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2011年1月 5日 (水)

著者より:『まちづくりを学ぶ』 「書斎の窓」に掲載

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石原 武政 (関西学院大学教授)
西村 幸夫 (東京大学教授)/編
『まちづくりを学ぶ――地域再生の見取り図』

2010年9月刊
→書籍情報はこちら
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pen 著者の石原武政先生が,『書斎の窓』(2011年1・2月号)に寄稿されたエッセイ「まちづくりのひろがり」をお読みいただけます。

◆まちづくりのひろがり◆
                                               石 原 武 政 

まちづくりとの出会い

私が「まちづくり」と出会ったのは、一九八八(昭和六三)年の早春だった。商業論を専攻している私は、当時、同志社大学商学部の教授だった石井淳蔵さん(現・流通科学大学学長)と共に、大阪商工会議所の商店街活性化プロジェクトのお手伝いをしていた。現場をほとんど知らない私たちが、集められた資料を見ながら議論しても、これぞという手ごたえのあるアイディアは浮かんでこなかった。

「困った時は現場へ行こう」という石井さんの言葉に救いを求めるように、私たちは現場に出た。烏山駅前通りで、原宿で、福山市の本通りや大黒町で、広島市の並木通りで、そして長浜で、私たちは現場の商人の熱い想いと自信に満ちた取り組みに出会った。

後になって考えてみれば、その頃はバブルの絶頂期で、現場の人びとも高揚した気分になっていたかもしれない。しかし、一九八五年に始まった小売商店数の減少傾向は着実に進行し始めており、商店街の景況感が悪化すると同時に、空き店舗問題が深刻になり始めていた。それだからこそ、余計に商人たちはそれぞれの足元に熱い視線を注いでいたのであろう。

彼らの取り組みを、私は感動的に受け入れた。苦しい状況の中で、「やる気がない商人が多い」といわれながらも、こんなにも一生懸命にまちの活動に取り組んでいる人がいる。単に自分たちの商売をどうするかというだけではない。どうすれば地域の人たちを魅きつけることができるのか、彼らはそのために懸命に取り組んでいたのだ。

もっと多くの感動を得たくて、そのプロジェクトが終わってからも、私たちは機会を見つけては、全国の現場を訪れた。悩みは似ていても取り組み方は違う。イベントやハード整備に対する考え方も、まったく正反対であることもあった。イベントは手づくりで汗を流してやるところに意味があるという見方もあれば、それでは疲労困憊して長続きしないという意見もある。商店街活性化はハート、ソフト、ハードの順で進めるべきだと言う人もいれば、ハード面で揃っていなければ長期的に利害を一致させることはできないという人もいた。

それぞれの考え方で現場を動かせているのだから、その場で聞けば、それぞれが十分に説得的であった。ただ一つの正解があるわけではない。どの道を選んでも、決して平坦ではない。思いもかけない苦労がきっとやってくる。その時に、みんなが信じて進むことができる。それが一番大事なことなのだと思うようになった。

「健康美」を求める

間もなくバブルがはじけて、日本経済は長い不況への道を歩み始める。それと同時に大店法の規制緩和も進行し、商店街はいっそう苦難の道に立ち向かわなければならなかった。一九九〇年代初頭は地域商店街に大きな注目が集まる転機であった。

「商店街はまちの顔だ」というのは、その頃、商店街への熱いエールとして語られた言葉であった。しかし、本当に「顔」にふさわしい手入れをしてきたのだろうか。そう思いながら、私はまったく別のことを考えていた。

商店街がにぎわっている都市は、その都市自体に活気がある。それに対して、商店街に活気がない都市は、その都市自身が活力を失っている。商店街は都市の活力を映し出す鏡なのだ。

そう、私たちの健康状態が顔色に表れるのと同じように。その意味でまさに「商店街はまちの顔」なのだ。その顔を魅力的にするにはどうすればいいのだろうか。数年後には、私はこんなことを考えるようになっていた。

バブル崩壊後はかなり少なくなったとはいえ、それでも再開発を中心としたハコモノ整備は、都市の魅力向上の切り札のようでもあった。それは一気にまちの構造を作り替えてしまう。まるで整形手術のようだ。時には、その都市の歴史や個性をも犠牲にしてしまう。

イベントはさしずめ化粧なのかもしれない。その瞬間、華やいで見えるが、それは内面から溢れ出るような美しさとは違う。過度の依存は、化粧が肌を荒れさせるように、イベントも関係者の倦怠感をもたらす結果に終わるかもしれない。

人の美しさが一様ではないように、都市の輝く姿も一様ではない。それぞれの都市にはそれぞれの個性がある。その個性を見出し、それを磨き上げ、働きやすく住みやすいまちをつくる。人びとが豊かに交流し、そのまちを支えあう。そんなまちこそが魅力的なまちではないのか。そう、人間でいえば健康美こそが求めたい姿なのだ。

健全なまちには健全な商業が成立する。地域商業が衰退化するということは、それだけその都市が疲弊している証拠である。人口が郊外化し、公共施設も郊外に移転した。かつての中心部には、多くの人びとが居住するとともに、さまざまな公共施設や集客施設が存在しており、小売業もそのにぎわい施設の一部であった。ところが、その多くが郊外化し、むしろ小売業だけが中心部に取り残されたのではないか。

