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2011年4月 7日 (木)

著者より:『感情心理学・入門』 「書斎の窓」4月号に掲載

123885大平 英樹 (名古屋大学教授)/編

『感情心理学・入門』

2010年12月刊

→書籍情報はこちら

  

pen編者の大平英樹先生が『書斎の窓』(2011年4月号)に寄稿されたエッセイ「ロンドンで考えたこと――感情に関する認知神経科学研究の舞台裏バックステージ」の全文をお読みいただけます。

 

◆ロンドンで考えたこと
 ――感情に関する認知神経科学研究の舞台裏バックステージ

                                 大 平 英 樹

ロンドンから南へ一時間,イングランドの緑なす丘陵にグラインドボーンはある。貴族の館にあるこのオペラハウスは,75年前の当主ジョン・クリスティが一目惚れしたソプラノ歌手にプロポーズするために作ったものだという。長く明るい夏の夕べ,一時間を越える幕間に,正装の男女が広大な庭でピクニックをしている光景は一幅の絵画のようだ。2010年5月から約10ヶ月,いわゆるサバティカルによりロンドンに滞在したのだが,グラインドボーンは特別な出来事として心に残っている。

このロンドン滞在中に『感情心理学・入門』を上梓することができた。この本の目的や趣旨は「終章」「あとがき」に詳しく述べてある。そこで本稿では,この本に記述されている研究知見がどのように生み出されているのかを,私自身の研究を事例として紹介してみたい。論文や本で報告される完成品としての研究成果が,オペラの舞台で提供されるパフォーマンスのようなものだとすれば,本稿はいわば,その舞台裏を公開するものである。

感情的意思決定

私は生理心理学あるいは認知神経科学という研究分野を専門としている。これは,知覚,認知,感情,行動などの精神活動を,脳波やfMRI,PETなどの機能的神経画像法を用いて脳・神経系の機能から解明しようとする立場である。ここ数年は特に,感情的意思決定の問題に強い関心を持っている。

古典的な経済学理論では,人間は完全な情報に基づいて,常に自らの効用を最大化するように合理的な意思決定を行うと仮定されてきた。しかし我々の日常生活においてはむしろ,選択肢の価値は明らかではなく,選択と結果の関係もわからないことが多い。この意味で,我々が住む世界は不確実である。我々は,ある選択肢が良いか悪いか,を,そうした不確実性の中で決定せねばならない。そのような場合,しばしば,合理的で熟慮的な決定ではなく,直感的な,しばしば感情に駆動された決定がなされる。この種の決定を感情的意思決定と呼ぶ。私がこの問題に関心を持つ理由を自問すると,自分自身が,しばしばこの種の非合理的な選択を行っているからだと認めざるを得ない。アルファ・ロメオとアウディのパンフレットや雑誌記事をさんざん読み,性能を比較した後で,ふと入ったBMWのショールームで,ディスプレイに映し出されていた流麗なクーペの映像に惹かれ,その場で契約書に印を押してしまった。この後数週間にわたり,この決定がいかに正しかったかを自分に納得させるために,BMWの長所を必死で探したことは言うまでもない(社会心理学では,これを決定後不協和の低減と呼ぶ)。まさに決定の合理性とは,決定を導く原理というよりもむしろ,後付け的な自分への言い訳であるように思われる。
 この例でもみられるように,感情的意思決定の「感情」とは,喜怒哀楽のような,強くはっきりとした情動ではなく,自分でも意識しえないようなもっと漠然とした心情である。そうした心情が,どのように意思決定に影響しうるのかが,私の研究テーマである。

ソマティック・マーカー理論

17世紀の哲学者スピノザは,デカルトの心身二元論を批判して一元論を主張したことで知られる。彼の主著『エチカ』は,全5部のうち3部が感情の省察にあてられ,ひとつの感情論であるとみることもできる。そこでスピノザは感情をこう定義する。「感情とは我々の身体の活動能力を増大しあるいは減少し,促進しあるいは阻害する身体の変状,また同時にそうした変状の観念であると解する」『エチカ』第三部定義三(畠中尚志訳,岩波書店)。つまり,なんらかの刺激によって身体の活動状態が変化すること,その変化を自覚すること,が感情にほかならないとされている。

この思想を現代に受け継ぐのが,高名な神経科学者であるダマシオである。彼は『スピノザを求めて』と題する著書において,自らの感情理論とスピノザの思想の類似性を強調し,スピノザへのオマージュを捧げている。ダマシオの主張は「ソマティック・マーカー理論」と呼ばれている。我々にとって重要な刺激は脳の扁桃体という神経核で検出され,それは心拍や血圧の増加,発汗,ホルモンの分泌などの身体反応を自動的に生じさせる。この現象を実感するには,山道を歩いていて足元に蛇を見つけたという場面を想像してみるとよいだろう。この身体反応は,言うまでもなく危険を避ける(蛇から飛びのいて逃げる)ための身体運動の準備である。しかし,もうひとつ重要なことは,こうした身体反応は求心性の神経経路によって脳にフィードバックされ,最終的に前部帯状皮質や島皮質と呼ばれる脳部位に表象される。それらの脳部位は意思決定の座である前頭前皮質に強い神経連絡を持っているので,最終的に身体反応は身体の信号(ソマティック・マーカー)として作用し,意思決定に影響するというのが,ダマシオ理論の要点である。

