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2011年1月 5日 (水)

書評:『ヒトの子育ての進化と文化』 「書斎の窓」に掲載

173682_2根ヶ山光一・柏木惠子/編著
『ヒトの子育ての進化と文化
 ――アロマザリングの役割を考える

2010年7月発行
→書籍情報はこちら

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book 『書斎の窓』(2011年1・2月号)に掲載された書評をお読みいただけます(評者は,内田伸子先生・お茶の水女子大学教授)。

◆子育ては「親業」か◆

 親の子育て力が今日ほど取り沙汰されることはなかった。「親業」という用語が冠される育児書も多く出版されている。子育ては「親の仕事」という認識の現れである。子育て番組も多く組まれている。これほどまでに子育てに人々の関心が向けられるようになったのは、日本社会のコミュニティ(生活共同体)が壊れ、社会の育児機能が失われたことと軌を一にしている。

子育てのセイフティ・ネットは高度経済成長の波に打ち砕かれ、子どもをみなでまもり育てるという「社会の育児機能」は失われてしまった。今、子育ては岐路に立っている。よい方向へと踏み出す前提には、子育てを、歴史・文化・進化の視点で、とらえることが必要だ。そんなふうに考えていた矢先に、子育てについて第一線で活躍する研究者たちが連携協働して素晴らしい子育ての書が出版された。

ヒトの子育て再考の書

本書のタイトルは『ヒト』、カタカナで表記されている。ヒトは回りの人々との関係性の中で、人間になる。子どもは繋がりの中で育つのである。副題の「アロマザリング」とは「母親以外の個体による世話」を表現することばである。本書は、第Ⅰ部「アロマザリングの理論―進化」、第Ⅱ部「アロマザリングの理論―社会・文化」、第Ⅲ部「アロマザリングの現実」の三部から構成されている。進化心理学、発達心理学、文化人類学、生命科学などの各分野で子育てについて取り組んできた第一線の研究者たち三〇名が、総力をあげて、子育てをアロマザリングという枠組みで考察し、子どもと大人との望ましい共生の方途を探ろうという意欲的な書である。子育てについての先端的な「学問知」は、優れた執筆陣によって、精緻かつ平易に記述され、生きてはたらく「臨床知」へと架橋されている。本書で展開される論考は読者たちの「頭」に届くだけではなく、「こころ」にも響いてくるに違いない。

子育て負担を集団でシェアすることの意味

動物の子育ては集団で行うことに個体保存、集団の生存にとってメリットがある。「近縁個体にとっては、自分の遺伝子を多く共有する子どもの生存や発達を助け、その母親にも負担軽減のチャンスを与えることによって、自分の遺伝子の増加が見込まれる」(二頁)のである。では、ヒトはどうか。根ヶ山氏(序章)によると、ヒトは成熟が遅くても、とりわけアロマザリングが発達しているという。人間の出産は「生理的早産」(ポルトマン、一九六二)であり、他の動物よりもずっと未熟で親の養育期間も長い。未熟な子をホームベースに残して他者に託すのは、狩猟採集生活を営む人々の育児の特徴であり「新生児の相対的未熟性とそれに伴う母子分離の契機の増大」(五頁)につながる。

アロマザリングは子の自立・自律にとっても意義深い。母親が一人子育てを背負い込むのではなく、「母親以外の人たちとの接触を子どもみずから積極的に選択するという形で子どもの主体性が発揮されることもある」(七頁)のである。

アロマザリングの理論――第Ⅰ部 進化
三浦慎悟氏(第1章)は、哺乳動物を中心に、社会生活を営む昆虫や鳥類などの比較行動学の知見を概観して、「子育ては、個体の利益や血縁選択を直接の契機としていたとしても、互恵的な利他行動を有効に機能させるために進化した心理的なメカニズムであることは疑いない」(二七頁)と指摘する。ヒトには、個体や種の保存から互恵的な利他的行動へと展開するメカニズムが備わっているのである。

明和政子氏(第2章)は、チンパンジーの子育てをヒトの子育てと比べている。チンパンジーの母親は基本的にひとりで出産し、子育てをする。母親は他個体が子どもに触れるのを嫌がるが、子どもの運動機能が発達してくると、子どもの方からなじみのある他個体に近づくため、他者とかかる機会が増えていくという。これを踏まえて「母親だけでなく血縁さらには非血縁の仲間、社会によるアロマザリングが、ヒトにとって適応的な養育形態である」(四七頁)と指摘する。

根ヶ山氏(第3章)は、人工乳が母親から子育てを解放する契機となり、子どもの運動発達も母親から自立・自律する契機となって、子どもが母親以外の他者と互恵的関係を築くのに寄与していると指摘する。しかし、昨今の子どもの生育環境の危険性が大きく、親の責任論が喧しい状況にあって、子どもを囲い込み、子育てを一人で背負い込む母親も増えている。子どもの社会関係の広がりと母子の異常とも思えるほどの密着ぶりのベクトルは真逆であり、親子それぞれの自律的な共生関係が形成しにくくなっていることを指摘している。多くの少年事件の背景には親のマルトリートメント(親の子どもに対する不適切な扱い)がある。マルトリートメントや児童虐待は「親子の自律的な共生関係(ⅰ)」がつくれないことから起こっていることが多い。

アロマザリングの理論――第Ⅱ部 社会・文化

太田素子氏(第4章)は、アロマザリングの歴史的考察を展開している。施設保育の構想は、幕末に農村のぬきさしならない窮乏化を前に、ヨーロッパの救貧対策にヒントを得て生まれたという。明治維新後は、子守学校が設置され、それに併設されて保育所も開設されたという。

