編集部員のつぶやき②:「光陰如矢(再開に寄せて)」
M. T.
①で休眠してしまい,シリーズと謳うのは憚られる状態になってしまった「編集部員のつぶやき」ですが,突然の②です。今回はずいぶん間が空きましたが,今後も不定期ながら,twitterの140文字には収まりきらない声をお届けできればと思っております。
さて,東日本大震災から早くも半年が経ちました。私もちょうど先日,東北地方で教鞭をとられているご執筆者のお一人からお便りをいただくことがあり,この夏休みに,学生さん方がご専門を生かしたボランティアをされている様子などを伺うことができました。
その夏休みもそろそろ終わりという大学が多いと思いますが,今月はご承知の通り,9.11も10年という節目を迎えています。2つの「.11」が重なりあい,自らが大学生だった当時,重苦しい不安を抱えて新学期に向かったことを思い出しました。
テロ事件はテレビで見ていました。現実ではまさかとすら思わない,それでいてどこかで見たことのある気がする映像を,「中継画像だ」と見せられて,何を思ったか。正直,不謹慎と謗られても仕方がないようなことも,たくさん頭に浮かびました。人のことをきちんと思う前に,事態が先へ先へと進んでいってしまうのです。
なけなしの想像力を働かせるのはしばらく経ってからで,恐怖心が湧いてくるのと同時に,猛烈な自己嫌悪に襲われます。あとはそれを打ち消すためにか,熱に浮かされたように,書店で次々と緊急出版される総合雑誌を読んで回った記憶があります。
その後の10年間は身辺に変化もあり,あっという間のように感じていました。しかし3.11で同じようなことを繰り返してしまい,10年は大事なことを忘れられるだけ長い時間だったのだと,また自己嫌悪です。
一方で10年前,夏休み明けの大学は,思ったよりずっと平静な空気に支配されていたように記憶しています。その中で,講義の合間などに先生方から時折漏れてくる事件への言及へ,耳をそばだてていました。
事態の推移を誰よりも熱く見守っていたとしても,一歩引いた広い視野からもう一度見て考える,学問の面目はきっとそこにあるのだろうと感じました。そして,一歩引いたときにどれだけの風景を描けるか,それが知識なのかと思ったりします。どれだけ色鮮やかか,どれだけ細密か,どれだけ広角か,そのあり方はさまざまであったとしても。
今年の4月に新年度を迎えた学生さん方にとって,春休み明けの大学の空気はどのように感じられたでしょうか。もちろん被災された方はそれどころではなかったことと思います。しかし,幸運にもそうでなかった方にも,それぞれの3.11があったことと思います。かつてを顧みながら,思いを馳せた9月が過ぎていきます。
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