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2011年9月27日 (火)

書評:『条約改正史』 「書斎の窓」に掲載

173705五百旗頭 薫/著
『条約改正史――法権回復への展望とナショナリズム』

2010年12月発行
→書籍情報はこちら

book 『書斎の窓』(2011年6月号)に掲載された書評を,以下でもお読みいただけます。(評者は,酒井哲哉〔さかい・てつや〕= 東京大学教養学部教授)

1 古典的主題への挑戦

『条約改正史』という表題を聞いたとき,これが新刊書と思う人はたぶん少ないだろう。「国史学」の殿堂のなかで鎮座する大家の著作と,多くの人はとっさに思うのではないだろうか。しかし,これは30代半ばの才気あふれる研究者による,まぎれもない新刊書である。簡潔な表題には古典的主題を敢えて引き受ける著者の覚悟がにじみ出ている。本書はいかなる意味で,「伝統」への挑戦の書なのだろうか。あるいは,本書はいかなる意味で,「伝統」を継承するものなのであろうか。日本近代史の古典的演目である「条約改正史」で著者が仕掛けたものを探りながら,本書を読んでみたい。

条約改正史はその重要性に照応して分厚い研究の蓄積がある。まず条約改正の各段階について,外交文書を渉猟した一群の実証的外交史研究がある。また,条約改正問題は国会開設期の一大政治争点であったため,国内政治史的視点からの研究書が現在に至るまで次々と出版されている。これらに共通するのは,条約改正史を「国民的独立」という文脈で把握する点である。困難な課題を粘り強い意志で達成した明治国家の指導者への賞讃になったり,あるいは逆に,弱腰の政府を鞭撻した在野の民権派に焦点があてられたり,論者により力点は異なるが,ナショナリズムの文脈にこの問題を位置づけるのが通例である。『条約改正史』という表題がいささか古色蒼然とした響きを持つのは,そのためであろう。

2 本書の構成

本書はこれまでの研究とは異なり,ナショナリズムの発露として条約改正を捉える視角に距離を置く点に特徴がある。従来は,税権回復から出発した条約改正交渉が法権回復をめぐるそれへ移行し,これに対して,外国人判事登用問題をめぐり政府と在野勢力の激しい対立が起きる,という筋書きで条約改正史を描いてきた。しかるに著者は,表向きの旗印は税権回復であったり法権回復であったりしたが,日本政府の本来の条約改正要求の主眼は,自国内の条約国人に適用される行政規則を政府が自由に制定し,違反者を処分する行政権の回復にあった,という主張を全面に打ち出す。そこには,法権回復(治外法権撤廃)は理想であっても有望な交渉争点とはなりえない,という日本政府の判断があった。それにも拘わらず,より困難なはずの法権回復へ争点が移行したのは,法権回復が進展したからではなく,行政権回復交渉が挫折したがゆえに跳躍を迫られたからである。このような政府の「背伸びした外交」に対する政党・世論の「背伸びした期待」が,条約改正交渉をめぐる日本国内のナショナリズムの躍動であった。著者は序章で挑戦状を読み上げる。

このような俯瞰図のもとで,第Ⅰ部「行政おける主権回復の試み」では,寺島宗則外務卿と税関行政(第1章),井上馨外務卿と警察行政(第2章)が論じられる。寺島から井上馨の条約改正交渉を税権回復から法権回復への移行と捉える通説を著者は否定し,両者はいずれも行政権回復を主眼としており,両者の差異は,税関行政と警察行政のいずれに力点を置くかに因るものと捉える。西南戦争期の財政逼迫状況で多様な要求を統合する結束核は税関行政権回復要求であった。この結束核は,税権回復を認めた日米協定の妥結により,日米協定の内容を既定路線とみなす外務省と,即効性のある関税引き上げを目指す大蔵省間の対立により崩壊する。寺島の後任の井上馨は警察行政に比重を移した行政権回復交渉を推進したが,居留民の抵抗と条約国の警戒のなかで立ち消えになり,条約国の駐日大使を主体とする東京での国際会議開催を余儀なくされた。

第Ⅱ部「法権回復への跳躍」は,行政権回復交渉が挫折するなかでより困難な法権回復交渉への跳躍がなされる,逆説に満ちた経路が詳述される。第3章は,行政規則制定権の回復と関税引き上げをめざした条約改正予備会議が難航するなかで,打開策として提示された全面的な内地開放と法権回復を謳った井上馨の宣言が与えた影響を扱う。第4章は,予備会議閉会後に,将来的な内地開放・法権回復を想定した有効期限を備えた貿易協定へとヨーロッパ大陸諸国と日本が収斂していくなかで,孤立を恐れたイギリス公使が日本側に歩み寄り,外交の主導権を奪還する過程が描かれる。第5章は1886年に開催された条約改正会議における裁判管轄条約案の審議を緻密に分析し,最終的に対外的合意が成立しつつも,合意内容が国内的に脆弱であった所以が明らかにされている。

