著者より:『社会心理学』 「書斎の窓」3月号に掲載
池田 謙一 (東京大学教授)
唐沢 穣 (名古屋大学教授)
工藤 恵理子 (東京女子大学教授)
村本 由紀子 (横浜国立大学准教授)/著
『社会心理学』
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著者の池田謙一先生が『書斎の窓』(2011年3月号)に寄稿されたエッセイ「社会心理学的察知力」の全文をお読みいただけます。
◆社会心理学的察知力◆ 池田謙一
昨年秋,唐沢穣,工藤恵理子,村本由紀子の三氏と協同して『社会心理学』を出版することができた。本書を通じて,社会人も含めた広い範囲の方々に社会心理学的「察知力」を涵養していただき,そこから社会の諸事象をどう解き明かし判断するか,社会にどうアプローチするか,応用力を培っていただければ,と願いを込めた。500ページ弱の長尺ものであるが,多岐にまたがる社会心理学の鳥瞰的なテキストとしては十分にコンパクトである。
●「察知力」
さて「察知力」とは,言うまでもなくサッカーの中村俊輔の著書(2008)のコンセプトである。それは自分の置かれた不利な環境の中でも,状況を素早く見通し,率先して動き出す,その力を指す。読み替えれば,社会という大きなシステムに圧倒されないで,私たちが自分のできることを最大限に発揮して生き抜くための判断力だとも言えよう。中村選手はそれを最も華麗に光らせるチャンスを逃してしまったが,察知力という洞察は生きている。
本書は「使える社会心理学的察知力」の養成を目ざす。社会心理学,心理学,社会学,コミュニケーション研究の学生・教員はもとより,社会心理学と接点のある次のような領域でもプラスの糧にしていただければと,願っている。
・裁判員制度をはじめ集団の意思決定の領域で,人間の情報処理特性やバイアス,ステレオタイプ,合議の利点と問題点についてアップデートしたい。
・行政の領域で,制度信頼と社会参加のメカニズムを可視化したい。
・経営や経済行動の領域で,心の自動過程や感情の情報処理,ソーシャル・ネットワーク,組織論について認識を深めたい。
・マーケティング領域で,同一シリーズの『マーケティング』とはやや異なる角度から,クチコミや環境行動への視点を加算したい。
・政治領域で,同一シリーズの『政治学』とは視点を異にする社会関係資本や世論過程,諸メディアのダイナミズムへの多角的理解を拡げたい。
・国際的場面での交流や交渉の領域で,心の文化差や異文化共生のヒントを得たい。
・工学的な「ものつくり」の領域で,人や集団の情報処理特性やネットワーク特性を生かし,その欠点を克服するモノやシステムの構築への参考としたい。
●察知力発生器としてのテキスト
この目的を踏まえて,次の二点に留意して本書は構成された。
第一。認知的不協和,同調,服従,限定効果などを社会心理学の主要語だと思っている方は,社会心理学の外に実に多い。これらは重要語ではあるが,もはや中心的概念とは言いづらい。急速に発展している社会心理学の新しい視点と知見を多く紹介しようと努めた。
第二に,本書の構図を抽象的に述べるなら,人間の能動性とその思考・行動の制約性の双方がもたらす構図を,日常的な社会生活場面の社会心理として明らかにすることにあった。しかも実験・調査・フィールドワークという実証の手段が,どれだけその構図の解明に寄与するかを強調しつつ,これを試みた。私たちは素手でこの学問に挑んでいるのではなく,実証という装備あってはじめて堅固な学問的知識・洞察を獲得しうる。このことを教科書として学ぶ上で明示するよう努めた。
●「考える葦」と「社会的動物」の現代バージョン
本書の構図をいま少し具体的に述べるなら,序文でも触れたように,人は「考える葦」でありつつ「社会的動物」としての限界を持つ,という点にある。人は内的世界・外的世界の制約に縛られつつも,逆に制約を手段に変えていくほどの能動性を持つ。
「社会的動物」としての制約はわかりやすいだろう。私たちは他者や集団・組織の存在,社会的なルールや規範,習慣や文化の存在,情報経路の制約としてのコミュニケーション・ネットワーク,空間的に展開した居住空間,都市,国家といった外的世界の制約の中で生きている。一方,内的世界の制約も大きい。脳のソフトウェアに生じる情報処理上の制約,また外界に向けうる注意力の制約,非効率的で雑音の多いコミュニケーション・チャンネルの限界といった制約である。
一方,これら制約によって私たちは単に「しばられる」わけではない。内的な制約の中で,ヒューリスティックという情報処理のショートカットを用いることで,大量の記憶・大量の入力情報を簡便に処理しうるのはその一つの方向性である。感情が素早い判断を助けることもある。
また,外的な制約を克服するために,スモールワールド特性といったソーシャル・ネットワークの性質を利用したり,個を超えた協力・協同によってモノの開発・生産を進め,集団の力と力の対決を防ぐルールや法を形成し制度を整え,ありうべき行動規範・価値を文化として育てるなど,その試みには際限がない。こうして私たちは思考や感情や行動のガイダンス,つまり制約を自ら作り出したり変容して手段化してもいる。そのような制約への対処のあり方こそ「考える葦」の真骨頂である。
