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2011年1月 5日 (水)

著者より:『イノヴェーションの創出』 「書斎の窓」に掲載

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尾高煌之助・松島茂・連合総合生活開発研究所/編
『イノヴェーションの創出』


2010年5月刊
→書籍情報はこちら
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 著者の松島茂先生が,『書斎の窓』(2011年1・2月号)に寄稿されたエッセイ「トヨタ技術者のオーラル・ヒストリー」をお読みいただけます。

◆トヨタ技術者のオーラル・ヒストリー――『イノヴェーションの創出』の刊行によせて
                                松 島  茂

製品技術・生産技術・製造技術の相互作用

昨年五月、『イノヴェーションの創出――ものづくりを支える人材と組織』(尾高煌之助・松島茂・連合総合生活開発研究所編)を刊行した。二〇〇七年五月に連合総合生活開発研究所に設置された「グローバル経済下の産業革新と雇用に関する研究委員会」の三年間にわたる共同研究の成果である。本研究会は、参加メンバーができるだけ企業の関係者や生産現場を訪問して、インタビューや現場観察を行い、それに基づいて議論を深め、それをベースとして執筆するという方針で行った。それをまとめる過程で、筆者が作業仮説として提示したものが、本書第1章の「製品技術・生産技術・製造技術の相互作用」によってらせん状的にイノヴェーションが創出されるという考え方である。

   

筆者は共編者の尾高教授とともに、かねてからオーラル・ヒストリーの手法によって戦後の自動車産業の発展過程を解き明かすことを企図して、一九五〇年代後半にトヨタに入社された技術者にインタビューを続けてきている。その成果は、『熊本祐三オーラル・ヒストリー』(法政大学イノベーション・マネジメント研究センター、二〇〇七年刊)、『池渕浩介オーラル・ヒストリー』(同前、二〇〇八年刊)、『和田明広オーラル・ヒストリー』(東京理科大学専門職大学院MOT研究叢書、二〇〇八年刊)、『大橋正昭オーラル・ヒストリー』(同前、二〇〇九年刊)として刊行されている(1)。それらを読み返しているうちに、このアイデアが浮かんできたわけであるが、特にヒントになったのは『和田明広オーラル・ヒストリー』であった。

『和田明広オーラル・ヒストリー』が実現した経緯

和田明広氏は、一九五六年に名古屋大学工学部機械工学科を卒業され、直ちにトヨタ自動車_鰍ノ入社された。その後、一九五七年に技術部ボデー設計に配属されて以来、一九九九年に副社長を退任されるまで、設計部門を中心に経歴を重ねてこられた。特に、一九七〇年に製品企画室に主担当員(課長待遇)として転任されて以降は役員になるまでの間一貫して製品企画室に在籍されて、数多くの車種の主査として製品企画・開発を手がけられている。副社長時代には初代プリウスの開発をリードされた。トヨタの製品開発システムがどのように発展してきたか、その強みはどこにあるのかについて語っていただくのにもっともふさわしい方である。

『和田明広オーラル・ヒストリー』が実現したのは、トヨタ技術者のオーラル・ヒストリー研究を始めるきっかけとなった熊本祐三氏のご紹介があったからである。熊本祐三氏は和田明広氏と同期入社で、和田氏には『熊本祐三オーラル・ヒストリー』をお読みいただいていた。和田氏がこのような作業を積み重ねることの意味を評価していただいたというお話を熊本氏から伺い、そこで熊本氏を通じてぜひ和田明広氏の貴重なご経験を伺わせていただきたいと御願いしたところ、快くお引き受けいただいた。

『和田明広オーラル・ヒストリー』の概要

今回のインタビューを通じて語られたテーマは、和田氏の次の発言が簡潔に言い表している。――「トヨタが今日あるのはどうしてだろうということです。……私が思うのは、確かに生産方式もすごくすばらしいアイデアを持って、すばらしいことをやられた。これは間違いない事実ですけれども、一方で、今日のトヨタのイメージができあがったのは品質だと思うんですね。特に、品質でも、みかけの品質よりも耐久品質だと思うんです。壊れない車、あるいはサービスしなくてもいい車、そういう車をつくり上げていったことではないかと思うんです。」

