『入門・日本経済』第3章(日本経済の歩み2) 練習問題解答
1 プラザ合意に至るまでの経緯を簡潔にまとめよ。
(解答例) 日本では,1980年代に入ってから経済成長率が減速したこと,国内金利が海外金利より低く推移したこと,さらに第2次石油ショック直後には経常収支が赤字となったことなどから年々円安(ドル高)が進行した。他方,アメリカでは,ドル高に加えて高金利政策や双子の赤字の継続により,世界経済に悪影響を及ぼす懸念があった。このような状況下で,日米独英仏のG5がドル高是正のための政策協調で一致することとなった。
2 1980年代の後半期に,日本において資産価格の高騰が起こったのはなぜか,簡単に述べよ。
(解答例) 1980年代の後半期を通じてバブルが持続し得たのは,自己実現的な期待形成による面が大きいが,それを可能にしたのは金融の超緩和政策による過剰流動性の存在である。すなわち,1986年1月以降5次にわたって公定歩合が引き下げられ,87年2月以降,2年3ヵ月にわたって2.5%という低水準が維持された。金融緩和政策がとられたのは円高不況対策や内需拡大政策の追求に求められる。
3 その資産価格の高騰がバブルと呼ばれるのはなぜか,簡単に述べよ。
(解答例) バブルは,理論的には,資産価格のうちファンダメンタルズを超えた部分であるが,実際はファンダメンタルズ自体が将来収益(配当や地代)や割引率(金利)の予想に依存することから,一般にはその時点でバブルか否かを評価するのはきわめて困難である。しかし,1980年代後半の資産価格の高騰の背景では,株価収益率(PER)の水準や現実地価と理論地価との乖離幅から判断して,バブルが発生していた可能性がきわめて高いといえる。事後的に振り返ると,1990年代に入って資産価格が大幅に下落したことから,確かにバブルが膨張・崩壊したと考えることによって説得されよう。
4 1990年代に入ってからのバブルの崩壊が,実体経済に及ぼした影響を簡潔に述べよ。
(解答例) 合理的バブルについての「実体経済に対する中立性」といった理論的命題とは別に,実際には,まず逆資産効果による消費減や企業の資金調達コスト高による設備投資減が起こった。さらに,より強いチャネルとしては,バブル崩壊による個人破産や企業倒産による直接的デフレ効果,担保価値の減少による金融機関の貸し渋りを通じるデフレ効果,金融機関が抱えることとなった不良債権による信用不安問題によるデフレ効果がある。また,これらが将来に対する悲観的な期待形成を醸成することとなったのも特筆に値しよう。
5 不良債権処理はどのような段階を経たか,簡潔にまとめよ。
(解答例) 不良債権はバブル崩壊直後は経営破綻先債権など狭い範囲にとどめていたが,不良債権問題が金融システム不安の払拭に重要であることが認識されるにつれてその範囲を拡大し,金融機関が抱える潜在的な不良債権もバランスシートから把握できるように,透明性を高める規制を導入した。一方,不良債権の処理のうえでは,前段階の回収機関を経たのちに公的機関としての整理回収機構が設立され,破綻した金融機関や公的資金が注入された金融機関が抱える不良債権の回収に当たった。ほかに,健全な金融機関が抱える不良債権の買い取りにあたる機関として,都市銀行の出資によって共同債権買取機構が設立された。金融システム不安の払拭にあたっては,金融機関そのものへの公的資金の注入もなされた。
6 日本経済の「失われた10年」とは何か。なぜそのような事態になったのか,説明せよ。
(解答例) 日本経済の失われた10年は,バブル経済崩壊後の地価の持続的下落,株価の低迷,景気の長期デフレ不況,日本企業の競争力の低下や産業の空洞化,日本的経済システムの凋落,巨額の財政赤字の累増,といった日本経済の停滞を示す現象が同時期にほぼ10年間続いたこと(多くは10年以上続き,後には失われた20年が問題となる)。原因としては,バブル経済の崩壊後の不良債権問題の解決にいたずらに時間を要したこと,冷戦の終焉によってアメリカ型の資本主義がグローバル化のもとに日本国内に浸透し,日本的経済システムが維持できなくなったこと,企業や家計が不確実性や不安の高まりによって悲観的になり,投資や消費を控える縮小均衡に陥ったこと,などがあげられる。
7 1990年代の財政金融政策について簡潔にまとめよ。
(解答例) 1980年代後半のバブル経済の後半期は金融引き締め,バブル経済崩壊後は金融緩和といった基本方針を,日銀はそれぞれ数次にわたる公定歩合の変更によって示した。1990年代の後半期には金融緩和はゼロ金利政策にまで追い詰められたが,それでもデフレ対策や景気刺激策としては効果は限定的で,むしろ金融システム不安下での金融機関への支援策として位置づけられる。財政政策についても,1990年代には総合経済対策を合計9回発動し,事業規模においては優に100兆円を超えるものだったが,景気刺激策としては限定的だった。
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