●バイアスと欠陥を知り, これを補正・補完する
一方,本書で多岐にわたって紹介したように,人間や集団には判断や決定のバイアス・欠陥が多く潜んでいる。個人でも入手した情報は不完全にしか利用できず,集団の判断では異質な他者からの情報を割り引く根強い傾向を持つなどのことが山積している。この愚かしさにもかかわらず,人類はたくましく生き延びてきた。それは愚かさを解決するアプローチを何らかの形で成し遂げてきたからに他ならない。右記したような制約の手段化の中にはそうした試みが数多い。さらに文化の蓄積や,書物やコンピュータを始めとする人工物を開発することでもまた人間の能力の拡張,欠陥の補正・補完を行ってきた。
外界の制約を生成することで判断力の限界を克服する例を,産地直送の無農薬野菜購買の例で考えよう。インターネットで某県の農家から産直野菜を買おうとするとき,人は相手がなぜ信頼できる生産者だと判断できるのか。メールのやりとりや直接会うことでこの生産者は信頼できると判断するのがいつでも可能であるとは限らない。判断ミスも往々にして生じる(やさしそうな顔をしているから信頼できる,というヒューリスティックには限界がある)。こうしたときに,法的な制裁,ネットのシステムによる監査的な機能,ネット内での生産者の評判,さらにはトレーサビリティによる商品の保証といった安心確保の手段が消費者の判断ミスのリスクを下げる。
ここで注目したいのは,判断の限界を克服する手段はどれか一つに確定するわけではないことである。長年の付き合いに基づく信頼関係の構築も含め,どれが最高の手段でどれが最も確実ということではない。法や監査は社会的コストがかかる。トレーサビリティが機能しても運送中に商品が汚染する可能性はある。評判システムの裏をかこうとする業者は後を絶たない。信頼を逆手に取った裏切りもありうる。けっきょく人は,商品の安心を確保する複数の制約手段の組み合わせを相互補完しつつ,自らの判断ミスの可能性から守られる。
●予期せざるバイアスと欠陥
それでも問題は起きる。生活環境の能動的な構築の結果として,予期も意図もしないバイアスやミスがしばしば生じる。
例としてケータイメールによるソーシャル・ネットワークを考えよう。それは場所や時間や相手の都合にとらわれず,いつでも適切に容易に連絡が取れる手段として爆発的に普及し,とくに若年層での支持は圧倒的である。しかしそこには意図しない重大なバイアスが生じている。ここでのメールは基本的に一対一の通信であり,また込められるメッセージが比較的短くなりやすい特性を持つことから,身近な親しい友人へのメッセージに特化するバイアスを誘発する。このことが若年層のソーシャル・ネットワークを小規模に押しとどめる傾向をもたらし,そしてネットワークの小ささは社会への関与・関心,異質な他者への寛容性を押し下げることに直結する。こうしたことから,ケータイメールが持つ情報処理の制約の「予期せざる帰結」として,若年層に強いマイナスの社会的インパクトが生じる。
一方でケータイも進化し,最近ではより大きなネットワークとつながるメディアに変貌した部分もある。それ自体新たな問題への入り口ともなりうるのだが,こうした進化のプロセスに,制約がもたらすバイアスや欠陥を克服しようとする能動的なダイナミズムの一端が垣間見える。
このような産地直送の例やケータイの例は,重層的な制約と能動的な対処の構図を「見える化」することが,さらに新たな問題を察知し対処する機会を容易にすることをうかがわせる。その察知力をアップし,制約とバイアスに挑む機会を確実にプラスにしようとするのが,社会心理学の向かう一つの方向である。
●「社会」と「心理」
社会心理学には「社会」と「心理」の語が入っているのだから何を研究してもおとがめなしだと,よく軽口をたたいてきた。傲慢な主張だが,逆に読み替えると大変なことになる。「社会」と「心理」の入る行動は全て社会心理なのだから,それらを全て対象として研究すべし,である。本当にそんなことをしていたら研究者として身が持たないので,私たちは少しずつ「専門」を作って,その中で身を守るはめになる。
だが社会心理学の「教科書」ということになると,もはや身を守るすべはない。傲慢のつけを払わなくてはならない。もちろん,法律でも政治でも経済でも少なくとも人が二人いれば法的事象,政治事象,経済事象が及ぶとも主張可能だろうから,ただ社会心理学だけがそうした「つけ」を払うべき負債者であるわけではないが,社会心理学的察知力の可能性を幅広く見ていただこうと決意した以上,この覚悟を本書では引き受けることとなった。
その作業の困難さは,既に『政治学』に関わった畏友・田中愛治早稲田大学教授から伝え聞いていたので,身構えざるを得なかったが,共著者の同志三名でよくスクラムを組み,なんとか突破できた実感がなくはない。お読みいただき,察知力を感得していただければ,と祈る。
(いけだ・けんいち=東京大学大学院人文社会系研究科教授)