箕浦康子氏(第5章)は、育児は社会の再生産にとって不可欠な対面的な行為であると指摘する。アロマザリングの調達先には、家族・親族、公的セクター、市場の三つの形態があることを明らかにして「アロマザリングに関わる文化的諸要因の関連図」(図5―1。一一三頁)を提起した。この図式はアロマザリングを整理する枠組みとなる。読者には、この章を最初に読んでおかれることをお勧めしたい。

高橋惠子氏(第6章)は、愛着理論の母親偏重主義、幼児期決定説から抜け出すための理論的枠組みとして、「ソーシャルネットワーク理論」を提唱した。この理論では母親はネットワークの一メンバーであり、対人関係を構築する心理機能の一つとして愛着を位置づけている。「乳児といえども複数の重要な他者をもつ」(一二九頁)。同時に、複数の人々と関わり、また関わる能力をもって生まれると指摘する。子どもの側からアロマザリングへの準備性が整っているという指摘は子どもの回りの人間に対する能動的な志向性を示唆している点で興味深い。「ソーシャルネットワーク理論」は高橋氏の最新刊(ⅱ)に詳しい。併せてお読みいただきたい。

アロマザリングの現実――第Ⅲ部

大野祥子氏(第7章)は、父親の育児参加の現状を踏まえて、父親が育児にかかわることは子どもの発達や妻の精神的健康にとって望ましく、父親自身も人格的に成長する契機になっているという。父親が子育て参加の意識を高めると共に育児参加を可能にする働き方の仕組みを整えることも現代日本の課題である。

本書の編者、柏木惠子氏(第8章)は、子育て観についての説得的な論考を展開している。保育園をはじめアロマザリングの重要性や有用性はある層では認識されているが、依然として「三歳児神話」のような、子育ては「母の手で」信仰が根強く残っていると指摘する。本章の論考を通して、評者は、今こそ、アロマザリングの重要性を広めることが社会の育児機能の復権を促すであろうと認識した。

河原紀子氏と根ヶ山光一氏(第9章)はアロマザリングという観点から保育園での子どもの育ちについて考察している。質の高い保育を受けている子どもは認知発達や言語発達が促進される。しかしその効果はどの年齢まで持続するかについては縦断研究の知見の蓄積が待たれるところである。

山中龍宏氏(第10章)は、子どもの安全はすべて母親の役割と考えられてきた状況があると指摘する。しかし、母親だけでは子どもの安全を守るのは困難であり、母親以外の人が子どもの世話をするアロマザリングの視点が今こそ求められる。

陳省仁氏(第11章)は、祖父母によるアロマザリングの実態について、台湾と日本、西洋や中国の子育てを比較して「子育てのあり方が社会変動の中で変化するのは文化の宿命であるが、……伝承が行われなければ問題が生じる」(二四三頁)と指摘している。

富田庸子氏と古澤賴雄氏(第12章)は養子縁組における育て親のアロマザリングの実態を報告している。血のつながりのない子どもの「親になる」ということは、血縁や産むことへのこだわりを捨てることである。育て親も子どもも、血縁親子関係との相違を容認していくことで、親子の絆が形成されるという。この論考を通して、「親が子どもを個人として尊重し、生涯発達的視点に立って、子ども・親子・家族のために何が最もよいのかを深く考える姿勢や、『伝え続け、聴き続ける』態度はどのような親子や家族においても大切なことであるに違いない」(二六七頁)と結論づけている。

大日向雅美氏(第13章)は、子育てひろば「あい・ぽーと」の実践活動の経験を踏まえて、子育て支援施策のあるべき姿を導き出している。「あい・ぽーと」は多様な体制で親の不安や悩み相談に応じ、父親の子育てへの参加も呼びかけ、アロマザリングを体験する場を提供し、協働で育てることの重要性を実感してもらう。子育て支援策は「箱物」から「人」の育成へ、「コンクリートから人」への舵取りが求められると提言している。

子ども一人ひとりの視点に立って

本書を通して、「子どもは文化・社会の宝である」が改めて実感された。言い古され手垢のついた言説が、心の中で、活き活きと生きて働くことばになって動きだすのを感じた。

子どもたちの成長に私たち大人がいくらコストをかけても、その人たちが成長した明日には、かけたコストを帳消しにして、余りあるギフト(賜)を私たちの文化・社会にもたらしてくれるに違いない。子どもはしばらく、特定の親の元で子ども時代を過ごすが、その子が成長した暁には、私たちの文化・社会の担い手、創造主体となって、私たちの文化・社会を豊かにしてくれるはずだ。

子育てを通して親も育つ。子育て中の親に協力して社会の人々も育つ。子育てという営みは社会に活力を与え、希望をもたらしてくれるのである。私たちの社会は、子どもと大人の自律的共生~連携協働に向かって、社会の育児機能を今こそ取り戻さなくてはならないときにきている。

(ⅰ) 内田伸子(二〇一〇)『子どもは変わる・大人も変わる――児童虐待からの再生』お茶の水学術事業会。
内田伸子・見上まり子(二〇一〇)『虐待を越えて生きる――負の連鎖を断ち切る力』新曜社。
(ⅱ) 高橋惠子(二〇一〇)『人間関係の心理学――愛情のネットワークの生涯発達』東京大学出版会。

(内田伸子:うちだ・のぶこ=お茶の水女子大学大学院人間文化研究科教授)

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