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2011年9月27日 (火)

著者より:『企業と市場と観察者』 「書斎の窓」に掲載

163799水越康介/著
『企業と市場と観察者
 ――マーケティング方法論研究の新地平』

2011年3月発行
→書籍情報ははこちら

pen著者の水越康介先生が,本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2011年6月合併号)にお寄せくださいましたエッセイを,以下に転載いたします。

◆商学や経営学研究の方法論を考えながら
 ――『企業と市場と観察者』を刊行して

=水越康介(みずこし・こうすけ,首都大学東京大学院社会科学研究科准教授)

先に少しお詫びと言い訳を

このような研究テーマは,たぶん研究を極めた偉い先生方がするものであって,ようやく大学院を出た程度の僕の手に負えるはずもない。販売促進を兼ねて変わったタイトルにも挑戦してみたが,極端すぎたような気もする。

それでもせっかくの機会なので言い訳をすれば,最近ようやく「研究者」とか「先生」と表向きは呼んでもらえるようになった身として,自分がやっていることの在り方を自分なりに考えてみたいと思いました。もし,本書をちょっとでも手にとっていただけるのであれば,ずいぶん偉そうなことをやっているがそれは本人もそれなりにわかっていて,いろいろ申し訳ないと思っていると,暖かい先入観を持って読んでいただければ幸いです。

見慣れた2つの方法論的前提

といいながらも,やはりお叱りを受けてしまいそうなことをいえば,幸か不幸か,商学や経営学という研究領域は,学問としての地位が高いとはいえないようである。一方で,商学や経営学は実学であって,科学ではなくアートであるといいきるほど,僕には思い切りもない。他の研究領域からは学問ではないと言われ,ビジネスの現場からは,実学というにはあまりに役に立たないと言われる。少ないながらこの10年ぐらいの経験からいえば,それほど間違ってはいないように感じる。

方法論を考えるということは,すなわち,学問としての体裁を整えることを意味する。実際,我々の分野で方法論研究という場合には,分析手法としての個別方法論の精緻化というよりは,学問としての正当性獲得についての議論という意味合いがもともと強かったようである。このことは,経済学や心理学,あるいは社会学といった研究領域とは違っていたのかもしれない。

僕が大学院に入ったころ,正確に言えば2000年当時,マーケティング論をはじめとして商学・経営学領域は,大きく2つの方法論的前提が緩やかに対立しながら共存していた。それは今でも変わっていないけれども,実証主義的視点と相対主義的視点とよばれていたり,法則定立的研究と解釈主義的研究とよばれていた。

実証主義的視点や法則定立的研究というと,概念の操作化を通じて世界を原子的・因果論的に捉え,多くの場合統計的な手法を用いて経験世界からのデータを一般化し,妥当な理論を構築しようとする。一方で,相対主義的視点や解釈主義的研究では,実証主義的視点や法則定立的研究の理論前提に対抗し,非実在論的な議論を展開しながら,定式化できない世界の在り方を意味や理解に注目しながら捉えようとする。

もちろん細かい特徴は他にもあるが,ざっくりと区分された2つの方法論的前提は,多くの研究領域にみられる。さらに,だいたいどの領域においても,今日の主流は実証主義的視点や法則定立的研究であり,その批判という形で,相対主義的視点や解釈主義的研究が位置付けられているようであった。

観察のメカニズムへの注目

どちらの立場が,商学・経営学領域にとってより良いのか。方法論研究は,これまで議論を繰り返してきた。論争のための論争といった感も強く,そんなことをしている場合ではないという指摘もある。あるいは,目的を変えれば評価も変わる。それぞれを一長一短として説明し,ある種のバランスが志向されてきたこともあったように思う。

本書では,どちらがいいとも答えていない。もっと率直に言えば,2つの方法論的前提の良しあしについてはあまり興味がない。どちらにせよ,その選択によって,学問としての正当性が直ちに与えられるわけではないからである。そういう類いのものは,歴史の中で自ら獲得していくものであって,いうなれば,論争のための論争自体が方法論研究にとっては本質なのである。

だから本書では,方法論的前提の選択についての良しあしではなく,両者の議論が,排他的でもあるが,つながっているようにもみえるという点に注目した。共約不可能性のパラドクスなどと勝手に名前も付けてみたが,考えてみれば,過去に両者のバランスが志向されたのも,2つの方法論的前提が実はどこかでつながっていたからかもしれない。

例えば,実在に関わる理解を考えた場合,実証主義的視点は実在を仮定し,相対主義的視点は非実在性を問う。実在を巡って両者は対立するが,どちらも実在と呼ばれる何物かを議論しようとしていることは共通している。そして,どちらも実在に関わって難点を抱える。相対主義的視点は,実在の構築性を明らかにしようとし,そのために当の実在を構築してしまう。実証主義的視点は,実在の仮定から先に進もうとするが,その仮定のために膨大な事前分析を必要とし,実在の構築性そのものが議論の焦点になる。いつのまにか,主張は逆転している。

