著者より:『犯罪心理学』 「書斎の窓」に掲載
R.ブル (レスター大学教授)ほか/著
仲 真紀子 (北海道大学教授)/監訳
『犯罪心理学
――ビギナーズガイド:世界の捜査,裁判,矯正の現場から』
2010年9月刊
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監訳者の仲真紀子先生が,『書斎の窓』(2011年1・2月号)に寄稿されたエッセイ「法と心理学のおもしろさ」をお読みいただけます。
◆法と心理学のおもしろさ-- 『犯罪心理学――ビギナーズガイド』の出版に向けて◆
仲 真 紀 子
私は大学で純粋な(?)実験心理学を学び、記憶やコミュニケーションの研究をしていたが、いつの間にか法と心理学という学際的な領域に関心をもつようになり、今では研究の大半がその領域に関するものとなっている。このような領域に身をおくことになったきっかけを紹介しながら、法と心理学のおもしろさを伝えられればと思い、これを書いている。
あ る 事 件
かれこれ二五年ほど前のことである。学位をとり、教育心理学の教員として就職し、毎日楽しく授業や研究にいそしんでいたが、なんとなく物足りなさも感じていた。実験室でいくら新しい知見を得ても、その知見は学問の外に出ていくことがない。そのような時、一人の弁護士が研究室を訪ねてこられた。目撃者の証言の信用性を検討してほしいということだった。
それはある政党の本部が放火により炎上したという事件で、目撃証言から被疑者が同定されたが、その目撃証言は信用できるだろうか、という検討依頼であった。目撃者は、現場に残された火炎放射装置の部品を販売したとされる問屋の店員であり、四ヶ月前にその部品をある客に売ったということであった。この「客」は誰かということで、警察が三七〇余枚の写真を店員に示し、店員は逡巡したが、「似た人でもよい」という教示を受けてAさんを選んだとされる。このAさんが被告人になった。
四ヶ月前に部品を売ったことのある初対面の客を、店員はどの程度覚えているものだろうか。記憶は時間とともに低下する。しかし、具体的に四ヶ月後にどうかということは、論文を検索しても分からなかった。コンビニの店員が初対面の客の顔を覚えていられるのは数時間だという研究はあったが、問屋といえば来る人も限られている。記憶はもう少しよいかもしれない。
そこで弁護士が依頼した他の心理学者、自白の研究で有名な浜田寿美男教授や、日本大学の厳島行雄教授、慶應義塾大学の伊東裕司教授らとともに、フィールド実験なるものを行った。都下の一〇〇件余りの問屋をリストアップし、「客」を装ったさくらが出かけていって買い物をする。客には上記事件の目撃者の証言に沿った内容の行動をしてもらう他、手に包帯をする、変わった名刺を出す、支払いはすべて小銭でするなどして、店員の印象に残る行動をとってもらった。私たち心理学者は、その三ヶ月後に店舗に出向き、店員に事情聴取を行った(事件では事情聴取は四ヶ月後であったが、実験では少し余裕をもって三ヶ月後とした)。領収書をもっていき、このような買い物をした客がいるか、その客はどのような人物であるか、どのような行動をとったかを尋ね、最後に一五〇枚ほどの写真を提示して「客だ」と思う人を選んでもらった。
最終的に調査に協力してくれたのは八六人の店員であった(これが調査であることは最後に開示した)。「客」のことは手の怪我や名刺などを手がかりとして提示し、どうにか思い出してもらったが、顔までを当てられる人は少なかった。八六人のうち、顔は全く覚えていないと言って写真帳を見ることさえしなかった人が八人、見始めはしたが、やはりわからないと言って写真を選ばなかった人が二一人、最終的に五七人が写真を選んだが、四九人が誤った写真を選び、八人だけが正しく客の写真を選択した。正しい写真を選んだ店員の話を聞くと、彼らは三ヶ月前のその「客」を怪しいと感じ、今度来たら上司に報告しようと思ったり、逆に商売になるかもしれないと感じて名刺を机の前に貼ったりしていた人たち、いわば客に高い関心を抱いていた人たちであった(しかし、客に高い関心を抱いていた人でも、当てられない人もいた)。
もとの事件に戻ると、目撃者となった店員は、当初警察官に、写真は選べないと言った。しかし「似た人でもよい」と言われて特定の写真を選んだ。この目撃者はいわば写真を選ばなかった八人か、選び始めても途中で中断した二一人(これらの人は「似た人でもよい」と言われれば、写真を選んだかもしれなかった)に当たるであろうと推察された。これらの実験結果を踏まえて、私たちは鑑定書を書き法廷で専門家証言を行った(この事件は無罪が確定した)。それは、実験心理学も時には社会的な問題に関わりをもつことができるのだという、驚きの体験であった。