3 本書の魅力

駆け足で本書の内容を要約したが,本書はさまざまな点で洞察に満ち溢れた書物である。狭義の条約改正史の研究者にとって本書は水準を一挙に引き上げた画期的な業績であろうが,この主題の専門家ではない読者にも,明治期の国家と外交に関する問題群の意味づけを与えてくれる。思いつくままに例示してみると,評者にはまず,条約改正交渉が,近代日本が初めて本格的に直面した会議外交であったことの意味を改めて考えさせられた。外交が単なる二国間関係の総和ではないということは今日力説されることであるが,条約改正は,必ずしも日本に好意的とはいえない複数の条約国と,国際会議で多次元的な交渉を行うことによって実現したものであった。

このような会議外交における駆け引きや合意形成ともに,居留民の既得権益擁護者である駐日公使を迂回して本国政府と直接交渉する明治政府の戦略が,電信技術の未発達による出先機関の自立性と微妙な不協和音を伴いながら進められていく過程や,秘密外交下において新聞・メディアが政府に対して持つ複雑な影響関係など,総じて明治前期の外交態様について,本書は実に精彩に富む叙述を行っている。そして,それらは一面では今日とは異なる外交態様でありながら,他方,会議外交における多次元的争点の処理という現代外交の態様とも重なる,いわば二重映しの描写となっている。古典的主題である条約改正交渉が,これほど現実感を以て浮かび上がってくることは,なかなか味わえない経験であろう。  

また本書で対欧米交渉と対清国交渉との連動と差異が一貫して描かれている点にも,著者の視野の広さを感じた。中国近代史における海関行政の重要性を考えれば明らかなように,東アジアにおける条約体制において,行政権回復をめぐる争点は欧米と中国をまたがる形で存在している。本書のもとになっているいくつかの論文は,中国史研究者との共同研究の産物でもあるが,日本外交史研究が東アジア国際関係史の一環として再編成されていることを改めて実感することができた。

そして右のようなさまざまな論点に関わる多次元方程式を成立させる媒介項が,行政権回復への着目である。明治前期の日本は,専門官僚制定着以前の「プレ行政国家」だったかもしれないが,それは寡頭制である故に,政府指導者内に激しい競合関係を抱えていた。行政権回復は,外務省が専有できない「行政権」という領域を扱うものだけに,政府内のさまざまな主体の参入を伴った。そして,領事裁判下に置かれた明治国家は,十全な主権国家ではなかったが故に,内政と外交が相互浸透する構造を有していた。本書で随所に描かれる政治指導者の個性的な描写は,近代国家の政治指導の質を真剣に問うものになっている。

4 大団円?

このように述べると,本書は,明治国家の威信を担った男たちの息詰まるようなドラマを描いた,日本政治外交史の典型と思われるかもしれない。だが,もしかしたら本書には,ドラマ好きの熱烈な日本政治外交史ファンの期待を裏切るような,近代日本に対する冷やかな視線が隠されているのかもしれない。

終章で著者はこう宣言する。「日本の条約改正史は,後進国が近代世界に適用しようとした試みの一つである。本書は,この経験を,成功したゆえにではなく,成功といえるほど進展したからこそ遭遇したより多くの困難や微妙な条件ゆえに取り上げた。」

行政権回復をめざす交渉がいくつかの暫定協定として実現していれば,民族独立といった興奮を誘う問題を部分的な合意に分解・咀嚼していく外交上のリアリズムを早期に習得しえたかもしれない。だが現実は,行政権回復構想は挫折し,法権交渉への跳躍がなされた。その結果生じたのは,「背伸びをした外交」に対する政党・世論の側の「背伸びをした期待」である。「今日にいたるこの主旋律の淵源として,明治の条約改正問題は幕末の攘夷運動を凌駕する特権的地位を占める。」この特権的地位とは,名誉ある地位なのだろうか。

評者は政治外交史とは,すぐれてネーションの反省的意識の学であると考える。そして,戦後日本外交における理想主義と現実主義の対立は,こうした反省的意識の表れとも考える。これに対して,著者は「戦後精神」により批判的である。「現場や細部から距離をとりつつ目をそらさないコミュニケーションを模索するnation state」を,丸山眞男も高坂正堯も追求したであろう。しかしこの道を選ぶことは,何も約束するものではない。これが本書の結びである。大団円を拒む知的潔癖さは心を打つ。

伝統芸能の役者が,表面は定型に添うように見せながら,実際はあえて定型をはずしていくような構えが,この書物にはある。観客は梯子をはずされたような不安定感とともに,こうつぶやくだろう。もしかしたら間違った場面で拍手してしまったかもしれない,と。 

本書は,「成功といえるほど進展したからこそ遭遇したより多くの困難や微妙な条件」を抱えた,悩める現代日本の自意識を反映した作品である。これが,「日本政治外交史」という「伝統芸能」における,「継承」の一つのかたちなのであろう。

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