本書で議論したのは,この2つの方法論的前提は,いずれも観察についての理解が欠けているのではないかということだった。相対主義的視点は,自らが観察であることを意識しすぎて行き詰まり,実証主義的視点は,自らが観察であることを前提にしようとして際限がなくなる。何かを捉えるというとき,そもそも何が起きるのかということを考えることなくしては,どちらの方法論的前提を採用しても仕方がない。逆にいえば,観察の理解さえ進めば,どちらの方法論的前提も意味のある研究指針として利用できる(大事なことは,利用できるということであって,前提と呼ぶものではもはやないと思う)。方法論研究が正当なる学問としての研究のための方法であるとすれば,本来,観察こそが問われなければならない。

ケースメソッド/スタディへの注目

ただ,観察を捉えること自体は多分できない。それは捉えるとか捉えないといった対象物ではなく,当の対象を構成する作動だからである。そこで,観察するということが有するメカニズムを考える事が大事だと考えた。この特有のメカニズムについて,本書では,観察を通じて,遡及的に実体が成立する,といった説明をしている。これ自体は,そんなに目新しい話でもない。先行研究を読んだ限りでも,こういった話は,僕が生まれる前から議論されていた。強いていえば,実在や実体は単に社会的に構築・構成されているというだけではなく,観察を通じて時間がずれることで成立するという点は,改めて注意してもいいのかもしれない。

観察を通じて遡及的に実在なり実体なりが成立することがわかれば,方法論研究としても,目指す道が新たにみえてくる。なによりも,どんな観察も実在と時間の操作とともにある以上,その中では,いわゆる正しさや妥当性はうまく求められそうにない。

本書では,新たな方法論(正確には,すでに有していた方法論の再発見)として,商学・経営学領域では重要な位置づけにあるビジネススクールの存在について議論した。特に,ビジネススクールでは事例を用いた教授法としてケースメソッドがよく知られている。これらの存在は,新しい形の研究上の方法論的帰結であるようにもみえた。過去の記録であるケースの存在は,そのまま個別方法論としてのケーススタディにもつながる。

ケースメソッドでは,クラスの中でケースについての観察の結果が議論され,自ら新たな発見を得ることが期待される。正しさや妥当性が得られるのは,さしあたり議論の場においてか,そこから持ち帰られた現場(研究としての場も含む)においてだけである。もしかすれば,およそありえないアイデアが登場するかもしれない。理論を無視した議論が行われるかもしれない。それでも,そこには新しい正しさの可能性がある。昔,ある企業の営業プロセスマネジメントのケースを通じて,IT管理の方法を思いついて億単位のコスト削減に成功したという方がいた。その思考プロセスはよくわからないが,しかし,ケースについての議論の中で可能性が開かれたことは間違いない。

ケーススタディも同様の構造を持っている。理論を証明するには力不足なはずの事例の存在は,しかし一方で理論という無味乾燥な論理に血肉を与え,だからこそ理論などやすやすと裏切っていく。本書では,そうした事例研究の方法を,先行研究を踏まえてヴィヴィフィケーションとよんだ。1つの研究が,それ自体として完結して閉じていることはたぶんない。先行研究を通じて過去とつながり,事例研究を通じて未来や他の世界とつながっている(つながり方は逆もありうるだろうことはいうまでもない)。

引き継ぐことの重要性

そういえば多くの場合,相対主義的視点の帰結は,なんでもありか,それゆえにプラグマティックへの回帰であった。本書もその傾向があるが,とはいえ一方で,一気に反転してしまったのではこれまでの研究蓄積が生かされず元も子もない。少し反転のスピードを遅くすること,別の可能性が入り込む余地を認めることが大事だと思う。ビジネススクールへの注目や,ケースメソッド/ケーススタディの評価は,そのための1つの試みである。

商学・経営学領域であれば当たり前の帰結かもしれないが,それでも明確にこの手のオチを見たことはまだない。もちろん,ほとんど同じ見解を導く研究はたくさんあった。幸運なことに,我々はいつでも過去に遡ることができる。すでに商学・経営学領域には,膨大な研究蓄積が残されているからである。

これまでの研究は,当たり前だが無駄のはずがない。というよりも,学問としての地位とは,批判も含めて研究が引き継がれ,歴史を作りながら次につながっていくことで確立される。冒頭で学問としての地位が低いかもなどと偉そうに言ってみたが,これは過去の研究の問題ではなく,それを引き継ぐ我々の問題である。

僕という観察は,良くも悪くも,過去も未来も作っている。大学院の頃とか生まれる前とか,そういう過去は今があればこその過去である。方法論研究に良い研究が多かったなどといえるのも,なにはともあれ,こうして1つの書籍がまとめられたからに他ならない。あと,一言だけ申し添えれば,そこで重要なことは,その引き継がれ方は1つの道として定められているのではなくて,いろいろな可能性を内包しているということだろうと思う。

水越康介(みずこし・こうすけ)
=首都大学東京大学院社会科学研究科准教授

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