事実確認のコミュニケーション
その後、強盗を目撃したとされる幼児、強制わいせつを受けたとされる小学生、中学生、知的しょうがい者、夜間、傷害事件を目撃したとされる人物、殺人事件の共犯者だとされた人物等の供述の信用性について心理学者として意見を求められ、意見書や鑑定書を書くことも行ってきた。これらの事件の資料を読みながら思うことは、「出来事を正確に聴き取る」というのはたいへん難しい、ということである。
事情聴取の目標は、話す人の頭の中にある記憶をできるだけ汚染せずに聞く人の頭の中に写しとり、調書等のかたちで外形化することであるだろう。しかし、実際には話す人の信念やイマジネーション、聞く人の仮説や言葉の言い回しが記憶に影響を及ぼす。そして、こういった様々な影響を受けた記憶は、ひとたび調書という形になってしまうと元に戻すことができないのである。
上の事件では、店員が「選べない」と述べたところで写真識別が打ち切られれば、誤った人が選ばれることはなかった。しかし、「似た人でもよい」という教示のもとで目撃者は写真を選択した。そして、一度選んだ写真は頭の中の記憶に影響を及ぼしたものと思われる。目撃者は、「あごが張っている」「髪にウエーブがかかっている」と、写真に沿った供述をするようになった。
言葉による事情聴取も同様である。大人でもそうだが、幼児や児童、知的しょうがいをもつ人は、質問による影響を受けやすい。「何があったかお話ししてください」というオープン質問であれば比較的誘導のかからない情報が得られる。しかし、「いつ、どこで、誰が……」といったWH質問では推測による応答も出てくるし、「Aですか、Bですか」といった選択式のクローズド質問では、記憶になくても答えを選んでしまうことがある。そして、質問文に含まれるA、Bといった情報は記憶を汚染する。
筆者は供述の信用性の検討を依頼されると、初期の面接の録音や録画がないか尋ね、あればそこでのやりとりを書き起こし、どのような質問に対してどのような応答が得られているかを分析する(実際のところ、具体的な質問や答えが書かれていない調書だけでは信用性の検討は難しい)。こういった検討でわかるのは、多くの面接が、「XがYにZをしたのを見たの?」や「XにYされたの?」など、被疑者の名前や問題となる出来事が含まれる質問によって開始される、ということである。また、目撃したとされる人や被害を受けたとされる人がうまく答えられないと、面接者は「こうじゃないか」「ああじゃないか」と多くの質問を繰り出し、ときには自分の仮説や推測される事柄をヒントとして出したりもする。これらの情報は、被面接者の供述の誘導要因として働く。
では、どのような面接をすればよいか。これは認知心理学、発達心理学の十八番であり、ここにも心理学が貢献できる可能性がある。今、筆者たちは司法場面でも使用できる質の高い情報を聴取するための面接法(forensic interviewの訳で司法面接と言う)の開発と専門家への訓練を目指すプロジェクト「犯罪から子どもを守る司法面接の開発と訓練」を立ち上げ、虐待のフロントラインである児童相談所等の専門家を対象にトレーニングを行っているところである。ここにも心理学が実務に関わることのできるパスがある。
心理学が貢献できること
以上、目撃証言の正確さの査定や、正確な証言を得るための面接法について述べた。現在、こういった研究や実践に取り組んでいる心理学者は多く、層も厚くなってきている。しかし、心理学が貢献できる領域はまだまだたくさんある。
宣伝になってしまうが、こういった領域のさらなる地平を示してくれるのが『犯罪心理学 ビギナーズガイド』である。本書は、法と心理学の研究を常にリードしてこられたレスター大学のレイ・ブル教授らによる、イギリスを中心とした犯罪心理学事情である。イギリスでは一九八四年に被疑者取調べの録音が始まり、一九九二年からは被害者・目撃者となった子どもへのビデオ録画面接も始まった。さらに、エビデンスにもとづく矯正・治療プログラムの開発・評価や、法的表現の改正など、心理学者による多くの貢献がある。
日本でも、このおもしろい研究領域により多くの研究者が参入してきてくれることを願うとともに、司法関係者には、ぜひとも心理学者やその成果を、制度設計や法の実務に活かしていただきたいと思う。
(仲真紀子:なか・まきこ=北海道大学大学院文学研究科教授)
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