著者より:『福祉国家の制度発展と地方政府』 「書斎の窓」に掲載
北山俊哉/著
『福祉国家の制度発展と地方政府
――国民健康保険の政治学』
2011年4月発売
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著者の北山先生が,本書の刊行にあたって『書斎の窓』(2011年7・8月合併号)にお寄せくださいましたエッセイを,以下に転載いたします。
◆歴史的制度論の切れ味
=北山俊哉(きたやま・としや,関西学院大学法学部教授)
先日,『福祉国家の制度発展と地方政府――国民健康保険の政治学』(以下,本書)を出版させていただいた。本書は歴史的制度論の立場から,国民健康保険を中心とした日本の福祉国家の制度発展を描いたものである。このエッセイでは,政治学以外の読者の方も多くおられるので,歴史的制度論がどのようなものか,それをどのように適用したのかをスケッチしてみたい。
「歴史的」制度論
アメリカ政治学界の中では歴史的制度論は,合理的選択制度論と対抗しながら発展が続いている。日本でも,代表的な論者であるポール・ピアソンの『ポリティクス・イン・タイム』が2010年に翻訳され,学部生も含めて研究が増えていくものと考えられる。本書も,同書に登場する「経路依存」,「正のフィードバック」,「ロックイン」などの概念を用いることによって,制度発展の説明を試みている。タイプライターのQWERTYのキーボードの配列が,いまだにパソコンでも採用されていることを例に,これらの概念は説明されてきた。これは,御存知の方もおられると思う。これに比べると,ポーリャ(ポリア)の壺という例はそれほど知られていない。このハンガリー人の数学者によるモデルをまず説明しよう。
ポーリャの壺
大きな壷の中に白玉と黒玉が一つずつ入っており,その中から玉を一つ取り出す。この玉を壷の中に戻すときに,同色の玉を一つ新たに加える,というのがこのモデルの設定である。取り出したのが白玉であれば,それを壺の中に返すと同時にもう一つ白玉を加える。今や壷の中には白玉二つと黒玉一つが入っている。以後,同じことを繰り返していく。1回の動作ごとに壷の中の玉の数は一つずつ増えていく。それを100回繰り返したときに,壷の中の白玉と黒玉の割合はどのようになるだろうか。実際に実験をしてみると,以下の三つのことが明らかとなる。
第一に,結果はまったく予測が不可能ということである。白玉が97個かもしれないし,白黒がほとんど同数かもしれない。逆に,黒玉が88個かもしれない。結果は実験ごとに異なる。
第二に,100回目には安定した状態となっている。途中で白玉が多い状態になれば,そこから黒玉が多い状態には変わりそうになく,逆もまた同じである。同数ということであれば,それ以降もその状態に「ロックイン」されていく。
第三に,初期のころにどちらの玉を取り出すかによって,100回引いた後にどのような状態になっているかが決まる。第1回目に取り出すときには,どちらの色であれ,確率は2分の1である。白であった場合,第2回目に白が選ばれる確率は3分の2となり,増加している。第3回目で,よりありそうな,白がもう一度選ばれると,白が選ばれる確率がさらに増加する。この結果,さらに白が選ばれやすくなる。これを「正のフィードバック」という。同一方向への加速的な変化である。
しかしながら,第2回目に,3分の1の確率で生起する黒が選ばれる場合も考えられる。その場合には白と黒が2個ずつとなり,再び同じ確率で白ないし黒が選ばれることになる。こうしてポーリャの壺のメッセージを次の三つにまとめることができる。
1 後に起こる展開を,あらかじめ予想することは困難である。
2 しかしながら一旦起こった展開は,後になって変化することは難しい。
3 どのような展開が起こるかは,初期の出来事によって決定される。
国民健康保険の制度発展
この数学のモデルが,政治社会において生起している事象をうまく言い表しているのではないか,というのがピアソンの主張である。日本の国民健康保険制度において誰を保険者とするか,という課題についても初期における二つの出来事が重要であった。1938年に成立した国民健康保険法では,他にいくつかの可能性も考慮されたが,市町村を範囲とした国民健康保険組合が作られ,これが保険者となった。次に占領期において,国民健康保険は市町村が保険者として公営で行うこととなった。この段階で市町村が保険者となるという制度がロックインされ,以後変化することが難しくなっていった。
もっとも,制度がロックインされていても,全く変化しないということではなく,制度は「発展」する。これについての議論も重ねられてきている。そのような発展は,既存の制度を前提として行われるのであり,そのなかに「制度転用」と「制度併設」という発展形態が考えられる。前者は,既存の制度に従来とは異なる目的が加わる場合であり,後者は,既存の制度に接木するように別の制度を付加する場合である。
昭和恐慌による農民の疲弊対策として始まった国民健康保険制度には,社会経済の変化とともに,都市の自営業者,さらには退職者,高齢者が加入していった。日本社会が高齢化するにつれて,高齢者の医療保険という性格が強まっていくのである。こうして制度は転用していった。
