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2008年4月30日 (水)

著者より:『怒りの心理学』 「書斎の窓」に掲載

173415 湯川進太郎/編
『怒りの心理学――怒りとうまくつきあうための理論と方法』
2008年2月刊
→書籍情報はこちら

編者湯川進太郎先生が,『書斎の窓』(2008年5月号)に寄稿した紹介文をお読みいただけます。

◇「キレ」に関する一考察――『怒りの心理学』を刊行して◇

問題視される「キレ」
 「キレ(る)」ということが問題視されるようになって久しい。小学生・中学生・高校生などの児童生徒がキレて学校で先生に怪我を負わせた、一〇代の若者がキレて電車の乗客を刺した、はたまた、いい年の大人や老人がキレて店員に暴行を加えた、などの事件がしばしば報道される。最近では、モンスターペアレントやクレーマーといった言葉も流行っている。キレて学校に怒鳴り込む親、キレてカスタマーセンターに苦情をがなり立てる客。みながみなキレまくる世の中、先にキレたモン勝ちの世の中である。昭和を懐かしむ映画やグッズや食べ物が売れるのは、単なる懐古趣味以上の、昔はお互いが謙虚に譲り合う平和で穏和な世の中だったのになぁという幻想(本当にそうだったかは、比較検討したわけではないからわからないけれど)に浸りたいがためだろうか。とにかく、キレる人が多くなったような気はするし、かくいう筆者も小さい頃からよくキレる。親には、「そんなカンシャク持ちじゃ、絶対に勤め人にはなれん」とよくいわれたものだ。

 そんな中、長じて大学教員(一応、定期的に給料をいただいている勤め人です)として研究者をしていると、卒業論文や修士論文で「『キレ』の研究をしたい」という学生・院生にしばしば出会う。彼らは一同に、「最近のキレの問題は重要だ、なぜキレるのか、キレを促進・抑制する要因は何か、明らかにしたい」とおっしゃる。なぜそういう学生や院生に会いやすいかというと、私の主な研究テーマが人間の攻撃性や怒りだということを知って、やってくるからである。なので、私のところを訪れるのはあながち間違ってはいないけれども、彼らが研究したいとする「キレ」についての洞察が一様に浅い気がしてならない。「キレ(る)」ということは、確かに社会的に問題視されているので重要だし、その原因や関連する要因を調べることも重要かもしれない。しかし、そもそも「キレ (る)」とはどういうことか、その現象そのものをきちんと考えてから訪れる学生や院生は皆無といってよい。

「キレ」の正体
 「キレ」の特徴はといえば、その〈唐突さ〉と〈強さ〉であろう。ある人が何かのキッカケで突然に怒り出したというとき、「キレ(た)」という表現が使われる。ただ、その強さは、場合によっては、軽くキレるというものから、自分を見失うほどブチギレるというものまで、目に見える(表に現れる)範囲ではそれこそ千差万別であるからあまり重要でないかもしれない。だとすると、「キレ」の最も重要なポイントは、唐突さである。唐突であるということは、予想外であるということであり、このとき、誰にとって予想外かといえば、それは当人以外の他人にとってである。となると、ある感情の突発的な表現行為を「キレ」だとするかどうかの判断は、他人の評価に依存していることになる。つまり、「キレ(る)」とは、ある現象を他人の目から記述する言葉といえる。ある感情の表現行為が外から見て唐突(予想外)であったとき、それを私たちは「キレ」と呼ぶ。

 「キレ(る)」という概念は他人の評価・判断の中にあるのだから、当事者(キレる人その人)の中にその「キレ」の原因や関連要因を探ろうというのは、だからたいへん妙な話になる。「キレ」という概念は、その当事者の中にはない。ある人が突然に怒り出したり暴れ出したりするのを見て、他人がそれを「キレ(た)」と名づける、そのためのラベルである。堪忍袋の緒がキレる、堰がキレる、血管がキレる、そういったイメージで、ある人が爆発する様子を指して、「キレ(た)」と称する。ただし、たとえ他人が見て唐突であっても、キレた当人はそれ相応の理由があるはずである。その理由が理解に苦しむことでも、些細なことでも、本人にとって、理由は理由である。もし当人にとって相応の理由もなく、突然にわめき散らし暴れ出したら、それはそれで別の問題として治療の対象になるだろう。本人にとってはそれなりの理由があった上で怒りを表出するわけで、たまたまそれを他人が「キレ(た)」と呼ぶ。何らかの「キレ」特有の心理学的なメカニズムが、個人の内面にあるわけではないのだ。だから、あえて「キレ」という概念を持ち出すことはない。科学はその方向性としてシンプルさを求めるので、こういった、概念の過剰な生成は混乱をうむだけで、利するところはあまりない。

 ただ、この「キレ(る)」という言葉を敷衍して、今度は、自分のある心理状態・感情状態を「キレ(る)」と命名する場合が出てくるので、問題はそう簡単ではない。人によっては、自分を見失って感情を爆発させてしまったとき、それを「キレ(た)」と事後的にラベルづけするかもしれない。あるいは、もうすぐ堪忍袋の緒が「キレ」そうだ、というように自らの切迫した心理状態を表現するかもしれない。これらも、自分で自分を他人の目線で捉えて記述しているわけだから、「キレ(る)」という言葉の使い方としては間違っていない。

