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2011年1月 5日 (水)

著者より:『アフリカから学ぶ』 「書斎の窓」に掲載

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峯 陽一 (同志社大学教授)
武内 進一 (JICA研究所上席研究員)
笹岡 雄一 (JICA研究所上席研究員)/編
『アフリカから学ぶ』

2010年9月刊
→書籍情報はこちら
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pen 著者の武内進一先生が,『書斎の窓』(2011年1・2月号)に寄稿されたエッセイ「アフリカから学ぶ」ということ」をお読みいただけます。
   

                                              

◆「アフリカから学ぶ」ということ◆
                                       武 内 進 一

私たちのスタンス

『アフリカから学ぶ』という、ちょっと変わった本を出版することができた。タイトルからわかるように、アフリカという地域を扱っているが、扱うテーマの範囲はかなり広い。全体で一五の章から構成され、歴史やジェンダーに関わる第Ⅰ部、紛争や難民について論じる第Ⅱ部、経済開発・社会開発を扱う第Ⅲ部、分権化、民間交流、政府開発援助を論じる第Ⅳ部に分かれる。執筆者も多彩で、私のようなアフリカ研究者と、国際協力機構(JICA)や国際機関、NGOなどで長年開発の実践に携わってきた方々が、ほぼ半分ずつ執筆を分担した。

本書の主たるターゲットは、アフリカの貧困や紛争について関心のある初学者である。これらの諸問題は、国連やG8サミットなどで取り上げられるグローバルイシューであり、日本でも近年著しく関心が高まっている。本書は、こうした問題に接近するための入門書として構想された。

本書の特徴は、問題への接近に際して、経済学、政治学といったいわゆるディシプリンよりも、アフリカという場に力点を置いたことである。そのため、歴史やジェンダーに関する章を最初に配置したり、宗教、呪術、スポーツ、音楽、絵画に関するコラムを各所にちりばめたりと、より広い文脈の中で問題を捉えてもらうよう工夫した。アフリカの貧困や紛争について勉強しようとするとき、それを解決するための制度や技術的な方策を学ぶことよりも、そうした事象が生起するアフリカという場について理解することが、まずもって重要だと考えたからである。

アフリカを知ることから始めようというのは、地域研究の考え方だ。本書のアプローチは、『アフリカから学ぶ』という標題に端的に示されている。このタイトルは編者の一人である峯陽一さんが発案したものだが、そのフレーズを聞いたとき、自分の営みはこういう言葉で表現できるのだと得心した。

私は、しばしばアフリカの国々を訪問し、調査と称して長期間滞在する。その時、必ずしも、アフリカの人々の生活をよくしたいとか、そこで起こっている紛争を解決したいとか考えているわけではない。あえて言えば、どのように人々が生活しているのか、人々の現在の暮らしがどのような歴史の上に成り立っているのか、といったことを知りたくてそこにいる。貧困であれ、紛争であれ、まずはその原因やメカニズムを地域に即して理解し、アフリカの国家や社会がそうした問題にどう対応しているのかを明らかにする。それが私の考えるアフリカ研究のアプローチであり、その核心は「アフリカから学ぶ」ことに他ならない。

アフリカと双方向で関わるというスタンスは、研究であれ開発実践であれ、本書の執筆者たちに基本的に共通している。開発実践について私は素人だ。しかし、アフリカに長く関わってきた実務家の方々を見る限り、現場に向かう姿勢に大きな差はないと感じる。開発実践は技術的な側面を重要な構成要素として含むが、外来の技術を伝達するだけで、現地に役立つ支援ができるわけではない。開発プロジェクトの成功は、現地の人々の実践と知に学びながら、外部者が触媒の役割を果たすことで生まれるのだ。

違うことと同じこと

「アフリカから学ぶ」ことは、アフリカから何らかの技術を習得することではない。それは、彼我の違いと共通点をともに認識し、両者の「つながり」を見いだすことだ。したがって、それは自分について、あるいは日本について考える作業と不可分である。
私はここ数年、アフリカの紛争について考えている。この問題は日本でもしばしば報道されるが、時に「部族対立」の一言で片付けられ、私たちの暮らしとは無縁のものとして扱われてしまう。しかし、アフリカで「部族対立」が発生するメカニズムは、それほど特殊なものではない。

一〇年ほど前、鹿児島県の島で選挙をめぐる暴力沙汰が勃発し、マスメディアでも盛んに報道されたことがある。住民を二分した激しい選挙が争われる土地で、選挙に勝った陣営が町役場のポストを独占して公共事業を発注する。島の経済は公共事業に深く依存し、住民の多くはその関連の仕事で生計を立てているから、いきおい選挙の帰趨が生活を左右する。この島で選挙が毎回のように過熱する背景には、そうした事情があった。

ここには、アフリカの「部族対立」のメカニズムと共通する要素がある。近年のアフリカで、選挙が騒乱のきっかけになるケースは少なくない。二〇〇七年末の大統領選挙の結果をめぐって暴動となり、一〇〇〇人を超える犠牲者を出したケニアの例は記憶に新しい。この紛争の背景には、選挙に勝利した側が国家の重要なポストを独占し、それを利用した利得を自陣営の構成員に対して排他的に分配するメカニズムがある。