その頃、よくこんな比喩を用いていた。酸欠になった金魚鉢の中で金魚が苦しんでいるのを見てどうするのか。「おい、どうした、元気出せ」と金魚鉢をたたけば、金魚は一瞬驚いて跳ねるであろうが、かえって体力を消耗させてしまうだけだ。大切なことは金魚鉢をたたくことではなくて、金魚鉢に酸素を補給してやることなのだ。そう考えると、小売業はもはや単に小売業だけの問題ではなくなっていた。

まちづくり三法の副産物

一九九八年、大店法の廃止が決定された(実際の廃止は二〇〇〇年五月三一日)。都市計画法が改正され、新たに大店立地法と中心市街地活性化法が制定され、これらがあわせて「まちづくり三法」と呼ばれた。この呼称を、大店法廃止後の枠組みを求めていた経済産業省は意図的に採用したが、当初、国土交通省はこの呼称を受け入れてはいなかった。

そのまちづくり三法は決して期待通りの成果をもたらしたわけではなく、二〇〇五年にはその大幅な見直し議論が行われ、翌二〇〇六年には都市計画法では郊外開発の規制を前面に押し出し、中心市街地活性化法では選択と集中を合言葉に、協議会方式を義務づけるなど、大幅な強化が行われ、現在にいたっている。

三法の内容をここで確認したいわけではない。ここではむしろ、このまちづくり三法体制がもたらした副産物として、行政や研究者における分野を超えた交流が深まったことを強調したい。行政も研究者も、ほとんどの場合、それぞれ自分の専門分野をもち、その中で思考し、行動する。それがしばしば、「縦割り」として非難される。その縦割りは行政よりもむしろ研究者のほうが強かったのではないかと思う。

私は決して縦割りが悪いとは思わない。縦割りは専門性の別称なのだ。大切なことは、現場は縦割りにはできておらず、多くの縦割りの専門知識を総合しなければならないということだ。小売業がもはや小売業だけの問題ではないと気づいた時、私はそのことを痛感していた。

私自身は、大変幸いなことに、現場に興味を持ち始めた当初から、都市計画や建築関係の方々を中心に、何人もの異分野の人たちと議論する機会に恵まれていた。しかし、まちづくり三法が施行されて以降、その範囲はさらに格段に広がった。私だけではない。多くの研究者たちが、それまでほとんど議論することのなかった分野の人たちと同じ現場を見ながら議論するようになった。

それで直ちに私たちの視野が広がり、総合的な判断ができるようになるわけではない。私はどうしても商業サイドからものを見てしまう傾向は拭えない。それでも、異分野の人たちと議論し、お互いが理解しあえるのだという実感は何物にも代えがたいものだと思った。
 行政のほうでも、もちろん分野を超えた交流は深まっている。中心市街地活性化法に基づく基本計画の策定にあたっても、旧法時代のような商業関係部局の計画づくりではなくなってきている。一見迂遠なようだが、こうした交流と相互理解が、やがて本当の意味でのまちづくりを支援する力になるのだと信じたい。

さらなるつながり

有斐閣書籍編集第二部の柴田守さんから、総合的なまちづくりの教材になるようなテキストをつくらないかと声をかけていただいたのは、二〇〇六年のことであった。「まちづくり」と銘打つかどうかは別として、類似の講義が全国の大学で増えているのだという。大学も時代のニーズに敏感に反応しているのだと感心した。

しかし、私自身の経験に照らしても、広範な分野に広がるまちづくりを大きくカバーするような講義はとても一人ではできない。あくまでも商業の側から全体の枠組みを少し広げるというのが精いっぱいである。分野を広げるといっても、他学部の先生方にまでご協力をお願いするのは容易ではない。そのことを思えば、この企画はまことに時宜を得たものだといわなければならなかった。

だが、正直なところ、私はこの企画に魅かれながら、すんなりと飛び込めはしなかった。私自身が目配りできるひろがりがあまりにも狭く感じられたからであった。しかし、この企画にかける柴田さんの意気込みはゆるぎなかった。結局、この分野でははるかに豊富な経験をおもちの東京大学先端科学技術センター教授の西村幸夫さんのご協力を得ることによって、企画は一気に進み始めた。

「まちづくり」という捉えどころのない対象について、お互いのイメージを合わせ、本に盛り込むべきテーマと課題を選定し、さらに執筆者を選定する。そして、お引き受け下さった執筆者の方々と全体の考え方や各部分のあり方について議論を重ねる。それは、私にとってはまさに未知にも近い領域との出会いであった。まちづくりの現場における総合の過程にも近い体験をさせていただいた。

私は今年度をもって関西学院大学を定年退職する。秋学期、最後の講義のテーマに私は「まちづくり」を選んだ。でき上がったばかりの『まちづくりを学ぶ』をテキストに指定し、講義を始めている。学生には現場との出会いを求めているが、このテキストを使えば私一人でも十分なひろがりをもった「まちづくり」を講義できると実感している。この感覚を少しでも多くの方々に共有していただけたらと願わずにはいられない。

(石原武政:いしはら・たけまさ=関西学院大学商学部教授)

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