では、なぜこの耐久品質が実現したのか。この問いに対する和田氏の答えは、簡明である。――「旧トヨタ自販を含めてトヨタのトータルのシステム化がいい形ででき上がっていた。トヨタ自動車販売、販売店、トヨタ自動車の中、それが非常にうまく動いたのがよい結果を生んだということです。特に、品質の話はそれに尽きますね。叱られないように仕事をすることが一番ですから、……一生懸命考えを絞って、努力するよりしょうがないわけですから。」

販売店とトヨタの関係のあり方が、なぜ品質につながるのか。和田氏は、次のように語る。――「GMやフォードと違うのは、……米国内ではGMの下は直接販売店ですから、総代理店はないわけです。ですから何千という販売店と直接コンタクトするわけです。ということは、販売店からGMに文句を言うことはほとんどないんですね。だって、一〇人や三〇人の会社が何万人の会社に向かって文句など言いようがないじゃないですか。

ところが、トヨタの場合は各地に大きなディーラーがあるものですから、そのディーラーはしっかりと現象を把握している。また、他社の良い車を見つけると、多分、こんなことをやっているから、良くなっているんじゃないかとか言ってきます。……トヨタ自販が会議を主催して、ディーラーに言わせるわけです。あらかじめ不都合はちゃんと調査していて、こういう議題をやるぞ、お前らはちゃんと直して出てこいと、最初から自販が自工のほうに言ってきます。自販がなくなっても、同じようにサービス部が販売店を動かしていたんですね。」

アメリカの小規模な販売店は、GMの車に不満があればそれを取り扱わなくなる、すなわちexitするだけである。したがって、GMは問題点を認識してそれに対処することはなかなか難しい。これに対して、トヨタのディーラーは相当の規模があり、トヨタとの関係も継続的であり、強固なので、トヨタの車に問題点があれば、その問題点を把握してvoiceを上げてくる。それだけ、トヨタは問題点に気づきやすい(2)わけだし、トヨタの側がそれを受け止める体制ができていれば、問題点に対して対応することができる。この積み重ねがトヨタの品質の向上につながったという論理である。

このvoiceを受け止めて、トヨタ自動車の内部で問題解決を図る中核となるのが製品企画室及び主査の役割である。和田氏は、次のように語る。――「トヨタの場合は製品企画室があって、主査がいて、主査に主査付きがいますから。車体、シャシー、エンジンとか分けられないような問題ですね。ハンドリングなんかもそうですね。そんなもの車体の剛性がないからだと足回りの連中が言うし、車体側は剛性なんか小さくたって足回りさえしっかりすれば真っすぐ走っていくぞとか、やるわけですから、そういう采配は製品企画室が振るわけです。どちらかといえば製品企画室が旗振りで、車をよくしていくわけです。各地の懇談会だ、サービス会議だ、やりましてね。」

なぜ、トヨタの主査は機能したのか。これに対する和田氏の答えも簡明である。――「モノをつくるのにどうしても図面が要るわけです。エンジンにしても、足回りにしても、ボデーにしても、その図面に最後にサインする人、これが主査なのです。確かに組織図上ではスタッフですけれども、厳密に言えば、実際は主査がだめと言えばその図面は生きないわけです。」

確かにこの権限は、パワーの源泉になりうる。もちろん、この権限が活きるためには、主査が「技術屋が喧々諤々の議論ができるほど」にエンジニアリングがわかっていることが前提である。しかし、そうだとしても一人の主査で、あらゆる技術分野に的確な判断が下せるのだろうか。また、膨大な枚数に登る図面を主査一人でサインできるのか。
前者の問いに対する和田氏の答えは、次のとおりである。――「主査制度の場合は、主査の下に主担当員がいるわけです。その主担当員は、例えばボデーのことに明るい主査であれば、足回りに明るい人、エンジンに明るい人、中にはデザインに明るい人とかそういう人を持ってきて、主査のグループで全部の機能が果たせるようなシステムを作り上げていたわけです。」