アフリカでは、選挙に打って出る有力政治家を頂点とする各陣営は、しばしば同じ部族の人々が核となって構成されている。ケニアの騒乱ではキクユ人とルオ人が衝突し、多くの犠牲者を出したが、紛争が起こると異なる部族同士が衝突するのは、背景に利権を分配する構造があるからだ。部族が違うから暴力沙汰を起こすのではなく、有力政治家を頂点とする利権配分のネットワークが部族と重なり、それが衝突しているのである。

公共事業に深く依存し、役場など公的機関が利権配分に決定的な役割を果たす地域は、鹿児島県の島嶼部に限らず、日本に数多く存在する。一方、アフリカではおしなべて、国家による資源配分が国民経済の中できわめて重要な位置を占めている。そこに発生する紛争のメカニズムを考えていくと、共通する政治と経済の関係が見えてくる。

問題発生のメカニズムを知ることは、当然ながら、その処方箋を描くことと密接に関連している。貧困削減であれ、紛争解決であれ、地域の歴史や経験を踏まえ、問題発生のメカニズムを解明した上で、処方箋が書かれるべきだろう。「アフリカから学ぶ」ことは、その意味で実践と深く関わるのである。

鏡としてのアフリカ

アフリカに行くといろんなことに驚く。自分の経験を振り返ってみても、人々が裸足で歩いていることに、警官が堂々と袖の下を要求することに、役所を訪ねると受付嬢がラジオを聞きながら編み物をしていることに、初めて訪れた村で温かくもてなされることに驚いた。アフリカでは、日本ではとうていあり得ないことにしばしば遭遇する。

その一方で、これって日本と同じだよなあ、と思うことも多い。義理人情、腹芸、嫉妬。可愛いのは自分だし、思っていることを全部は言わない。過酷な状況でもユーモアを忘れず堂々と生きる人々もいれば、上役の顔色をうかがって小心翼々と暮らす人々もいる。我々が暮らす日本と同じように。

ルワンダの虐殺をテーマにした映画『ホテル・ルワンダ』が公開された二〇〇六年あたりを画期として、アフリカへの関心が日本でも急速に高まってきたように思う。その後もレオナルド・ディカプリオ主演の『ブラッド・ダイヤモンド』がヒットするなど、アフリカの紛争を題材とした映画が大きな注目を浴びた。二〇〇八年には横浜でアフリカ開発をテーマとする国際会議TICADⅣ(ティカッド・フォー)が開かれ、貧困削減をめぐる議論が戦わされた。二〇一〇年六月にサッカーのワールドカップが南アフリカで開催されたことも、マスメディアへのアフリカの露出度を高める契機となった。

様々なかたちでアフリカへの関心が高まるのは、望ましいことだ。貧困や紛争など、アフリカが抱える諸問題に多くの人々が関心を寄せていることに、勇気づけられる思いがする。一方、そうした人々にこそ、「アフリカから学ぶ」姿勢を忘れないでほしいと思う。

もちろん、アフリカの国々やそこに暮らす人々が様々な問題を抱えていることは事実だ。利他的な気持ちは大切だし、その行為は崇高である。ただ、アフリカの人々を救いたい、暮らしをよくしてあげたいと思うとき、彼らの境遇を哀れみ、自分から隔絶されたものと考える危険はないだろうか。慈善に基づく一方的な関係だけでは、問題を解決することはできないと思う。

実のところ、様々な問題を抱えているのは私たちも同じだ。日本では毎年三万人が自ら命を絶つが、現在のアフリカで年間三万人が犠牲になるような武力紛争はどこにもない。日本の学校や会社でのいじめやうつ病の多発は、アフリカの人々にとって想像もつかないだろう。私たちはお互いに問題を抱えている。だからこそ、私たちはお互いに学びあうことができるし、それによってお互い豊かになれるのだ。

アフリカと長くつきあって思うのは、それが自らを映し出し、省察を迫る、大きな鏡だということだ。貧困であれ、紛争であれ、アフリカで何が起こっているのか、その原因やメカニズムは何なのか、そこに自分が、あるいは日本や国際社会がどのように関わっているのかを知ることで、自分とは(そして日本とは)何かという問題がクリアに浮かび上がってくる。自らを相対化して考えるために、アフリカは格好の素材なのである。

最後に、アフリカの問題に関心を持つ初学者には、まずアフリカに浸って楽しんでほしい。貧困や紛争といった深刻な側面が伝えられることが多いけれど、アフリカでは人々が実によく笑う。彼の地を訪れた人は誰も、人々が呵々大笑している姿を目にし、自分もつられて笑い始めるだろう。深刻な話題だけでアフリカを語るのはもったいない。だから、私たちの本では、なるべく多様なアフリカを読者に感じてもらえるよう心がけた。まだまだ十分とは言えないけれど。

アフリカの貧困や紛争への関心から本書を手にした読者が、アフリカの魅力に惹かれはじめる。そんな役割を本書が果たすことができたら、編者としてそれにまさる喜びはない。

(武内進一:たけうち・しんいち=JICA研究所上席研究員)

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