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2011年9月27日 (火)

著者より:『市場と向き合う地方債』 「書斎の窓」に掲載

16374小西砂千夫/編著
『市場と向き合う地方債
 ――自由化と財政秩序維持のバランス』

2011年3月刊
→書籍情報はこちら

pen編著者の小西砂千夫先生が,本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2011年7・8月合併号)にお寄せくださいましたエッセイを,以下に転載いたします

◆財政と経済の関係をどのように考えるか
 ――『市場と向き合う地方債』を刊行して

=小西砂千夫(こにし・さちお,関西学院大学大学院経済学研究科・人間福祉学部教授)

市場に期待できることはどこまでか


このたび,有斐閣から『市場と向き合う地方債』を刊行させていただいた。本書は財政だけでなく,金融市場の視点から地方債の実態を明らかにしようとしたものである。財政ならまだしも金融となると自力では材料が集めきれず,地方債市場関係者のお知恵をお借りする必要があった。そこで本書をまとめるにあたり,地方債市場の関係者と自治体で起債業務への造詣の深い方に集まっていただき研究会を組織し,そこで得られたさまざまな知恵を反映させることにした。全体の統一性を損なわないように分担執筆をせずに私が全編を書き下ろしたが,本源的な著者は研究会メンバーである。本書を私の編著としたのはそのような意味からである。

地方債市場の実態を見極めたいと考えた理由に,近年の地方債改革の論議や実際の制度改正の背景となった見方に,市場機能重視の傾向が強く反映されていると感じたことがある。官僚批判の風潮のなかでは,官僚の手にある制度運営のガバナンスよりも市場によるガバナンスの方が,恣意的でなく効率的であるとの予断が持たれがちである。地方債はデフォルトがないとされる→その結果,自治体は財政運営に緊張感を欠き,平気で非効率を繰り返す→いっそ制度改正で破綻の要素を持ち込んで貸し手に自治体を監視させれば,財政健全化が進む,という改革のシナリオが浮かび上がる。

この一見わかりやすいシナリオに対して,はたしてそうなのかと疑問を持つことが,財政学研究において重要であると考える。まず,地方債にデフォルトがないとはどういうことなのか,それは放漫財政を繰り返しても,国が救済してくれるということなのか。本書はそうではないと主張している。現在の地方財政制度のフレームでは,特に建設公債主義と自治体財政健全化法の枠組みのもとで,自治体の財政が悪化すると,デフォルトに至る前に健全化に踏み出さざるを得ない仕組みとなっている。つまり「無茶借り」できないので,返済不能のレベルにはなれない。誤解をおそれず単純化すると,自治体が借り過ぎで財政悪化に陥ると,人件費カットで当面の公債費を工面せざるを得ない局面に追い込まれるが,そこで塗炭の苦しみを味わっても,それ以上に悪化はしないのである。

その一方で,地方債市場は,価格(流通利回り)変動を通じて,適切な地方債発行額なり発行残高について自治体にシグナルを与え,それを通じて健全な財政運営が実現すると期待できるのか。その手の質問への解答は,常に「yes or no」としておけば間違うことはないのであるが,少なくとも言えることは短期的には市場は市場の論理で動いている。公募地方債市場におけるたとえば東京都債や大阪府債などの流通利回りの動きは,何よりも国債の価格変動の影響を受け,市場全体の雰囲気に左右される。市場とは,市場参加者の思惑とリスクに対する強気と弱気が入り交じった面妖な世界である。それに健全な財政運営への舵取りを委ねようとするのは,市場へのナイーブすぎる期待であると映る。

財政学研究において,制度・理論・歴史のバランスが重要であることはいうまでもないが,手法としてのフィールドワークの重要性は見逃されがちである。政府と市場の実態がどう機能しているかを予断なく見たうえで,財政活動の制御を行うにあたり,法制度による統治と市場機能による調整メカニズムをどのように組み合わせるかの判断は,常に重要な課題である。本書は両者をどこでバランスさせるかに注目した。それに対して,前提として官僚不信から入る制度設計論は,予断ゆえに回答は最初から見えている。本書はそのような論理展開に強く反論している。

財政学研究における財政と経済の関係

関西学院大学における最初の財政学担当の専任教授である柏井象雄先生の最晩年に,私は大学院時代に3年間だけ学ぶ機会があった。明治以来の財政学研究の学統のなかで,財政学は歴史や制度の側面だけでなく,経済学の要素を取り組むことで理論的に発展してきたことを学んだ。それはまた柏井教授自身の問題意識であったように思われる。

財政学の流れのなかで,ドイツ財政学の伝統と,サミュエルソンらの新古典派総合の流れを合体させ,財政学の体系を示したのがマスグレイブ(R. A. Musgrave)である。柏井教授の次に専任教授となった橋本徹教授は,木下和夫教授を中心とする大阪大学財政学研究会の中心的メンバーとして,マスグレイブの一連の翻訳を手がけ,その大系をもとに自身の財政学研究を進めた。さらに,その次の専任教授となった山本栄一教授は,サミュエルソン = マスグレイブ流の公共財の理論を掘り下げ,それを軸に財政学研究を展開した(そうした研究成果の主要なものが有斐閣から出版されていることもあわせて強調しておきたい)。

