要素が十分には論じられていない。この問題は政治的でもあるが,同時に地域の雇用確保という点ではすぐれて経済的問題でもある。こうした問題群もこれからの議論では検討すべき課題だろう。

もちろん著者はこのような問題に無関心というわけではない。むしろ,繊維産業は同時代的な政策論としては地域経済の停滞とリンクして論じられ,そして貿易摩擦は交渉の政治経済学という視点から論じられることの方が多かった。そうした限定的な視点を越えたところに本書は位置するが,そうであるが故に,改めて既存の政策論や研究と架橋する努力が求められるということである。

まだ論ずべき点は残っているが,これだけでも,著者の意欲的な問題提起に誘われて,やや書評の域を超えた論評になったかもしれない。しかし,本書が「産業調整」という視点から提示した問題の広がりは,これからの経済史・経営史研究が考慮すべき重要な問題を含んでいる。評者として受け止めたメッセージにできる範囲で答えたいと考えた次第である。本書を多くの読者が是非とも手にとって味読し,議論の輪を広げていただくことを願って止まない。

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