 また、「オレはキレやすい」とうそぶいて周囲を威嚇し優位に立とうとする若者がいるけれど、これなど、自己客観視が良くできていて、むしろ微笑ましい。でも、「キレ」は唐突さが主眼にあるわけだから、「キレやすい」というのは本来、言葉の意味と使い方が矛盾している。「~しやすい」人なのであれば、それはその人の行為に唐突さはない。想定内の範囲である。「あいつはキレやすい」といういい方もまったく同じで、よくキレることがわかっていれば「キレ(る)」という表現はそぐわない。

 そう考えていくと、こうした人物評価としての「キレやすい」的表明は、おそらく、「些細なことでもすぐに怒る」という意味合いになってくる。つまり、「キレ」の要素として新たに、〈易怒性〉(怒りっぽさ)が加わる。もし仮にどうしても「キレ」の原因や関係要因を研究したいならば、実際はきっとこの〈易怒性〉を研究することになるだろう。

 だが、〈易怒性〉は、まさに「怒り」研究の中心であり、なぜ人は怒るのかという問いは、なぜ怒りっぽい人がいるのか、その怒りっぽさをなんとか和らげることはできないのか、といった形でこれまで検討されてきた。だから、しいて「キレ」という概念を持ち出してまで、あらためて研究する意義はあるのだろうかという疑問がまた持ち上がってくる。それに、怒り研究以外にも、たとえば、「衝動性」の研究や「自己制御」の研究というのもあり、いずれもこれまで多くの蓄積がある伝統的なテーマである。

 こうして考えれば考えるほど、やはり、「キレ」を研究する必要性や余地はほとんどないような気がしてならない。「キレ(る)」とは、そもそも、予想に反した怒り表出行為という現象を捉えるための言葉であった。言葉ができるとそこに実体があるかのような錯覚に陥るけれども、決して実体はない。もしあるとすれば、その正体は、〈易怒性〉であり〈衝動性〉であり〈自己制御(の弱さ)〉なのではないだろうか。

「キレ」研究なのではなく「怒り」研究
 このように、「キレ」そのものは実体がないので研究する意義は薄い(ような気がする)。そうではなく、私たちは人の「怒り」感情を研究することによって、なぜ人は怒るのか、どうしてその人は唐突に怒りを表出してしまった(してしまう)のか、それを促進・抑制している要因は何かなどを把握することができるようになる。なまじ「キレ」などという実体のない概念を持ち出すよりかは、これまで蓄積のある「怒り」についての研究知見を知ることで、キレやすい人を理解し、キレにくくするためにはどうすればいいかの方針を得ることができる。また、積み上げられてきた知見や方法論に沿って、さらに「怒り」の理解を科学的に深めていくことができる。必要なのは、「キレ」研究なのではなく「怒り」研究なのである。

 さて、以上は、『怒りの心理学』刊行にあたっての前振りとお考えいただきたい。ここまで読んでいただいて、「怒り」の研究こそが重要なのだということを多少なりともおわかりいただければ、私の当初の目的は達成されたことになる。後は、以下に簡単に紹介する『怒りの心理学』の内容を見て、ご購入を検討していただければ幸いである。

 『怒りの心理学』は、大きく二部構成になっている。前半は、怒りという感情のメカニズムを理解するために、理論的な背景をさまざまな側面から解説している。後半は、怒りの感情をうまくコントロールするために、それに適した主要な臨床技法を紹介している。前半五章と後半五章を合わせて一〇章とコンパクトであり、各章末には、その章のまとめと、もっと勉強したい人のために読書案内も付けておいた。また、高校生のような心理学に馴染みのない人が読んでも理解できるようにと、図表やイラストを多く用い、文章はなるべく平易でわかりやすいものとなるよう心がけた。

 本書の特徴にはほかに二点ある。

 一つ目の特徴は、わが国で実際に怒りを研究している心理学者が、国内外の研究をわかりやすくまとめている点である。従来の怒り関連の本は、その大半が外国の研究者・臨床家の翻訳書(もちろん、そこに出てくるデータや人物例はすべて外国のもの!)であるのに対して、本書は、日本人を対象に怒りの研究をしている心理学者が自分たちの研究成果も交えつつ書いたものである。怒りという感情は、もちろん通文化的に共通するテーマだが、やはり、文化的社会的な背景による違いはあるだろう。そのため、わが国独自のデータに基づいて議論することが必要であり、本書はそれに答えるものとなっている。

 二つ目の特徴として、本書の執筆には、社会心理学・教育心理学・健康心理学・臨床心理学を専門とするさまざまな研究者が担当している。つまり、基礎と臨床が融合して一つになった珍しい本でもある。怒りを知るためには、そして、怒りに対して有効に対処するためには、基礎と臨床の両輪のどちらもおろそかにはできない。この両方を同時にわかりやすく示すことによって、研究的には基礎あるいは臨床だけに偏らない視野の広い展開が、実務的には基礎に裏打ちされた臨床が、それぞれ実現するだろう。本書が、「キレやすい」私にとって良い薬になるという最大の効能はさておき、研究や実務に携わる方々のお仕事に少しでも役立てば、私にとってこれ以上の喜びはない。

湯川進太郎
(ゆかわ・しんたろう=筑波大学大学院人間総合科学研究科准教授)

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