私は1980年代に大学院で最適課税論に接することとなった。当時,創刊してほどない時期のJournal of Public Economics誌は,あたかも最適課税論の専門雑誌のようであった。そこでは課税という財政現象が,シンプルな応用ミクロ経済分析のモデルに取り込まれ,課税のあり方についての論理を導くことに成功している。この最適課税論と従来の財政学研究の再結合をねらったのが拙著『日本の税制改革』有斐閣,1997年であるが,いまとなってはそれが成功したなどとは思っていない。最適課税論の隆盛は,わが国では研究室にとどまらず,エコノミストが現実の政策決定の場で影響を与えるようになったことで,現実との接点をもった。そこでは,政治的な複雑怪奇なネゴシエーションの論理ではなく,経済学の「中立的な」論理で,政策運営を正しく導こうという高揚感が漂っている。

財政学研究が政策決定の場にストレートに影響を与えるようになったことで,応用ミクロ経済学において前提とされている市場メカニズムが,現実の市場にどこまで期待できるかを突き詰めて考える必要性が増した。その点を怠って安易にスキップすると,応用ミクロ経済学流の論理展開は,結果的に市場主義という一種のイデオロギーとなって一人歩きを始めるリスクがある。

2010年代の状況から近年の流れを日本の政治状況に照らして振り返ると,経済学と財政学の関係はいまやむしろ近くなりすぎて,財政学の問題意識は経済学に飲み込まれ,埋没した感がある。現代におけるバランス感覚は,かつてとは逆に経済学と財政学の適切な距離感を見いだして,そこに社会学的な要素を持ち込むことではないか。その結果,エレガントな理論分析は難しくなるとしても,それはやむを得ない代償である。

「改革」はいつも市場主義の風に乗ってくる

わが国の地方財政制度を中心に,現実的な政策運営に対し,できるだけ対象に近づいて当事者の目線でウォッチすることを自らの研究課題としている身としての偽らざる実感は,制度改革の機運は常に市場主義の風に乗ってやってくることである。かつての勢いを失い,行き詰まりを見せているわが国の経済と財政,そしていままた大きな災害に見舞われるなか,何とか現状を打開しようとしてさまざまな形で改革が行われてきた。

平成に入って20年あまり,地方財政に関する改革の多くは,市場主義のイデオロギーと小さな政府論への傾注の影響を受けたものである。何が問題であるかを正確に理解した上での改革であるならば,どんなイデオロギーであろうと正解に違いないが,正確な制度理解に裏付けられていない,前提としての官僚批判から演繹される市場主義に基づく論理展開には納得しがたいものがある。現代日本では,改革がかえって衰退を助長することを怖れるべきである。目の前の現象について,対象の近くで当事者の目線で見たり,ロングで引いてみて全体を見たり,歴史的文脈のなかで過去の政策判断の妥当性を診断するフィールドワーカーの目線が,いまこそ求められる。

本書では,そうした視点から,地方債とその市場について,たとえば次のように記述した。「地方債について,制度的な枠組みを解き放って,市場の裁定に任せるという議論が根強くある一方で,市場のパフォーマンスの実態を知る市場関係者のなかでは,市場に任せることに消極的な意見も根強い。政府が制御すべきものは政府が手放すべきではないというのである。市場を知るものは市場の不完全さを知っているということであろう。市場の調整メカニズムの有効性は否定できないが,市場の実態を離れた理念先行の市場依存の発想は危うい」「地方債市場におけるさまざまな動きは地方債に対する投資家の見方の反映であり,証券アナリストの分析や格付情報は投資家に対する技術的助言であって,地方債を発行する自治体が,それらを住民に対する情報提供に援用したり,財政状態に対する市場の判断の結果であるかのように利用したりすることは,本来は慎重であるべきである。」(いずれも第1章「地方債に関する疑問に答える」)。また,投資的経費の財源の一部に地方債を充て,その元利償還金の一定割合を地方交付税でカバーする「事業費補正」と呼ばれる手法がムダなハコモノ建設等を助長し,地方分権に反するという見方に対して,「事業費補正方式等を充実しすぎると国の政策誘導の効果を強く持つが,事業費補正方式等がまったくないと公債費に対する地方交付税の財源保障がほとんどないので,税源に乏しい団体では建設投資が実施できなくなる。つまり事業費補正方式等は,規模が大きくなりすぎると政策誘導と批判されるが,その措置がなければ建設投資について財政力格差が是正されないことになる」(終章「地方債制度のあり方」)。

思いを込めて書いたものだが,それが正しいメッセージかどうかはわからない。出版して世に送り出した以上,批判は甘受しなければならない。最後に,このような地味なテーマに対して発表機会をいただけたことに改めて謝意を表したい。

小西砂千夫(こにし・さちお)
=関西学院大学大学院経済学研究科・人間福祉学部教授

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