後者の問いに対する和田氏の答えは、次のとおりである。――「図面を見るときは汚い図面とか寸法線を見る。あるいは、サインの上に注意書きが書いてありますから、注意書きだって大変なチェックポイントです。いかに早く問題を見つけるか。それから、決済を持ってきた人が説明している間に、自分の頭で反論を考える。ごまかされないように一生懸命考えなければいかん。最後の説明が終わるまでに反論が見つからなかったら、すっとサインする。……人がやっていることに対して、反対事象が常に頭に浮かぶわけです。こういう問題があるのではないか、あんなことを言っているけれども、こういう問題があるのではないかと。」

主査といえども決して万能ではありえない。すべての図面にサインするという権限を与えられても、すべての図面を均等にチェックする時間はない。基本は各人が図面をしっかり見るようにすることであり、それには「設計部からはいつも検図されていると思われていなければならない」(和田明広氏の《チーフエンジニアの心がけ》の第9項)。上記はそのための一つの方法なのである。

このように、販売店とトヨタ自動車の関係、トヨタ内部での主査と設計図を書くエンジニアの関係についての和田氏の発言をフォローしてみると、分業による設計あるいはものづくりが、予定調和的にうまくいくということはありえないという和田氏の考え方が浮かび上がってくる。むしろ最適解からは離れ勝ちになる危険性をはらんでいる。これを回避するためには時にははげしく意見を戦わせながら、互いに切磋琢磨するとともに、それぞれの部署あるいは個々人が自分の庭先を掃くのではなく、相手のことも理解しながら、「自分が少々泥をかぶっても、物がよくなり、全体がよくなる」ように考えることが大切であるというのが和田氏の主張であろう。

全体を通して、和田氏の発言の中で制度に関する言及が少なく感じられた。それは、「どんな制度をつくっても、人がよくなければいいものはできません」という和田氏のお考えと関係があるように思われる。では、人はどのようにしたら育つのか。この問いに対する和田氏のお考えは、次のとおりである。――「一言で言えば、もっと積極的にローテーションして、いろいろな種類の勉強をするような仕組みをつくっていくことしかないと思います。……骨格をやれば、ホワイトボデーの構造のほかプレスとか溶接とか大体わかるでしょう。例えば、ティアダウンと言うけれども、ティアダウンして、よその車をベンチマークというだけで、何を見ているかわからないようではどうしようもないわけです。その車の特徴はどこにあって、その車は学ぶべきところがないとか、あるとか判断しなければいけない。それから、今度は細かい部品に至るまで、新しいつくり方、新しい材料、新しい加工方法を何か使っているのではないかと思い、鵜の目鷹の目で見る。そういうことを積み重ねてやっていかないと、意味がありません。」

和田氏は、これからの人材育成について「幅広く物が見られる人間を、早く、早く、もっと育てていかないと、大変だと思います」と語っている。

『和田明広オーラル・ヒストリー』から学んだもの

 お話いただいた内容は、単に自動車の設計に関する技術的な事柄に止まらず、技術者としてのものの考え方、技術人材の育成のあり方、さらには広く教育のあり方にまで及んだ。今日のトヨタを生み出したものは、細分化された組織の部分最適を超えて常に全体最適を優先させるという共通の価値観を持ちながらも、それぞれが個性的で、活力にみちたエンジニアの群像であったということを、このオーラル・ヒストリーの作業を通じて改めて確認することができた。そしてこのことが本書第1章で提示した作業仮説につながっているのである。

(1)熊本祐三氏は生産管理、池渕浩介氏は製造、和田明広氏は製品設計、大橋正昭氏は材料技術の分野で活躍された。なお、この他に生産技術の歴史に関して楠兼敬氏にインタビューを行っているが、『楠兼敬オーラル・ヒストリー』は未刊行である。
(2)Cf. Albert O. Hirschman, Exit Voice and Loyalty, Harvard University Press, 1970.

(松島茂:まつしま・しげる=東京理科大学
  専門職大学院総合科学技術経営研究科教授)

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