身体反応と意思決定のメカニズムを求めて

この理論は魅力的だが実証に乏しいと批判されてきた。最近の私の研究関心はこの理論を検証し,そこに働く身体と脳の機能を詳細に描き出すことにあった。ここでも,この理論に魅せられた理由は,自らの実感に合致するからである。私自身,これまでの人生において重要な場面であるほど,自分の意志でコントロールできない強い身体反応を経験し,意思決定そのものがそれにより影響されてきたことを自覚するからである。これは全くの主観だが,心理学の研究者が研究テーマを選択する場合,あるいはある理論やモデルを支持して検証しようとする場合,自分の経験や実感に依拠することが多いように思われる。つまり,研究における意思決定も,必ずしも合理的ではないのである。

実験によりこの理論を検証することは容易ではなかった。ダマシオは,ソマティック・マーカーは不適切な選択肢を過去の経験に基づく身体反応によって速やかに排除し,リスクを避けるために機能すると主張する。しかし数年の試行錯誤の後,私は身体反応の影響はもう少し違った形で働くのではないかと考えるようになった。そして,ソマティック・マーカーのような身体反応が強く働くのは,それに頼らざるを得ない場面,つまり不確実性が高く,かつ適切な選択肢が変動するような状況ではないかと考えるようになった。そうした状況を表現するために,「確率的逆転学習」と呼ばれる実験課題を用いた検討を始めた。これは簡単なギャンブルである。被験者は,二つの選択肢からひとつを選んで賭ける。例えば,一方の選択肢は七割の確率で金銭報酬をもたらすが,もう一方は三割の確率で金銭報酬をもたらす。もちろん被験者はそのルールを予め知らないので,試行錯誤により,適切な決定を見出さねばならない。課題の後半では,このルールが予告なしに逆転される。それまで適切であった選択肢が不適切となり,不適切であった選択肢が選ぶべきものとなる。単純な課題であるが,短時間で選択せねばならないとすると意外なほど難しい。この課題中の脳活動をPETにより測定し,同時に心拍や血圧などの心臓血管系反応,血液中のアドレナリン濃度(交感神経 = 身体興奮の指標)を同時測定した。

実験自体は日本で行っており,私がロンドンでしたことは,データを解析し,そこに何らかの意味をみつけることであった。この作業も難航した。どのような身体反応も,課題成績とは直接的な関係はなかった。そんな中,疲れた頭を冷やすために訪れた現代美術の殿堂テイト・モダンで抽象画を眺めている時,ちょっとしたアイディアが頭をよぎった。身体の興奮状態は,選択や行動のランダムさと関係があるのではないか,という考えだった。上記の課題で報酬の期待値を最大にするのは,適切な選択肢を100%選ぶことである。しかしほとんどの被験者はそのような振る舞いはしない。特にルールが逆転された後は,頻繁に選択を変える行動が見られる。これは,いったんルールが不変ではないことを知った後は,次のルール変更を速やかに見出すために,現在最適でない選択肢も一定割合でモニターするためだと思われる。しかし,最適な選択肢への誘惑は強いはずだ。身体興奮は,いわば,そこへ強制的に「外部ノイズ」を導入し,選択にランダム性を持ち込むことによって,結果的に適応性を上げているのかもしれない,と考えたのである。

いったんこのアイディアに到達した後は,解析はスムーズに進行した。選択のランダムさの指標として情報学の概念であるエントロピーを算出してみると,その値は血液中のアドレナリン濃度と強い関係があることがわかった。さらに媒介分析という統計学的な検定を用いて,両者の関係は,脳の島皮質の活動に媒介されていることが明らかになった。ここに至り,身体におけるアドレナリン増加(交感神経興奮) →その信号の島皮質への投射・表象→意思決定のランダムさを規定,という仮説的なストーリーを設定することができた。

感情研究の表舞台と舞台裏

現在,この研究知見を論文としてまとめている最中であり,運がよければどこかの学術雑誌に掲載されるであろう。そしてその時には,私は上記のストーリーを予め想定しており,その仮説を論理的に検証するために実験を計画し,仮説を支持する結果を得た,と書くであろう。それはまさに上演されるオペラの舞台のように,発表する論文は整合的であらねばならないからである。

しかしオペラにしても,その演奏,その舞台演出にいきつくまでには,果てしない試行錯誤が行われたのであろう。それを観客は見ることはない。心理学や認知神経科学において,特に感情の研究は,こうした直感や試行錯誤による非合理的な意思決定の側面が強いように,私には思われる。それは曖昧で漠とした感情という現象を対象にする難しさや危うさでもあるが,反面,ダイナミックな研究の面白さや魅力に溢れているように思える。『感情心理学・入門』の読者にとって,そこで取り上げた数々の研究が,舞台裏でのどのような格闘によって紡ぎ出されてきたのかを想像するのも,また興味深いのではないだろうか。

(おおひら・ひでき=名古屋大学大学院環境学研究科教授)

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