以後は制度併設が相次ぐ。高度成長期には,地方自治体が,ついで中央政府が老人医療の無料化を行う。これは,受診時の一部負担金を政府が支払うという制度を併設することで行われた。その後に老人保健法が成立し,無料化が終了するが,ここで健康保険組合や共済組合が国民健康保険の財政負担を軽減するかたちで財政調整を行う老人保健制度が併設された。その後さらに,介護保険制度,後期高齢者医療制度と制度併設が続く。
この間,国民健康保険を市町村が保険者として実施することは変わらないどころか,介護保険も後期高齢者医療制度も市町村(の広域連合)が行うことになった。ロックインは続いていたのである。
正のフィードバック,負のフィードバック
筆者は,本書の執筆と同時期に,秋吉貴雄・伊藤修一郎・北山俊哉『公共政策学の基礎』を有斐閣から出版した。この書物の中で,公共政策学の発展に貢献してきた政治学者の議論を紹介した。そのひとつにデイヴィッド・イーストンの政治システム論がある。これは要求・支持が政治システムにインプットされ,決定や政策がアウトプットとして環境へ放出され,フィードバックが行われて,再びインプットされると考えるものである。
筆者がフィードバックという言葉を政治学で見聞きしたのはイーストンを読んだ時が最初であったが,この時に思い出したのは,高校の生物で習ったホメオスタシス(恒常性維持)の概念である。システムに変化が生じた場合,それを元に戻そうとして,変化を打ち消す方向に動きを生じさせようとする働きが存在することで,恒常性が維持される。しかし,これは負のフィードバックである。政治行政においては正のフィードバックも働くことに注意を向けなくてはならない。ある種の公共政策や制度は,加速的な変化を社会経済にもたらす可能性がある。この場合,恒常性が維持されるのではなく,後になって打ち消すことの難しい変化がもたらされる。
このような正のフィードバックを発見した場合,その研究者は正のフィードバックが生じる,具体的な要因を明らかにすることが求められる。国民健康保険制度の場合,市町村にこの医療保険制度を実施する人員とノウハウが蓄積していたのであり,このことが正のフィードバックを生む要因となったと考えられる。
歴史的「制度論」
本書は,制度発展における正のフィードバックや時間の要素を重視しただけではなく,制度が政治的結果に与える影響を強調する制度論の主張も行っている。すなわち,福祉国家の発展に「中央地方関係の制度」が影響を与えたことを強調しているのである。通説的見解では,福祉国家の発展に,連邦制より,集権的な単一主権国家制度の方が好都合であるとされてきた。これに対して,ジェフェリー・セラーズ教授は,「上位政府の監督」と「地方政府の能力」という二つの変数によって地方政府を分類し,中程度の監督と,高い能力との組み合わせが,北欧諸国を特徴づけ,これが福祉国家の発展を説明すると論じるのである。
ドイツとスウェーデンの間に
彼はこの二つの変数からなる二次元に主要先進国をマッピングするという作業を行っているが,それによると,日本は,ほとんど北欧諸国の近くに位置する。ドイツとスウェーデンとの間の,スウェーデン寄りに位置する。この地方政府の分類が,福祉国家のあり方を説明するとすれば,これは非常に興味深い論点である。日本における医療保険制度の発展の歴史を見ると,健康保険法はドイツを手本とし,国民健康保険法はスウェーデンやデンマークを参考としたことが分かる。公的な社会保険を中心とする点ではドイツ的であり,公費負担を徐々に増やしていった点でスウェーデン的な要素が増えてきている。その結果,保険料と税金が混在した体系となっている。福祉国家のあり方でもまた,ドイツとスウェーデンの間に位置するのである。
それはなぜだろうか。日本においては,能力ある地方政府が存在し,すべての市町村に国民健康保険を実施させる(中程度の監督)ことで国民皆保険が実現した。さらにこの国民健康保険会計の赤字を憂慮する地方政府の利益,およびそれに基づく要求行動が大きな力となって,公費の投入,さらには他の医療保険との財政調整による市町村の負担緩和が行われてきた。その意味で,国民の間での平等化が進み,福祉国家が進展した。現在ではどの保険に入っていても,病院で払う自己負担割合は変わらないのである(他方では,自治体間の国民健康保険料の格差が存在するのだが)。こうして地方政府のあり方は,福祉国家の進展に大きな影響を与えている。
制度改革の難しさ
本書が正しければ,制度変革を主張する場合には,正のフィードバックが働いている可能性を考慮に入れなければならない。1990年代以降,性急に制度改革が唱道されてきた。それまでの制度を「ぶっこわし」,全く新たな制度を創ればよいと思うのは,合理主義者の陥りやすい陥穽である。非歴史的なポピュリストは,多くの破壊を行うかもしれない。しかし彼らは失敗するであろう。ポーリャの壷を壊すことはできないのである。
北山俊哉(きたやま・としや)
= 関西学院大学法学部教授
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